大安吉日ノーテンキ

Archives for 2005年 02月

2005-02-27 日

見合って見合って

わたくし、池田山城の天辺で優雅に独身生活を謳歌しておりますの、オホホ。

でもね、実はこんなわたくしでも世間で言うところの“お見合い”なんてものを経験したことがございますのでございますよ。

初めてのそれは、おんとし正真正銘25歳の頃だった。隣の部署の気のいいおじさんが「俺の知り合いにイイ男が居るんだよ。今度会ってみないかい」と、いとも気軽に声をかけてくれた。

イイ男なら会ってやらなくもない。

場所は目白の椿山荘。まだ一度も足を踏み入れたことの無い所だった。

こちらは、気のいいおじさんと椿山荘の正面で待ち合わせ。トイメンにはカテドラル教会。鐘が連なった塔がそびえている。お日柄も良く、ご縁があればこの教会のバージン・ロードを歩けるかも、なんて笑みがこぼれてしまいます。

あちらは、ご両親こそ付き添っていないものの伯父さんというのと、妹なるのがくっついて来ている。

「あちらの伯父さんが、ここのコック長さんをされているんだよ」。気のいいおじさんの説明に納得。「妹さんも、伯父さんのお料理が食べたいって」。ま、これも納得。いずれは、お目にかからねばならない人ならば、早めにお目にかかっておいて悪かろうはずはない。

一応の挨拶が済みまして、食事は伯父さまのご説明を拝聴しながら、ちょっと緊張はあったものの、つつがなく腹いっぱい、オットお腹もほどほどに膨らみまして、食後のお茶となりました。

ボーイさんが「コーヒーと紅茶がご用意できますが、どちらになさいますか」と恭しく問うたとたんに妹御がのたまいました。

「おにいちゃまは、お紅茶ね。おにいちゃまは、あつこが入れたコーヒーしか飲まないんです」。「???」

おにいちゃま? あつこぉ?

確か、おにいちゃまは30才だったはず。そんなに年の離れた妹とは聞いていないので十代のガキ、いえ十代の少女ではあるまいし、自分のことを名前で呼ぶな!

ん、あちら側をよく見るとコック長なる伯父が居て、本人がいて妹あつこが居て、その隣に誰か居るぞ。

熊よクマ。それもテディベアなる、クマのぬいぐるみまで鎮座ましましているではないの。

私の視線を感じたあつこが言った「この子、あつこが骨折して入院した時、おにいちゃまがお見舞いにって買ってきてくれたの」あ、そう。「この子、いっつもあつこは連れているの。もちろん寝る時も一緒よ」あ、そう。「おにいちゃまは、とっても優しいの。今日のあつこの服はおにいちゃまが選んでくれたのよ。おにいちゃまのは、普段からあつこが選んでいるの」あ、そう。

そう言われたおにいちゃまは満面の笑みで、あつこの顔を見つめている。その瞳には少女漫画の星が光っていそう。

ゾゾゾーッとしましたです。はい。

アイコンタクトなるものをして「では、若い者同士で」なんて決まり文句も言わず、隣の部署の、気のいいおじさんは、私を椿山荘から連れ出してくれた。

「いやぁ悪かったねぇ」とおじさん。でもいっそハッキリしていて良かったというものだ。(どうやって断ろう)(断られたらどうしよう)もないままに、おじさんと「なんじゃ、ありゃ?!」と意見も一致しましたもの。

「いやぁ、奴だけしか面識が無かったもので、まさかあんなだとは思わなかった」。おじさんは何度も何度も最敬礼をしてくれた。

数年して、その兄妹がそれぞれ結婚したとおじさんから聞いた。

もう、びっくりこきまくり。そうかぁ、ああいう二人でも結婚できたんだぁ、と我が身を振り返ったものだ。又、椿山荘でお見合いなんぞしたのだろうかと、そこのところも興味があった。

それから半年もせずに、今度は例の兄妹ともに離婚したと知った。

ホッとしましたね。やっぱり世の中に常識は生きていたのだと。

ああ、あれから何年たったことだろう。あの後も、コントで志村けんが演ずるお婆さんそのままに、何度も何度も同じ質問をしてくる人。お絞りが出ると指を1本1本拭くだけでなく、電車に乗ると吊り輪をハンカチで拭ってから掴む癇症兄さんなど“断るのに困らない”相手とばかりお見合いを重ね、状況が変わらぬままに今に至るワタクシなのだった。

ああ愚弟でさえ、たった1回のお見合いで妻をめとったというのに。

そうそう、志村けんもどきのオッサン。後から聞いたところによると、会ったとたんにワタクシに一目惚れ。頭の中が真っ白になり、何を言ったら良いのか、自分が何を言ってるのか分からないくらいに舞い上がってしまっていたんですって。無理はございませんですねぇ。オホホ。

そして今日も、独り優雅に池田山城での高笑いは続く。

2005-02-20 日

ワタクシ流ゴルフ

ワタクシ、自発的には行動しないが引きずり出されれば何でもやる。かなり無理のある事柄でも野次馬根性とサービス精神が旺盛だものだから、一応はチャレンジする。そんなわけでゴルフに挑んだのは四半世紀近くも前だった。(姫宮っていくつ?)

デビューは富士ゴルフコース。そうよ、練習場も経ないで、いきなりコースという掟破りの大胆行動だったのよ。しかもゴルフクラブなるものを初めて握ったのも、その前夜に道具一式を友達の家まで借りに行った時だ。バットのように、ただ握ればいいのかと思っていたが大間違い。右手の小指と薬指の間に左手の人差し指を入れて、なんてシチメンドクサイ、指がつりそうだ。しかもクラブにはドライバー、スプーン、アイアン、サウンドエッジ、パターと様々な種類がある。これもシチメンドクサイ。何しろ突然のデビューだもんだから靴だってありゃしない。友達の足のサイズは24cm、私はといえば22.5cm〜23cmを普段は履いている。しかし、今回は足を靴に合わせるしかない。ティッシュなんぞを詰めてはみたが大丈夫かなぁ。当時のゴルフシューズは底に鋲が打ってある、いかついものだった。まるでスケートシューズを履いているような感覚で、その大きく重い靴を履くのもこれまたシチメンドクサイ。そして渡された手袋、片方しかないじゃない。「両方する人もいるけど、クラブを直接握る側だけすればいいんだよ」って友達に説明された。そうなんだぁ、片方無くしちゃったのかと思った。

いっさいがっさいの道具を借り、打ち方を数分間教えてもらっただけで翌朝いざ出陣。季節は冬、場所は雪をいただいた勇壮な富士山を真正面に見るゴルフコース。初舞台として不足は無い。さて第一打。連れも固唾を飲んで見守る中、えっとぉ右手の小指と薬指の間に左手の人差し指を入れてぇ、足は肩幅に開いてぇ、腰をおとしてぇ…ギャラリーのイライラが高じた頃にやっとこクラブを振り下ろした。クラブはチョロッとボールに当たり、ボールが前に飛んだ。本人も驚いたけど周りもあたるわけが無いと思っていたらしく「やるじゃないか」と褒めてくれた。

そんな調子で一打ごとに周りにストレスを与えながらコースを進んでいくと、なんと大きな池があった。ははぁん、これが池越えってやつですね。ここで打ったボールが池を越える事ができず、池の中に落ちてしまうのが池ポチャって言うやつですね。しかしこんな大きな池、チョロとしか当たらない私には、何打しても越えられようはずがないじゃないか。クラブハウスで見た、思いもかけないボールのお値段の高さ。池ポチャのボール代を考えてゾッとしてしまった。

とはいえ1打もしないのもねぇ。ええい、ままよ池の中へ飛んで池(?)とばかりに私なりのフルスイングを試みた。でもやっぱり当たりはチョロ。ところがどうよ、そのチョロがチョロチョロとした導線になり、なんと池に架かる橋を渡って行ったのです。もぉ周りも本人もびっくり仰天です。そんな事からしても、その日の私はついていたらしく、山賊のように木々の奥やら谷底の砂地に囚われている連れ達を横目に前へ前へと、のろいながらも進んで行ったのだった。

グリーンの移動はカート。免許は持っていても普段は怖くてハンドルを握らない私だが、この広い空間なら対向車も交差点も無いのだから大丈夫。意気揚々と運転席に乗り込んだ。もちろん、職人さんが丹精込めた芝に乗り上げてはいけない。なるべく隅を静かに走る。緑も晴れた空も気持ちいい。気がついたら後ろから連れ達が走って来る。「どぉしたんですかぁ〜」「使うクラブを積んでるんだから考えながら行きなさ〜い。戻って戻って」。仕方ない、戻ってやろうとハンドルを切ったとたんにカートが傾いた。あまり隅を走っていたものだから切り取って作られたコースの、山の斜面に乗り上げてしまったのだ。「キャ、倒れるぅ」京の五条の橋の上、義経さながらひらりと身一つで飛び降りた。見るとカートもぎりぎり倒れず、斜面にナナメになって停止していた。連れの一人が飛び乗って無事にカートを平地に戻してくれたのだが、よくあんな斜めになった車に乗れるよなぁって、感心するとこが違う?

初めてなのにワンラウンドに挑戦。半分回ったところでお食事。空気は澄んでいるし、目に入る緑は綺麗だし適度な運動をした後だし、食事が実にウマイ!

終わってみると、スコアは他のメンバーと遜色なかった。小刻みながら横道に反れずに前進していたのが良かったのね。やはり素直な私はエライ。実は、私がチョロと打つと後から打った連れがそ知らぬふりをして私の打球を拾い上げ、グリーン上まで運んでくれていたというのが真相なのだった。その上、メンバーの足を引っ張りまくっていたのだから当然の結果だっただろう。

さて、やっと鋲のついた重い靴を脱ぐことができる。クラブハウスの前には自転車の空気入れのような管から、風を送り靴についた土や草を吹き飛ばす装置がある。そこに私が足を差し出すと、見かねた連れ達がそのチューブを器用に使って塵芥を吹き飛ばしてくれた。そんな光景を、冷たい目つきで見ているヤツがいる。弟君なのですねぇ。実はこの日の連れとは叔父と従兄と弟だったのだ。もう一人の従兄が都合がつかなくなり、いつ呼び出しても出てくる暇人を誘ってきたのさ。その晩、家に帰ってからかの弟君、両親に告げ口の雨霰。「姉弟かと思うと恥ずかしかった」って。なら誘うなよ、姉の性格ぐらい把握しておけよ。

それから暫くは“はた迷惑”という言葉を身をもって知ったゆえ、練習場にも行きました。けれどその都度、外した時計や指輪、脱いだカーディガン等を忘れまくる始末。所詮、私には地道な努力は似合わないのだと悟り、ゴルフからはきっぱりと足を洗ったのだった。

2005-02-13 日

歯並び

趣味も特技も無いと嘆く私に、後輩が言った。「姫宮さんの特技は、歯並びですよ」。特技が歯並び? なるほど私には八重歯も無いし、歯は出っぱっても引っ込んでもいない。(そうか、私の特技は歯並びだったのか)と、納得する素直な自分が大好きです。

しかし、歯の質はもろい。親知らずを含めて28本、全部自前の歯ではあるが、奥歯には全て虫歯治療での詰め物がされている。子供の頃は、よく夜中に歯が痛み出し母を困らせたものだ。と言うのも、母は生まれてから我が子が泣いて訴えるまで、歯の痛みと言うものを知らない人だったのだ。「何で頑丈で硬い歯が痛むのか不思議で仕方がない」と喜寿を迎える今でもおっしゃる、超ド級の幸せ者だ。

弟も、私と違って歯が丈夫。大学生の時、同じ大学の歯学部の学生達が実習だと言って弟の学部に実験台を求めてやって来た。次々と口を覗き込んでは虫歯や治療痕をカルテに記入していたが、弟に当たった歯科学生の検視鏡を握る手が止まった。いくら探しても虫歯も治療痕も見つからないのだ。彼は他のクラスメイトを呼ぶ。やはり見つからない。

「おかしい、おかしいって言うんだよ」と豚弟。5人くらいの歯科学生達が首をかしげながら弟の口を交代ごうたいに覗き込む。「無い、無い」と言いながらも、針の先でつついたような、かすかな黒っぽい点を見つけ出した。それを虫歯のなりかけだと決め付けて、やっとこ解放してくれたらしい。現代の日本において虫歯が1本も無い大学生は、これから虫歯の治療を目指す彼らにとって“ありえない”存在だったのだろうか。

その話を弟から聞かされた夜、母にたずねてみた。どうして同じ姉弟なのに、こんなにも違うのかと。普段の歯磨きもいい加減な弟に虫歯が1本も無く、きちんと磨く私の歯がなぜこんなにも、もろいのかと。

「それはね、お前は実はやんごとなき所の姫君で…」なんて答えは返ってくるはずもなく、いとも簡単に「食べ物でしょ」と言われてしまった。「幸一は肉をたくさん食べるから骨でも歯でも頑丈だけど、お前は食べないから」。

そうなのだ、弟は肉が大好物で私は大嫌い。子供の頃、カレーが食卓に上ると、私はカレーの盛られた皿を、そっと弟の方に近づける。すると、すかさず弟が私の皿から肉を自分の皿にうつし全部平らげていた。しかし、それを母に見つけられ、それからというもの、お互いに肉を拾い出せないよう、我が家のカレーはひき肉入りと相成ってしまったのだった。

肉が丈夫な歯を作る一因。母にそのことを指摘されたのは弟が大学3年生、私が24歳の時だった。それから一念発起。食習慣の改善へと取り組んだのだ。そして、どうしても飲み込むことの出来なかった肉を涙を流しながらも、とうとう克服することができたのだ。私は偉い!

今では、焼肉もステーキも好んで食べる。モツとレバーは未だに食べられないのだが、フォアグラと鮟肝は大好物だ。数年前に御殿山のフランス料理店で子羊の脳みそのソテーなる物を食べたことがある。フォアグラに似た味わいで大変美味だった。見よこの長足の進歩。やっぱり私は、とっても偉い。

人並みに肉を食べられるようになったおかげでか、今のところ新参の虫歯はできていない。ただ、時の流れはいかんともしがたく、むかし詰めたアマルガムがアッチの奥歯、こっちの奥歯と、順番のように取れる。姪の七五三のお祝いに配られた千歳飴を噛んで取れた時、中華料理のおこげを食べての時は、まぁ、ありえると思ったものの、ナタデココを食べて取れてしまった時とコーヒーゼリーでの時には、ありえなぁいと自分でも歯と詰め物の軟弱さに怒りさえ覚えたものだ。

これから先も、私のたった一つの特技である歯並びを維持すべく、そして80歳20本運動を実践すべく牛乳を飲み、肉を貪り小魚を食べ、食後の歯磨きは丁寧に念入りに頑張っている。未だに虫歯の無い弟に「そんなに長く磨いていて、よく涎が垂れネェもんだ」とあきれ返られながら。

2005-02-06 日

スワ鎌倉

昨年の、年末も押し詰まった12月22日。「明日の休みに鎌倉の明月院に行こうよ」と、実家の近くの同級生が言って来た。「何でこの時期?」「何となく」。予定があるわけではないので、付き合うことにする。実家のある駅から鎌倉まで湘南新宿ライン・宇都宮線で乗り換え無しの1本で行けるようになったのだ。この線ができるまでは上野まで50分かけて出て、乗り換えて東京。そしてもう1度乗り換えなければ行けなかった所だ。私は途中の大崎から乗り込むことにする。

「大崎までは1時間以上かかるから乗るときに電話するね。10時台ので行くから」。

パソコンで調べると10時台は11時40分過ぎに大崎到着の1本だけだった。これなら楽勝と夜中までパソコンでゲームをしてしまった。目覚まし時計を10時にセットしてベッドへ。

グァッ、9時半の電話で起こされた、「今、乗ったから、じゃね」。おいおい、話が違うじゃないか。でも、乗っちゃったら来ちゃって行っちゃうよな。焦りまくりながらも飛び起きて、顔を洗う。お腹が寂しいので、マシュマロを口に放り込みつつ顔を作る。寝癖のついた髪をブロウする時間もありゃしない。ここは、ニットの帽子をかぶって誤魔化すことにする。こういう時、帽子の似合うキュートな自分に感謝。

アタフタ、アタフタどうにか間に合ったぁ。湘南ラインが到着まではあと5分ある。2両目に乗るという約束だったので前へ前へと歩いていたら電話。「4両目のグリーン車にいるから」。グリーン車?! 驚いているところへ又電話。「グリーン車だけど下だから」。下?! そうこうするうちに湘南ライナーが滑り込んで来た。なるほど、2階建ての車両だったのだ。「なんでグリーン車なんて乗って来るのよ。もったいないじゃない」「だって、スッゴク混んでたんだもん。座れなきゃヤダっていっつも言ってるのは姫宮でしょ」。「でも、なんだってグリーン車で地べたにはいつくばってホームぎりぎりを見てなきゃなんないのよ」「だって、すっごく混んでて下しか空いてなかったんだもん」。そうか、そうだったのね。これも全て「絶対座りたい」と駄々をこねるこの私のせいだったのね。

グリーン車なのに半地下のような雰囲気はいかんともしがたいけれど、リクライニングシートはゆったりと心地良い。車内も静かだし、湘南方向に行くにはハイソな気分でピッタリかも。で、グリーン料金だが、大崎から乗り込んだ私は800円也。埼玉の片田舎から乗り込んだ友達は1000円と、200円しか違わない。ただし、仮に新宿から乗り込んでも1000円だ。何しろ50km以下か以上かしかないのだから。それでいて乗車前に駅の販売機でグリーン券を購入した場合に比べ、私たちのように車内で車掌さんから購入すると、同じ距離でも値段が高くなる。ただし、この日は休日、だからそれぞれ200円安くなる。この仕組み、なんかとっても不思議。でも太っ腹でグリーン車に揺られている今日ばかりは(どうでもよくてよ)なんて思えるのだった。

大崎から北鎌倉までほぼ1時間、グリーン車での優雅な旅はお喋りをしていたらアッと言う間だ。着いたのは正午ちょっと前。マシュマロしか食べてない私と、コーヒーしか飲んでない相方は、まずは腹ごしらえ。駅から直ぐソバのお蕎麦屋さんに飛び込んだ。さすがに北鎌倉駅前の店、大きな黒い引き戸を引いて中に入ると高い天井の下、分厚い無垢の木を使ったテーブルが並ぶ。美味しく天とじなんぞをいただいて、暖まったところでいざ明月院へ。

休日なのに人影もまばら。いつも紫陽花の季節の人だかりに来ていたものだから、こんなに静かな明月院は初めてだ。もしかしたら拝観料もいらないかもしれない、と思ったのはやはり甘かった。一人300円也を払って入場。あじさいは薄茶色の枝だけになっていた。石の参堂を上り枯山水の庭園を拝見し、本堂を拝んでお線香を上げて、自分の為に似合いそうなピンクの可愛いお守りを買った。トイレ・タイムを入れても、ものの30分もしないで明月院とはさようなら。

総門を出てほんのちょっと歩くと、右手にこじんまりとした日本家屋の店があった。店先には高さ5cmほどのうさぎの土鈴が並ぶ。よく見ると招きうさぎまで居る。お店の名前もそのまま「うさぎ」。寒空に桜の花の暖簾をくぐり、店に入ると客はゼロ。わぁい独占です。メニューにもありました、うさぎ饅頭。白い蒸し饅頭に食紅で描いたピンクの目と茶色く焼き鏝をあてた耳がご愛嬌。早速にコーヒーとのセットを注文。他に客のないことをいいことに、しゃべりたおして店をあとにした。おっとその前に店名の謂れを聞くと「うさぎ年に開店しました。もう14年になります」とのこと。マスターもほわほわんと、うさぎさんの雰囲気だ。

これだけのんびりしても、まだ3時半。やはり人混みのない古都では時間がゆるりと流れるようです。なので、駅までもどったもののこのまま帰るのももったいないと、駅前のこちらはアメリカ辺りのカントリー風喫茶店でケーキセットをオーダー。ここも、客が少ないのをいいことに陽だまりに席をとり、ケーキとコーヒーでまたもや、お喋りに興じる。

帰りはゆうゆうと普通車でも座れる状況だったのだが、せっかくなのでグリーン車の2階に乗ってみることにする。やはり2階は下とは大違い。ホームでも半地下ではなく乗降客を頭の天辺から見下ろすことができる。1000円の、イヤ私は800円で、とっても贅沢な気分を満喫することができた。先生も走る師走に、お気楽おんな二人旅の巻だった。