ネットで、本で話題になった『電車男』が今度は映画化される。秋葉系といわれるオタク青年が、電車の中で酔っ払いにからまれている女性を助ける。そこから話は展開するのだが、本にも映画にもならなくても毎日、電車の中では様々なドラマが繰り広げられているのだ。
今は乗車時間、片道わずか17分の私だが、長らく、栃木・茨城と接する埼玉の地から、お江戸は神田駅まで通勤していた。電車に乗っているだけで正味1時間、乗換えや待ち時間を入れると1時間半近くになる。帰りは上野駅で、何本か見送ってでも絶対に座れる電車に乗車していた。時刻表を確認しホームへ移動するのだが、これが一苦労。何しろ私が通っていた線は、上野からの出発ホームが2階の5番線から、1階15番線にまで渡っているのだ。しかも、出発時間はアット・ランダム。5番線で並んだものの、惜しくも次点で座れなかったとする。しかし、次の電車は15番線から出発なんて事がザラなのだ。すると、移動している間に次に出発する電車の列は見ただけでも「無理・無理」と言っている。なので、次の次くらいの時刻を確認してホームを移動するのだ。だから、事故など起こった日にゃぁ、5番が最初に動くのか、9番が動くのかハタマタ13番線かと、右往左往することとなる。よく通ったもんだと自分で感心する。そして、今もそういう通勤をされている方々に、心からの敬意を払う。
1時間もじっと乗車していると様々なことがある。一番嫌なのが、肩凝り症の私としては隣の人がもたれかかってくること。電車の揺れ具合や、急ブレーキでうまい具合に逆方向にもたれてくれることもあるが、慣性の法則なのか直ぐにこちらに戻ってくる。BOX席で前に座った男女。なかなかの美男美女だった。そのうち、女性がうっつらうっつらしだした。いいな、微笑ましい恋人同士だな、なんて羨望の眼差しで見ていたのだが、これが大間違いだった。突然、美男が肩をすっと避けると叫んだ「重いんだよ!!」。でも、とっても分かる。私も一度、もたれかかられて重さに耐え難く、隣の中年男性に肩透かしを食らわしてやったことがある。すると、その男性が怒り出した。「ちょっとぐらい綺麗だからって、気取ってんじゃねぇ!!」。これって怒られてんの、お褒めにあずかってるの?
うるさいのも嫌だ。特にあのヘッドホン式ステレオ(要はウォークマンですね、ここまで気遣う必要はないでしょう)。目を閉じて単調な車輪の音に身をまかす。1日の疲れを癒す最良の時よねぇ。ああ、それなのに。あのカシャカシャ音はどうしたものか。がまんがまんと思いながら、ジッと目を閉じてはいたがガマンならんと目を開けて見渡すと、正に秋葉系の青年がウォークマンを耳に、悦に入っている。許せん。とは言え、距離があるので睨み付けるだけで許してやるが、うるさいったらうるさいのだ。暫くして、大きな乗換駅で客がドサドサ降り、車両が、がらがらになった。すると嘘でしょぉ、あの秋葉系が私の目の前の席に座ったのだ。そして物も言わずに自分のしていたヘッドフォンを外し、私に、聞いてごらんとばかりに差し出した。アホか、だれがそんなもの聞くか。「ケッコウです!」怒気強く言ったのだが、秋葉系はにやにやしているだけだ。不気味なので本を読んで視線を避ける。それからやっと2つ目の駅で秋葉系は降りた。何しろ駅と駅の間が5分はある線です。長かったぁ。
その駅では急行待ちの為6分の停車。やっとこガッタンと電車が発車した時、本から顔をあげて外を見ると、なんと秋葉系が手を振って見送っているではないの。もしかして、そこでずーっと私を見てたの? 私ったら一目惚れされてしまったってことですかぁ。あらら、どちらも自慢話になってしまいましたかしらン?!
往路は、上野までの50分に耐えかねて一度途中駅の大宮で下車、始発の京浜東北線に乗り換えてみた。すると、それでもどうにか始業時間に間に合ったではないの。それからは、短気な人にはできっこないけれど、そのまま乗って行けば、あと30分弱で着く距離をチンタラと新たに、50分弱かけて通勤した。大宮—赤羽間は読書、そして赤羽からは居眠り。ああ、なんて快適な電車通勤。京浜線では自然に乗る場所が固定する。挨拶もしないけれど、毎朝お隣に座る人は同じ叔父さん。ある朝、同じ京浜東北線に乗り、東京駅で待ち合わせて、友達と鎌倉に行く約束をしていたことがある。私は赤羽から良い心持で居眠り。「神田、神田」とホームで放送が流れ出した途端に、いつもの隣の叔父さんがこれでもかというくらいに私の肩を揺すった。「神田ですよ、降りなくていいんですか?!」。ちゃんとお分かりだったのですね、私の下車駅。小さな親切にお礼を言いながらも「今日は東京駅まで行くのです」って、大きなお世話だったことも確り教えて差し上げた。
本当に、乗り過ごしかねないくらいに眠りこけていたことがある。それを救ってくれたのは目の前でつり革につかまっていた男性だ。突然の大きな歌声に私は飛び起きた。それが、神田に着く直前というタイミングの良さだった。その時の歌が素晴らしい。曲名は「また逢う日まで」。私は前奏で目が覚めた。だってこうよ ♪タンタンタタンタタン・ドン タンタンタタンタタン・ドン ちょうど、ドンの所でハッと目が覚めたわけだ。あの男性とは未だに“また逢う日”は訪れていないが、以来、尾崎紀世彦の♪また逢う日までは、前奏無しには考えられなくなっている。♪タンタンタタンタタン・ドン
いそのくんチに行って来た。サザエさんもわかめちゃんも居なかったけど、茶髪の元気なお兄さんたちがフットワーク良く働いていた。
お察しの通り、私の行った“いそのくんち”は、いそのかつおくんの家ではなく、昭和30年代を彷彿とさせるレトロな作りの居酒屋さんだったのだ。お通しはラムネ菓子や、下町っ子が、もんじゃ焼きに喜んで入れたようなバリバリのかた焼きそば、マシュマロといった懐かしいおやつ。メニューもハムカツ、メンチカツにコロッケ、そして焼きそば、おでん、それにたけ串に刺さった丸いお餅などなど。目新しくはないけれど、ついつい注文したくなるような物ばかりだ。ハムカツは縁取りの赤い、ペラペラのハムを揚げたものを想像していたが、やはり時代よねぇ。そんなチープなものではなく、脂身のしっかり入った高級そうなハムが厚く切って揚げられていた。昔なら大喜びだろうが、あの頃を懐かしむ身にはちょっと残念。でも、その1枚のハムカツから次々に思い出話があふれ出て来る。「コロッケが5円でメンチが10円だった」。「給食に出たくじらのベーコンが美味しかった」「味噌おでんを自転車に積んで売りに来るおじさんが居たっけ」…… 皆、目が無邪気な子供のように輝いている。
カウンターに並ぶウィスキーも「トリスを飲んでハワイに行こう」と謳われた時代のサントリーの角びんだ。最近は焼酎や発泡酒がモテモテだが、口に含むと入社早々に会社の飲み会で飲まされた水割りの香が蘇って来る。私が生まれて初めて飲んだアルコール、バイオレットフィーズも持ち手のついたアルミの水飲みのようなカップに入って出てきた。何もかも懐かしく、時のたつのを忘れるとはこういうことかと思うくらいに話が盛り上がった一夕だった。
あの感動をもう一度。郷愁の店を求めて探してみたら我が家の近所にもありました。「奥様公認酒場」と銘打ったハッピーという居酒屋。入るとすぐに駄菓子屋を模したスペース。なんと豆腐屋さんのオブジェまであるではないの。客席はテーブル席と、畳の席。畳の席は、まるで私が子供の頃の実家の茶の間そのままに、丸い卓袱台、木目も見事な茶箪笥、そして白黒のテレビジョン。テレビにはNHKの人気番組だった「ジェスチャー」のビデオテープが流されている。柳家金語楼、水の江瀧子両キャプテンが張り切って演じる姿も懐かしい。あの頃はチャンネル数も少なく、どの家でも同じ番組を見ていたっけ。
だから昨日のあの場面と言えば誰でもわかる。視聴率40%を割ったという紅白歌合戦が70%以上の高視聴率を当たり前に取り続けていた時代だ。思い出も東京オリンピック、新幹線の開通、大阪での万国博覧会といった、国民みんなで共有できるものがたくさんあった。
色々思い出すにつけ、ああ昭和は良かったなぁ…なんて、ついつい大きなため息をついてしまう。そうよそうよ、昭和は良かった。昭和の時代にはこの私にも華やかなりし日々があったのよ。先日亡くなられた漫画家の中尊寺ゆつこさんが描いたような、ディスコで扇子を持ったワンレンのお姉さん達が踊りまくって居た時代、昭和40年代、昭和元禄と言われバブル絶頂期で浮かれていた頃だ。あの頃は、この私にとってもバブリーな一時期で、アッシー・メッシー・ミツグ君なんていう、ミドル・ネーム(?)までもつ男性がぬかづいてくれたものよ。クリスマスや誕生日というイベント日には、真っ赤な左ハンドルでお出迎え。行く先はクィーン・アリスだマキシムだ、レカンだと名の通ったお店ばかり。極め付けは、ナンバーがふってある鴨料理をたべさせるレストラン、トゥール・ダルジャン。場所は、かのヨン様が泊まって大騒ぎになったホテル・ニューオータニの地階である。ヨン様も食べたかしらん。そこで鴨料理を食し、格付け番組に出てきそうな赤ワインをキコシメシ、バッグやアクセサリーを「気に入っていただければ」と献上されていたのだ。あの頃のワタシャ「装飾品なんて男性から貰うものよ。自分で買ったことなんて1度も無いわ。オホホ」とうそぶいていたものだ。ドヨ。
でも、バブルがはじけると同時にミドル・ネーム付き男性もアッという間に雲散霧消してしまった。そして大日本帝国が不況にあえぐ今、声をかけてくれる殿方もない。ナンパなるものを最後にされたのは何年前のことだろう。なのに、バブリー時代に甘やかされたおかげで私は、一人では出かけることも食事をすることもできない乙女のまま、時代に取り残されてしまった。どうしてくれる。
ああ、昭和は良かったなぁとつくづく思う。そう言えば17年前の、この私の誕生日1月7日に昭和は幕を閉じたのでした。あの日、葉山は音羽の森のレストランで、陽光に輝く海をみながら食べたフランス料理。そして誕生日プレゼントとして献上された真紅のバラの花束とダイヤのネックレスが私の輝きの最期だったのかも。
いそのくんチに行った時、ドアを開けると店員さんたちが声を合わせて発した言葉は「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさい」だった。懐かしい昭和の時代へ「おかえりなさい」だったのではないかと一人で納得している。ああ、あの昭和の時代へ戻れる手だては無いものか。いそのくんチのサザエさんのように永遠の24歳で居る私ではあるが。おっと、また若返ってしまった。
愛すべき、とっても可愛い先輩がいる。小柄で髪はゆるいウェーブのかかったセミロング。縁こそメタルだが、あられちゃんのようなまん丸メガネをかけている。
仕事はバリバリやる人なのだが、どことなく頼りなげなホンワカとしたムードを漂わせている。私が大川さんの部署への異動が決まった時、私の知らぬ間に部長に姫宮の人となりを語り聞かせただけでなく、私の為にいろいろな規制緩和を図ってくれた。これが凄い。今居る部署は新しく異動になった人には全員1週間の泊りがけの研修が行われていたらしいのだが、3日間、しかも日帰りの研修で済むようにかけあってくれたのだ。私はそんな事、全く知らなかったのだが、部長は当然大川さんと私は相当懇意にしていると思った。だから大川さんのお宅で、ご不幸があった時「いろいろご存知でしょうから受付をしてね」と頼まれてビックリしてしまった。私のビックリ顔に部長もビックリ、そこで初めて大川さんと私の縁の薄さ、イヤ異動前には全く縁が無かったことを知ったのだった。
実は大川さんは、私が前の部署で一緒に働いていた蒲田さんのお知り合いだったのだ。だから蒲田さんが言った「姫宮さんのこと、宜しく」の一言で、腕まくりの奮闘をしてくれたというわけだ。ありがたや、ありがたや。
私の歓迎会の席でも大川さんには驚かされた。全員会場に集合し、いざ乾杯という段になったとき「私、お腹すいてないからちょっとお腹を空かしてくるワ」と、やおら立ち上がると会場を後にしてしまった。そして、待てども待てども帰ってこない。ここは歓迎される姫宮が居るということで、部長が音頭を取りやっとこ乾杯。幹事のはずの大川さんの席は空のまましばし歓談。「やっとお腹が空いてきたワ」と大川さんが戻って来たのは、乾杯から30分は経過していた。「ちょっと散歩して来たワ。迷っちゃって帰れなくなるとこだったワ」。みんな口をあんぐりだけど、ご本人は「あらぁ、美味しそうねぇ」と並んだ料理に満足げに箸を進めていた。
そんな歓迎会から時を経て気心が知れるようになったある日、大川さんは蒲田さんを誘って我が家にやって来た。やっては来たが約束の時間を遥かに過ぎていた。原因は大川さんの思い込みの強さ。以前に来たことのある蒲田さんが間違いなくマンションの下まで来たのに、初めて訪れた大川さんが毅然として「ここではないワ」と言い張って譲らなかったというのだ。蒲田さんは、さんざん大川さんにひきづりまわされ、しびれをきらせてかけた私の電話での道案内で、やっとこ振り出しに戻れたのだった。しかし、来たことの無い場所を「ここではない」と断定できるあの自信はどこからくるのだろう。蒲田さんご苦労様。
お二人を部屋に招き入れ、お茶を飲んでいると突然の雷雨。そしてその後の虹。それはそれは大きく綺麗なものだった。自慢じゃないが自慢しちゃうと、我が“御殿”からは遮蔽する物も無く、虹を180度見渡すことができるのだ。だから大川さんも蒲田さんも、とっても感激しながら私のデジタルカメラに納まったのだった。
夕食は近くのイタリアン・レストラン。そこで、またまた驚かされる事件発生。3人で美味しく食事をしていたのだが、大川さんがなぜかボーイさんを手招きする。そして呼ばれたボーイさんが聞かれたことは「お隣に座ったカップルはどうしたの?」。ボーイさんも蒲田さんも私も??? ボーイさんが怪訝そうに答える「お帰りになりましたが」。「アラ、来た途端に帰ってしまったの? 何があったの?」。ボーイさんも私達もいったい何を大川さんがおっしゃっているのか分からない。隣に座ったカップルは、ちゃんと食事をして帰って行ったのだ。それは、今ここに居る3人とも知っている。その旨を伝えると大川さんは言ったものだ「アラそぉ。楽しい時間は早いって言うのは本当ね。ぜんぜん分からなかったワ」。いえいえ大川さん、いっくらなんでもお隣に座ったカップルがこ一時間はかけて食事していたことは皆分かってますよ。我々はちょっと時間をかけ過ぎです。ほらボーイさんが(まだ帰らないのかなぁ)という顔で見てるでしょ。おっと、あまりこちらを見ないで下さい。大川さんがまた、訳の分からない質問で呼びよせかねませんから。
その日のことは後日談がある。虹と一緒の写真を大川さんに渡した時「あの日、虹を見た人って他にも居たのねぇ」と言われたのだ。「私達だけが見たのだと思ってたワ」と。
あのぉ、虹ってあの広い空に見えるのですよ。昔、佐良直美が♪世界は二人のために なんていう歌を歌って新人賞をとった事があったっけ。まさか、あの虹が3人だけの為に出たとお考えだったわけではないでしょうね。
大川さんは、この欄を読んで下さっているという。そして「とっても上手ねぇ」と、ゆったり口調で褒めてくれる。そういう大川さんも会報のような冊子に、健康に関する2005年を書いている。それがかなり専門的で、情報がとても豊富なのだ。そのことをお返しのように言ったら、またまたびっくり。「あれ、色々な本の抜き書きだもの。私にあんなこと書けるわけないワ」。だから「本代がかかってしょうがないワ」。それって阿部なつみよりヤバくないですか。「著作権の問題とか起こりませんか」と心配して聞いてみると「あら、上が書けって言ったんだから問題が起こったら上に言うワ」でおしまい。上はそんな状況をご存知ないのではないだろうか。
大川さんは、若々しくとてもチャーミングである。その秘訣はこのおおらかなマイペースにあるような気がする。私も私だけの世界をもって、おおらかに生きて行きたいものだワ。
わぁい春だ、桜も咲いた。お花見のシーズンだ。とは言え、悲しいかなここのところの私の花見といえば、通勤途中の電車の窓から見る沿線の桜を「ああ、今年も咲いた」と眺めるだけだ。
以前、祭り好きが揃っていた部署に居た時は、部長以下部員一同うちそろい毎年お花見をしたものだ。朝から集合して皇居1周お花見マラソン。それから仕事。そして、仕事が終わったら本格的な花見酒なんて浮かれた年まであったっけ。私は運良く(?)足を怪我していたのでマラソンは不参加。後から車で応援しようと準備をしていると、スタートに遅れてしまった人が「追いついた所から走る」と、上下スウェットに着替えて乗り込んで来た。結局、追いつくことなく二人で車に乗ったまま社の玄関まで帰って来る始末。春の朝、皇居の周りをのどかにドライブしただけだったなぁ。
ある年は、先発隊が陣地取りをしておくというので後続は、安心してのんびりと行ってみると、やけに空いた場所だった。そりゃぁそうでしょう、桜の木なんて全然無いじゃないか。でも、確かに先発隊は木を囲んで座っている。「これ、モミジですよ」と言うと「エッ、まだ蕾で今夜にも咲くかと思った」って。とても大人とは思えない答えが返って来た。すでに本物の桜の木のまわりはどこも人だかりが出来ている。お花見の名目ではあるけれどお目当ての桜の見える場所は断念。要は美味しくお酒が飲めてわいわい盛り上がれさえすればよいのだから、これも有りか。途中で花散らしの風が、屋台で買ったタコ焼きの上に枯れ草を吹き付けて来た。タコ焼きは鰹節が散らされているのか、枯れ草が乗っているのか判断できかねる状態。それでも、わいわい騒ぎながらだとタコだろうが、鰹節だろうが埃だろうが枯れ草だろうが、大口開けて美味しくぱく付いてしまう一夕だった。
翌年、予定した日は大雨。靖国神社の大きな鳥居の近くに陣取って震えながら、それでも全員集まるところが凄い。誰が持って来たのかダンボールで雨風を凌ごうとしていると、近くに居た見ず知らずのグループもビニール・シートなど供出してくれ、結局3畳ほどの掘っ立て小屋が出来上がった。その中で2つのグループが持ち寄った酒と肴で大盛り上がり。時々シートの隙間から雨が滴り落ちるのもご愛嬌で、思い出深い宴会と相なった。ところであんな寒さの中で桜は咲いていたのかいな。
さらに、その翌年は面白い実験の年となった。幹事が配った案内状に日付と曜日が違うという、大きな誤りがあったのだ。ところが誰も気づかない。そして、集合場所に集まった比率は……。8対4で曜日の勝ち。会社員て、曜日の感覚の方が強いのだろうか。思わぬ統計が取れてしまった。でも統計云々は関係なく、名目があって集まれば大いに飲んで駄弁るのだ。♪4月は花見で酒が呑めるぞぉ〜の歌の通り、酒が呑めてお喋りに興ずる事のできる仲間がいれば会社員はそれでいいのだ。
ここで、某先輩から一昔も前に聞いたお話を披露しよう。先輩に断りなくではあるが、ここでバラしても鉄拳は下るまい。それに“男のクセにお喋りだ”と、皆から言われていた人だから、アッチこっちで既にてしゃべくりまくっていることも想像に難くない。
仮に山田先輩としておこう。先輩は満開の桜の季節に福岡にある弊社の西部支社へと出張した。支社には先輩の同期である田中氏が転勤していた。仕事も終わり、二人は旧交を温めるべく田中氏の案内で名物の屋台から屋台へとハシゴをした。そこには美味しい酒と肴が待っていた。しこたま飲んだ二人は、月の明るい夜、散る桜にほてった頬を打たせながら、まことにイイ心持で山田先輩の宿へと向っていた。すると、こじんまりとしては居るが、枝振りの良い桜の木が植えられた公園があった。その桜は側に置かれた石灯篭の光に浮かびあがり一幅の絵画のようだったとは山田先輩。
「おい、あの樹の下でもうイッパイやろう」とは、果たしてどちらが言い出したものか。それから自販機を探し、めいめいにカップ酒やらビールを買いこんだ。入り口が見当たらないのでフェンスの代わりか、低く丁寧に刈り込まれた垣根をエッコラショとまたぎ、目指す桜の下でお花見が始まった。♪同期の桜なんぞも歌ったかもしれない。すっかり気分良く飲んでいると遠くにパトカーの音。その音がだんだん近づいて、二人がお花見している公園の前でピタリと止まった。どんな捕り物が始まるのかと興味津々の酔っ払い二人。ところが、警官が駆け寄り捕らえたのはこの酔っ払い二人だったのだ。曰く「住居侵入の現行犯」。
仲良し同期の酔っ払いが、公園だと信じてお花見していた場所は他人様のお庭だったのだ。豪邸の住人がカーテンの蔭から、ふと庭を見ると、見知らぬ酔っ払いがだみ声を上げながら酒盛りをしていたのだ。これはパトカーも呼ばれます。酔っ払い達は九州の某警察に一晩ご厄介に相なった。そして翌朝、事情を聞いて貰い受けに足を運んでくれた田中氏の直属の上司のご好意で、差し入れてもらったカツ丼を食べ「公園だと思い入りました。右相違有りません、うんぬん」という書面に署名し拇印をついて、無事出所することができたのだった。
かようにニッポンジンはお花見が好き。でも、ワタクシ正直のところ今の心境は少女コミックの漫画そのままに“花より男子(だんご)”でございます。花より団子は、この下腹を見ては禁句でございますし、一人で花を愛でてもつまりません。今年こそ、一緒に夜桜を楽しんでくれる王子様が現れるのを期待しているのだが、近くにお馬さんは来たものの、ねぇ王子様をどこで下ろして来ちゃったのさ。