ねぇ、知ってた? “1才からのかっぱえびせん”なる商品があることを。「塩分2分の1、カルシウムたっぷりで、小さなお子さんに最適」なんだそうな。いまどきのガキ、いえお子様は離乳食だけでなく、お菓子までもそれなりに成長段階で区別されているらしい。
私がお子様のころは目に入る物、何でも口にしていた。親にだって、刺激の強い物は別だが、大人とほとんど変わらないものを与えられていたのではないかと思う。ほんのちょっと前のお子様である姪たちも、祖父母と優しい伯母に囲まれて昭和の子育てをされたゆえ、タクアンのシッポやスルメをしゃぶりながら走りまわっていたものだ。
最初の子の、それも最初のうちは哺乳瓶も煮沸消毒だの、子供を抱くときには雑菌を取る薬品の染み込んだコットンで手を拭くだのと、そりゃぁもぉ気を使って我が子に接している新米ママさんが多い。そんな風に接していたら超神経質な子供になっちゃうよ。とは言うものの2人、3人と子育てをするうちに、ママ達もたくましくも雑にもなる。昔、男子同級生から聞いたことがある。「姉貴のトコなんて最初の子の時はあれこれうるさかったのに、3人目なんて放ったらかし。砂場で砂食ってたよ」。
今は、一人っ子が多いのでまだまだ手をかけているママが多いのかなぁと思っていたら、人間さまのお子さまならぬ、犬猫にも半端じゃなく手をかけている人が私の周りにもウヨウヨ居た。
昔、姫宮家にいた猫の餌は猫まんまそのままに、残りご飯に鰹節をかけたものだった。鰹節もパックに入った華かつおなんていう、フワフワと風に乗って飛んでいきそうな上品なのではなく、箱型の鰹節削りで、その都度グァッシャ、グァッシャと削ったものだった。ところが今は、キャッツフードが当たり前、残飯などやらないし与えても猫マタギにされるのが関の山らしい。ミルクも「牛乳なんて飲ませては駄目」と言われちゃう。“猫ミルク”というものがあるそうで「雌のミルクに含まれる蛋白質、脂肪、炭水化物と同等のカロリーを供給します。免疫力を強化する核酸(DNA・RNA)を含み、適切な発育と成長に必要なビタミン、ミネラルを供給します」。「ストレスを受けたり消化吸収の高い栄養を必要とする成猫にも使用することができます。ワンちゃんにも使用可能です」だって。これってストレス漬の私にも使用可能でしょうかねぇ。
十姉妹を飼っている人も居る。「迷い込んで来た子があんまり可愛かったので、一人(?)では寂しいだろうと思い、ペアにしてあげたのよぉ」。すると、アッという間に卵を産んで雛が3羽孵り、十姉妹さまご一家が誕生してしまった。寒そうなのでエアコンを入れると、温風の按配がご一家には良くないので、なんとヒーターを取り付けた温室を作ることになったそうだ。「二世帯住居のような二階建てよ」と、飼い主の細田さんは自慢する。しばらくすると又もや卵が2個。このペースでご一家が増えたら大変と、細田さんは「卵を巣の中から出して砂の上に置いておいたのね、孵らないように」。ところが生命力は小さな鳥でも侮れない。2個とも、しっかり孵ってしまった。「柔らかな麦わらの巣の中で孵ったのと、冷たい砂の上で孵ったのとでは気性が違うのよぉ」。餌はガツガツたべるし、人が手をだすとつつくし、顔つきもポワンとした癒し系のお姉ちゃま達とは違い「なんか、きついの、ヤンキーみたい」なのだそうだ。十姉妹ご一家は暑さにも弱い。クーラーもタイマーをつけてのフル稼働。「もぉ、電気代がバカになりません」と言いつつも、「うちのピーちゃんたらね」と、まんざらでもなさそうだ。どうして鳥の名はどこでもかしこでもピーちゃんなのだろう。
虎ノ門にあるスポーツ用品店の看板犬、パグの師寿丸君はバーバリーのレインコートが大のお気に入り。だから雨のお散歩に出かける時それを着せてやると、姿見の前で己が姿をウットリと見つめる。子供の手が離れた従姉妹が飼い始めたミニチュア・ダックスフントのピンキーちゃんは、通販で買った幸せを呼ぶ誕生石入りの、犬用お守りチョーカーなんぞをつけている。1万円也だそうな。こやつ、私と同じ誕生石だって。従姉妹が目を放した隙にいつか奪ってやる。
“金継ぎ”という風雅な、趣味と実益を兼ねたお仕事を気ままになさっている用賀マダムの美里さんチには、人間様の使う洋式便座に座って用を足される猫のジーク君がいらっしゃる。餌は書画骨董に造詣の深い飼い主様のおかげで、落語そのままに絵高麗の梅鉢に盛られて出される。そうそう、美里さんに叱られたのだった。「餌?! お食事と言いなさい」。
こう考えると、実家の雑種犬チョコは質素なものだなぁ。食べ物もホームセンターで大安売りの日にまとめ買いしたものだし、犬用ミルクなんてもってのほか、人間様の残りの牛乳を与えられれば良い方で、水分はもっぱら水道水だ。
ン、待てよ。あの雑種犬を飼うまでは家族7人で日産サニーに乗っていた姫宮家なのだった。この車では仲間はずれが出るからワンボックスカーのような、家族全員がラクラク乗れる車に変えようと、父・母・姉そして愛妻までもが、声を大にして脅してもすかしてもガンとして車種を変えなかった弟が、やっと手に入れた長男(?)の為には自ら日産プレーリーに乗り換えたのだった。もちろん試乗には長男を連れて行った。
ウーム、実家の雑種犬も人後(?)に落ちないお犬様であったとは。
久しぶりに実家に帰って驚いた。豚弟が痩せていたのだ。私が豚弟を知って40ン年(因みに弟は年上です?!)どんどん膨らんで行く姿は見てきたけれど、しぼんだ姿など見たことがなかった。
因みに弟は、わずか3ヶ月で10キロ痩せたのだという。食いついた人、たくさん居るでしょ?!。
165cm 80kg。これが3ヶ月前の豚弟が豚弟していた時の体形。南海のドカベン香川を縮小して思い浮かべていただければ、前歯の透き具合までそっくりだ。ドカベンが甲子園で人気者だった時、隣近所の人たちが口々に「おたくのお兄ちゃんが出てるのかと思った」と言ってきたものだ。
豚弟は豚弟だけに、彼女居ない暦=年齢という人生を歩んでいた。まだ携帯電話の無い頃に青春時代を送っていた弟の元に、女性からの電話は皆無だった。だから弟の留守の時、初めて女性からの電話を受けた母は、そりゃぁもぉ大騒ぎ。「かけ直させるって言っても、こちらから又かけますって言うのよ。本当にかかって来るかしら」なんてオロオロしていた。しばらくして弟にかかった、その女性からの電話に家族中で聞き耳を立てていたものだ。しかし「英語のカセットテープ買えってサ」。そんな事だろうと思いましたよ。何しろ、弟の親友でモテモテ男の折原君が「ヤツはもてません!!」って太鼓判を押していたくらいなのだから。
その弟が周りの期待を裏切って(?)適齢期と言える29歳で結婚をした。恋愛なんてあり得ないと思っていたがやはり思った通り、お見合い結婚だった。母の知り合いがもってきた話の、たった一度のお見合いであっさりと弟は結婚をしたのだ。これにはビックリ。趣味の良い私は決して豚弟などと見合い結婚はしないだろう。義妹は当時、抜けるような色白のスラッとした美人だった。一体弟の何処が良かったのか不思議で仕様が無かった私は、何度も聞いて義妹に呆れられた「お義姉さん、前にも同じこと聞きましたよ」って。
だって、いっくら「優しそうだから」とか言われても俄かに信じられないんだもん。「落ち着いて見えたから」って、そりゃぁ単に体重があって重心がかなり低いからでしょう。けれども年を経て、義妹が「お義姉さん、プレゼントに服を下さるなら次回からはLにして下さい」と言うほどに体形が似たもの夫婦になるのを見て、赤い糸の不思議を思うのだった。それに義妹は賢明だったと思う、親友が太鼓判を押すほどのモテナイ子ちゃんだった弟は、初めて出会った女性をそれはそれは大事にしている。私は実家に帰るたびに義妹に言ってやる「ウチの弟は冷たいけど、おたくの旦那さんはなんて優しいのでしょう」と。
それにしても、やはり太り過ぎは体にいいはずはない。30台になったとたんに罹ったのが痛風。普段はいくら言っても病院へは行かず自力更生を旨としているのに、風が吹いても痛むというこの病気の時には、さすがに会社の診療所へ駆け込んだ。ところが診察もしないで体形を見たとたんに医者から痛風ですねと言われたらしい。「ちゃんと検査して下さい」と言う弟に医師は「検査はもちろんしますが、痛風に決まってますよ」と笑いながら答えたそうな。検査結果は診立て通り、オデブの病、痛風。家族に打ち明けると両親・姉・妻は心配顔一つせずに言ったものだ「隠れて何を食べてたんだ?」。
四十台になって早々に高血圧発症。これもオデブの発症率が高い。かくいう私も体形が気になりだしたとたんに血圧が上がりだしている。
そうそう弟の体形だが特徴としてはあごが無い、というかあごから膨らみだして腹部に至る。そんな体形だから極度の暑がりで一年中半袖だ。なのになぜかベストだけは好きで着用している。真冬に半袖を着てニットのベスト、というかチョッキを着用しているのだ。テレビでも、石塚英彦や内山くん、ダチョウ倶楽部の上島竜平などが半袖にチョッキのいでたちで登場する姿を見る。どうやら半袖にチョッキが、おデブキャラのユニホームのようだ。
さて皆様お待ちかねの減量法だが、やはりバランスの良い食事と間食を避けることに尽きるようだ。絶食や摂食はしなくてもイイらしい。ただ主食のご飯は、今はやりの五穀米にしている。白米・胚芽押麦・もちきび・黒豆・小豆、時にはもっと増やして黒米・緑豆・もちあわ・黒ごまなどを加えることもある。晩御飯には必ずきのこと海草を、おかずに取り入れる。これは高血圧を抑える作用もあるらしい。そして1日のおかずで油を使うのは1品だけ。これが調理をする義妹にとってはけっこう難しいらしい。「サラダでドレッシングを使うと、他には油が使えないんですよ」とか。
それにしても、3ヶ月で10kgです。脅威ではあるけれど、今までいかに無駄な肉を体につけていたのかと、その点も呆れる。私が弟に「体、軽くなった?」と聞くと母がいみじくも言ったものだ「産まれたての赤ん坊3人を体にくっつけてたんだから、そりゃぁ軽くなったでしょうよ」。しかし、そう言う母は未だに赤ん坊2人は背負ってるように見えるのだが。
爽やかな5月となった。新入社員もめでたく(?)五月病を発症する頃だろう。
弊社にも70人ほどの新人が入社し、我が局には女性1人を含む7人が配属になった。直の部署には1人も入らないのだが、研修には7人打ち揃ってやって来た。この研修、4年前から不肖このワタクシが実地の部分を受け持たされている。ちょっと特殊なパソコンの入力方法、電話での受け答え、伝票の書き方等々。実地なら新人も真剣勝負、居眠りをこく暇も無いし、初めての体験に興味津々自ずと身を入れてくれる。
講義となるとそりゃ退屈だぁね。講師じゃなくて良かったと思っていたのだが、今年はなんと一時その講師役まで引き受ける羽目になってしまった。前日、講義担当の上司から冗談で言われていたのだ「もし、私が出社できなくなったら代わりに講義もやって下さいね」。ところが当日、早朝の地震のせいで、その上司の乗る路線がすっかり乱れてしまい「時間に着けそうにありません。講義も併せてお願いします」と車中からメールが届いた。冗談から駒? げに、言霊とは恐ろしい。「資料はどこにあるのですか?」「昨日、持って帰って作りました。出社してからコピーするつもりでバッグに入って、ここにあります」って。ちょっとぉ、そりゃないんじゃないのぉ。レジュメも心構えもないままに講義ですかぁ。
二十四ならぬ、十四の瞳がじっと俄か講師の私の顔を見て“お言葉”を待っている。本当は私、講師じゃないんですぅ、思いもかけずにここに立ってますぅって言い訳しながら講義に入るが、へんな汗がじとっと出てくる。あわわ・あわわと新人を前に泡を食っているところへ、やっとこ本来の講師役が、こちらも汗を拭き拭き現れた。「どうせですから、続けて下さい」って、冗談ではありません。どうにか「はい、ここを押してぇ」とか「他所からかかった電話に応える時、自分の部署の人の名前に敬称はつけない」などという具体的かつ超初歩的指導のお役目に戻ることができた。
どんだけ“本番”を教える方が楽か。絵に描いた餅を見せても上手に説明しても反応はいまいちだが「さぁ、食べてみましょう」と言ったら、みんな笑顔で喰らいつく。日頃講師をなさっている皆さん、本当にご苦労さまでございます。餅を食べさせたり、鞭をちらつかせたりしながらどうにか無事に、お役目は終了。新人達が口々に「ありがとうございました」と言いながら最敬礼をして去って行く。ふだんとは違った疲れ方はするものの、この時ばかりは映画『愛と青春の旅立ち』での教官ゴセットにでもなったような気分だ。
途中、ちらりと世間話になった時「ご出身は?」の質問と一緒に「お子さんは、お幾つですか?」なんて聞かれてちょっとムッとはしたものの「独身よ文句ある?」「いえ、ございません」で一件落着(?)。きっと、口は災いの元という諺も身をもって覚えたことだろう。ほらね、なにごとも実地が大事よ。
数日後、社員食堂でランチをしていると「ご一緒してもいいですか?」と、『愛と青春の旅立ち』の教え子が一人、トレーを手にやって来た。ウイやつじゃ近う寄れ。ついでに社員食堂に置かれた自販機のコーヒーなんぞを、ご馳走しちゃうぞ。そして、これもついでに、聞かれるままに配属された部署の労働のきつさをあくまでも優しく教えてあげる。「私が知っている範囲では、ここ5年間で過労死は2人だけよ」と。「大丈夫、あなたの配属になる部署でだけの話で、他の部署では例が無いから」って。事実を事実として、オブラートに包み隠すことも無く、ちゃんと教えてあげる、どこまでも心優しい先輩なのだ。
新人君、知っていることはなんでも教えてあげるから、いつまでも今のひたむきさ素直さを失わないでいておくれと言いたいのだが、果たしていつまでその姿勢でいてくれるやら。4年前の教え子も、少しずつ変わっているよなぁ。たった4年で、お腹は出るわ、髪はうすくなるわのすっかりオヤジ体系になってしまう人もいる。精神が変わらずにいてくれて、教官を立ててくれさえすれば私としてはオッケーだけど。
毎年、社会経済生産性本部がその年の新入社員を分析するが、今年は「発光ダイオード型」とか。「ちゃんと指導するといい仕事をするが、冷めている」んだそうな。
そう言えば、こんな話を聞いた。某部長が地下2階にあるメールセンターに行って部長宛の郵便物が届いているかどうか見てきてほしいと、新人君に言いつけた。新人君はメールセンターへ行き、手ぶらで帰った来た。その様子を見て部長が「まだ、届いていなかったかぁ」と口にすると、新人君は言ったそうな「届いていましたよ部長がおっしゃっていた郵便物、ちゃんと見て来ましたから」。その全く悪びれない新人君を見て部長、何も言えなかったという。「確かに、見て来いって俺は言ったんだよな。見て、あったら持って来いと言ったわけじゃないんだよな」。その時部長は深く反省したと言う。
一を聞いて十を知るという行為は、今は余計なお節介なのかもしれない。一を聞いたら確りと一を知ればよいのかも。私などこの所、一を聞いても聞いたことすら忘れてしまいますからね。
ゴールデン・ウィーク? 木枯らし紋次郎ではないけれど(古っ)「あっしには関わりの無いことでござんす」。世間では10連休なんて優雅なことを言っているが、私の職場ではGWにも交代で出社するのが決まり。まぁ、通勤電車や会社までの路上の閑散としていること。電車に乗ったとたんに座れるなんて、普段ならありえない。
今年は、やっとこ3連休がもらえたものの、例年どこへも出かけず仕事をしていた身、そして根っからの出不精ときては、今更、混んだ行楽地に行くのもめんどくさい。家で、テレビと撮りためたビデオ三昧の日々を決め込んでいた。
そこへ従姉妹から「明日、行くよ」の電話。ちょうど桜が見ごろの、秋田は角館への家族旅行を計画していたが、子供達が直前になって「行かない」と言い出したそうだ。「子供も親との旅行より友達との楽しみを優先するようになるのよね」。大学生にもなって逆だったら怖いかも。では水入らず、夫婦で二人旅をとは考えず、どうせ暇している従姉妹を冷やかしに行こうということになったらしい。呆れた話ではあるけれど、逆らう術もない私も私よね。
のんびりと朝寝坊を決め込んでいたが、8時過ぎには「これから出る」と電話で起こされた。従姉妹夫妻は、私の母から言いつかったバラと紫陽花の鉢植え、そして幸福を呼ぶという富貴竹なるピラミッドのように組み上げた竹の置物を持ってやって来た。
これ以上ないくらい爽やかな行楽日和、部屋でお茶を飲んでいるのもなんですねぇ。息子をプロゴルファーにしたいという夢を持っていた従姉妹夫婦のこと、TOCの屋上にある打ちっ放しにでも行ってみようということで意見が一致。ぶらぶらと歩いていると、ことぶきという名のパチンコ店が出現した。一体、誰だったのだろう「ちょっと勝負してみる?」なんて言い出したのは。元手は一人3000円。いざ勝負。そして3人並んで出るわ出るわ。そう言えば、店の前には「大漁デー」と大書きされた幟がはためいていたっけ。1時間足らずで3人合わせて8箱以上をはじき出し、元手を差し引いても2万円以上のプラスになった。「何か贅沢なランチをしよう」と勢い込んではみたものの、なぜかラーメンをすすっている3人なのよねぇ。でも初めて食べた四川の刀削麺は本場ものだという謳い文句通りに辛味も酸味も、そして麺もとっても美味しかった。
さて、腹ごしらえもできたことだし今度こそゴルフ練習場へと歩き出したものの、ここで従姉妹が、久しぶりにしたパチンコで肩が凝ったと言い出した。これは私も同じ。パチンコをしなくても日ごろのデスクワークで、肩が首が腰が半端じゃなく凝っている。「この辺にいいマッサージはないの?」ということで今度はビルを見上げながらマッサージ店探し。駅前ビルの9階に指圧という文字を発見。ところがエレベーターは8階までしかない。恐る恐る8階から階段を上って9階へ。人の気配が無い。料金表を見ると15分、30分、1時間のコースがあり、一番上には初診料千円と書かれている。私はともかく、従姉妹夫婦は埼玉の住人だ、ここまで来ることは2度と無いかもしれない。そんな所に初診料なんてもったいないとヒソヒソ声で話していると「本日は初診料はいただきません」と、足音も無く白衣を着た上背の有る男性がにこやかに立っていた。「さ、どうぞ3人様ともに受けられますか? 何分にされますか?」「じゃぁ1時間お願いします」って、まるで催眠術にでもかかったように3人が返事をしていた。
「指圧の心母心、押せば命の泉わく」。かの浪越徳次郎翁が恵比寿さまのような顔で唱えていたが、初めての指圧は命の泉がわきそうになるくらいに良い心持ちだった。マッサージ、整体、カイロプラクティス、針・・・様々な所を尋ねたが、指圧は初めての経験だった。どこも簡易ベッドでの施行だったが布団でのそれも初めてで、布団がこんなに寛げるものだということも初めて知った。空いていたので3人それぞれ同時に受けることができた。1時間過ぎての3人、人間はリラックスするとこんなにも、お間抜け顔になるのかと互いに思ったものだ。ボケーっとしたまま、開店したばかりのジョナサンでお茶。気は抜けていても会計の時には街で配っていた10%の割引チラシは忘れずに出せるのだからたいしたものだ。
さてさて、今度こそゴルフの練習場? いえいえ、従姉妹の亭主がとんでもない事を言い出した。「なんか風呂に入りたくなっちゃったなぁ」。なんですと。「指圧受けたら、ダルゥくなっちゃってさぁ、広い風呂にのんびり入りたいなぁ」って。内湯ではなく、広いお風呂をご所望ということで、3人で銭湯探し。わずかな記憶を頼りに一時オウム関係者が収監されていたことのある大崎警察のすぐそばにある、万福湯なるところを探し当てた。入浴料大人400円也。銭湯には、内湯があったので縁がなかった。従姉妹とは思いもかけない裸の付き合いと相成った。浴槽はジャグジーの設備もある。天井も高く、明るく、銭湯はとっても快適だった。髪を乾かすためのドライヤーは、これまた初めてかぶったお釜式のもので使用料20円也。
指圧の料金が3人で1万5千円、刀削麺を食べ、10%引きでお茶を飲み、広々としたお風呂に入り、それでも3人で稼いだ分からお釣りが出た。今年のGWは芸が身を助けたおかげで(?)出資金0にして、温泉宿で寛いだような1日を送ることができた。来年のGWも、味をしめた従姉妹夫婦がやってきそうな予感がするなぁ。
地球が回る目が回る。
またしても、「メニエール症候群」になってしまった。
「メニエール病」と「メニエール症候群」とは違うのですよ。
ここでちょっと文献を紐解くと。
『めまいの発作が、耳の病気から引き起こされることを初めて提唱したのが、フランスの医師メニエールであったことに由来して、内耳性のめまいのことを「メニエール病」といいます。「メニエール症候群」は、原因不明でメニエール病のようなめまいを繰り返す状態の名称 (俗称) もしくは、メニエール病のようなめまいを繰り返す、メニエール病以外の病気も含めた病気の総称となるのです』
なので、私はメニエール症候群ということになる。耳は地獄耳と言われるほど良く聞こえるし、このワタクシの病因がそんなに簡単に分かってたまるか。で、ございます。
メニエール症候群の発症は今回で3回目。またかと慌てもしないが、15年ほど前に初めて経験した時の驚きといったらなかった。目が覚めると、天井が、壁が、タンスがグワァン・グワァンと回って迫って来る。起き上がろうにも体が鉛のように重くて、いうことをきいてくれない。横向きになうとするだけで、もう必死。自分の意思で広背筋を動かすのがこんなに大変だとは思わなかった。やっとこ右を向くと右の景色が回りだす。グルン・グルン。こりゃいかんと仰向けになれば天井がグワァン・グワァン。
死ぬ!! 本気でそう思った。ただ、黄泉の国の寸前で帰って来た人が言うところの「走馬灯のように子供の頃からの風景が思い出されて」ということも、お花畑も現れなかったので死ぬことはなかったし、そもそもが死に至る病ではないらしい。
翌日は、ゴキブリにも見放されたくらい食料の無い部屋で大人しく寝ていた。メニエール症候群では死ななくても飢え死にの危険は大いにあったのだ。どうにか翌々日にはベッドを離れることができ、働き者の私は出社した。そして、最上階にある診療所に向かった。
そこには「アワタグチ」と、社員から呼び捨てにされている医師が鎮座している。呼び捨ては親しみの表れではない。様々な逸話が広まるうちに自然と社員が呼び捨てにするようになったのだ。。
例えば、アワタグチ「どうしました?」。A氏「風邪を引いてしまいました」。アワタグチ「風邪かどうかは医者の私が決めます」。そして結果「風邪を引いたようですね」。
アワタグチ「どうしました?」。Bさん「喉が痛みます。イソジンを買ってうがいをしてるんですけど」。アワタグチ「素人が勝手にうがい薬など買うものではありません」。そして、Bさんがアワタグチの指示のもと薬局からもらったのは「イソジンのうがい薬だったんですよぉ」。
さてさて、私が症状を言うと「血圧が極端に低くなってるんだよね。辛いものを食べるとか、しょっぱい味噌汁を飲むとかすれば血圧、上がるよ」。「???」。耳を疑いましたね。ホントに医者かい? 注射も無ければ、薬も出ない。ただ一つ言われたのは「今度、目が回ったら血圧を測ってごらん、低いはずだから」。
こんな人から注射やら薬やらと手当てされたら、余計危なかったかもしれない。翌日、休みを取ってはるばると、幼い頃にかかっていた実家の近くの医院に行きました。そこでは、アワタグチが教えてくれなかった病名を教えてもらい、馬にするようなぶっとい注射をされ、薬をもらい、「お大事に」と診察室から見送られたのだった。これですよ、これが病院のお医者さんですよ。
ぶっとい注射と薬と、まっとうなお医者さんのおかげで、初めてのメニエール症候群は落ち着いた。聞くところによると私の症状は、あれでもかなり軽い部類に入るらしい。中には酷い吐き気が伴い、一日中洗面器を抱えていなくてはいられないような人、船酔い状態そのままで「船旅で世界一周したような気分。飛鳥のような豪華客船でなく大荒れの海を手漕ぎボートでね」と、聞くも涙の人もいる。
症状はおさまったものの、さすがに手漕ぎボートでの世界一周はしたくない。しかし病因が分からないのだからどう対処したら良いものか。まずは周りの人達に「優しく労わってね」と言いまくる。その上で、美味しいものを食べに行く。栄養のあるものをモリモリ食べて、お約束の軽く一杯。その上で、好きなジェットコースターの禁止命令を自分に出した。他の禁止事項は、高いところの物を取ってはいけない。重いものを持ってはいけない。無理をしてはいけない。そして働き過ぎてはいけないというところ。
そして、三回目の今回はもう余裕。さすがに社は休んだが、シンパの皆様に「SOS、メニエールです。栄養のある食べ物を宜しく」のメールを送った。中には「メニエールって美味しいフランス菓子って響きですね」なんていう輩もいたが、とにかくこれで飢え死にの心配は無し、テレビでも見て安静にしていましょう。そうそう思い出しました。かのアワタグチが言っていた「測ってごらん、低いはずだから」が本当かどうか血圧測定をしてみよう。
結果、上が110で下が50。なんとアワタグチは間違ってはいなかったのだ。十五年も前に献上した“土手医者”の称号の返却を要請しなくてはいけないだろうか。
土手医者の意味が分からない? 藪よりも、もっと見渡すことのできない医者のことですよ。