テレビのトーク番組で、あるタレントが話していた。アフリカだかどこだかの国の奥地、幾山川を越えた神聖な地に、ナンタラいう樹があるそうな。そのナンタラの樹の葉っぱには、そこまではるばるたずねて行った御仁の人生が全て記されているのだそうな。
行きたいと思った。その、どこだかの国の神聖な場所へ幾山川越えてたどり着き、ナンタラの葉っぱに書かれた自分の人生を、どうしても知りたいと思った。取りあえず、手近にあった紙切れに、そのナンタラの葉っぱの名前を書きとめた。いつかきっと行くのだと。
ところが、箸袋ほどの大きさだったその紙は気づくと、何にまぎれてしまったのか、跡形もなく消えていた。ああ、これから先、白馬に乗った王子様といつになったら巡り会えるのか知りたかったのに。昨今の体重の伸びがいつになったら止まるのか、知りたかったのに。そして、一番知りたかったのは自分の寿命だ。この命が事切れる日にちを是非とも知っておきたい。
実は、「独身、一人暮らし」と言う同じ境遇の先輩に言われたのだ。「私たちって腐っちゃうのよね」と。白馬が王子様を連れてくることが出来ず、ずっと一人ポッチだとしたら、そしてもし、一人で自宅にいる時に旅立ってしまったとしたら、無断欠勤を誰かが騒ぎ出してくれない限り、遺体を発見される事はない。ゴールデン・ウイークなんぞにかかりでもしたら、日数的にも気候的にもすっかり腐ってしまうだろう。一人静かに旅立つのは構わないが、腐っちゃうのはどうもねぇ。だからせめて、最後の日を知ることができれば、その日は追い払われても誰かの傍にいて、腐る前にこんがりとやいてもらいたいと思ったのだ。しかし、あの紙片は今何処。手帳に写しておけばよかったと反省してもないものはないのだった。
それから何ヶ月かして、ナンタラの葉っぱのことも忘れかけていたある日、ベランダの植木に水をやりながら、ねじれた葉っぱがあるので直そうとしてふと見ると、そこには図形のようなものが描かれている。どうやらトンパ文字と言われる類の物のようだ。ナンタラの葉っぱはこんな所にあったのだ。これぞ正に『青い鳥』。探し続けた幸せは身近な所にありましたとさ、というやつだ。しかし、この葉っぱ、解読できなければ、そして内容も良くなければめでたし、めでたしとはいかない。
やぶれないように、萎れないように、大事にティッシュに包んでトンパ文字に詳しい、都下在住の研究家の元へ持って行った。すると、そこに書かれていたのは私の来し方行く末ではなく「この葉を育てし者。悩める民にその人生を説き与えよ」という内容のものだと言うではないか。ビックリこきまくり。
常々、私は普通ではない(異常という意味でもない)と感じていたが、やっぱりそうだったのよねぇ。神より選ばれしものだったのだ。だって、神聖なる場所にあるナンタラの葉っぱがベランダにあったのよ。我が家のベランダは神聖なる場所なのよ。てぇことは、この私ったら…。
悩める世の子羊達よ、私の元へいらっしゃい。あなた達の行く末を、幸せになれる方法を、優しく説いてやろうじゃないの。ただし、男性は女神(私よ私)のおられる超高級高層マンション最上階まで、階段で昇って来なくてはなりません。だって私に会うときは、殿方には胸の動悸を高めていてほしいじゃない?!
「全舷」という言葉を口にしたら、最後の志願兵世代である知り合いのおじさんに「懐かしいなぁ。全舷というのは海軍用語だよ」と言われた。わが社では社員旅行をこの言葉で表す。確かに海軍用語で全員、船からの上陸が許可される場合を「全舷上陸」というのだそうだ。
私が初めて行った全舷は、伊豆は今井浜の会社の保養所だった。そこで食べて飲んで盛り上がったころ、諸先輩方に言われるままに桜田淳子の『私の青い鳥』を赤ペラで、♪クックックク、クックックク青い鳥〜 と歌った。それからというもの、マラソンの高橋尚子が『オバケのQ太郎』を歌ってQちゃんと呼ばれるようになったのと同じように、クックちゃんと呼ばれるようになっていた。その旅行には、私と入れ替わりのように大阪へ異動になっていたM・Aなるオヤジも招待され参加していた。そのオヤジ、自分はもう他所の人という思いで、私ともう一人の女性部員のお尻に触って来た。ところが3年の後、我が部署へと舞い戻り、3年分強く逞しく成長していた2人のOLに、さんざん吊るし上げられたのだった。「まさか2人とも残ってるなんて思ってもいなかったよぉ」だって。
翌年は大洗だった。「大洗で美味いあんこう鍋をつつこう」が主旨。東京方面から私を含めた3人は常磐線で石岡まで行った。その先は石岡に住む同じ部署の青年が、車で連れて行ってくれるという約束になっていた。ところが、3人が約束通り石岡の駅で待てど暮らせど青年金子、ネコちゃんの現れる気配が無い。まだ携帯の普及する前の話、金子家に電話を入れてみると妹さんが電話口で「探して来ます」って。「どこに居るんだぁ」。それからもただただ待機。「お待たせぇ」と、上機嫌でネコちゃんが現れたのは約束の時から1時間もたっていたことになる。なんとネコちゃん、駅前のパチンコ屋さんに居たのだそうな。「早く着いたもんで、時間つぶしに入ったら出ちゃってサァ」。車の中で食べてと、チョコレートやポテトチップス、お煎餅から飴・ガムの類までしこたま渡されたのだった。では、いざ大洗に向けて出発。
しかし「他人の車に簡単に乗ってはいけません」というのは、どんな場合にも当てはまるということを、身に染みて判らせられるまで時間はかからなかった。誰だ、こんな奴に運転免許証を交付したのは?! 下手なんて生易しいものではない。助手席に座った次長は、ネコちゃんがブレーキを踏む度に、天井に頭がぶつかりそうになるのを必死に足を踏ん張って耐えていた。普段、車酔いなどしない私とマミちゃんは、後ろの席で吐き気と必死に戦っていた。ネコちゃん以外の3人は大洗までの長い道のりを生きた心地もないままに居たのだが、運転手のネコちゃんはいたって元気。「チョコ食べればぁ、ポテトチップスもあったよねぇ」なんて鼻歌混じりに言ってくる。その上「大洗についたら、海辺をドライブしますかぁ」って。誰がするか!! ああ、何度「石岡なんかで降りなければ良かった」と思ったことか。その日われわれは、苗字の金子からとったネコちゃんという愛称を、ドラネコへと変更したのだった。
ドラネコの運転ながら、どうにか無事に4人は大洗の目指す宿にたどり着くことができた。ただ、始まりが始まりだったからか、その夜の宴会もそりゃぁもぉ色々とありました。あんこう鍋も底が見えるようになり場も盛り上がった所で、嘱託である大先輩の岡田氏が上機嫌でご登場。「踊ります」とおっしゃる。「音楽は?」「自分で口三味線」。やおら始まったのは、多分、入社早々に諸先輩方から仕込まれたのであろう古の“裸踊り”だった。あれよと言う間に身に着けているものをかなぐり捨てていく。なにしろ宿の浴衣で寛いでいるのだから一瞬で素っ裸なのだ。そこで、かのドラネコが素早くお盆を持って、岡田さんの体を隠す。それでも岡田さんは、手ぬぐいを頭にふわりと被り片端を咥えて女形のように首をかしげ、身をくゆらせながら踊っている。マミちゃんと私は、いっぱしの社会人ではありますし、場を白けさせないように、静かに目を伏せて岡田さんが満足して踊りを止めるのを待っていた。今なら「セクハラです!」って大騒ぎになるところだ。それにしても、あのドラネコ、車の運転では全く運動神経のかけらも無いように思えたが、お盆を持って岡田さんを追う反射神経は並ではなかった。義経の八艘飛びよろしく、岡田さんの前をひらりひらりと飛び回る。運動神経の不思議を見た気がする。
岡田さんの踊りで火がついたのか、皆勝手に歌ったり、踊ったり吼えたり叫んだり。そんな時、かのドラネコの絶叫が聞こえた。古いどっしりとした日本旅館の廊下から庭に落っこちたのだった。うずくまって膝を抱え込んでいるドラネコの所に現れたのは、これももうとっくに出来上がっている関西出身の部長だ。「膝打ったんか。ドヤ、わいが治したるぅ」言うが早いか、柔道部出身、整体もお手の物と豪語する部長はドラネコの膝を両腕で「ボキリ!!」。酔っ払いも下戸もシラフも、この鈍い音だけは確りと聞いた。
病院で診てもらった結果「複雑骨折しています。だけど不思議な折れ方だなぁ」。それからというもの、ドラネコはどんなに繁忙期であろうと「膝がぁ…」と、部長の前で口にするだけで「どうぞどうぞ、休んで下さい」という有り難い免罪符をもらえるようになったのだった。
今更、社内旅行なんて行く気にはなりません。でも、高度成長期、行け行けドンドンと部全体がスクラム組んで同じ釜の飯を食べていた頃が懐かしい気もするなぁ。
「おい、世の中のチャラチャラしたやつら。今日はお前らに言いたいことがある。よぉーく聞け!」。
魔邪だ。最近人気のお笑い芸人だ。魔邪が舞台に登場すると、まずはその独特な髪型に目を奪われる。耳の上数センチを、清原の五厘刈りよりもっと短く、グルリと剃っている。中央の髪は束ね、脇は落ち武者のようにザンバラだ。そしてその髪を、ご丁寧にもミドリと青、それから、オレンジ色に染めている。身を包むのは紫色をしたプロレスラーのコスチュームだ。肩にはスポーツタオル。ハンドマイク片手に「ヒトォーツ」と、桃太郎侍のように、不埒な奴らに苦言を呈する。これが、三十路になるかならないかと思われる女性なのだから恐れ入る。
しかぁし、そんなチャラチャラしたやつらへの苦言なら、魔邪よりほんのちょっとだけ人生長く経験している私の方がある。
「ヒトォーツ」電車の中で平気で化粧をするおんな。先日は雨の日の込み合った車中で立ったままアイラインを引き、マスカラを塗り、口紅をさしている“やつ”がいた。もう見飽きた光景だが、さすがにこの日は驚いた。雨水の滴る傘を腕にかけ、大きなバッグは足の間に挟み、一心不乱に鏡の中の自分を見つめて手を動かしている。全く自分しか見えなくなっているのだろう。こんな時には急ブレーキでもかかり、目が、口が口裂けおんなさながらにはみ出して描かれてしまえばいいと思うのだが、まだ一度もそういう機会にはめぐり合っていない、残念。どんなに綺麗に化粧しても、電車の中のそんな様子を見たら、今まで褒めてくれていた彼氏でもきっと興ざめしてしまうだろう。
「ヒトォーツ」いつも、口を半開きのままにしている“やつ”。見ていて、ついつい「口を閉じろ!!」と言いたくなってしまう。だが、言わない。今のご時勢、正義が勝つとは限らないほど、おかしな“やつ等”が多すぎる。まったく、自分の半開きの口が街を歩いていてショーウィンドーなどに写るのを見たことはないのだろうか、その間抜けな形相を見て、なおさら口をあんぐりしないのだろうか。きっと、こういう“やつ”は何事においてもしまりがないのだと思う。その証拠に電車の車両から車両に移る時、こいつらは間違いなくドアを開けたままである。冬じゃなくともビュービュー風が吹き抜けて「迷惑なんだよ!」。魔邪ならここで思い切りマイクを舞台に叩きつけ、ゴングが鳴り、ポーズをつけるとこだ。
ところで、なんとこの「ポカン口」、調べてみたら大変な事実が判明。「ポカン口」による口呼吸では、唾液の蒸発により唾液の働きが弱まる。すると、口や喉の粘膜に細菌が付きやすくなり、口臭、虫歯、いびきといった様々な弊害をもたらす要因になるらしいのだ。「驚いたぁ!」って、ポカンと口を開けてるんじゃない!
「ヒトォーツ」ミュールだかなんだか知らないけれど、バックバンドも無いサンダルでオフィス街や駅構内をカタカタ、カタカタと音を立てて歩いている“やつ”。うるさいんだよ。第一そんな不安定な履物で、ごった返す駅の階段の登り降りは自分自身が危ないと感じないのかねぇ。最近はフランス語のお洒落な呼び名をもらっているが、昔はそのまんまツッカケと呼んでいた代物だ。そんな物は庭先や、サザエさんがお財布を忘れたまま買い物カゴを下げて近くの魚屋さんに行くときに、文字通りつっかける履物なんだよ。お洒落は足元からと言うだろが。足元をすくわれそうになりながら、へっぴり腰で階段を登ってないで、しっかりとした履物で胸を張って歩いた方がよっぽどカッコイイというものだ。
「ヒトォーツ」所かまわず、声だかに乱暴な口調で喋る“やつ”。なぜか最近の若者にはやたら大声で話す“やつ”が多い。目と鼻の先の相手に向かい、はるか彼方に居る人に届けというほどの大音声で、しかも乱暴な言葉を口にする。以前、友達が言っていた。「頭の良い人は耳がいい」。この際、語弊を恐れずに言っちゃうと、逆もまた真なりで「馬鹿は耳が悪い」ということになろうか。だから、自然と声が大きくなると。そうなのですよ。電車内やエレベーターという小さな空間、しかも他人さまが乗り合わせる場で大声で喋ってる“やつ”に賢い人が居るとは思えない。つい先日の東京を襲った震度5強の地震の時も、安全点検のため運転を見合わせていると説明する駅員に「マジ、むかつく!」とはき棄てる若い女性を見た。自然界の脅威の前で少しでも危険を避けようと、必死で働く駅員さんに向かってその態度は無いだろうと呆れたものだ。
ワシントンに15年間在住の日本人、56歳さんが言っていた「無性に日本が恋しくなることがあります。そんな時は、日本に帰ってはみるのですが、その都度、変わっていく若い女の子達を見るとガッカリします。そして、結局ワシントンにトンボ帰りをしてしまうんですよ」。
世界中の殿方に言いたいことがございます。「よぉーく、お聞き下さい。皆様の憧れた“大和なでしこ”は、今ではこのわたくしだけになってしまいましたのよ」。おーっホッホッホッホッ
牡蠣には3度あたっている。生ガキ、フライ、そしてグラタン。「1度あたったら懲りるでしょうに」と周りの人には言われるが、本星を決めるには最初に容疑者が浮かんで、2度目で絞り込み、3度目で「犯人はおまえだ!」と名探偵ばりに名指す手順が必要だ。特に3度目は酷かった。土曜に出社して、ふだんよりゆとりをもってランチを摂ったのだが、社に戻り「●?▲!■?!」とトイレに駆け込んだのが午後2時。それから5時過ぎまで席に戻ることはできなかった。あの日のことを思い出すと都内でも屈指のオイスター・バーが、ベランダから見下ろせる好立地にあっても、絶対に扉を押す気にはなれはしない。
さて、牡蠣にあたるように当たってほしい宝くじ。所ジョージが♪○○ジャンボ3億円〜 と、ご陽気に歌う声が頭の中を駆け巡る度に♪それ買いに行こ〜 と、貢献しているのだが、まったくもってかすりもしない。それだけではない。ロト6なる「6つの数字を当てて貴方も億万長者」なんていうのにも同じ目標を持つ同僚と一緒に毎週挑戦して、毎週一緒に玉砕している。同じ目的というのが「宝くじを当てて会社を辞めよう」というネガティブなものだからいけないのだろうか。
会社を辞めるというのは別として、では本当に当たったら何をしたいかという話になった時、思い浮かべること。私は「要らない服は捨てる」。もう数年も袖を通さない服がクローゼットや押入れダンスを占拠している。ところが、来年は着るかもしれない、収入が無くなった時には凌げるかもしれないなどと思っては、衣替えの度に捨てられずにいる。だから、大金が舞い込んだら、その時こそ思い切って着ない服は処分、処分。さぞ気持ちが良いことだろう。それにしてもゴージャスな服を買う、ではなくて要らない服を捨てるなんてねぇ、我ながら哀しいねぇ。同僚は「社から家までタクシーで帰る」。なんでお抱え運転手を雇うと言えないか、せめて、タクシーではなくハイヤーと言ってほしいものだ。木村拓哉のCMではないが「チッチェエ俺」に、どうしてもなってしまう小市民なのだった。
本当に宝くじって当たるのかしらと思っては、ため息をつく毎日だが、知り合いで、高額に当たった人が2人いる。1人は10万円。もう1人は20年以上も前の100万円。10万円が当たったのは実家の近くの病院長。ついつい嬉しくて話しているうちに、医師、看護士、事務員、運転手、掃除のおじちゃん、食堂のおばちゃん、そして親戚縁者へとご馳走する羽目に。気付くと10万どころか結局持ち出しの方が多かったと嘆くことしきりだった。
20年以上も前に100万円を当てたのは、叔父がやっていた精肉店の店員さん正夫さんだった。正夫さんが友達と待ち合わせ場所にいると雨が降って来た。傘も持たずに出たので濡れながら、なかなか来ない友達を待っていた。すると、そばにあった宝くじのBOXから小母さんが手招きして「ここで雨宿りしなさい」と優しく言ってくれたんだそうだ。小さなBOXのささやかに突き出た庇の下で雨宿りさせてもらった正夫さんは友達がやって来ると、小母さんにお礼の気持ちで5枚の宝くじを買った。そしてなんとその中の1枚が100万円を見事、引き当てたのだ。正夫さんは、確り貯金をして自分が独立して店を持つときの資金にしたという。これぞ情けは人のためならず、それとも雨降って地固まる?
宝くじが、あんまり当たらないものだから知人の誘いに乗って、初めて競馬に挑戦してみた。皐月賞と日本ダービー。どんな馬が走るのか、名前さえも知らないままに全くの“女の勘”で数字をあげてみた。薦めてくれた知人も「枠順も決まらないうちに番号決めちゃっていいんですかぁ」。枠順が決まってからは「新聞でも見て検討したらどうですかぁ」って呆れていたが、何を見ても分からないものは分からないのだ。でも、霊感も無い私の“女の勘”は当てにならない。ビギナーズ・ラックを期待したのだが、これが全くの大はずれ。それぞれ1000円ずつの馬券はアッという間に紙屑となってしまった。後で新聞を見てみたら皐月賞は「ディープインパクト」「シックスセンス」が1位、2位。映画好きなら当てていたかもしれないなぁ。ダービーの方も当たらない“女の勘・その2”で大はずれ。それこそ、私の勘で買ったものが当たっていたら100万馬券になっていたらしいのだが。
ダービーはテレビで観戦した。ファンファーレが鳴り、観客が予想紙を筒状にして振る中、いよいよ第72回日本ダービーは出走だ。ド素人の私でも自然と興奮してくる。レース結果は武豊が騎乗した「ディープインパクト」が無敗の2冠馬となった。買った馬券は当たらなかったが、その走りっぷりには目を見張った。やはり超本命の強い馬が、天才騎手によって勝つというのは絵になるものだ。常勝を科せられているのは相当な重圧だと思うが、その重圧を跳ね飛ばす実力。それを見せ付けられては負けても悔い無しと思える。宝くじの収益金は「公共事業等に役立てられています」と、但し書きがあるもののなかなか悔い無しと思えない。「等」という文字も気になるし、実態が見えてないものなぁ。やはりここは自分で当ててゲンナマを目の当たりにするしかないか。