トーク番組での、ある芸人さんの話。「昔、劇場の裏口、芸人が出てくる所に、薄汚れた爺さんが毎日のように居るんですよ。で、何人かの芸人に小銭をねだる。殆どの芸人は無視するか、邪険にして通り過ぎるんだけど、中にはこれでパンでも買いなってお金を渡す人が居るんだよね。すると、その芸人さんがアッと言う間に売れ出す。これが続くと皆が俺も俺もと、その爺さんに小遣いを渡そうとするんだね。ところが、その爺さん、自分が睨んだ芸人さんにしかねだらない。芽が出そうにも無い芸人がいっくら金を渡そうとしても、お前さんからは貰えねぇよってね。その爺さんは芸人を見る目があったんだねぇ」。
世の中には、テレビ東京『開運何でも鑑定団』の先生方以外にも、目利きはけっこういるものだ。かく言う私も、つい最近リカコに言われてホホーッと思ったのだが、件の爺さんと同じように、売れる芸能人を見抜く力がけっこう備わっているらしい。やはり、生まれた時からのテレビっ子は伊達じゃない。
「凄いじゃないですかぁ」と、ここのところリカコから言われているのは、俳優の北村一輝だ。もう何年くらい前からだろう、テレビのちょい役で出てきた彼の姿が気になった。ちょっとアクが強すぎて、下っ端刑事の役で出てきたりすると、コイツが結局は犯人なんじゃないのかと思ってしまう。いい役者のはずなのにと、私は気の毒にすら思ったものだ。どうも、その話をリカコにもしていたらしい。そして、ここに来てあれよあれよという間の大活躍。今冬公開の韓国映画に、主演までするんだって。彼の資質を見ていたのは私だけではなかったのねぇ。
あと、リカコが感心するのはサトエリことイエローキャブの佐藤江利子のこと。男性が目をつけるのなら分かるけど、同性の私が「隠れファンかも」なんて言ったものだからリカコはビックリしたらしい。それよりも何よりも、その発言で初めてサトエリの存在を知ったらしいのだ。そして、その子のフィギアが出来たり映画にでたり、CMに出たりアッと驚く大活躍。そりゃぁリカコにしたら、今まで知らなかった人が、知った途端に人気者になったら魂消ます。別に、私が人気者にしたわけではないけれどリカコは、不思議な念力でもあるように見てくれているらしい。
調子に乗って言っちゃえば、なんと言っても凄かったのは日ハムかな。私がファンになる前の年までは、プロ野球ファンに占める日ハムとオリックスファンは、四捨五入しても1%に満たないという驚異的(?)な数字だったのだ。戦績もパ・リーグ6チームの5位。ところが、私がファンになったとたんに、北の大地での新生日ハムは新庄というスターも招き、あれよあれよの快進撃。初めてのパ・リーグプレー・オフ争いにまで参戦できるところまで力を伸ばしてくれた。その年、東京ドームでの抽選会で見事引き当てたのは、キャッチャー高橋信二のユニホーム。そうそれからよ、高橋信二の大活躍は。ホームランも思いっきり打ってくれた。このユニホームを当てた話をトラキチの青年に話してあったものだから、こちらも「姫宮さんに聞くまで、高橋信二の存在は殆ど知らなかったのですが、あれから凄い活躍ですね」と、ため息混じりに言ってくれたものだ。その年の冬、殆どの選手が、ホームの北海道に行ってしまっている中で開かれた、東京でのクリスマス・パーティー。ここでの出席者に、今年活躍目覚ましい森本が居た。ほらね、これだって私のお・か・げよ。でも、今年は私が応援に足を運ばないものだからセ・パ交流戦では12球団の堂々10位。今年のプレーオフにもとてもとても手が届かない。日ハムさん、去年と今年のこの落差、全て応援に行かなかった私のせいです。来年は行きますから、ご容赦下さい。
そう言えば、この私が縁結びの神(?)として周りの女性に崇められていた時期があったっけ。入社1年で寿退社したマコちゃんに始まり、いつの間にか私のランチ仲間が次々に嫁いでいくという現象が噂になりだした。見事だったのは多田さんだ。もう立派なお局さま、誰もが独身で居るのが当たり前だと思っていた。ある日、私と同期の友達が、その多田さんを食堂の私の前の席に無理やり座らせてしまった。「馬鹿なことしてんじゃないわよ」と言いながらも、多田さんは昼になると私の前に座る。それからたった1週間「叔母がさぁ、一緒に夕飯食べようって電話してきたので行ったらさぁ…」1人の男性に引き合わされ、その場でお互いに‘fall in love’。その報告をする多田さんの可愛いこと。「私にはこんなこと無いと思ってたわ。毎年、家の前の並木が茂り…枯れ落ち…又茂り、それの繰り返しを、私はずっと見てたのよねぇ」って。やっぱり、心の中では切実に願っていることがあったのね。多田さんに続いては伊藤さん。こちらは一緒に食事をした翌日に、お見合いをして破談になった相手と路上でバッタリ。そしたらお互いに(なんで駄目だったんだろう?)という気持ちが芽生え、そこから恋愛が始まったそうな。この事を聞かされた時には、私もさすがにブッタマゲましたね。だって、昨日の今日ですよ。
そうやって、次から次から「ランチ、一緒にしていい?」なんて女性が、来ては去り来ては去り…。守山さんなんてピッカピカの笑顔で、去って行く時に言ったもんだ。「これからは鏡を見ながらお昼を食べたら? そうすれば、自分に縁が回って来るんじゃない?!」。1人では食事もできない私は、それ以降も誰かに去られながら、仲間同士でのランチをしていた。さすがに神様も、取り残される私を可愛想に思ったらしく、私から縁結びの力を取り去ってくれたようだ。だから、その後のランチ仲間や友達は、孤高の人で固定。
絵美ちゃん、リカコ、アッちゃん、マサちゃん、ゆかりちゃん、いづみちゃん…心ならずも孤高を保っている皆々さま、お役にたてなくて御免ね。ただし、摩訶不思議な力は失せてもこの生霊(?)粗末にすると、祟りますからご用心。
怠惰で自己チュー、我侭勝手、だから可愛いというのを絵に描いたような私ではあるが、意外なことに、見上げた精神の持ち主との親交がけっこうある。
「日本サハリン同胞交流協会」を発足させ、サハリンや旧ソ連に取り残された同胞の帰国を支援する運動を続けて16年の小川さん。そんな方とはツユ知らず、ゴルフ場でキャディーさんまがいに、こき使ったことがありましたっけ。
第二次世界大戦時、無念の思いと将来のニッポンの礎としての誇りを胸に、散って行った兵士の魂を、熱い鉄で表現し話題を呼んでいる武田さん。そんな方とはツユ知らず、工房にお邪魔して作品をちゃっかりいただいっちゃった事がありましたっけ。この際『お宝鑑定団』に出してみようかなと、どこまでも図々しいヤツであった。
大学生の頃に身を投じたベトナム反戦運動から、ずっとベトナムの発展を願い、とうとう今年6月にはベトナム人技術者を養成する専門学校を、首都ハノイ市に開校させてしまった阿部さん。そんな方とはツユ知らず、成り行きで土下座をさせてしまう寸前まで行ったことがありましたっけ。
そしてもう1人。若者では青年海外協力隊員として、現在バングラデシュの地で活動するヨッちゃん。ノーベル賞受賞者を次々と輩出している大学を優秀な成績でご卒業され、某新聞社に優秀な成績で入社し、将来を嘱望されながら、その安泰な未来をかなぐり捨てて、発展途上の国の子供達に理科を教える道を選んだ。1月8日の入所式から3月26日に全ての訓練が終わるまで、冬の駒ケ岳での研修。気候、風土、風習を学び、普段の生活では馴染みのないベンガル語を学び、ペーパーテストだけでなく、各々5分間のスピーチの試験まであったという。「東宮御所で皇太子殿下との接見。青年海外協力隊発足以来39年間ずっと続いている行事で身が引き締まる思いがしました」という真摯な言葉を残して、遥かバングラデシュへと旅立った。
任地はチッタゴン。バングラの南東部、首都から270キロ、バスで6時間行った所。先輩隊員の住居に1週間居候して2日がかりで自分の城を探し、家具をそろえた。100万都市なので、そこそこ高い建物もあり、ヨッちゃんも7階に住むことになったとか。しかし、エレベーターは無い。レディメイドのベットが無いバングラでは、木の材質選びからデザイン、そして価格交渉まで全て自分でやる。そうやってやっとこできたオーダーメイドのセミダブルベットも、エンヤラヤと人の力で運び上げなければならない。運動にはなるけれど、毎回「あとどれくらいだっけ」と見上げながら上がっています、と着任早々のメールが届いた。併せて書いてあったのが「ここでは黄色人種を差別する意識が強く、町を歩いていると『チュン・チョン・チャン』などと差別用語を言われます」。
ナニィ?! わざわざ大和の国から、バングラデシュくんだりまでボランティアの清い精神で行っている人達を差別するとな。許せん、ヨッちゃん帰ってらっしゃい。そんな所で活動する必要はありません。差別用語の意味は分からないけれど頭から湯気を立てて怒り狂う私に、ヨッちゃんは穏やかに言うのだった。「『雀が鳴いてるよ』くらいに思って無視するのが最善の策です」。
やはり、このくらい鷹揚な心根の人でなきゃボランティアなんて務まらないのでしょうねぇ。紅い布を見なくても突進してしまう私は牛よりも始末に悪く、ボランティアなんて無理無理。それに「TVは国営放送1局しかありません」。元祖テレビっ子の私には絶対に無理。「でも大丈夫ですよ。有線放送があってチャンネル数は50、その中には日本のアニメ専用チャンネルもあります」。「バングラで『鉄腕アトム』『サイボーグ009』『キャプテン翼』を見られるとは思いませんでした」。ヨッちゃん、私の気質までお分かりだった。
最近の報告にはバングラの“ぜんじろう先生”になっているらしい事が書かれていた。糸電話、磁石の性質、ペットボトルと風船で気体の膨張など、日本では当たり前のような身近な実験が、かの地では教科書を読むだけでなかなか実際には行われないらしい。ヨッちゃんの一挙手一投足を生徒は皆、目を輝かせて見つめているという。そして湧き上がる歓声。ヨッちゃんの得意げな顔が目に浮かぶ。
時には日本の歌をせがまれて♪幸せなら手をたたこう ♪手をたたきましょうetc を、身振りを交えて教え、一緒に歌っているともいう。そして「ベンガル人は写真が大好きです。しかも自分が大きく写った写真がお好みです」とか。「風景写真なんて誰も欲しがりません。人物も上半身のものより、全身が写ったものがお好み。そして日本との大きな違い、写真を撮るときあまり笑いません。でも気に入った写真はA4くらいに伸ばし、ラミネート加工して飾っています」。ということで、新調した服を着て撮って欲しいと訪ねてくる人が次々現れ「何百枚焼き増ししたことやらわかりません」。バングラの地にすっかり馴染んだ頼もしいヨッちゃんが見えるようだ。
ところが、まるでついでのように「あと、この前赤痢に罹りました。何にあたったのかはわからないけれど40度の高熱と激しい下痢で2日間苦しみました。いろんな方に世話をしていただき、いまは完治しています。聞けば日本では赤痢患者は隔離され、患者が通ったところは消毒して回るとか。もう大事(おおごと)です。おお恐ろしや」。なんて報告をシラーとしてくる。こっちの方が、おお恐ろしやだ。体重も1年で7キロ減ったとか。
皆様、本当にご苦労様。皆様のご活躍を見上げながら、1人ぐらいはヒトサマのお役に立てない奴が居てもOKかなぁ、なんて思っちゃう私がいます。あの偉大なる作詞家、星野哲郎さんもお書きです。♪ひとりぐらいはこういう馬鹿がいなきゃ世間の目はさめぬ〜 世間の目を覚まして、私はシエスタといきましょう。
弊社には、社員食堂がある。朝も晩もまっとうな食事をしていない私にとって、健康的な食事をするための、唯一救いの場と言えるだろう。昼食までも、社の中で知った顔を見るのは嫌だと言って、ランチは社外に出て行く人も多いが、私はやっぱり社員食堂だな。外だと、どうしても1種類のものしか摂れない場合が多い。社員食堂なら小鉢も選ぶことができる。お漬物も梅干も好きなだけ食べられるし、野菜が不足しがちな私には百円也のサラダ・バーも有難い。
入社当初は、とっても寂しいメニューだった。惣菜はAとB、魚と肉類だけ。うどんも蕎麦もラーメンも週に1度顔を出せば良い方だった。もちろんサラダ・バーなんていうお洒落な発想も無かった。無味乾燥なチーク材のテーブルが、学校の講堂のように並び、パイプ椅子では落ち着いて食べるという雰囲気ではない。社員は「人民食堂」と揶揄して、いつもガラガラだった。
そんな社員食堂に毎日通っていたのは、トイレに行くにも金魚の糞のようにくっついて歩いていた同期のマミちゃんが、お弁当持参だったからだ。マミちゃんは毎朝自分でお弁当をセッセと作って来るというので、皆が感心していた。しかし、その恐るべき中身を知る人はそう多くはないだろう。もちろん、毎日一緒の私は当然その中身を知っている。アンコ、それがおかずなのだ。そりゃぁ牡丹餅や、お萩だと思えば納得できないこともないが、これが殆ど毎日で、たまにおかずと称してタッパに羊羹が入っているとなると、ちょっと納得もしがたくなってくる。目の前で美味しそうに、あんこや羊羹を平らげるマミちゃん。見ているこちらが胸焼けをおこしそうだった。
マミちゃんは入社丸1年で、とっとと寿退社してしまった。あの時は寂しかったなぁ。だって、金魚だか糞だかがいなくなってしまったあと、周りから言われたのは「あら、一人だったから分からなかった」という言葉ばかりだったのだ。二人で一組の私のアイデンティティーはどこにあったのでしょうか。
マミちゃんが去った後に、同じようにつるんで歩く社員は入社して来なかったが、スタッフさんと呼ばれる派遣社員が近くの部署に配属になった。年齢もさほど違わなかったので、いつの間にか一緒に社員食堂でランチをとるようになっていた。スタッフさんは契約が半年毎の最長3年。だから親しくなると辞めていってしまう。でも有難いことに、スタッフさんは「ランチを姫宮と一緒に摂る」という最重要課題を引き継いでいってくれる。なので、今も一昨年の暮れから引き継がれたスタッフさんによって、その項目は守られている。何しろ、一人では外食はおろか、社員食堂にさへ行くことができないという情け無い姫体質、スタッフさんの代が変わり、年齢もどんどん開いていっているのに「先輩の声は神の声」、最初の笹原さんから数えて8代も姫宮のお守役を引き受けてくれているのだから有難くって涙がでる。(3×8の計算はしないように)。
職場は離れても未だに付き合いのある、6代目絵美ちゃんに先日聞いてみた「私は年齢の差を感じたこと無いんだけど、絵美ちゃんは気を使って合わせてくれてるの?」その答えがこうだ「全然年齢差は感じません。というより危なっかしくってめんどうみずにいられないから、年上だなんて思ったこと無いです」。アッソ。多分、その前のリカコに聞いても、あとのミサちゃんに聞いても同じ答えが返ってくるのだろう。
社員食堂も支配人が変わったとたんに、まるで別の会社かと思えるくらいに大変身を遂げた。テーブルにはピンクやブルーのクロスがかけられ、椅子も高級レストランを思わせるようなゴブラン織りの背もたれ付きになった。配膳カウンターの側には大きな壷が置かれ、季節の花が枝ごと生けられる。3月にはお雛様が5月にはこいのぼりまで飾られる。12月はドアに白いスプレーでトナカイやサンタさんが描かれ、1月にはホテルのロビーかと見まごう程の立派なお供え餅が鎮座する。
メニューも、うどんも蕎麦もラーメンも毎日出るようになったし、定食もA,B、ヘルシー・ランチに特ランチ、スペシャル・ランチと豊富になった。ん、スペシャルと特ってどう違うのだろう。週に1度は石焼ビビンバまで出るし、年に何回かは○○フェアと銘打って、稲庭うどん食べ放題や、各種のカレーが並んだかと思えば、マグロの解体まで目の前で行われたりする。ここは何処?という感じで、ガラガラで「人民食堂」と言われていた社員食堂が今では満員。チケットの自販機から列をなしている。世の中、やる気とアイディアで様変わりするものなのねぇ。
そんな社員食堂の中で、やる気もアイディアも無い私は、相も変わらず今日も、スタッフさんにおんぶに抱っこでランチを摂っているのだった。外に出るのは暑いしねぇ。
世の中には、天に二ブツも三ブツも、いやそれ以上に与えられている人が居るようだ。
昨年まで派遣社員として、我が部署の仕事を手伝ってくれていたマサちゃん。顔もスタイルも抜群に良い上に、とっても心根の優しい女の子で、他部署の男性からも注目の的だった。そんな彼女から「通っているウクレレ教室の発表会があります。良かったら観に来て下さい」というメールが届いた。これは行かずばなるまいと日曜日、東京は丸ビル5階「空中庭園」と名付けられた会場へ行ってみた。
ウクレレと聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、漫談家・牧紳二が弾く♪あああ〜ヤンなっちゃった あああ〜驚いた というメロディーだ。それから高木ブーのアロハ姿かな。しかし、実際の演奏を聴いて驚いた。曲名もカンターラなどラテン音楽から、テレビのコマーシャルで耳慣れた曲まで、自然に客席が体を揺らし、手拍子、足拍子をしたくなる。その上、マイ・ウェイをアレンジしてスペイン語で披露といった重厚な楽曲までやられた日にゃぁ、ウクレレの見方を変えずばなるまいて。
お目当てのマサちゃんは中央に陣取ってのヴォーカル。美人でスレンダーで、その上こんなに歌もウクレレも、おまけにタンバリンまで上手だったとは。
マサちゃん、さすがに舞台に上がった直後は緊張の色が隠せない様子だったが、演奏に入ったとたん、とっても活き活きと楽しんでいるのが見て取れる。近くの観客が「あの子、可愛いね」とか「綺麗ね」なんて言っているのが聞こえてくると、まるでわが子が褒められているようで、感激に涙が出そう。私って「泣かない女」で通ってるのにぃ。それにつけても、会わない間により一層、綺麗になってるじゃない。よりスレンダーにも、より色白にもなっているじゃない。嬉しさと羨ましさが交差する。
拍手喝采を受けて舞台を下りたマサちゃんの姿を追ってみる。チラと振り向くが早いか「来てくれたんですねぇ。嬉しいですぅ」って、飛んでくるとこが昔のまんまの飾らない魅力で、これまた嬉しくなってしまう。「これ、いくらに見えます? 1500円ですよぉ」なんて、クルッと回って見せてくれる衣装は、インド更紗のようなプリントのくるぶしまで覆うスカート。やはり美しい人が着こなすと10倍や20倍の値段に見えてしまうから凄い。
「一緒に写真撮りましょうよぉ」なんて言われ、これも嬉しいのだが隣に写るとなるとねぇ、どこから見たって引き立て役でしかないじゃない。母が写真を嫌う心境が良く分かる。顔だってマサちゃんは握り拳グーくらいの大きさしかない。せめて遠近感で目の錯覚を狙い、コッソリと一歩下がって「ハイ、チーズ」。ところが写った写真を見て唖然。もともと身長が10センチ以上違うのに、下がったものだからスラーっとしたマサちゃんの横で、余計にチンチクリンに写ってしまった私が居る。しかも目論んだ以上に顔の面積の違いが出ている。結局、マサちゃんの美しさを際立たせただけだった。ガッカリ。
羨ましい、羨ましいと思いながらマンションに帰り着いた途端に、母からの電話。「今日も、ドコも行かなかったの?」の質問に、興奮覚めやらぬウクレレ教室発表会の話をすると「お前も趣味くらい持たないとねぇ」と、ため息混じりに言われてしまった。そうよねぇ、1人ポッチで趣味も無く部屋に閉じこもって居たら、ちょっと危ない精神に陥りかねない。こんな状況では、幾つになっても離れて暮らす親としては心配なことだろう。でもそれは、自分自身が百も承知の事柄です。
テレビを見る以外は全くの無趣味。無趣味大食なんて揶揄する言葉もあるけれど、食についても「あれが食べたい、これが美味しそう」という思いも無い。常々、知り合いからは「おかしい」と言われ、言われしている身だ。せめて食道楽にでもなれたらねぇ。美味しいラーメンを食べるために札幌へとか、蟹を食べに越前へ、蕎麦をたずねて信州へなんて話を聞いても「へー、ご苦労さま」と思うだけ。行列のできる○○なんていう食べ物やさんなんて、並んでまで食べようとも思わない。近くに200g63000円なんていう、べらぼうな値段のステーキを食べさせるレストランがある。テレビでも、色々な番組で取り上げられ、それを見た友達から様子を聞かれたりもする。でも、たとえ宝くじが当たっても私は、そんな肉を食べる気にはならないだろう。物には適正価格ってのがあるものさ。
映画? 劇場に行くのが億劫だ。それにあの大画面、最近の私の目には優しくない。疲れてしまうのよねぇ。旅行? 一人旅はできません。友は皆、家族旅行に興じている。私も愛しい身内ができたら行こうと、密かにもくろんではいるのだが、これが密かなもくろみのままで一体何年過ぎてしまったことか。今年の秋も味覚の旅なんぞに出掛けることもなく、過ぎていってしまいそうな予感だ。
♪もうすぐ寂しい秋でぇすぅ〜 ♪今はぁもうぉ秋ぃ〜誰もいない海〜 なんて、メドレーで、マサちゃんにウクレレを弾きながら歌われたら、今度こそ本気で泣き出しちゃう。ああ「血も涙も無い」と、言われつづけて久しい私。血も涙も趣味もおとこも無いことを思い知らされる季節が、今年もそこまでやって来ているぅ。