大安吉日ノーテンキ

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「遺失物法により遺失者は、拾得者に対して遺失物件の価格の100分の5以上100分の20以内のお礼をしていただくことになっています」

「拾得者にお礼をし、拾得者の持っている預かり書を受け取ってからおいで下さい」

財布を落とした翌々日の郵便受けに、差出人に警視庁大崎警察署(会計)の印刷のある拾得物受理通知書なる浅黄色のハガキが入っていた。

財布を落とした時の情景が、まざまざと浮かぶ。会社の帰りがけに通り抜けるOAZOの店で、半値になっていた靴下を2足購入。最寄駅と直結の東急ストアで、安売りをしていた靴を2足購入。明日、遊びに来てくれる友達と自分のために駅前の洋菓子店コージーコーナーでケーキを4個購入。そのうち2個のシュークリームは10%引きだった。その結果、両手に紙袋3ツ、会社に通う時に持っているハンドバッグと本や新聞を入れているトートバッグがぶら下がっていた。

そこで一通り買い物が終わった時、レシートと小銭を手に、「エイヤッ」と財布をトートバッグに投げ込んだ。そう、バッグにしまったというよりも投げ込んだという感覚だった。ところが、財布はバッグの中には納まらず、どうやらバッグと紙袋の間に転がり落ちてしまったらしい。ほんの少し歩いて、虫の知らせ。手を突っ込んでまさぐってみたが、ハンドバッグにもトートバッグにも財布の陰も形もありゃしない。一応、財布を投げた辺りをグルッと回ってもみたが、無駄むだ。あーあ、やっちゃったよ。そうか「安物買いの銭失い」の真の意味はこういうことだったのか。

幸いなことに、クレジットカードの類は安売りの靴を買った時に使った東急カード1枚だけ、あとはドラッグストアKマートと、スーパー・ポポロッカのポイントカード、それとかかりつけの整骨院の診察券が入っていただけだ。現金は1万円札が1枚と小銭少々。そして財布は大井町のダイソーで買った100、いや105円也。

東急カードは止めてもらうべく即、電話でお手続き。「警察にお届けの際には、東急カードの件をお話し下さいね」とカードの担当者に言われるまで、警察に届けるなんてこと頭に浮かびもしなかった。だって戻ってくるわけないじゃない。そうか私はやはり関東人だったのだ。以前、テレビ番組で、関東人と関西人の気質の違いをやっていた。信号の守り具合、クラクションの鳴らし方、エスカレーターの昇り方などの対比と一緒に、拾得物に関してもやっていた。拾得物に対して落とし主の名乗り出る数が、関東では半数以下なのだが、関西では拾得物の倍数の申し出があるんだそうだ。関西のエネルギーを垣間見た気がしたものだ。

東急の人に言われたし、駅のそばには交番もあるしで、会社の帰りに届けようと思いながら近づくと、お巡りさんは電話中。(明日でいいや)なんて思いながら帰ったら拾得物受理通知書が届いていたのだった。世の中には奇特な方もいらっしゃるものだ、やれ有難いと思いながらハガキを読んでいたのだが、だんだんムカムカしてきた。

財布を拾って届けてくれた方には、お礼をするに決まっている。もし、現金を辞退されたらお茶菓子に靴下くらい添えてお渡ししようなどと、自分なりに感謝の表し方をあれこれ模索する。ところがどうよ、コレコレの額のお礼をして拾得者から預かり書を受け取ってから警察署へ来い?! しかもその額は価格の100分の5以上100分の20以内だと。5%以上で2割以下とか分かりやすく書いたらドーヨ。お礼というのは強要するものではないはず。しかも、その預かり書をもって来いという期限がハガキが届いてから10日しかない。そしてなんと、取り扱い時間が平日の8時30分〜午後5時15分ときたもんだ。カッコで括られた中には土曜日、日曜日、祝日、年末年始は休みですと明記されている。マットウな労働者や学生諸君は落し物をして、運よく届けていただけたとしても、とても、とても受け取りに行ける時間ではないではないか。郵政民営化の後は断然、警察の民営化だな。

私は貴重な有給休暇をとって大崎警察まで出かけて行った。予め、電話で御礼を述べ、ご都合を伺った拾い主の鈴木某氏は預かり書を持って一緒に出頭してくれると言う。鈴木氏は、私の在所近辺で働く人だったから昼休みを割いていただくことも出来たけれど「たまたま旅先で拾いました」なんて人だったらどうするのでしょう。兎に角、考えれば考えるほどに考えてしまう。

当日、約束の時間より10分早く私は警視庁大崎警察署の前に着いた。正面玄関の前で警棒を持って仁王立ちしている警官と睨めっこして待っていたのだが、鈴木氏はなかなか姿を現さない。電話を入れると。大崎警察署ではなくJR大崎駅前交番の前で待っていると言う。文句を言えた義理ではないが「おいおい、ちゃんと確認しろよぉ」。

ところで、個人情報が煩く言われている昨今、私の住所はどうやって調べたのかを担当の人にたずねてみると、1枚だけ入っていた東急のカード会社に問い合わせたとのこと。警察だと言えばカード会社で住所を教えるのかぁ。これまた文句を言えた義理ではないが、なんか釈然としないのよねぇ。私に届いたハガキには拾って下さった鈴木氏の住所も電話番号も記入されていた。預かり書をもらうには当然、鈴木氏の連絡先が必要なのだが、落とし主が警察に出頭してこれこれをお礼にお渡し下さいと「御礼」とか「寸志」とかの封筒を預け、それを警察が善意の拾い主に渡せば善意の拾い主の個人情報は漏れないはずだがどんなもんでしょう。地方の児童がお年寄りに暑中見舞いを出す慣わしを、個人情報保護法が足かせになって取りやめたなどというニュースを耳にしたが、何が法で何が情なんだか。

お蔭様で、投げ落としてしまった財布は無事に私に戻ってきてくれた。でもね、係りのおじさんは二言目には言ったのです「奥さん、奥さん」って。今度は誰か、私を拾ってぇ。

そうそう、鈴木さんへは、身も心も太っ腹のエセ奥さん故、上限の100分の20である2000円と東京駅大丸にて正価で買った靴下2足を添えて心より御礼申し上げたのでした。

2005-10-23 日

あっ、やだ、矢田

夢を見た。私を孫のように可愛がってくれていた近所のおばちゃんに会いに行く夢だった。そのおばちゃんは、10年以上も前に他界している。私は夢の中で、長野原の山小屋で静養中のおばちゃんを訪ねていた。なぜか、おばちゃんは目の前にいるのに、二人の間にはとても綺麗な水の小川が流れており、その小川のほとりには花が咲いていた。直ぐに飛び越えて行けそうな幅の川なのに、私は飛び越えることをしないで川のコッチ側をひたすら走って、アッチ側のおばちゃんに近づこうとしているのだった。そして、おばちゃんに向かい「元気でねぇ」と叫んでいる夢だった。目が覚めてからしばらくは夢と現実が合わさって、とても妙な心持ちだった。久しぶりに、おばちゃんにどっぷり甘えられた私は、直ぐにでも夢の世界に戻りたいような気持ちにもなった。

その夢の話を絵美ちゃんにすると「うわー! 渡らなくて良かった。 渡ったら死んじゃうとこでしたよ。 大丈夫ですか? 体、どっか悪いとこない?」と、心配してくれた。悪いところと言えば、真っ先に浮かぶのは当然ながら頭。昔は鬼のような記憶力を誇っていたものなのに、今では『物忘れ外来』に行こうかどうしようかと考えながら、そのうち考えてたことも忘れてしまう。そして目、首、肩、腰、足と満身創痍の悲しい状況だ(ン、内臓は丈夫だから太るのか)。

しかし、一番気になるのは毎日のストレスだろうなぁ。そのストレスの原因とは、辞める辞めると狼お姉さんのように言い言い勤めている会社に決まっている。しかも、ここ2年程が特に酷い。ストレスの原因のそのまた最大の要因は、ニュースでもよく耳にする隣人問題だ。そう、2年前から隣の席に異動になってきたお・ん・な、矢田だ。(この際、敬称略)。どうしても合わない。私は大人だから、ラジカセを大音声で流したり階段の踊り場で刺したりなどは決してしないが、その代わりに今こうして世間様に一方的に愚痴を聞いていただくという姑息な手段に出ている次第。

朝は毎日遅刻してくる。全く悪びれる様子無し。上司に注意してくれるように言っても「今までの職場でもアアだったらしいから今更言っても」と取り合ってくれない。せいぜい私が「あら、お休みかと思った」と精一杯の皮肉を言うに止まっている。こういう時は矢田と上司とのダブルでストレスとなる。遅刻して来るくせに、その手にした袋からはスタバのコーヒーの香りが漂い、スナック菓子がはみ出している。それこそ1日中食べるか飲むかしている。今だって決して細めではないのだから10年後、いや5年後に反動が出ることは間違い無いだろう。ただでさえ美形とはほど遠い姿かたちなのだから「ちょっと考えた方がよかないかい」と、友達なら注意してやるところだが、友達じゃないので黙って横で呆れている。

私のトイメンのP氏に至っては、矢田から「同じビール党同士、たまには呑みに行きましょうよぉ」なんて誘われても「俺はブスとは呑まない」と私に言って、ご本尊には丁重なお断りを入れている。そうそう、部の飲み会で餌食になった吉田君は見事だった。彼もお酒は大好物なので酒豪の矢田と酌み交わし、いつの間にか腕まで組まれしなだれかかられ「ねぇ、私のこと好きなんでしょ」なんて、思いっきり迫られていた。蛮声も振るい目もすわり、どこからどう見ても立派な酔っ払いなのだが、矢田の繰り返す「私のこと好きなんでしょ」には、がんとして首を縦に振らなかった。正気の部分が残っていた人たちは一同に、踏みとどまる吉田君に拍手をしていた。でも、あの時酔った勢いで吉田くんがウンと言い、矢田が寿退社をしてくれていたらどんなに良かったか。初めて羨ましくない花嫁の誕生だったはずなのに。

静かで楚々としたこのワタクシに対し、そりゃぁもぉ「がさつったらありゃしない」の隣人、矢田。書類棚の開閉もバタン・バタンと力任せににやるものだから、彼女が閉めた後は反動で扉が半開きになってしまう。それを静かに閉めるのは私の役目。閉めてるのを見たら気づくかと思うが、ガサツ者はまったくもって無頓着。矯正にも嫌味にもなりゃしない。何でも力任せのバタバタさんだから、椅子にもデンと座ってそのまんま椅子ごとドテンと転倒したことがある。さすがに「ダ・ダイジョウブぅ?」と尋ねたら「大丈夫です」と、照れるわけでも、顔色一つ変えるわけでもなくスックと立ち上がったのには恐れ入った。本心は痛かったろうなぁ、恥ずかしかったろうあぁ。ン、恥ずかしいという文字は彼女の辞書には無いかな。

仕事では、一般人では考えも及ばないようなミスを連発する。内容は社外秘なので(?)控えるが、兎に角「なんで?」「どうしたらそうなるの?」というミスを平然とやってのけ、絶対に謝らない。彼女の辞書には「ごめんなさい」という言葉も無い。代わりに平然と言ってのけるのが「アッ、それ私です。私が間違えました」。これって正直でよろしいって、桜の樹を切った大統領のように褒めなければいけないことなのだろうか。自分のポカを拭うためには平然と周りを振り回す。酷いトコでは、徹夜明けの仮眠室にまで電話をかけまくる。そして、さんざん迷惑をかけ、助けてもらっていながら「仕事じゃないですか」と言ってのけるのだから開いた口が塞がらない。

ある大ポカをやった日の退社寸前、彼女がトイメンに座る男性に言っていた。「今日、取り返しのつかない失敗をしちゃいましたぁ」。おや珍しく反省してるんだぁと思って聞いていたら「今日まで、全品500円の中華に行くのすっかり忘れて、お昼カレーを食べちゃったんです」。そっちかい?! 凄いよなぁ、私だったら大ポカをやった後で、ランチなんて気分にはなれません。

どこをどう取っても姫体質の私には太刀打ちなどできそうにない。これからも姑息にネットのおまじないの頁や、呪いの頁なんぞを見て、目の前から矢田の消える日を祈るっきゃない。ン、私が消えた方が手っ取り早いという真理もありか。

「吉田く〜ん、私のこと好きなんでしょ?!」

2005-10-16 日

運動会

暑いんだか寒いんだか、涼しいんだか温(ヌル)いんだか、よく分からない気候の今年の秋だ。でも肝心の体育の日、関東では雨。あちらこちらの運動会会場は一体どうしたのだろうか。

運動会と聞いて最初に思い出すのは、父の出場した“自転車遅乗り競争”だ。私の生まれ育った町には現JR、旧国鉄の官舎もあり、かなりの割合で国鉄職員の家族が住んでいた。秋になると小学校の校庭を借りて大運動会まで催されたものだ。その中で父は“自転車遅乗り競争”にエントリーしていた。6台の自転車が横一線に並ぶ。ギア付やママチャリではなく、いかつい大きな荷台のついたものばかりだ。「パン!!」というピストルの合図のもと、どの自転車もバランスを取りながらヨロヨロ・ノタノタと進む。みな固唾を飲んで見守る中、1台の自転車がまるで競輪の選手のような素早さで走り抜けた。「おとうちゃんだぁ」。父は5台の自転車がゴールせずに頑張っている横を参加賞を手に、とっとと家族の元に戻って来た。「あんなモタモタしたことやってられっか」。江戸っ子でもないのに父は気が短いというか、せっかちな人だった。家族で出かけるとなると予定の30分も前から玄関で「さっさとしろ」と叫んでいる。そんな時に決まって出る台詞は「ノロイことは牛がするんだ」。そういう父は大正14年の丑年生まれだった。

社会人になってからは社内の運動会に2回だけ参加した。バブルが弾けてからは開催されなくなってしまったので貴重な経験だったと思う。その2回目の運動会でのメインイベント、部対抗のリレーで我が部が優勝する奇跡を、もうちょっとで見ることができたのに…。

バレーボール大会に出場すれば整列した時点で、主審が我が部に贔屓することを宣言するほどの、運動とは縁のない部署だった。しかし、部長以下ノリの良い部員で構成されていたもので社内の催しには周りの迷惑も顧みず、一同うち揃って片っ端から参加していた。バレーボールでは、主審のご好意を受けてフルセットまで戦わせてもらっても7分で敗退。残念会の飲み会の方に遥かに時間をかけたものだ。だから、飲み会の途中で一体何ゆえ呑んでいるのかさえ分からなくなるような状態だった。

野球大会に出れば、アンパイヤの後ろにもう一人、特別に捕手に待機してもらうという特別ルール(?)まで設けてもらっていた。そこまでしてもらっても、高校野球より差が開き、当然のように3回でコールド負け。そんなチームが奇跡のように今、リレーでアンカーが先頭を走っている。2位以下を遥かに突き離している。部員は皆、大喜びでゴール地点に揃いテープが切られる瞬間を待った。ところが、ゴール寸前でとんでもないアクシデント。ゴールの手前5メートルほどの所に引いてあった白線を思い違いしたアンカーの新人部員が、誰に見せたかったのか、ヒーロー気分でバトンを空高く放り投げたのだ。今でも、赤いバトンが青空に吸い込まれるように上がっていく様が目に浮かぶ。「バカ、違う!!」「拾え、拾え!!」という部員の叫び声、アタフタとバトンを探す我が部のアンカー。やはり奇跡は起こらなかった。めったに無いから奇跡だけど、あそこまで迫っていながら取り逃すのも奇跡かも知れない。その後の祝勝会改め残念会で、183cmの新人部員が消えて無くなりそうなくらいに小さくなっていたのは言うまでもない。

ところで、友達から最近の小学生の運動会事情を聞いて驚いた。彼女の息子は小学2年生なのだが、昨年のピッカピカの1年生の時は「かけっこでは、みんな一緒に手を繋いでゴールなんですよぉ」だったそうな。順位をつけちゃいけないんだって。そして今年は「男の子と、女の子が3人ずつ一緒に走るんですよぉ」って。なんじゃそりゃ?!と思う。最近は何事も差別しないとか男女平等にとか言われ過ぎて、こんなことにまでなっていたのかと呆れ返る。

「男の子の中で、ビリにはなるなと言ったんですけどね」って。男の子の中ではビリでも3位だし、2位でもブービーだなぁなんて感心(?)したりもしたものだ。

私が子供の頃の運動会と言ったら、ふだんは勉強が出来ないと言われている男の子が、かけっこではヒーローになったり、逆に優等生がビリになったり、それでも皆それぞれの個性を子供ながらに尊重したものだ。のび太君が居てジャイアンが居て、すねおが居て、しずかちゃんが居るのが自然な環境だと思う。かけっこしたら早い子がいて遅い子が居て、順番がつくのが当たり前だろう。男の子と女の子の体力に差があるのも当たり前だ、と思っていたらナント『小学生の運動能力は低下が続き、9歳男子の50メートル走の平均記録は約20年前の9歳女子の水準にまで落ちたことが9日、文部科学省の2004年度「体力・運動能力調査」でわかった』だって。ほら、ありがたい平等教育のおかげで、運動能力も下降修正(?)で、男女平等が実現されつつあるわけだ。

それにしても考えたら恐ろしい。親の保護下にある学童のうちは「みんな一緒ですよ、仲良くしましょうね」なんていう平等教育を受け、中学生、高校生になったとたんに受験戦争に追いやられる。そして、社会に出たら平等なんてあり得ないという現実を突きつけられるのだ。これじゃぁ、ニートやら引きこもりが増えるのは当然ですよ。

この際、将来のために周りの姪やら甥やら子供達に今から現実を教えておいてやろう。

「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。それが、社会というものです。あなたたちは、この世で、人もうらやむような幸せな暮らしが出来る人が、何パーセントいるか知ってる? たったの6%よ」あっこれ、この夏話題になった『女王の教室』の教師、真矢の名台詞でした。

50の手習いという言葉はよく耳にするが、実際に50になってから習い事を始めた人を、先日初めて目のあたりにした。ものはピアノ。たとえ上手いとは言い難くても、観たり聴いたりだけでなく、わが身を使って始めた趣味には感心させられる。

50過ぎて始めたピアノ。一体きっかけは何だったのか聞いてみた。「娘がピアノを弾かなくなっちゃったから」。泣いてせがんだ一人娘に、身の細る思いでピアノを買ってやったのは、もう20年も前のこと。蓋さえ開けられなくなったピアノは今では物置と化していた。もったいないよなぁと思っての一念発起。今や、世界的に言われだした「もったいない」に乗ったのかな。

この人、もともと凝り性だし芸術の素養もあったらしい。以前、同じ部署に居たときに誕生日祝いと称して自作の絵を贈ってもらったことがある。油絵や水彩画とは違う。点描というのだろうか、シャープペンで叩くようにつけた点の濃淡で、ギリシャの朽ちかけたエンタシスの柱と、砂漠と太陽が描かれていた。その大胆な構図と繊細な点の集まりには心底驚かされたものだ。なのに、絵にサインされた文字はというと、その繊細な絵を描く同じ手で書いたとはとても思えない。どこまでもカナ釘がのたくっているのだ。そう言えば海外の出張先から、部に絵葉書を送って来たときも、その絵の上にこの字が並んでいた。それを見て言ったのは誰だっただろう。「宛名だけ裏に書いてくりゃ綺麗なままの絵葉書だったのに」。

パソコンにも強く、皆がやっと文字を打ち始めた頃から作曲までこなしていたっけ。クラシックを自分なりにアレンジして、皆に聞かせてはその評判に鼻を高くしていた。なのに部の旅行で披露したノドは、ぬか味噌どころか、聞いた人の脳みそも腐らせるのではないかと思うくらい見事な音痴だった。どうも、分からない御仁ではある。

さて、どうしても自分の腕を披露したいという事で、連れていかれたのは銀座の柳もなびく通りに面したビルの2階。小さな貸しスタジオだった。入会金、千円。室料が1時間3千5百円だという。さして広くない部屋にグランドピアノがどんと置かれ、拝聴用(?)に椅子も並んでいる。

さて、主役がピアノの前に座りポロンとキーを叩いてみる。「ちょっと音が硬いな」なんて、聞いた風な事を言いながらまずは1曲。終わったと思う間も無く2曲目3曲目と短いけれど次から次へと‘アマゾネス’は鍵盤を叩き続ける。やっと(ここで拍手してもいいのかな)という間があったので、思いっきり拍手ぅ。「1曲目は荒れ果てた舞踏室、2曲目は秋のスケッチ、3曲目は間奏曲だったんだよ。凄く短かったけどね」確かに、弾いてる時間より間違えている時間の方が長かった気がする。その次に聴かされたのは「舟歌、漁師の歌じゃないよ、ゴンドラの唄だよ」。ウッ、船酔いしそう。

この調子で「次はぁバロック時代のメヌエット、宮廷のダンスだよ」。「次はぁ、アベマリアの原曲」。「次はぁラグリマ、これはスペイン語で涙という意味」。「次はぁ…」。1曲終わったと一息つく暇も与えられず、永遠に続くかと思われた「次はぁ…」の声。君は山の手線かぁ。

ほぼ1時間、「次はぁ」の声が頭を巡ったところでやっと解放され、逃げ出さずに聴いたお礼に(?)近くでスペイン料理をご馳走になった。もちろん、そこでの話題もピアノ一本槍。何しろ彼は今、50歳を過ぎての受験生なのだ。英国王立音楽検定なるもののグレード3、4を目指すのだと言う。最高は8まであるそうだが、グレード1でも2でも合格すれば、女王からのお墨付きがいただけるとあって鼻息が荒い。

「さっきのピアノは、どうも音が硬かったな。うちのはもっと柔らかい音が出せるんだけど」と、重ねて言うので聞いてみた。20年も前に買ったピアノが、今でも、そんなに良い音をだすものかと。返事を聞いてビックリ。なんと、自分用にプレイエルなる超高級ピアノをとっくに購入していたのだそうな。「頑張ったから自分にプレゼント」なんて。では‘50の手習い’のきっかけになったピアノは、今でも物置のままですかぁ。

「ドイツのピアノはピアノの音がする。フランスのピアノは香水の香がする。そしてプレイエルはショパンの音がするって言うんだぜ」なんて、どこから引っ張って来た言葉だか。ショパンが愛したピアノかどうかは知りませんが、200万円近くもする物を自分へご褒美にプレゼントしちゃうなんて、太っ腹ぁ。いっくら自分が大好きなO型でも、私にはとてもできない芸当だ。

そう言えば、ウエダがしょっちゅう言っているエピソードがある。それは社の、先輩に当たる女性の話。その先輩は55歳の一次定年を前に54歳で肩叩きのような形で、放り出されてしまった。そして、「働いて来た自分へのご褒美」と、かの豪華客船『飛鳥』に乗って世界一周の旅に出たのだった。往路は1人、一番料金の安い客室で。そして復路は最高級の部屋で巡り合えた男性と一緒に。

自分へのご褒美って、皆さん豪気なものなのねぇ。ウエダが盛んに、私にも飛鳥に乗ってセレブ婚を目指せと薦める。でもねぇ、そんな事を目論んで1人で乗って、1人で帰って来たらご褒美どころか、罰になってしまうじゃない。自分へのご褒美…せめて、血圧を抑えるために毎夜食べている納豆に、今夜は卵を入れちゃいましょうかねぇ。ゴマも、ついでに、海苔だって入れちゃうぞ。

友達のウエダは、消費生活アドバイザーなる肩書きの元、東京のとあるデパートで苦情処理の仕事にいそしんでいる。いつも元気印のハリキリウーマンではあるが、時にはとんでもないクレームが入り、頭を抱えることもあるらしい。「手洗いって書いてあるのに、洗濯機でガラガラ洗ってセーターが伸びたの縮んだのと言ってくる人がいる」。「お弁当の袋にペットボトルのお茶を入れ、その中に仕事の資料を入れて、お弁当のツユがこぼれて書類が汚れたなんて言ってくる人もいる」。中には「明らかに、もう何度も履いたと見て取れる靴を、履く前から傷があったと言ってくる人もいるわ」などと、クレーマーの話を何度聞かされてたことか。その都度「そんなこと言ってくる人がいるのぉ、とんでもないねぇ」なんて、ご同情申し上げたり一緒になって憤慨したりしていたのだが、この度この私が客という名の元にクレーマーになってしまった。

場所は八重洲地下街の某店舗。時は9月半ば、知り合いへの誕生日プレゼントを購入。「贈り物ですので包装をお願いします」と言うと「包装は有料です」の返事。身も心も太っ腹の私が、なんで百円弱の包装代をケチるだろうか。「有料でけっこう、包装して下さい」。ちょっと頼りなげな坊やが、ブツを一生懸命に包装する。「代わりましょうか」と言いそうにもなったけど無事包み終わり、〆に箱から出した金色のシール付きのリボンを表面の左肩に貼ってくれた。そして店のロゴが入った、お洒落なビニール袋にまで入れてくれる。このプレゼントを渡す相手は、差し上げたブツはおろか包装紙も、その又外側のビニール袋も几帳面に畳んでしまっておく奇特な人なので、このビニール袋も持ち手は持たず抱えて帰り、そのまま大きな紙袋にいれてしまっておいた。そしていよいよ誕生日。恭しく捧げる私からプレゼントを受け取ったご当人は丁寧にビニール袋から、包装されたブツを取り出す。そして、なぜか苦笑。なんで苦笑? どうして苦笑?

さて、CMも明けたことですし解答です。プレゼントに貼られた金色のシール、そこには“Merry Christmas”の文字が浮き上がっていたのです。嘘でしょぉ?!

一つ年齢を重ねたご当人は穏やかに、しかしちょっと嫌味を込めて「これってクリスマスの残り?」なんて笑っている。贈った私は笑い事ではありません。目の前で開けてくれたから、言ってくれたからその場で反論もできたけど、郵送でもする相手だったら反論の場も与えられないままに冤罪となり、人間関係にもわだかまりが出来ないとは言い切れない。これは、これは重大なことですよ。

翌日、私は意を決して八重洲地下街の某店舗を目指した。もちろん手には“Merry Christmas”のシール付き包装紙を握りしめて。途中、強面の男性について来てもらえば良かったかなという思いが頭をよぎったが、間違ったことを言うのではないと自分を鼓舞しつつ、歩をノロノロと進めたのだった。

まずは「責任者出て来い」でございます。「私が店長です」と、気の弱そうなお兄さん。この間、接客をしていた坊やよりは、年長に見えるものの吹けば飛びそうな優男だ。「先日こちらで○○を購入しまして、有料だという包装をお願いしたのですが…」“Merry Christmas”シールの顛末を話すと店長、シールに目を据えたまましばし絶句。出てきた言葉は「誰がやりましたか?」。ン?「誰って、分かりませんよぉ」。しばし沈黙。そして「あのぉ、どうしたらいいでしょう?」。これにはこちらが唖然で沈黙。しばらくして出た次なるお言葉が「包装代をお返しすればいいですか?」。この言葉に私の頭の中でカッチーン、プッツーン、ドッカーンという音が轟いた。今、耳にした言葉にカッチーンと来て、堪忍袋の緒がプッツーンと切れて、地雷を踏んだ店長がドッカーンと吹き飛んだ音だ。

「それが、そちらの誠意ですか?!」自分でも恥ずかしくなるような言葉が、よくサラッと口をついて出たものだ。さすがに店長「ちょっとお待ち下さい」と慌てふためき、本社だかオーナーだかに電話をかけるため奥へと消えた。何も、因縁つけてゆすりタカリをするつもりで来ているわけではない。でもねぇ、いっくら何でも包装紙代を返せばいいという問題ではないんじゃないの。かなりの時間が経過して、店長が恐る恐る私に携帯電話を差し出して言った「上の者とお話していただけますか?」。上の者が名乗ったので、こちらは名乗らずに上の者の名前を確認する「○○社の△△様ですね!」。事の経緯を説明し、「御社のブツには何の文句もございません、贈った相手もいたく気に入っております」などと付け加えるとこなんざ、私って意外と世慣れてるじゃない。

さて上の者がどんな風に出るのかと思ったら驚いた。「お買い上げいただいた金額の半分をお返しします。それでご容赦いただけますでしょうか?」。ウ・ウ・嘘でしょ?! 半分ってぇ、私けっこうな金額のお買い上げをしてるのですよ。上の者は端数まで正確に言ったので冗談でも思いつきでもない。ちゃんと承知の上なのだ。「いえ、そこまではけっこうでございます」なんて事は言わない。当然ご容赦しちゃう。ただ、現金を手にするのはいかにも気が引けたので近場にあって目に付いたブツをいただいて帰ることにした。そんな時に、あの包装坊やが登場。ご本人は一切、ことの流れを知らないまま私の選んだブツを手に「包装は如何しましょう」なんて気軽に声をかけて来る。「包装はいいです。その辺の袋に入れて下さい」。

さて、思いもかけないほどのお詫びの品に「ヤッタネ!!」と口笛でも吹く気になれたら楽なのだが、なんとなく後味が悪いのよねぇ。私としてはハナから包装代なんて言わずにひたすら謝ってくれたら良かったのに。「これ、弊店特注のティッシュです」なんて、頭を下げながらポケットティッシュの一つでもくれたらそれで気が済んだのにね…ン、これはチト偽善かな。

何はともあれ結局のところ私って、心根の優しい女性なのだということを今更ながら自覚した事件ではあった。