大安吉日ノーテンキ

Archives for 2005年 12月

2005-12-25 日

百年の孤独

ルミナリエが神戸、ミレナリオが東京と、やっとこすんなり言えるようになったと思ったら、今年で東京のミレナリオはおしまいだそうな。神戸は、阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂や、街の復興への願いをこめて1995年から始まったものだ。比べて東京は、2000年問題で大騒ぎをした1999年の暮れから、新しい世紀に向けて思いを馳せるという意味合いで始まったのだから21世紀を無事迎え、お役目は果たしたということになるのかも。

私は勤め先が大手町と、会場の丸の内はご近所さんだものだから、会社の帰りに毎年見ている。初めてあの光の帯を目にした時は、感動した。遠い異国の風景という気がした。この光の彫像といわれる作品を手がけているのは、神戸も東京もイタリア人のアートディレクターと聞くが、私はなぜか一度も行ったことのないインドを感じた。ガンジス河で沐浴する人々の光景と重なる気がしたのだ。あら、ちょっとらしくないこと言っちゃった?

ミレナリオが今年で最後ということをどこで聞いたのか、ある晩母から「最後だから見なくちゃ」という電話が入った。見なくちゃ?! この言葉は「見たいなぁ」でも「連れて行ってね」でもなく「私が見るんだから連れて行け」という至上命令を意味する。こういう言い回しが我が我侭ママ、トラうさぎたる所以だ。確かに、孝行娘の私は光のアーチをくぐり抜ける度に(母にもこの景色、見せてやりたいなぁ)と思わなかったわけではない。ではないが、なんせ半端じゃない人混みだ。田舎の道を自転車で走り抜けるのとはわけが違う。もし、あまりの人混みと光のアートに度肝を抜かれて腰でも抜かされたりでもしたら、このか弱い私は一体どうしたらよいのだろう。

最寄りの駅は東京。毎日通勤で使っている東京駅丸の内北口が、ミレナリオ開催期間は全く私の知らない顔になる。普段は人と待ち合わせてもぐるっと見渡せるのに、このクリスマス・イブから元旦までの1週間は丸の内北口に入るだけでも大騒ぎ。押すな、押すなの人だかり。その上、会場への行き方や注意を促す構内放送が鳴り響く。会場は目の前に見えているというのに、グルッと果てしない遠回りをさせられる。やっとこ着いても、光の中に行くには直前で列を作って待たされる。この列の幅の広いこと長いこと。ああ、陽が暮れちゃうよぉ。おっとミレナリオは陽が暮れてからの催しでした。

そんな東京ミレナリオにウエダと行ったのは何年前だっただろう「去年見たからイイ」という私に「毎年変わるんだから」「見終わったら美味しいもの食べようよぉ」と、絶対に引き下がらないウエダ。では、ということでまだ見たことがないという同じ部署のマサちゃんと、近い部署の新人井口君を誘って4人で出かけた。マサちゃんはスレンダーな美形。新人井口は極真空手に励むスポーツマン。並ぶと、なかなかお似合いである。自然とウエダ&姫宮、マサちゃん&井口という組ができてしまい、会場ではつかず離れずの二組でのミレナリオ行と相なった。終点は有楽町。何か暖かい物を食べようと店を探すが、どこもかしこもミレナリオ見物ご一行様で満席。やっとこ見つけた地下鉄に続く一角の蕎麦屋。「もう、なんでもいいや早く出来るものぉ」なんて言いながら席についたとたんに、なぜか井口のかけた椅子の足が、ものの見事に折れた。蕎麦屋でよく見る、座る部分に絣の柄がついたような小さ目のやつだ。局の宴会で、バット折りの妙技を披露していた井口だが、こんな所で椅子の足を折って見せなくてもねぇ。

その店には幻の焼酎と言われる“百年の孤独"が置いてあった。お一人様一杯と但し書きが麗々しくされていた。ところが、最後の一杯しかないという。では、と女性群は井口に口では譲ったものの結局は皆で味見。果たして井口の口にはどの程度入ったのやら。私も舐めさせてもらったが、焼酎とはとても思えない味だった。口当たりは滑らか、言うなれば高級ブランデーってとこかな。さて、4人で食べて飲んで大いに盛り上がり有楽町駅でバイバイをしたのだが、翌日出社して驚いた。局の中は、マサちゃんと新人井口の噂でもちきりなのだ。曰く「昨日、ミレナリオの会場を二人で仲良く歩いていた」。二人で? どうやら、直ぐ側にいたチンチクリン二人組は目に入らなかったらしい。暫くして、マサちゃんがこちらも行ったことが無いというので、同じ四人組で東京タワーの新しくなった展望台に昇った。なのに又もや、件のお似合いカップルが二人でタワーの展望台から仲良く夜景を見ていたという話が囁かれた。ウエダだって私だって一緒に昇って、東京タワーのキャラクター、ピンクの体に紅いサスペンダー、胸に白字でTと書かれたノッペンのボールペンをしっかり貰っているのに。夜景が綺麗ねって見とれたのに。『壁に耳あり、障子に目あり』とは言うけれど、どうもその目はチンチクリンは見落としてしまうらしい。

その後の二人はどうなったかって? 井口は数年後、転勤先の福岡で妻を娶り、マサちゃんは、私に習って“百年の孤独"に邁進中である。あんなに綺麗なのに。つきあいの良い娘だ。

ああ、それよりも迫り来るトラうさぎだった。対策はどうしたものか。初日の24日は避けよう。何が悲しくてクリスマス・イブに我侭トラうさぎとミレナリオなどに行けようか。周り中、どうせカップルだらけに決まっている。バカップルはイチャイチャするんだろうなぁ。そんな中で、寒いの遠いの混んでるのと御託を並べられたら、たまったものではない。“百年の孤独"が益々身に沁みてしまうではないか。仕方が無い、ここは25日の夜をトラうさぎに進呈しよう。ジャストXmasと思うから悲しいのだ。ホラ暦は仏滅さ。ああ、こうして今年もふけて行くのかい。

2005-12-18 日

義士祭

義士祭

「良心に従い、嘘偽りを述べず、何事も付け加えないことを誓います。12月14日」。

現在、大変な騒動になっている耐震強度偽装問題の証人喚問をテレビで見ていて、今日が赤穂浪士の討ち入りの日だったということに気がついた。三波春夫が朗々と語った「時は元禄15年12月14日」というやつだ。

泉岳寺は我がマンションの最寄り駅から都営地下鉄でたったの二駅。天気は良いし、ブラリと出かけて四十七士の墓前にお線香を供えて来ようと思い立った。日付に気付いて思い立ったのは証人喚問が始まった午前9時半過ぎだったのだが、なにしろご存知の通りのぐうたらさん。チンタラと掃除・洗濯をして、軽食だぁ、顔を作りましょうなんてやっていると気になるテレビも始まって、家を出たのは午後の2時を過ぎていた。

都営浅草線のホームに降りると「お待ちしていました。どうぞお乗り下さい」と言わんばかりのタイミングで、紅い車両が滑り込んで来た。なんか幸先が良さそうだ。車内もガラガラ、ゆったりと座ることができた。高輪まではアッと言う間、ところが高輪〜泉岳寺が意外と長い。「次は泉岳寺、泉岳寺」のアナウンスに立ち上がらなくて良かった。泉岳寺の改札を出て驚いた。ここは巣鴨かと思うくらいにお年寄りのオンパレード。リュックを背負って、スニーカーを履いて、同じような帽子を被って「老いらく元気に歩こう会」とでも名付けたくなるようなグループもアッチ・コッチに集まっている。そんな方々に混じって、目指すは303年前に、本懐成就を遂げた義士が眠る泉岳寺。俵星玄蕃ではないけれど「行かねばならぬ、行かねばならぬぅ」。

実は泉岳寺に詣でたのは今回で二度目だ。最初は4年前。義士祭の一環、12月14日に近い日曜日だった。境内での催し物に、今は九州で幸せな奥さんをやっている友達と参加した。初めて見た、弁士がついた無声映画は所々、雨が降っているように、線の入った白黒の、もちろん『赤穂浪士』。長谷川一夫や東千代之介といった往年の大スターが、まだまだ最後の方に名を連ねていた。義士にまつわるクイズでは、隣にいた優しいお兄さんに答えを教えいただいたお陰で東京観光テレホンカードになった“泉岳寺”をゲット。講談師の神田翠さんの迫力ある語りを、俄かに張られたテントの中で堪能することもできた。日曜と言っても、浅野内匠頭長矩から始まり四十七柱(本当は四十六?)に、ゆっくりお線香を手向けることができた。ところが、さすがに記念日は強い。お墓までなんぞ、とてもとてもいけたものではない。はるかに続く列をみて頭(カシラ)右。とっとと退散いたしました。

山門を出ると、道路が賑わっている。警察官が「お寺に続く道の中央は空けて下さい」と、メガホンを片手に叫んでいる。つい先ほどまで甘酒の紙コップや、団子の串、焼き蕎麦の箸などを捨てるために、道のど真ん中に置かれていたゴミ箱もどけられた。どうやら義士に扮した人たちの列が、今まさに主君の墓に到着しつつあるらしい。そばに居たご高齢のご夫妻に「もうすぐなのでしょうか?」と聞いたらご主人が「さっき3時つってたから、もぉおっつけくるだろよ」と威勢よく「てやんでぇ江戸っ子だい」てな調子で教えてくれた。おお、これは慣れた人だなと思い「毎年いらしてるんですか?」と重ねてたずねると「初めて、初めて」とのこと。そんな会話をしていると「ドン・ドン」と太鼓の音。「オッ、来なすったぁ」と、どこまでも江戸っ子のご主人だ。

大石内蔵助を先頭に、映画やテレビでお馴染みの装束に身を包んだ四十七士が目の前を通り過ぎて行く。大石から後ろに2人目の義士は一体誰だろう、かついだ槍のその切っ先には吉良の首に見立てた白い包みが下がっている。

「みんなハンサムねぇ、背も高くて素敵だわぁ。誰が選ぶんでしょうねぇ」。先ほどのご夫婦の奥さんが、ハートのお目目でおっしゃった。私も同感、装束が助けているのか、どの義士もカッコイイ。ただ、ご主人は奥さんのそんな様子が面白くないらしく、それには答えずに「髷を結ってるのが一人もいねぇじゃねぇか」と文句を言っていた。正にその時、目の前を自前でポニーテールにしている義士が通り過ぎた。47人も居れば1人くらいはご要望に応えられる人がいるようだ。

義士達が、殿の眠る泉岳寺の門をくぐるのをみとどけて私は都営浅草線、泉岳寺の駅を目指す。途中には甘酒や、忠臣蔵饅頭、だいがく芋の出店と並んで年賀状の出店(?)まであった。帰ってから郵便局まで買いに行くつもりでいたのでラッキー。そこに、先ほどのご夫妻、登場。アッと言う間に年賀状購入のための、ちょっとした列ができた。郵政民営化のさきがけでしょうかね。

泉岳寺の改札の前、こちらにはパスネットの臨時販売所が出来ていた。どちらにしても使うものだからと、大石主税の浮世絵風のと蕎麦屋に集まった義士達の図柄のを1枚ずつ購入した。すると「お買い上げありがとうございました。今日はこちらを」と、オマケが付いて来た。地下鉄の路線図がプリントされた、公園などで敷けるシート、地下鉄車両が表紙のA4判のノート、そしてやはり路線図が印刷された筒型のケースに入った6色の色鉛筆。オマケのオマケにティッシュも入っていた。

思いもかけずに義士の行列を見ることができたし、チャーミングなご夫妻とお喋りすることも出来たし、オマケもあったし、なんか、とっても幸せな気分になった“初めての独りでのお外”となった。

ただ、たった一つ残念だったのは出かける前にセットしたはずのビデオが作動しておらず、帰ってから見ようと思っていた『古畑任三郎』の再放送が見られなかったことだ。どうやら、日付を間違えてセットしていたのだった。今日は12月14日だってばぁ。

2005-12-11 日

クリスマス・イブ

「何してるのよ、こんな日に女二人でェ」東京駅八重洲地下街の喫茶室ド・トールで、友達とお喋りしている所をウエダに見つかり、ドヤされたのは何年前のクリスマス・イヴだっただろう。以来、クリスマスが近づくと、この時のことを持ち出された上に「今年こそ頑張りなさいよ!」とハッパをかけられる。でも、こればっかりは自分がその気になっても巡り会いがないことにはいかんともしがたい。クリスマス・イヴをロマンチックに過ごしたいと願っているのは他ならぬこの私自身なのだが。

今、振り返っていっくら背伸びしてみても、私の過ごしたクリスマス・イヴにはロマンチックな思い出は一つも見当たらない。アット・ホームなら、二人の姪がまだ幼かった頃のイヴは絵に描いたようなアット・ホームをやっていた記憶はある。

サンタさんが入り込めるような煙突の無い我が家では、皆がクリスマス・ケーキを囲む頃、この伯母さまは姪達へのプレゼントを持ってコッソリ外に出る。そして玄関の引き戸をそっとあけ、上がり框にプレゼントを置き、静かに外に出てから、思いっきり音を立てて玄関の戸を閉める。すると部屋の中でジジ、ばば、パパ、ままといった大人たちが「アッ、誰か来た。見ておいで」と姪達をはやす。ドタドタと玄関に向かった姪達はプレゼントの山に大喜び。「サンタさんだ、サンタさんがプレゼントを持って来てくれたぁ」。姪達が手に手にプレゼントを持って居間に戻る前に、伯母さまは一仕事終えてテーブルの前に座っているという寸法だ。大人たちが又、口々に言う「サンタさんにお礼を言いなさい」。すると姪達は玄関にもどり、外に向かって大声で叫ぶ「サンタさぁ〜ん、ありがと〜!」。まさに“ご家庭での正しいクリスマスの過ごし方”でした。

それから数日して伯母さまは、姪達に、こう言ったら怒られた。「ねぇ、なんでチャーちゃん(私は家族にこう呼ばれてる)があげたお揃いのパジャマ、着ないの?」。「あれはサンタさんがくれたんだよ。チャーちゃんにもらったんじゃないよ!」おっと、そうでしたそうでした。同じようなことを父もやっていた。「今度、出かけるときには二人ともジーちゃんがあげたリュックを背負って行けよ」。「あれはサンタさんがくれたんだよ。ジーちゃんにもらったんじゃないよ!」

「今度のクリスマスはサンタさんに何をもらうの?」と聞くと、二人そろって「あのね、あのね…」と夢見る目で伯母さまに胸のうちを教えてくれた姪達だが、最近はメールやら電話で「もうバッグは要らないからね」「マフラーも手袋もあるから違うのにして」なんて事をシビアに言ってくる。ああサンタさん、あの可愛いかった姪達を返して下さい。

もっと前のクリスマスでは、叔父の店でアルバイトをしたことを思い出す。叔父は浅草で鶏肉を主とする精肉店を営んでいた。冬場は焼き鳥用、鍋物用、雑煮用、そして何と言ってもクリスマス・イブには、焼いた鶏のもも肉が飛ぶように売れた。私は高校1年の冬休み、叔父の下で元日までの一週間を懸命に働いていたのだ。

冬場の肉屋は地獄だ。ただでさえ寒風吹きすさむ中、背中の業務用巨大冷蔵庫にも目の前のショーウィンドーにも冷気が満ち満ちている。足元だって、打ちっぱなしのコンクリートの寒々しさ。震えながら立っている私に、ほんのちょっと年上の店員さんが30cm幅の板を持って来てくれた。「これに乗ってな」と置かれたその板の上に立ってみると、嘘のように暖かい。これが木の温もりと言うものだろうか、コンクリートの冷たさと厚さ2cm程の木の上の体感の違いにビックリしたものだ。その店員さんは、手の指だけでなく耳たぶまで真っ赤な霜焼けにしながら、暖かい心と労を惜しまない真面目さで叔父の店を支えてくれていたのだ。

そうそう浅草という土地柄、芸者さんや半玉さんの粋な姿を見かけることもあった。さすがに、その姿で肉を買いに立ち寄ってくれることはなかったけれど、代わりに(?)変わったお客さんが顔を見せてくれたことがある。思い返すと、今テレビで人気のカバちゃんのような人だった。「いらっしゃいませ」と、私が肉の並ぶカウンターの上から顔を出すと「マスター、呼んでちょうだい」と女形のような声に刺がある。(マスター?)私が?マークを飛ばしていると、叔母が側に来て「女が応対しちゃ駄目なのよ」と囁き、叔父を呼ぶ。叔父が「いらっしゃい」と顔を出すと、女形声が1オクターブも上がり、満面の笑みに体をくねらせながら「コロッケちょうだい」だって。最近はテレビで、おすぎとピーコを始め、山崎とおる、真島茂樹、假屋崎省吾 etc.と多才な人々が登場し違和感も無くなって来たが、田舎の女子高生にはちょっと衝撃的な出来事だった。

仕事でも衝撃はあった。何しろ鶏が専門の店だもので、料理屋さんへダシ用の部位を袋詰めにして卸すということもしていた。その部位というのが鶏の足だったり、鶏冠をつけた首だったりする。その首や足を注文の目方通りに袋詰めするのだ。その仕事を言いつけられた時は、その首が今にも目をむいて飛びかかってきそうで恐ろしかった。足も、今にもひっかいて来るのではないかと思えた。見るのさえ怖かったが、仕事は仕事やらねばならぬ。最初は、何十キロと詰められた箱の中から、軍手をしてドンクで恐る恐るつまんでは袋に入れていた。腰も引け、手を伸ばしてやっとこドンクで1ツずつつまみ出していたものだ。それが、ああ人間の慣れとは恐ろしや。だんだんにドンクで摘まむのはわずらわしくなり、軍手でむんずと掴んでじゃんじゃん袋詰めをこなすようになっていった。しかも鶏の首を持ち「この鶏冠立派」なんて品評会までするに至っていた。ああ、あのイタイケナ女子高校生が。

そして、今年もクリスマスが目の前だ。姪はサンタさんを信じる年齢をはるかに越えちゃったし、叔父は肉屋を辞めちゃったし、王子様を乗せた白馬はどこで道草食ってるのか、いくら待ってもやってこないし……ああ又しても、ウエダにドヤされるイヴがやって来る。

「本日は小春日和、お散歩にはうってつけですね」なんてことをワイドショーのキャスターが言ってたと思ったら、同級生が尋ねて来た。お散歩の距離ではないが、めちゃくちゃ遠い訳ではない。片道1時間くらいかな。手には、日本が世界で一番最初に呑める国なんて言って、毎年11月第3木曜日の真夜中に大騒ぎしているヴォジョレ・ヌーボーを下げている。ニュースでも必ずのように取り上げ「今年のは出来が良い」なんて、毎年言ってるような気がするがどうだろう。猫も杓子ものお祭り騒ぎは好きではないが、なぜか毎年のようにヴォジョレ・ヌーボーは、アッチから私の前にやって来る。

昨年は隣町の女性歯科医が、美味しい生ハムと一緒に運んできてくれた。この歯科医、昨年の春にたまたま共通の知り合いを通して紹介されたのだが、最初はお互いに、未婚か否か、年齢は上か下かをさぐりさぐりの会話だった。しかし、二人とも未婚の同じ年と分かってからはアッという間に打ち解けて、今では紹介してくれた知り合いなど交えずに仲良しこよしをしているのだった。同じ年というもののもつ親近感というのは誠にもって不思議なり。

一昨年は、赤坂の店で土佐料理に舌鼓を打っていると「ヴォジョレーがあるのですが如何ですか?」と仲居さんが薦める。普段はあまりワインを飲まないし、連れの編集者も日本酒一辺倒なのだが「飲んでみたらいいじゃないですか」という編集者の一言で試してみることにした。クイッ…「ウム、ワインだ」ってなとこかな。豚に真珠、姫宮にヴォジョレー。

そうそう、もっと遡ればこのワインに関しては、なかなかに楽しい思い出の晩秋があったのだった。

もう10年以上も前になるが“ヴォジョレヌーボー・ラン”と銘打って、東京と大阪から名古屋に向けて一斉にスタートするカーレースが開催されていた。昔、馬車に積んで出来たてのワインを運んだように、自慢のクラシック・カーにヴォジョレ・ヌーボーを1本ずつ乗せて、ほぼ中間地点の名古屋を目指す。クラシックカーでのレースなので競うのは速さではない。ノミネート全車のゴール平均時間に一番近い時間で到着した車が優勝なのだ。途中にはクラシックカーやワインにまつわるクイズの出題場所もあり、こちらもクイズの成績によって賞品が出る。

何より楽しいのが、参加者と参加車のいでたちだ。数十年も昔の車を、大事に大事に乗って来たオーナー達だから愛車がピッカピカなのは当たり前。その愛車にモールを這わせたり、季節がらクリスマス・ツリーを積んで、運転手さんもナビゲーターもサンタさんやトナカイさんに扮したりしているチームがいる。運転手、ナビ、そして愛犬までがヘルメットにゴーグル、ジャンパーにマフラーとリンドバードのような格好で揃えているチームもある。

一番多く見かけた車はロータスのスーパーセブン。これはアニメ、チキチキマシーン猛レースでボヤッキーが乗ってるようなやつだ。オープンカーだものだから、寒風を切って走る車の助手席には、毛布に頭までスッポリ埋まったナビさんが見える。

一番目を引いたのがBMWメッサーシュミット。ロボコンの胴体に車輪を3個つけたような真っ赤な車だ。どう見てもスピードとは程遠いロボコンが、ヨタヨタと名古屋を目指して高速道路を走る。この車、ドアを開けるとハンドルまでついてくるという代物。中は兎に角狭い一人乗りなのだ。毎年、夏に琵琶湖で行われる日本テレビの『鳥人間コンテスト』で、必死にペダルを漕ぐ操縦士の姿とかぶさるものがある。

さて私が乗車したのは1965年産、ワインレッドのムスタングだ。助手席に乗った私は、その車に合わせてアメリカン、マリリン・モンローを気取ってみました。銀座の博品館で金髪の鬘を購入。金色にラメの入った付けまつげまで併せて買ってしまった。衣装は真っ赤なミニのワンピース。そして足元は銀色のブーツ。実は普通丈の紅いニットのツーピースだったのだが、スカートのウエストを幾重にも折り曲げてたくし上げ、その上を太いベルトで隠したものだ。ブーツは細めのゴム長に、銀色のスプレー塗料を吹きつけた。でも肝心なトコに力を入れなきゃね。そう最も大事な豊かなバスト。私と最も無縁のものだ。ニットの裏側に、まるちゃんの赤いきつねだか緑のたぬきだかの空になったドンブリを縫い付ける。これが、なかなかのド迫力。さぁ想像しましょう、金髪のグラマラスな女性が銀のブーツに真っ赤な超ミニ、そしてカールした長い金色の付けまつげの目がこちらを向いてウィンクしてます。♪トゥトゥピトゥー。

しかし、悲劇は直ぐに起こりました。サービスエリアで一休み、コーヒーでも飲みましょうと車から降りドアを閉めようとしたその瞬間、ドアが“私の胸”をエグッて行った。ハッポウスチロールの見事な胸は、みるも無惨に凹んでしまった。サービスエリアで、ただでさえ目を引くマリリン・モンローは、一緒に参加していた68年産、スカイブルーに太い白線の入ったカマロ組の女性に盾となってもらいながらトイレに駆け込み、凹を裏側からぼこっと押して見事凸の修復に成功。

ここで、つくづく思いました。胸の豊かな人って車のドアの開閉にも気をつかうのですネェ。そう言えば、胸の豊かな友達が、テニスのラケットを振りぬけないなどとボヤいていたことがあったけ。私は品乳(やはり、私の場合はこういう漢字に変換されるようです)故に、どこのドアも何も考えずに開閉できるし、どんなラケットだって振りぬけるし、うつ伏せでも平気で読書ができる。あって不便、無くて便利な物も、世の中存在するのです。

レースでは残念乍ら圏外だったけど、マリリンはサミー・デービスJr に扮した運転手と共に「参加者を楽しませてくれた」という理由で審査員特別賞を戴くことができた。賞品は一升瓶に入った特性のワイン。ワインを受け取る時、豊かな胸を揺らして審査員にも楽しんでいただいたのは言うまでもない。♪トゥトゥピトゥー