知り合いの“鉄の芸術家”武田氏が、新聞やテレビにも取り上げられ話題となった個展の作品を、写真集として出版した。そして、つい先日その写真集が墨痕鮮やかなサインつきで届いた。もちろん一枚の鉄の板から鬼気迫る兵士や、柔らかな母体まで作り上げるその作品は大好きだが、私は武田さんの性格が現れた、大らで躍動感のある文字のファンでもある。だから、迫力ある写真集にサインの入った『フォト絵本・戦死者たちからのメッセージ』はサインがあることで私にとっては倍の価値がある。そう言えば、梁塵社の編集長殿の字も好きだ。しかし、こちらはいくら頼んでも自著に決してサインなぞしてくれないシャイなお方だが。
航空機事故で他界された向田邦子さんの本に、中川一政氏の字が好きで頼み込んで弟子にしてもらったという話があった。残念ながら向田さんは、とっかかりの『一』までしか免許皆伝をもらうことができなかったらしい。みみずがのたくった上に身もだえしているような文字しか書けない私は、最初から武田さんにも編集長にも弟子入りする気はもうとうなく、時々いただくお葉書などを「いい字だぁ」と眺めては惚れ惚れとしている。
私が初めてサインなるものをヒトサマからもらったのは、小学6年生の時だった。修学旅行で行った箱根でのこと、芦ノ湖の遊覧船から降りた所で紅毛碧眼の熟年カップルを発見した。そう、当時では珍しい外国人のご夫妻だったのだ。そのご夫妻にサインをもらおうと思い立ち、担当の先生にNHKの『とっさの一言』ならぬ、その場の一言を教えてもらった。そして思い切ってご夫妻に「サインを下さい」と英語で言うと、ご主人がビックリして眼の色を変えながらも(?)喜んで応じてくれた。側でブロンドの巻き毛の奥さんが、私の頬を両手で包み「あなたはなんて可愛いの、なんて賢いの、なんて素晴らしいの」ってなことを英語で興奮しながら言っていた、と思う。まさに、テレビで見るアメリカのホームドラマに出てくるようなご夫妻のオーバーリアクションだった。その様子を見て、次から次から現れる小学6年生の「サインしてぇ」の声に包まれ、ご夫妻はテレながらも嬉しそうだった。
当時(相当遡りますが何年前かは教えない)揃って海外旅行をされるだけの余裕のあるご夫妻ではあっただろうけど、お国では誰も振り向かない一般ピープルだったはず。ちょっとしたスター気分を味わって、きっと日本に好印象を持ってくれたものと思う。先日、名古屋での“愛・地球博”を取り上げた番組内で「1970年に開催された大阪万博では、まだ珍しい外国人にサインをせがむ日本人が後を絶たなかった」なんて、その様を映した懐かしのビデオを流していたが、正にそれの火付け役だったのかしらん。それにしても、のどかな良い時代だったなぁ。
芸能人のサイン第一号は、レコード大賞第一号歌手の故水原弘さんだ。TBSに勤めていた近所のお姉さんが、小学生だった私と弟をスタジオ見学に連れて行ってくれた。現在の、お台場のフジテレビや渋谷のNHKの一般見学コースとは違い“関係者以外立ち入り禁止”のような所を、関係者のお知り合い待遇で引き連れてもらったのだ。そりゃぁもぉ興味深々で、あっちのスタジオこっちのスタジオと見学させてもらった。そんな中に、今はどこぞの大学で教鞭をとっている鷲津名津江さん、小鳩くるみちゃんの姿もあった。多分『知恵の輪クラブ』の収録だったのだと思う。本番中だったのでかなり離れたところから覗いていたのだが、くるみちゃんの周りは子供心にも華やいで見えた。あれがオーラというものだったのだろう。
さてさて、ちょっと一休み。自販機の置かれた休憩コーナーで、まだ珍しかった自販機自体にも驚きながら、お姉さんの買ってくれたジュースを飲んでいると、見覚えのある顔が横に座った。(あっ、水原弘だぁ)。おずおずとサイン帳を取り出し、サインを申し込む小学生に「俺なんて知らないんじゃないのぉ」と、ちょっとふて腐れた言い方をしながらも丁寧にサインをしてくれた。その直ぐ後だった ♪君こそわが命 で、長い低迷期から大輪の花として返り咲き、レコード大賞歌唱賞を受賞したのは。私って、もしかして幸運を運ぶ女神様?!
その同じ日にサインをもらえたのは髪を7:3に分け、まだ男性だった(?)美川憲一、落語家というより“怒りの小金治”と、ワイドショーの司会でお馴染みになった桂小金治、そしてもう一人の女性歌手。この女性歌手、どうしても名前が思い出せない。“色っぽい”という言葉を小学生ながらに理解させてもらった人だった。抜けるように白い肌、漂う甘い香り、そして見つめられたら鼻の下を伸ばした男性でなくても、何でも言うことを聞いてしまいたくなるような微笑んだ目元。ああ、誰だったのだろう。サイン帳の行方も分からない今となっては、あの微笑みを思い出すだけだ。せっかく、なんでも吸収できる年頃に目の当たりにしていながら、色っぽい微笑みはその主の名前も思い出せないのと同じく体得できずに今に至ってしまった。残念。
その後、もらったサインというと…野球選手のがありました。ご存知のように(誰が知ってるかって?)、私は北海道日本ハムファイターズのファンである。中でもお気に入りは奈良原選手だ。新庄でも、小笠原でもない辺りが渋いでしょ。そんな私に、たまたま知り合った広報の方が「奈良原選手のサイン入り手袋です」って球場で紙袋を手渡してくれた。嬉しかったですよぉ。そこで頭に浮かんだのは、まっさらの手袋に書かれたマジックでのサイン。「惠子さんへ、愛を込めて」なんて書いてあったらどうしようなんて思いながら袋を開けてみると、どーよ。手袋は使いふるしだし、手書きのサインも見当たらない。なんなのさぁ。でも、よく見たら、手袋のマジックテープで止める甲の部分にオレンジ色の糸でNaraharaと刺繍がされていた。「使いふるし?」いえいえ、プレーで汗の染み込んだ手袋、どうやらこれこそがファンにとっては垂涎物。私もファンのはしくれではあるが、まだまだ新参者ゆえ価値が周りの熟練野球ファンに言われるまで分かりませんでした。良かった、洗ったり拭いたりする前に分かって。
皆さん、何かお宝を下さるときには、その価値を説明してからにして下さいね。それから、私のサインがほしい人は一列に並んでね。
あ〜あ、やってしまった。
愛しのPC・VAIOちゃんに、思いっきりお茶を飲ませてしまったのだ。大慌てで逆さにし、赤ん坊を授乳後ゲップさせるように、ポンポンと背中と思しき所を叩いてみた。ティッシュを隙間から入れて、お茶を吸い取ろうとも試みてもみた。けれど、電源を入れても画面は少しも明るくなってはくれない。
液体は精密機器に一番のご法度。ノート型でもあるし、独り身の気楽さでいつもリビングの丸いテーブルの上に置いてある。そこでは食事もするし、読み書きもするし、友達が来ればそのままでお喋りもする。どんな時も自然な振る舞いで、液体をこぼすなんてことは全然しなかった。むしろ、母がやって来た時など、PCの側でお茶を飲んだり、薬を飲むための水を置かれたりする度にヒヤヒヤしていたのに、この私が自分自身でお茶をこぼしてしまうとは。
思い起こせば、私はこれまでもけっこう水難の相があったのだった。友達と広尾のちょっとお洒落なオープン・レストランで食事をした時も、お喋りに夢中の友達の手がワイングラスにぶつかりそうで、思わず「危ない」と、グラスに手を添えようとした途端に、自分の目の前のグラスを肘で押し倒し、見事に割ってしまったことがある。忘年会で隣の席の人に、ビールを注いでやろうと瓶を持ち上げたと思った瞬間に、自分が飲んでいたカシス・グレープフルーツの、ちょっと背の高いお洒落なグラスが音も無く割れた。お店の人がおしぼりを大量に持って走って来てくれたのだが、どうして私のグラスが割れたのかが未だに不思議でたまらない。自分自身に、何かに触れた感覚がまったく無かったのだから。隣の人が「ビールが冷えすぎていて、グラスがそれに反応したのでしょう」と科学的なことをおっしゃって助け舟を出してくれた。お店の人は私の料理を「ガラスが入っていたら大変ですから」と、全て新しくしてくれた。一人用の鍋までも新たに持って来てくれたのだが、私の得意でないお馬さんだったので、そのまま綺麗に食べ終えていた人に廻してしまった。罰当たりと蹴飛ばされるかな。
さて私の、お茶が滴ったVAIOちゃんだが、一旦電源を落とし改めてスイッチ・オン。やはり真っ暗。そのまま知らん振りをしてテレビを見ていた。すると突然「ようこそ」という文字が浮かび上がった。「わぁ、お帰りなさいVAIOちゃん。よくぞ帰って来てくれました」。嬉しさに思わず頬ずりして「これからは大事にするからね、側では飲み物を絶対に飲まないからね」と誓った。チョット前に、頼りのリカコへ「SOS、PC壊れる」の電話をしたところだったので、経過報告と確認の意味合いを込めてメールを送信した。「ご心配をおかけしましたが、どうにか動き出しました。メール、ちゃんと届いていますか?」。
ところが、ホッとしたのもつかの間だった。その後は、検索をしようとyahooを開いても、リカコに現状を伝えようとメールを開き直しても、入力ができない。「私は作家(?)よ、文字が入力できなきゃ何にもならないじゃない」なんて脅してみたり「そうね、お茶をこぼした私が悪うございました。機嫌を直してちょうだい。よっ、シルバーが渋いねVAIOちゃん」と、すかしてみたりもしたけれど、その後キーボードは全く文字を打ってはくれなくなった。
なんで急に? どうやら、リカコに送ったメールがVAIOちゃんの命の最期の灯だったようだ。そうよね、機械音痴の私を鼓舞してビックカメラでVAIOちゃんを見立ててくれたのもリカコだった。似合うマウスパッドを揃えてくれたのもリカコだった。ウィルスバスターを導入してくれたのも、調子が悪いと行っては往診に来てくれていたのもやっぱりリカコだった。きっと義理堅い買い主(?)に似たVAIOちゃんは、自分の消えいくエネルギーを振り絞って、リカコに挨拶をしたかったのだろう。パソコンにしておくのが惜しいくらい情のあるやつだ。
翌日、一縷の望みを持ってVAIOちゃんを立ち上げる。「ようこそ」の文字はちゃんと浮かび上がるし、yahooの画面も現れるし、受信メールも入ってくるのに、やはりこちらからの入力はできない。試しにと、リカコが入れてくれた“上海"という、マージャン牌を使った神経衰弱のようなゲームを開いてみると、なんとこちらはちゃんと遊ぶことができる。どこまでもリカコに義理立てするVAIOちゃんなのだった。
修理の費用も馬鹿にならなそうだし、この際VAIOちゃん2号を、リカコにお願いして探しに行こうと思う。そして、ついでだからサーバーも変えてしまうことにしよう。こんなにサバサバと高価なパソコンの買い替えを考えられるのは、そりゃぁ私がセレブだから…なんてわけはない。実は、お茶をこぼしたあの朝、気になる占いをたまたまテレビで見ていたからなのだ。私の星座へのご託宣は「携帯などの機種を変えて心気一転致しましょう」というものだった。この時の占い師は、当たると評判の人で、画面内のタレント達も真剣に聞き入っていた。そんな空気が伝わっていたのだが、携帯を変えたら使いこなせないなぁ、と私は思っていた。しかし、どうやら私の場合は携帯などの“など"の部分にパソコンが入っていたらしい。そう思ったら、気が大きくなった。さぁさぁ新しい機種のパソコンを買って心気一転だぁ。今年も毎日が「大安吉日」気分はノーテンキだい!
とは言うものの…新年早々、痛いなぁ。今年も痛い思いをしないと懲りない女です。
今年の冬は寒い。半端じゃなく寒い。脳みそも凍りそうだ。誰だ「暖冬」なんて予報を出したのは。
私は人後に落ちない“寒がり”である。毎年、冬が近づくと冬眠できる熊達が羨ましくなるくらい寒さが苦手だ。頭の巡りだけでなく血の巡りも極端に悪くなり、指先からは色が抜けてしまう。最近はできなくなったが、しもやけの痒さにはどれほど泣かされたことか。特に足の小指なんて、痒いのを通り越して痛くなる。何かの角にでもぶつけたひにゃぁ、ウッとつまって声が出ないくらいの痛さだった。寒さに体をちぢこませているものだから肩が凝る。乳母日傘で、あまりに大切に育てられたせいだろうか。いや、超の字がつきそうなくらい、寒がりの父のDNAをモロに受けてしまった所以に違いない。親からもらい受けるDNAは選べないから困る。母は暑がりの部類で冬場でも薄着のうえに、ちょっと動いてはうっすらと汗をかいている。弟は母の方のDNAを受け継いで、真冬でも半袖のTシャツで平気だ。外出の時は「みっともないから」と、家族が長袖の服を持って追い掛け回している。私は羨ましくてたまらない。私が薄着を楽しめる時期なんて1年で本当にわずかだ。秋や冬に、ファッション雑誌に載っているような薄着で、街を颯爽と歩くなんてのは夢のまた夢、夏場だって冷房が怖くて長袖の上着を手放せないでいるくらいなのだから。
母の、色白のもち肌も弟が受け継ぎ、もっちりとした白い肌に、ふくよかな胸まで大威張りで、これ見よがしに持っている。それに引き換えこの私は、父から譲られた精悍な黒い肌と引き締まった胸…まったく神は何をお考えかと問いたい。
飲み物も、真夏だって熱っついお茶を飲んでいた父といっしょで、アルコール以外は温かいものしか飲まない。アイスクリームやカキ氷なんてよっぽどのことが無ければ食べたいとも思わない。仲間で前世は何だったのかという会話になった時、いの1番に「クレオパトラ」と名乗りを上げたのは恭子ちゃんだった。清子ちゃんは「マリー・アントワネット」だって。すると残るは…やはり、楊貴妃か。中国の貴人は冷たいものを口にしないと聞いたことがある。やはり私って楊貴妃の生まれ変わり? 皆、悲劇の最期を遂げた女性だが、美女って悲劇が似合うのよね。後から会話に加わった智子さんが、家に帰って旦那さんにその話をしたらしい。「みんなよく言うわよねぇ。ところで私は誰の生まれ変わりかしら」。あれこれ世界の美女を思い描きながら待つ智子さんに旦那さんが言った答えは「やぎ」。やぎなんていう名の美女は聞いたことがない。どうやら動物の山羊というのが旦那さんの真剣に考えた結果、出した答えだったらしい。お手紙を食べた白山羊さん?
白山羊の智子さんは暑がりさんで、いつ会っても薄着だ。真冬でも長いコート姿を見たことがない。手袋だって殆どしない。ただ一つ、真赤なカシミヤのマフラーは大事そうに、しっかり首に巻いている。これは「やぎ」と言った旦那様からの誕生日プレゼントだとか。そりゃ暖かいことでしょう。
私には、マフラーをプレゼントしてくれる旦那さんが居ないので、代わりに(?)なんでもかんでも巻いたり被ったりして寒さを凌いでいる。だから、暖房効きすぎの喫茶店にでも入ろうものなら大変だ。まずはニットの帽子を脱いでマフラーを取って、手袋を外しコートを脱いで、上着を脱いで、カーディガンを脱いで、それでも暑かったら関節にしたサポーターを引き抜き、トイレで貼り付け型のカイロも腰から剥がさなきゃならない。「軽くコーヒーでも」のはずが、防寒衣類の着脱の方に時間がかかる。寒がりの私が年に数回、汗だくになるのはこんな時だけだ。ネコは1年に3日しか暑いと感じる日が無いとか。その3日はいったいどんな様子の日なのだろう。
毎年この時期になると、札幌ののぞみちゃん母娘が2月に開かれる雪祭りに「おいで」と、誘ってくれる。とっても有り難いお申し越しではあるが、北海道などという熊が住む極寒の地に行ったら飛行機から降りた途端に凍え死ぬぅ。かの地の人に言わせると「気温がマイナスなんて当たり前、シバレルという言葉はマイナス10度以下にならないと使いません」とか。2月の北海道なんてきっとしばれることだろう。あたたかい部屋の中で、送っていただいた雪祭りの絵葉書を見ながら、その雪像を楽しむのが恒例となっている寒がりで根性無しの私だ。
それにつけても、人間の英知とは素晴らしい。昔々は、暖を取ると言ったら火鉢かせいぜい炬燵だけだったのが、ストーブにヒーター、床暖房、それに眠る時は湯たんぽからあんか、今では電気毛布。ベッドに入る30分くらい前から高めの温度設定でスイッチを入れておく。お風呂から出て、即布団に入らないと直ぐに湯冷めをして、冬場は2度も3度も入浴しなおしてから寝ていたのに、電気毛布のおかげで布団に体を滑り込ませた途端のぬくぅ〜っとした幸せ、ああ現代に生まれて来て良かった。クレオパトラもマリー・アントワネットも楊貴妃も、この幸せは知るまいて。
外に出る時にも様々な、至れりつくせりの使い捨てカイロが売り出されている。貼るタイプはどんどん薄型になっているし、靴に入れてつま先から温まることのできる物、土踏まずにピッタリフィットの物、膝につけるサポーター式の物まである。これもキッチリ試してみたが、やはり膝の関節の動きは激しいらしく気付いた時には足首まで落ちていた。スカートじゃなくて良かった。ブーツに長めのパンツを履いていたので外見からは分からなかっただろう。ホットしました。(サブッ)
テレビドラマに出てきた、私の好きな会話に「なんで結婚したの?」「だって寒かったんだもん」というのがある。やはりどんな暖房機器も、人の温かさに勝るものはないようだ。
寒がりの私に、どうぞ暖かい愛の手を。
東京でも雪が降ろうかという寒い日に、霞が関ビルに行って人間ドックを受けて来た。例年は、お泊りコースで横浜のランドマーク・タワー内にある診療所に行っていたのだが、今回は一緒に行ってくれる智子さんの都合で半日コースとなった。売れっ子の智子さんは終わると跳んで帰って家族のために夕飯の支度、そしてご自分は職場の忘年会と大忙しだ。お茶っぴきの私は「奥様は大変ねぇ」と言いながら、帰りがけに整骨院に寄ってトロけていた。
ところで、前回までは朝食をしっかり食べる派の私には「夜9時以降の飲食は禁止」がとてつもなく辛かった。あまりに辛かったので「当日の午前5時までなら、砂糖もミルクも入れない紅茶を飲んでも良い」の一文に縋って、普段なら絶対に起きない早朝にティータイムを決行したりしたものだ。しかし今回は「朝は排泄の時間、食べるのは極力抑えましょう」という、何で見たのだか分からないお題目に従って、朝をヨーグルトとコーヒーに変えてからしばらくたつものだから、診療所のある霞ヶ関ビルまで行く途中で、モーニング・セットのたて看板を見てもさほど誘惑に苦しまないで済んだ。これも日ごろの修行のおかげ(?)。
余談だが、このヨーグルトは2年以上前から自分で作っている“カスピ海ヨーグルト”だ。消費生活アドバイザーであるウエダにあげたら「失礼ながら商品科学研究所で調べてもらったわよ。人体に有益な菌以外は何も検出されなかったって」と報告があった。全くもって失礼なヤツではあるが、お陰で“お墨付き”を貰うことができた。巳年の執念深さか、悪女の深情けか、一度始めるとずっと続ける習性が私にはあるようで、種を上げても駄目にしてしまう人や飽きてしまう人が多い中、1日も欠かすことなく作っては食べ続けている。こんな性格のせいなのかしら「辞める、辞める」と言いながら、同じ会社に通い続けているのは。
さて検査の内容だが、A〜Zまで表にされたものは全部受けなくてはいけないというわけはなく、けっこう拒否することができる。私は乳がんの検査で行われる乳房のレントゲンを断った。だって、撮影のための2枚の板がイヤっていうほど乳房を挟むんだって。つぶしてつぶして、より平にして乳房を写すんだって。そして、その行為は挟むのさえ難しい貧乳になるほど痛いんだって。痛みに弱く、つけてみたいピアスの穴をあけることさえできない私は断固拒否「触診だけにして下さい」と、お願いした。さて、その触診。若い男性の医師だったのだが、障害物の無い我が胸囲を雑巾がけでもするように、両手ですいすい通っておしまい。「大丈夫、異物には触れませんでした」。きっと「胸にも触れた気がしません」と言いたかったことだろう。
一緒に行った智子さんは胃の撮影をパス。実は前回でかなり懲りたらしい。まずはバリウム。これは皆、飲めたものではないと言う。胃を膨らます発泡剤をゲップを耐えて、バリウムで流し込む。バナナ味や苺味はついているものの、あのドロリとした重量のある液体を飲み込むのに、口の周りを真っ白にしながら四苦八苦している人が沢山いる。けれども私は大得意。レントゲンの技師が「まずいでしょうけど、ガマンして一気に飲み込みましょう。飲んでいる様子を撮影しますよ」なんて、かなり気をつかい子供を諭すような口調で言ってくれているが、私はあっけないくらいにグビグビと飲み干す。「ゲップも、難しいでしょうけど耐えて下さいね」なんて言われても、立っている台を廻されても逆さ吊りみたな角度にされて「苦しいですね。もう少しですから頑張って下さい」と言われても、まったくもってヘッチャラなんだからお気遣い無く。「はい、ご苦労様でした。台を戻します。止まったら静かに下りて下さい」なんて言われ、放射線室のトビラを恭しく開けていただき「口をすすぐのは出てすぐの洗面所をお使い下さいね」なんて優しく声をかけていただきながら、いかに他の人たちが辛い顔で受けているのかを想像する。教えられた洗面所で、嫌いではないバリウムの後味を形ばかり漱ぐ。そしたら思いっきりゲップの3連発が出た。
前回は、バリウムを排出するためにもらった下剤を直ぐに飲んで、智子さんと食事に行ったら、オーダーしたレディース・コースのスープも出ないうちから2人でもよおし、代わるがわるにトイレ詣で。レストランの黒服に蝶ネクタイのボーイさんが「お揃いになってから、お運びします」というメイン料理なんて、永遠に出してもらえないのではないかと思うような状態だった。その事も智子さんには相当応えたらしい。私は、轍を踏まないように食事が済むまでは、もらった下剤を飲まないことにした。そして、帰り道も怖いので結局、家にたどり着いてから「大量の水と共に」と書かれた通り、300cc は優に超える量の水で紅い2粒の下剤を流し込んだ。時刻は午後4時。6時間ほどで効くと聞いたから10時かぁ。楽しみにしている9時からのドラマが終わった頃かぁ。ところが、10時からのニュースが始まっても、心配しながら入ったお風呂から出ても、全くもってもよおさない。お腹の中でバリウムが固まってしまったら、どんな具合になるのだろう。お腹の上に大きな石を置いて、ハンマーで他の人に叩かせるなんていう荒業は、バリウムで固まったお腹をもつ人がやっているのかも知れない、なんてね。
体調も悪いわけではなし、そのままベッドに入る。2日間バリウムが出なかったらご連絡下さいと書かれた紙を渡されていたので、2日間は猶予ありということだ。そして、夜中に衝撃的な腹痛で目がさめた。猶予期間中にどうやら荒行とは無縁のお腹に戻れたようだ。ホッと胸をなでおろし、改めて「硫酸バリウム製剤による胃X線検査を受信されたみなさまへ」という、下剤と一緒に手渡された用紙を読んで驚いた。そこには「検査後バリウムが長時間腸内に残っていると極端な場合は消化管穿孔(消化管に穴があく)、腸閉塞(消化管にバリウムがつまる)、バリウム腹膜炎などの重篤な症状を引き起こすことがあります」だって。ゾゾッ。多少、レストランで恥をかくことがあっても、皆様バリウム後の下剤はお早めに。
テレビのトーク番組で「あなたの良いところを30秒以内で10個あげて下さい」という質問にタレントが答えていた。そのことを、知り合いにメールで送ったら自分のことではなく、このワタクシの良いところを10個挙げて返信してきてくれた。
- なんといってもがんばりやさん
- 類い希な鋭い観察力
- 人を逸らさない会話の妙
- 家族や周りの人を思いやるやさしさ
- 何事も平坦に表現できる文章力
- 色々な状況を受け入れる包容力
- 何時も誰にも信頼される判断力
- 人に迷惑をかけない健康レベル
- 半世紀を網羅して余りある記憶力
- 周りが羨む豊かな人間関係
どうよ、どうよ。ワタクシってこういう人よ。エッ、これを挙げたのは少し危ない人だろうって? いくら払ったかって? いえいえ、送って下さった方は学識も経験も豊かで、心根もそれはそれは綺麗な方ですよ。そして的確に人物を判断する能力に長けた素晴らしい方ですよ。
とは言うものの、やはりここまで並べられるとこそばゆい。でも、削りようがないから困っちゃう。そうよワタクシ、自分が大好きなO型気質そのまんまの人なのよ。ただ、この10項目にも納得いかないことはある。まずは最初の“1.なんといってもがんばりやさん”。誰が? 私が? 無い無い。在り得ない。努力とか根性とかいう、東京タワーの展望台で修学旅行生が買って来そうな額に書かれた言葉は、生まれ出る時に母の胎内に置いて来た。たった一人の豚弟も、姉に習って置いて来てしまったものだから、母の体重は半端じゃない。親不孝な姉弟で、お母さんゴメンナサイ。
次に“9.半世紀を網羅して余りある記憶力”。まず、最初の3文字は国家機密で公にしてはいけないことなのだ。そして記憶力?! 「ちょっと前なら覚えているがぁ」と宇崎竜童は言っているけど、ちょっと前こそアヤフヤで、かなり前の鬼のような記憶力を持っていた私は今、何処。そうよそうよ、可愛い幼稚園児のけいこちゃんは町の幼稚園で、一番賢い子だったのよ。なにしろ、5歳児にして小学4年生の知能があると診断されたのだから。卒園の時には、園児総代で「お別れの言葉」を言っている。そう、言ったのだ。当時、小学校入学前に字が読める子なんて殆どいなかった、ほら半世紀も前だから。アッ、秘密だった。話半分の年齢と換算して下さい。
字は読めないが賢かったけいこちゃんは、先生が文章を考え“おとうちゃん”が書いてくれた「お別れの言葉」をまる暗記、当日は答辞を読む振りをして諳んじたお言葉を述べたのだった。この時の文章は今でも言える「わたしたちが、こんなによいこになったのも、せんせいがたのおかげです。しょうがっこうにいっても、おとうさんおかあさん、せんせいのいうことをよくきいて、げんきにべんきょうします。さようなら ひめみやけいこ」。
卒園して小学校に上がったけいこちゃんは、やはり当初は“お勉強のできる子”だった。けれども、それも4年生までの話。素直なけいこちゃんは、4年生にして神童からそんじょそこらの人の子に戻ってしまったのだった。
“6.色々な状況を受け入れる包容力”。これもどうかなぁ。受け入れざるを得ない状況には度々陥ることがある。こんな時は自分で、状況を受け入れるのではなく包容力のある友達に、その都度グデグデ愚痴を言いまくる。だから正しくは“色々な状況を受け入れる包容力を持った友達をもっている”といったところかな。
“8.人に迷惑をかけない健康レベル”。年月を経て腰が痛い、膝が痛い、肩が凝ったと、これもちょっと、いやかなり怪しくなって来ている。このまま進むと、口は達者で憎まれ口ばかりきき、内臓は丈夫で食欲はある。それでいて、体の自由は利かないから人の手を煩わすなんていう、世間で一番嫌われる高齢者になってしまう可能性大である。越後のちりめん問屋のご隠居のように、元気に動き回る老人も家人の苦労のタネにはなるだろうが、その逆もこれまた困ったものだろうなぁ。それが分かっていても、運動は嫌いで面倒くさい。食事も自分では一切作らず外食かパンばかり。これでは、この先どれだけの人に迷惑をかけて生きていくことになるのやら。
結局のところ、これは“大当たり”と威張って言えるのは“10.周りが羨む豊かな人間関係”だけということになりそうだ。とは言っても、家族はこれ以上ないくらい我侭勝手な母と、子供から「心がない」と看破されている豚弟とその一家なので、こちらとは周りが羨むような人間関係とは思わない。しかし、血より薄いはずの他人さまの水には、暖かさを感じ感謝の毎日だ。北は北海道から南はバングラディシュまで、何かの折には心配して、連絡をくれる方々がいる。東京で地震があった時なんて、現地にいる私より詳しい交通情報をアッチからコッチから流してくれる。待ち合わせをすれば、誰かが必ず乗る車両、降車してからの風景まで懇切丁寧に連絡してくれる。それでもキッチリ迷う私を、笑いながら捕獲までしてくれる人がいる。料理を一切しないものぐさな私に、栄養の心配までしてくれる人がいる。パソコンのメンテナンスに足を運んでくれる人がいる…。
ああ、ありがたやありがたや。けいこちゃんが、こんなにノーテンキでいられるのも、皆様方のおかげです。これからも周りが羨む豊かな人間関係だけは保って行きたいと思っている次第でございます。答辞に代えて、姫宮惠子。