「世の中には、緑の手を持つ人と茶色の手を持つ人が居るらしいのよ」。ランチを取りながら、ガーデニングの話をしていると本田さんが言った。緑の手を持つ人とは、どんな植物でもいとも簡単に実を結ばせ、花を咲かせることの出来る人のことらしい。茶色の手を持つ人は、どんなに丁寧に肥料や水遣りをし一生懸命に世話をしても、植物をいとも簡単に枯らしてしまう人のことだという。そう言えば、千葉在住のタカちゃんは“幸福の木”と呼ばれるドラセナ・フレグランス・マッサンゲアナを祈るような気持ちで育てても、育てても枯らしてしまうと泣いていたっけ。「私は決して幸せにはなれないんだわ」なんて言っていたけど、今やヒルズ族も真っ青「空撮で見たら、まだ私の入ったことの無い屋敷が敷地内に3軒あったわ」なんてことをサラ〜っと言ってくれちゃうセレブ婚を見事にしてみせた。新居では“幸福の木”を育てているのかどうか、今度聞いてみよう。
私はどうやら緑の手を持っているらしい。地べたの無いマンションに住んでいる身では、鼠の額より狭いベランダとリビングに鉢植えを置くのがせいぜいだが、実家から母が出てくる度に、目を見張りながら言う「ここんチの植木は成績がいいねぇ、いつ来ても青々としている」。ポトスなんて、高さ20cmほどの鉢植えを買ったのだが、自由放任にしていたらズンズン伸びてリビングの中を這いずり回っている。「展示していたものですから」と、私の背丈と変わらないような背の高さがあったパキラを破格の千円也で購入できた時はうれしかった。そのパキラも、もともと幹は切って三つ編みにされているので背は伸びないが威風堂々と葉が繁り、リビングに鎮座している。マイナスイオンを出すと評判になったサンセベリアも、カウンターに置いたら30cmほどの高さだったはずなのに、今では天井まで届きそうな勢いだ。他の鉢達も同じく、夏場の締め切って蒸しかえるであろう日中も、冬場の床暖房もものとはせず、みんな元気に成長を続けている。
植物には人間を癒す力があると言う。今のご時勢に土曜も出社、それでいて日曜祭日は独りポッチで寂しく生きてるこのワタクシを励まそうと頑張ってくれているのだろうか。本田さんが言っていたっけ「絶対に植物は人間の言葉がわかるのよ」と。「夫が、庭の隅で枯れかかっていたローズマリーを捨てようって言ったのね。だから私はそのローズマリーに向かって言ったのよ。元気にならないと捨てられちゃうよって」そうしたらなんと、1週間もたたずに、死の淵にあった本田さんチのローズマリーが「シャキッと起き上がったのよ」。そう言えばと、続けて話すことによると、旦那さまと知り合う前、1週間の出張へ行かなくてはならなくなった時のこと、長期に家を空ける場合はいつも水遣りを頼んでいた恋人とも別れてしまった直後だったので、植木に「お水をやることができないけど、頑張るのよ」と言って出張に出たという。帰ると「その子が枯れずにいたのよぉ」。「これで植木も枯れていたら、恋人との別れがすっごく尾を引いたと思うのよね」と本田さん。でも元気に待っていてくれた“その子”を見て「ヤツとは別れて正解だったんだってサバサバしたわ」。どうやら植物は、本当に人間の言葉を理解し状況も把握するようだ。
本田さんはアメリカ人のご主人と二人暮らし。「うちの主人ね、種を蒔いてると必ず聞くのよ。それは食べられるようになるのかって」。花を咲かせるだけだから食べられないと答えると「こんな狭い庭を無駄に使うなと、おこるのよ」ということで、本田さんチの庭には実の生るものか料理に使える香草だけが認知されて植えられているのだそうだ。おかげで、クレソンを分けていただく約束を交わすことができた。紅毛碧眼のご主人様、ありがとうございます。
そんなご主人と、新年になって本田さんはご実家に行ったところ、玄関に飾られた葉牡丹を見てご主人が早速質問して来たそうだ。「ねぇねぇ、あのハッパは食べられるの?」。最初にこの話を聞いた時は、アメリカ人は何を考えてるんだかと思った。歴史が無い国に育つと情緒も無い人種になってしまうのかと呆れもしたが、母が暮れに来て植えて行った、我がベランダにあるプランターの葉牡丹を見ると、なんか食べられそうな気がしてきた。キャベツと白菜を掛け合わせた、新しい葉物野菜のように見えてくる。調理したら、案外オツな味がするのではないだろうか。
何でも咲かせることのできる緑の手を持つ私だから、難しいと言われる胡蝶蘭も年を越して咲かせることができた。こんな季節には無理だろうと諦めていた、小さな深紅の薔薇も見事に咲いた。キャッツ・テイルもネコの尻尾そのままにフサフサしている。だから数年前にブームになったワイルドストロベリーも白い可憐な花が次々に咲き、小指の先ほどの可愛い苺の実も生りつづけている。この花、葉だけの苗で買い、花が咲けば恋人ができ実が生れば結婚できると話題になり、独身女性が競って買っては育てたものだ。同じ時期に育て始めたマサちゃんからは「全部駄目になっちゃいましたぁ」と嘆きのメールが入った。花も咲かなきゃ、実も生らなかったらしい。
私がワイルドストロベリーの苗を買ったのはマンションの近くの花屋さんだった。デパートの園芸コーナーでも、駅の地下街の花屋さんでも、当時は全て売り切れ。ああ、私には恋愛を占うどころかワイルドストロベリーを育てることすらできないのかと諦めかけていた時に、近くにこんな店があったんだというほど、小さな花屋さんを発見した。「すみませ〜ん」と声をかけて、ノロノロと奥から出てきた店の人は商売っ気のかけらも見えないような老女だった。「ワイルドストロベリーありますか?」。「無いですねぇ」。やっぱりなぁと店を離れようとすると隅の方にポツンと置かれた小鉢発見。苺の実の写真に“ワイルドストロベリー”の名札(?)をつけているではないの。早々に店から奥に入ってしまおうとする老女を呼び戻して「ここにワイルドストロベリーあるんですけど」と言うと「アラ、あったの」って。店にある商品くらい把握しておいてもらいたいものだ。
やっとこ巡り合えた私のワイルドストロベリーは、探し出した私を褒めてくれるかのように、花も咲いたし実も生った。今では小さな鉢からプランターに植え替えて毎日のように赤い実を収穫している。なのに何ゆえ? 肝心の結婚はおろか、恋人どころかboyfriendすらできやしない。風評を流して“乙女心”を玩んだやつ出て来い。
芋でも蛸でもナンキンでもないのだけれど、なぜか“おんな子供”には人気がある。昨年、入社してきた、名前のままに太陽のように明るい陽子ちゃんも、やったらゴロニャンしてくる。私は毎年春に、新人の研修を担当している。皆それなりに新人君は、一時でも師を務めたこの私を敬ってはくれるけれども、陽子ちゃんのように熱烈なる親愛の情をずっと持ち続けてくれる人はチト珍しいし、その情も半端じゃないから怖い。社の内外を問わず、私の姿を見つけると手を振りながら「姫宮さ〜ん」と飛んでくる。そして必ず言うのが「今度、ゆっくりお喋りさせて下さいよぉ」。一番驚いたのはトイレから出てきた私に向かって「エー、なんだぁ私もトイレ行こうと思ってたのにぃ」。この一言にはさすがに大らかな0型の私も引きました。社食で自販機のコーヒーをゴチしたのがいけなかったかなぁなどと、ヘンなトコで反省する毎日だ。
何しろ、陽子ちゃんは仕事も全部この私の所に持ってくる。「忙しいのだから他の人に頼みなさい」と、かなりきつく言うのだが「だって、姫宮さんが好きなんですぅ」って、ちっとも嬉しくない。部長まで「彼女は姫宮さんの所にばかり行きますね」と言うので「母親くらいのつもりなんじゃないでしょうかねぇ」と、否定されることを見越して返事したのに「そうなんですか」って。「部長、そりゃないでしょ」と、こういうのをお笑いではボケ・ツッコミと言うのだろうか。
とにかく、その陽子ちゃんが職場でいつものようにまとわりついて来て、ただでさえ狭い私のデスクの側でゴロニャンした途端にパソコンの画面がパソッと消えてしまった。どうやら、あまいコンセントが陽子ちゃんの迫力でグラリと抜けてしまったようだ。「ごめんなさぁ〜い」と大慌てでコンセントにプラグを差し込む陽子ちゃん。パソコンを立ち上げ直したが反応が無い。「わぁ、どぉしましょぉ」益々慌てふためく陽子ちゃん。でもここで「どうしましょう」「どうしましょう」とじゃれつかれても直るものでもなし、ここは「煩い、散れ!」と、言いたいところをオトナの私はグッとガマン。「そのうち直るから、ささ仕事に戻って」と微笑みのモトに追っ払う。「わぁ、おおらかぁ」なんて言ってやっとこ陽子ちゃん退場。ホッとはしたけど、こりゃ困ったものだぁ。どうすりゃいいのさ。
前の職場でも「姫宮さんは優しいから、私大好きです」と、女性に言われた。こちらは、それなりに私も評価している後輩だったので素直に嬉しかった。しかし、その後に「女性には優しいのに、なんで男性にはあんなに冷たいんですか、まるで男はみんな敵だと思っているみたい」と言われたのはショックだった。そうかなぁ。私って男性に対してそんなに冷たくしてるかなぁ。
中学の時には、柄にもなく生徒会の副会長なんぞをやっていた。朝礼では教師と一緒に生徒に向かって立ち、時には朝礼台の上から号令をかけたりもした。だから当時は、否応なく目立った。けれども、おずおずと「頑張って下さい」なんて声をかけてきてくれたのは、やはり下級生の女生徒ばかりだった。中には廊下で「あのぉ、リボンが曲がってます」なんて言って震える手で制服のリボンを直してくれたういヤツもいたっけ。
そもそも、生徒会に携わったのも、同じクラスの男子生徒の情けない姿を見たのがきっかけだった。生徒会長は、2年生が各クラス毎に1人選出した候補者と、それ以外にも立候補したい生徒を集めて、その中から全校生徒が選挙で選ぶというのが決まりだった。ところが我がクラスの代表になった武井俊夫君が「生徒会なんかやってたら受験勉強ができない」と職員室で担任に泣きながら訴えていたのだ。そんな武井君を見て「なら次点の私が立候補しますよ」って啖呵を切ったのが元だった。そんな事があってからかなぁ、男性に冷たく接するようになったのは。あの女々しく泣いている男の子の姿がトラウマになっちゃったのかなぁ。それで、雄雄しく生きるハンサム・ウーマンを目指しちゃったのかしらン。
子供に関してはこんなことがあった。従姉の家に遊びに行った時のことだ。従姉のご近所さん達も母子で来ていたのだが、母親がお喋りに夢中になっているうちに、まだヨチヨチ歩きの一人の女の子が、いつの間にやら2階に上がってしまっていたのだ。様子を見てみると、階段の所で心細げに見下ろしている。「おんりしたいの? お姉ちゃん(読み過ごすこと)が下ろしてあげるね」と言って私が階段を登り手を伸ばすと、大人しくその子は私の腕の中に入って来た。どうってことなく私は子供を抱えて階段を下りたのだが、なんか階段から続く玄関の周りにやたらギャラリーが居るではないの??? 下り切って、そっと子供を床に下ろすとギャラリーから一斉に「フォー」という、ため息が漏れた???
従姉に訳を聞かされて驚いた。その子は異常に癇の強い子で、1歳を過ぎた頃から顔見知りはおろか、母親にさえ抱かれることを拒んでいるというのだ。それでも抱き上げようとしようものなら反り返って泣き喚き、手がつけられなくなってしまうので、熟睡している時でもなければ、母親でさえ抱きしめることができないのだそうだ。それは近所でも評判になっており、私が階段を登り始めた時から回りは固唾を飲んで見守っていたようだ。そして子供が自分から手を出して抱かれ、なんなく階段を下り終った時に一斉にレーザーラモンHG並みに、安堵の「フォー」が出たのだった。
人見知りの激しい子とも、それとは知らず二人きりで楽しく散歩をしたこともあるし、腕の中でスヤスヤと寝息を立てて寝られたこともある。従姉には「子供を持ったこともないのに、なんなの?」と逆に呆れられている。
ああ、いつになったらモテモテも“おんな子供”から“素敵な殿方”に変わることができるのだろうか。そう言えば、友達のウエダは「年寄りにばかりモテる」と嘆いていたっけ。未来のある子供の方が、まだマシってとこかな。

帰宅拒否症ではないけれど、ドアを開けても、誰もいない真っ暗な部屋に帰るのはチト寂しい。せめて「待ってたワン」とか「待ってたニャン」と、飛んできてくれるペットが居たら随分の慰めになるだろうと思う。幸い私が住んでいるマンションは、人相書き(?)を提出すれば、中型犬くらいまでは飼うことができる。この際と思いつつ、弊社の1階にある喫茶店のマスターに言われた言葉が頭をもたげて行動に移せない。曰く「独り暮らしで、ペットを飼うようになったら終わりだぞ」。何が終わりかって、そりゃぁペットに夢中になりロマンスを求める心も消えるという意味でしょう。犬やネコが素敵な夢を咥えて来てくれるという一縷の望みが無いではないが、マスターの言ってることも真理かなぁ。意志薄弱な私は、ヒトサマに自信をもって言われた言葉には素直に従ってしまう。そして、今に至る。
でも、やっぱりペットにはそそられる。おんな子供そして動物にも、この私は果てしなくもてる。実家の斜め向かいの渡辺さんチで飼っていた、柴と何かのミックス犬のクマは、毎日のように我が家にやって来ていたし、繋がれていても鎖を引きちぎらんばかりの勢いで私の姿を見かけると飛んでこようとする。買い主もそこは心得ていて「クマちゃんはどこの家のワンコよ?!」と言いながらも鎖を放してくれる。クマという名の通り、立ち上がったら大人の背丈くらいになる焦げ茶色の塊は、私をめがけて一直線。覚悟して体勢を整えていないと、押し倒されてしまうくらいの迫力だ。雨の日や雪の日にも大喜びで飛びつかれ、コートを何度クリーニングに出したことか。それでも可愛い、やたら可愛いかった。そう、人間より寿命の短いクマちゃんは、とうに天国へ召されてしまっているのだった。
代わって実家には、やはりミックスでチョコという名の駄犬が居る。こやつも私がたまに帰ると、ものすごい勢いで家の周りを走り回り喜びを体現する。一応は豚弟がご主人様のつもりでいるのだが、その豚弟の前を通り過ぎて私の所に走ってくるものだから、形無しの豚弟は、娘達に同情の目で見られている。ほほほ、この姉に勝とうなんて百万年早くてよ。
そんな私だから、ワンちゃんでも飼った日には、どれだけ慕われてしまうことか。尾っぽなんて振って振って千切れて仕舞うかも知れない。喜びのあまり垂らす涎で、床はワックスがけされてしまうかもしれない。顔中嘗め回されて、私はスッキリ小顔になってしまうかも知れないワン。
しかし会社勤めの身としては、半日ワンちゃんを部屋で独りポッチにしなくてはならないのは辛い。広大な庭をもつお屋敷や、ルーフバルコニーのあるマンションなら飽きずに遊んでいてもくれるだろうが、幅1mほどのベランダしかないマンションではねぇ。出かける時には後ろ髪引かれまくりだろうし、ワンちゃん自身も私の姿が見えない部屋で寂しさに泣き崩れることだろう。ネットで調べてみたら「犬は、飼主から引き離されて、過度の不安やストレスにより、過剰な吠え、不適切な排泄、および破壊行動等をとることがあります。これをイヌの分離不安症といいます。この他にも、食欲不振、嘔吐、流涎、下痢、過剰な舐めによる皮膚炎、肉芽腫等の症状が見られます」。おやおや分離不安症?! なんてご大層な名前でしょう。これだけでもビックリなのに、食欲不振だなんて益々もって可愛そう…って、一番喰いつくのがやはりそこですか。これでは、犬を飼うのは諦めざるをえまい。
では他の小動物、ハムスターなんてどうでしょう。ハムスターはゲージの中に、回し車のような遊具を入れておいてやれば、独りで遊んでいるらしい。そして意外なことに、あんな小さな体ながら、なかなかに丈夫で飼い易いのだとか。トイレも砂を盛った容器を用意してやればそこにきちんとすると言うし、これは素晴らしいじゃありませんか。私にはもってこいですね。慣れてくれば飼い主の手から餌を食べるようにもなるらしい。頬にある袋に餌をいっぱい溜め込んだハムスターを想像するだけで、ウーン、可愛い!! よぉし決めた、ハムちゃんだ。
が、しかし「元来夜行性の動物なので、日中は巣箱の中で寝ていることが多い。この時間帯にケージの掃除などの日常管理を行うことは避けるようにする。朝、できるだけ早い時間に、すばやくケージ内の掃除を行う」。こんなお約束が飼育の心得にあったなんて。何が嫌って、この私にとって早起きくらい苦手なものはない。100個良いことがあっても「早起きをせねばならない」の一文で全てパァだ。さようならハムちゃん、君とは縁が無かったようです。
一日放っておいても分離不安症になることもなく、こちらも早起きしないで良いペット、そんな生き物がいるのだろうか? そんなことを頭の隅に置いたままネット・サーフィンをしていたら、見つけました。「社長日記」から「堀江貴文日記」に名称が変えられたブログに、アントクアリウムなる物が写真付きで出てました。蟻の巣を3次元的に観察できるインテリアと銘打ったもので、NASAのテクノロジーをベースに開発された特殊なジェルを透明なプラスチック製の箱に入れ、その中に入れた蟻の巣作りを観察するというものだ。渋谷でリカコとデートした時に、東急ハンズまで「買いたいものがある」と言って連れて行ってもらった。目指す売り場に着いた時のリカコの顔。「蟻を飼う?!」。口には出さねど(呆れ果てました)と顔にしっかり書いてある。やっぱりちょっと違うかな。
結局、蟻さんはやめて同じ棚に置かれていた卵型のガラスの小瓶と、まりもが2個入って850円也の小箱を買って帰った。箱を開けると袋に書かれた「まりもは生きている」という文字が目に飛び込んできた。おお生き物だぁ。やっとこ、分離不安症になることもなく、早朝にゲージの掃除も必要ない物言わぬペットにたどり着けたというわけだ。
どこかで、私のようにペット探しに苦慮している王子様がいらしたら、私が言葉を解するペットになってさしあげましょう。グルリとダイヤだらけの首輪を、贈って下さってもよくってよ。
「あなたの希少価値は?」面白い占いがあると友達に教えられ、趣味も特技も無いけれど何にでも興味を示す姫宮としては、早速に取り組んでみた。結果は見てのお楽しみ。
「希少価値度100% あなたの希少価値はめちゃめちゃ高め。いますぐ『種の保存』をおこなわないと、絶滅の恐れがあるようです。 早いとこ動物保護センターに連絡して、レッドデータリストに載せてもらうべきです。 ショーケースのなかで第三者に庇護してもらえば、適当な配偶者を与えられて、子孫を残すこともできるでしょう。 それまで、絶滅しないようにがんばってください」なんとま。そして結果報告はまだまだ続く。
あなたの希少価値アップアイテム:エラ呼吸
レッドデータ度 100%
人間国宝度 79%
クラスの人気者度 56%
凡人度 32%
人間国宝度とクラスの人気者度のパーセンテージが低いのが気にはなるが、マ良しとしましょう。それよりビックリしたのが「あなたの希少価値アップアイテム:エラ呼吸」の一文。何しろ、人間ドッグに行く度に肺活量検査でひっかかる。
吐く息の量が少ないのではない。毎度言われるのが「空気を吸えてません」。ホースの先に細身の如雨露のようなものがつき、その先に1人1人がトイレットペーパーの芯のような口に当てる部分をつけてもらう。それを咥え「はい、思いっきり息を吸って下さい」で、口から息を吸う。私も吸っているつもりなのだが、モニター画面を指差して看護士さんがおっしゃる。「ちゃんと吸えていれば、この線が山なりに上がるんですけどねぇ」。もう一度、思い切って吸う。“この線”は、テレビドラマの「ご臨終です」のように真横にスーっと引かれるばかりだ。「はい、頑張って口から思いっきり吸ってぇ」。真横にスーーーー。「はい、吸ってぇ」。真横にスーーーー。看護士さんがオペラ歌手のように胸の前に手を持っていっては大きく持ち上げるパフォーマンスを繰り返す。何度繰り返しても駄目なものは駄目。もう、眩暈がして来た。最後の手段として言われたのは「鼻をつまんで下さい」。もう、ヘトヘトになって肺活量測定が終わった。
そんなだもので、蕎麦・うどんの類が苦手である。蕎麦もうどんも嫌いなわけではないのだが、江戸っ子のようにズルズルッと啜り込むことができずに、満腹になる前に目が回ってしまう。子供の頃、豚弟が隣で私が1本のうどんを何回で啜り込むことができたかを指を折って数えていた。そんな状態なので、肺活量検査の後で友達に「エラ呼吸でもしてるんじゃないの」と言われたところだったのだ。なるほどキヤツは鋭い。
面白い占いは他にもある。「あなたの前世占い」もその1つだ。今話題のスピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏に前世を見てもらうことは困難なので、ここはインターネットの“心理テストで自分を知る”のコーナーに挑戦して前世を知ることとする。結果「あなたの前世は【平安の世に蝶よ花よと面白おかしく遊び暮らした貴族】のようです。裕福な家庭に生まれ育ち、あまり苦労しないで宮廷で出世した運の良さの持ち主だったようです。特に和歌を得意として、帝から篤い信任を受けていました。生涯のうち、ほとんど苦労をすることを知らず、その一生をまっとうしたのです」だって。あまりにもピッタリなのでビックリ。やはり私は前世もノーテンキな姫だったということを確信した次第。ご先祖様、私は貴女様に習って21世紀をノーテンキに生きてます。
札幌ののぞみちゃんに、この占いを教えてあげたら彼女の前世は「武士でした。それも敵陣に置き去りにされ、無念の死を遂げるという悲劇でしたぁ」。あまりに悲しいので、もう一度トライしたそうな。しかし結果は「秘密諜報部員。身を挺して戦い、人知れず死んでいく」だって。“優雅な姫”という前世を求めての再チャレンジだったのに、のぞみちゃんの場合はどうしても“戦う兵士”というとこに行き着いてしまうらしい。そう言えば、親しくさせていただいている彼女のお母さんが口癖のようにおっしゃってましたっけ「ウチの長男」て。やはりお腹を痛めてお産みになった母上様には、生まれ出た我が子の本来の性別が分かるのね。
ところで私も、インターネットの占いだけでなく実際に相対して占い師さんに見てもらったことがある。京都を母と旅した時のことだ。お馴染みの京都タワーで家族へのお土産を探していると、紫のベルベット地に金糸で『占』と刺繍された前垂れのテーブルクロスをした机が置かれ、その前にごくごく普通のおばちゃんが座っていた。当時、世間で言うところの適齢期を、大幅に超えた娘を連れていた母は「お前、見てもらいなさいよ」と、日ごろの何事も切って捨てるような言動からは、およそ不似合いなことを言い出した。しかも見料を払ってやるから、とまで言うのだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。ものは試しと、紫色の前垂れの前に座ってみた。
「あなたは、くもです」。スパイダーでは無い、青空に浮かぶ雲だと言うのだ。要するに、押さえつけられたり縛られたりすることが嫌いで、気ままに漂っていたい人間らしい。とっても納得。でも、これって母が望む結婚ということに関しては、けっこう問題ありではないだろうか。思った通り、母が横から口を挟む「何か、運勢を変える方法は無いでしょうかねぇ」。占い師は重々しく「そうですねぇ。引越しですね」。「引越しですかぁ…」の母の声を聞いて、占い師のおばちゃんが、なんと通販の営業ウーマンに変身。「引越しは大変ですよね。でも大丈夫。こちらの印鑑をお求めになれば運勢が変わります。実印・認印のセットで3万円のところ、今日は訂正印も添えて1万8千円、1万8千円でのご奉仕です」。どこかの壷とは違うけど、これって眉に唾したくなる事柄ですよね。私は本気で引越しを考えていたところだったので元気に応えてやった。「印鑑は要りません。私は引越しをいたします」。はんこ売りの、イヤ、占いのおばちゃんは口をあんぐり。母もさすがに印鑑を買えとは言わなかった。
京都から帰って間もなく、私は引越しを敢行。しかし、今にいたるも運勢は変わらなかったらしく、雲のようにユライユラリと人生を漂っている。やっぱり印鑑を買うべきだったかなぁ。信じる者こそ救われる?