大安吉日ノーテンキ

Archives for 2006年 05月

2006-05-28 日

嵐を呼ぶ男

ちょっと前に青春を送った男性なら“嵐を呼ぶ男”なんて言われたら往年の大スター、石原裕次郎を思い起こし、まんざらでもない気持ちになることだろう。ところで、我が職場には文字通り“嵐を呼ぶ男”がいる。いたって真面目で、何事にも一生懸命の寡黙な人なのだが、なぜか彼がコトを始めると嵐が起こる。

コピーをとっても、FAXを送っても必ずと言って良いくらいに紙を詰まらせる。パソコンをシステム関連の部署がバージョンアップすると、皆「動きが早くなった」と喜んでいるのに、彼のだけは立ち上がらなくなる。その都度、システムの人が「何ででしょうねぇ?」と首をひねりながらやって来る。現在は彼のPCだけ、ある種の印刷ができなくなってしまっている。これにはシステムの人もお手上げで「治すつもりではおりますので、もう暫くお待ち下さい」と言いつつ、取り掛かっては諦め、取り掛かっては諦めの繰り返しだ。全部の印刷が出来ないわけではないので、どうしても、その種の印刷が必要な時はトイメンに座るよしみで、私のPCから印刷指示を出してあげている。もちろん、うんと恩を売りながら。

そんなP氏と、週休2日が当たり前の世の中で、隔週土曜出社のペアを組んでいるのが、この私なのだが、P氏のパソコンが動かないという事態がまま起こる。我が部署はパソコンが動かなかったら即、開店休業という状況なのでP氏のパソコンが動くまでは私が2人分の仕事を請け負わざるをえない。仕事の電話を受けてはP氏「アッ、パソコン動かないんだった」と言いながら私に回してくる。土曜日はシステム関係の部署は休み。SOSの電話を入れてP氏のパソコンを立ち上げるべく、出社してもらう羽目になる。全くもってはた迷惑なことだ。

せめてFAXやコピーの仕事をと、こちらの機械を相手にしてもピーピーという音が鳴り出し、拒絶された機器の前で立ち往生するP氏がいる。なにもP氏だからって、そんな音と仲良くしなくたってよかろうもんを。

電話も、私が受けるものは穏やかに用件のみで済んでいるのに、なぜかP氏が受けるのは苦情や、めんどうな頼みごとが多い。そして、私がトイレに立った留守に6本ある電話が一斉に鳴りだすということもしょっちゅうだ。一斉に鳴り出した電話に泡を食いながら対応したP氏は、私が席にもどると「交換台が、一人になったのを見計らって電話を回す。陰謀だ」と、憤慨しているのだが、私が一人になった時は「リン」とも電話は鳴らない。なので私は暇ができると「土曜日なのに出社よぉ〜」なんて、世間一般並みに週休2日のリカコや絵美ちゃん、のぞみちゃん達に、嘆きのメールを打ちまくっているのだった。

天候も「東京には珍しい大雪」とか「台風襲来」「記録的な大雨」とか、そりゃぁもぉまっとうでない日にぶち当たる。一時は(本当は私のせい?!)なんて、思ってみたりもしたが、他の人とペアを組むときには、何もかもがスムーズで穏やかな天候の日ばかりなのだから、これはもう「P氏、貴方のせいよ」と言うしかない。

“嵐を呼ぶ男”は、私がトイメンに座るようになってから俄かに嵐を呼ぶようになったわけではなく、子供の頃から「交通事故には7回遭ってます。1度は玄関を出た途端に、暴走して来たバイクに轢かれたこともあります」とか。けれども、大好きな北海道ニッポンハム・ファイターズの新庄選手も、同じような経験を子供の頃にしていることを知り、大喜び。なんで交通事故に遭ったことが嬉しいのだか。

事故は交通事故に限らず「駅のホームを歩いていて気がついたら仰向けに線路に落ちていた」なんて、俄かに信じられないようなことまで仰る。「背中から線路に落ちるってイッタイんだよね」って。そりゃそうでしょう。線路自体は鋼だし、ホームとの段差はけっこうあるし、線路の周りは石ころだらけだし、どこを取っても体に優しいところなど無い。それでも恥ずかしさが先にたって、飛び起きてホームに飛び上がるんだそうだ。これは、さすがの新庄選手も経験していないのではないだろうか。

お子さんを持ってからも「娘3人が習っていたバレエに倣って踊ってみたんですけどね」。3人のお嬢さんに本を買ってやる約束で、近くの大型スーパーに行く途中、アスファルトの道路で、思わずジャンプしてそのまま転倒し膝と肋骨を骨折。しかし「痛かったけど、骨が折れてるとは思わなかった」ので、ちゃんと約束どおり子供達に本を買ってやり、家にもどると、もんどり打つくらいの痛みと腫れが襲ってきたんだとか。「それでも翌日は会社に行ったんですよ」って、アホか・・・いえ、そのガマン強さに敬服致します。

会社の診療所でレントゲンを撮られ、骨折が判明。翌日からはコルセットをし、松葉杖をついての出社と相成った。「松葉杖はカッコ悪かったので」早めにやめて、痛みをこらえての電車通勤。最寄駅からは始発が出ているので座れてホッとしていると「目の前にご老人や、妊婦が立つんですよ」。兎に角、なんでもかんでも大当たりで、どんなに空いて居ても「私目掛けて来るんですからねぇ」と“悲しいサガ”を嘆くのだった。

パソコンも壊れる、FAXもコピー機も詰まる、ご老人や妊婦が席を目掛けてやって来る。そして天候までが荒れ狂う。そんな事を“何故に”と真剣に悩んでいる様子に、「体から磁気を発散しているんじゃないですか?」なんて言ってみたら「磁気かぁ、そうかも知れませんねぇ」と、かなり納得のご様子。「正に、嵐を呼ぶ男ですね」と付け加えると、こちらもいたく気にいったらしく、それ以降はFAXやコピーが詰まっても、以前のようにイライラした様子は無く「嵐を呼ぶ男ですから」って、石原裕次郎を気取っている。「それ、新人君の前で言っても通じませんから。残念」って、これも通じなくなっているかな。

台風1号もやって来ました。“嵐を呼ぶ男”の勢力も益々強くなるのだろうか。頼むから、もう私は巻き込まないでね。

2006-05-21 日

森光子化

「小泉今日子が森光子化してる」って、ワイドショーで聞きかじった話題をアルバイトの梅子が得意げに話している。どうやら、小泉嬢がジャニーズ系の若いオノコと噂になったことを指しているらしい。けれど、それで同等に扱われては私の敬愛する森光子様に失敬であろう。

でも、そんなことを指して森光子化と言われるなら、このワタクシだって最近若いオノコと仲良しよ。森光子化よ。

相手は、隣の部署でアルバイトをしていた山田くんと小池くんだ。山田くんは就職活動のため春先にバイトを辞めた。小池くんは大学の他に専門学校にも行きたいと、山田くんを追うように辞めていった。他部署のバイトさんだったので、そうそうお喋りをする機会も無かったが、合同で送別会をしてあげたおかげで二人と急速に仲良くなることができた。その上なんと小池くんは、私の実家の隣町在住ということがその送別会の席で判明した。「ご実家にお帰りの際は声をかけて下さい」なんて可愛いことを言ってくれる。まさか、声がかかったら逃げようなんて考えているのではあるまいな。今から断る口実を大学ノートに列記したりしてはいまいな。

ぬかりなく2人のメル・アドは確保したので「テスト・メール」から始め、返事が来れば即返信。おかげで週イチくらいは、どちらかのメールと接することができる。2人に送る内容は「雨が降ってます」でも「四つ角にネコが寝ています」でもOK。こういうトコがメールの良いところ、電話や郵便で、こんなことを言っていたら呆れられてしまうだろう。(メールでも呆れてる?)

就職活動真っ最中の山田くん、第一志望はバイトをしていた弊社だったのだが、最後の段階で涙を飲んだとの残念な報告があった。その後も当たっては砕け、当たっては砕けを繰り返しているらしい。今時珍しく、頭に○ソがつくくらい真面目な好青年なんだけどねぇ。就職が決まったら、車の運転免許を取りに教習場へ通うと言う。もちろん、免許を取ったらこのお姉さんを1番に乗せろと脅して、いや「お乗せします」と固い約束をしていただいたので、1日も早い就職の内定を、私は山田くん以上に待ち焦がれているのだ。だって、乗用車の助手席なんて何年乗っていないことか。山田くんが目出度く就職が決まり、運転免許も取れ、ドライブに連れて行ってもらえるようになったその暁には、こちらも何年も炊いていないご飯を炊いて、お握りなんぞも作ってしまおうかしらん。

小池くんは、私がリカコから教えてもらって送った“成分分析占い”で「貴方の80パーセントは、お菓子で出来ています」という回答にエラク感激。なぜなら「僕、お菓子が大好きなんです」。で、1番のお気に入りは“ギンビス製菓の染みチョコ”なんだそうだ。「チョコが染み込んだコーンです。美味しいですよ」なんてメールを送ってこられては、チョコもコーンも好物の私が試さないでおかりょうか。社の帰りがけに寄ったコンビニ『ampm』で見つけ「染みチョコ見つけたヨ」と小池くんにメールを送りながら食べ始めた途端に、そのままはまってしまった。どうしてくれるんだ、絶対に痩せると誓ったばっかりだったのに。そう言えば、返信メールには「カールのチョコレート味が美味しいですよ」ってあったっけ。これも、食べる前からはまるのは目に見えている。益々、ダイエットが遠のくなぁ。

先日、随分前に弊社を退社された先輩方と卓を囲む機会があった。その席では、私が社会人になる前の懐かしい話をどっさりと聞くことができた。東京オリンピックなんて、まだ新しい出来事の部類で、天皇陛下のご成婚の時の話、東京タワーが建った時の話など、懐かしい映画を何本も観賞させてもらった気分になった。そんな中でのやり取りに、こんな会話も混じっていた。「○○さんの話を最近聞かないけど」「○○さんは半年くらい前に亡くなったよ」。「▲▲はどうしてる」「ああヤツも、とっくに死んだよ」。まるで「今日は良いお天気ですねぇ」といったテンションで交わされる会話に、湿ったところはない。あちら側に知己が増えるにつれ“死”というものへの関わり方も変わってくるのだろう。それに引き換え青年達のメールと来たら「とうとう22歳になってしまいました。小さい頃は年に何回も誕生日があればなんて思っていましたけど、この年齢になると2年に1回でいいですね。ずっと20歳がいいです! とはいえ、現実を受け止めますけど」なんて、ちょっと粋がって可愛いいこと。“死”というものの影は微塵もありゃしない。

私の22歳の頃は……おっと、いけない。過去を振り返ってしまっては森光子化はできない。と、思う。御年86歳の森光子さまは常に前向き、そして若いジャニーズのお友達との年齢差なんて歯牙にもかけていないのだろう。ならば、森光子さまよりうんと若い私が年齢を考えてなんとしょう。

私も、2人の青年達の話題についていけるように、前向きにせっせとお勉強をせねば。まずは、ワイドショーで最近のエンタティメント情報を得る。歌番組を見て若者に受け入れられているミュージシャンと楽曲を知る。お笑い番組も見逃せない。と、言ってもこれって、テレビ大好き人間にとっては何の苦にもならないことであり、ごく日常のことだ。そうか、私は私のままで、いつも通りにしていれば青年達とこの先もお仲良しで居られるということか。すっごく納得。

ただ、5月の第2日曜日に「元気で長生きして下さい」なんていうメールを2人からもらい、微妙。これって、母が初めて電車で席を譲られた時「嬉しかったけど、複雑だった」と言っていた気持ちと同じだろうか。

山田くん、小池くん、私は貴方達のお友達ですからね。

2006-05-14 日

ふくろうさん

ふくろう

姪の名前は千恵という。小学生のころ、名前の由来を作文にする宿題があった。祖父であるところの父に姪はその事をたずね、父はしごく当然のように「たくさんの恵みを得られるようにつけたんだよ」と答えていた。しかし、それは大間違い。何しろ、私の名前の由来を聞いた時も、私が生まれた翌年にデビューした歌手の名前にあやかったなんて、つい最近まで本気で信じていたような嘘を平然とついていた人だからねぇ。

姪の名前は伯母であるところの私と、父親であるところの弟とでつけた。それは昔飼っていた愛猫の“チー”から取ったものなのだ。「チーちゃんと呼べる名前にしよう」と姉弟で頭をひねった名前なのだ。姪に「じーちゃんの言ってたことは違うよ。おまえは昔飼っていた猫の名前からつけたんだよ」と、いくら真実を伝えても、姪は動物の看護師専門学校生になった今も父の言葉の方を信じている。世の中、真実が真実として伝わらないこともあるのですよ、皆様くれぐれもご用心。

姪の名前は千恵という(惚けたわけではありません)。なので、賢い伯母さまは折にふれ、姪に“ふくろう”のぬいぐるみやアクセサリーを贈ってきた。ほら、ふくろうは“ちえ”(知恵)の象徴という洒落ですよ。少しでも伯母様や、ふくろうさんにあやかって賢い女性に成長してほしいという心優しく賢い伯母さまの願いです。

ところが、それを見ていた母は、私が“ふくろう”を好きなのだと勘違いしてしまった。ふるさと小包のような、母からの宅急便が届くと果物や漬物などと一緒に“ふくろう”の置物や母手作りの、ふくろうさんの木目込み人形まで出てくる。

浅草に住んで以来、私は鳥が嫌いになった。浅草寺から飛んでくる鳩のせいで洗濯物は汚されるし、換気口の先に見える不気味な影とその声に嫌気がさし、ヒッチコックの『鳥』を思い浮かべてはゾゾッゾッとしたものだ。だから鳥の姿は見たくない。でもねぇ、いわしの頭も信心から(?)。ふくろう好きと信じ込まれてしまっては今更ねぇ。というわけで、上京したときにむくれられないよう、送ってくれたものは捨てることも、しまい込むこともせずに、目の付く所にうやうやしく飾ってある。不思議なもので、毎日見ているとおめめパッチリで愛嬌のあるふくろうさんは、だんだん可愛く見えてくる。動くことも鳴くことも、ましてや飛んだり糞を落としたりなんてしませんし。福を呼ぶとか不苦労ゆえ、苦労しないで済むとか様々な語呂合わせも楽しいし、この際だから仲良くしてせいぜい福を運んで来ていただこう。私って鷹揚なO型気質?!なのだ。なので、最近では、ふくろうの小物を見つけては微笑んでいる私が居る。ついつい購入することもある。母にもふくろうを象ったペンダント型のルーペを贈って喜ばれた。先日は通勤途中にある、東京駅前のビルOAZO4階にズラリとふくろうさんが並んだ。北海道原産のナンダカ言う木から作った小品から、海外のふくろうさんの彫刻、焼き物(焼き鳥に非ず)、クリスタルの置物から装飾品まであらゆるものが並んでいた。自分のために、クリスタル(風)のキーホルダーを購入した。お腹に黄色い小粒の石が埋め込まれ、お金がたまるお守りも兼ねているとか。ふくろうさん、福銭をどんどん運んで来てね。

鷹揚だからか、物に対して執着心も無く自然にたまったふくろうさん以外は、物を収集する意欲も無い。

おっと、思い起こせばこんな私にも中学生の頃に収集していたものがありましたっけ。それは、チョコレートの空き箱。物心ついた頃から、私はチョコレートが大好きだった。母の実家に行く度に、最寄駅の売店で買ってもらった不二家パラソルチョコ。雨傘を象ったチョコは青や赤の水玉模様の紙に包まれ、クルッと丸まった取っ手も可愛いかった。同じ不二家のLOOKチョコレートはバナナやイチゴのペーストが香ばしかった。なぜかチョコレートだけは、ねだれば母が直ぐに買ってくれた。その昔、味の素で頭が良くなると信じられたように、母はチョコを食べさせておけば栄養満点とでも思っていたのだろうか。

今も昔も私の1番のお気に入りは、ロッテ・ガーナミルクチョコレート。初代コメットさんの九重祐美子が“アルプスの少女ハイジ”のような衣装でテレビCMに出ていたっけ。あのカカオの実が印刷された紅い小箱を中学生の私は、自分の部屋の鴨居にぐるりと並べて悦に入っていた。そのうち、1種類だけではつまらないとお洒落なパッケージを物色しては仲間に入れた。森永のクラウン・チョコレートは白地の煙草のような箱で、肩の部分がパカッと開く。それだけでも画期的だったのに、その名もハイ・クラウン・ゴールドなんて、ズバリ金色に輝く、まるで宝石箱のようなパッケージまで現れた。これは飾るっきゃない。鴨居の真ん中に鎮座ましましておられたっけ。ロッテのラミーチョコはラムレーズン入り。まだ中学生の身にはラム酒で漬け込んだレーズンはチトきつかったけど、そのピンクのパッケージが欲しかった。結局、レーズンをホジッてチョコだけ食べ、箱は鴨居の上。この食べ方が父に見つかり、怒られたが父は下戸。結局母が「あら美味しいじゃない」なんてご機嫌で、私が穿りだしたレーズンを平らげていた。次に見つけた緑色のバッカスはコニャック入り。もうこれは、コッソリとお酒は捨て、チョコは洗ってから食べました。今なら、まんま美味しくたべられたものを。

ところで、この収集癖のお陰で私は見事に虫歯だらけと相成った。ちゃんと歯磨きをすればチョコに責任を押し付けることも無いのだが、ほいほいチョコを買い与えてくれた母は、喜寿を過ぎても歯痛を知らないというツワモノだったのだ。だから、幼い頃に歯磨きは厳しく躾けられた覚えが無い。そして、そのつけはチョコ大好きけいこちゃんに、これでもかというくらいに圧し掛かっているのだった。ラミーチョコのように穿り返された無残な歯では、いっくら磨いても後の祭りよねぇ。それでもやっぱりチョコは美味しいのだ。鷹揚だから、何事にも懲りない女であった。

2006-05-07 日

制服の処女

私が通った高等学校は、清く正しく美しく、良妻賢母を育てるのを旨とした片田舎の女子高だった。そこでの私は1年生で放送部、2・3年生は演劇部に所属していた。当時3年生は3人、2年生は私を含めて4人、1年生は6人という、こじんまりとしたクラブだった。

担当の教師は地元のお寺の住職も兼ねた人で、坊主頭に運動部でもないのになぜか、いつも竹刀を握って部室にやって来ていた。その竹刀で叩かれた部員は一人も居なかったけれども、今のPTAだったらそれだけで大騒ぎだったかもしれない。

女子校の悩みは女子しか居ないことだ。カナヅチを持って舞台を作る力仕事にも苦労したが、肝心のお芝居の台本を選ぶにも、なかなか出演者が女性だけというものが見つからない。宝塚のように男役をド素人が演じても様にならないし、部員一同困り果てていると、その坊主頭の部長先生が自分で台本を書くと言い出した。果たしてどんなものが出来上がるのか、部員は期待と不安の入り混じった、イヤほぼ不安だらけの思いで台本の出来上がりを待った。

『でいだらぼう』これが、先生の処女作の題名だ。昔々の海辺の村での物語。ある日、海から“でいだらぼう”と呼ばれる怪物が、村にやってくるという噂が流れる。“でいだらぼう”は山のように大きくて乱暴もので、家や畑は破壊され人々は飲み込まれてしまうという。村を守る方法としては若い娘を人身御供に出すしか無い。誰の家の娘を出すか。若い娘を持つ親は娘と一緒に村を逃げ出そうとする。ところが、村人達がそれを許さない。さぁ“でいだらぼう”は、いつ現れるのか、村はどうなるのか…村人のドタバタは続いたが、結局そんなものは現れなかったというお話。「オラァ、やだ。でぇだらぼうに食われたくねぇ」とか「早く逃げねぇと家が潰されっど」といった、漁村の人から「そんな言葉は使わない」と詰め寄られそうな台詞のオン・パレードと、ツギハギだらけの着物に薄汚れた前垂れ、グシャグシャの髪、墨で汚した顔。私も「逃げてぇヤツは逃げたらよかんべ、おらぁ村さノゴッて全部見届けんべぇ」と、人生を達観したような“おのぶさん”の役をあてがわれた。

女子高生の芝居にしては、演じていてちょっと哀しいものがあり、それ以降先生が新作を書くと言っても、部員の誰も依頼することはなかった。

暫くして、監督・脚本・出演者、全てが女性という、画期的な映画の脚本を3年生が見つけてきた。自由を望むことのできない寄宿舎を舞台に、女教師への清らかな淡い恋愛にも似た感情を描いた作品だ。その名も『制服の処女』。

母を早くに亡くし、軍人の父の手で育てられたマヌエラは、厳格な寄宿制の女子校に中途入学する。そこで、女性教師ベルンブルグに憧れをいだくようになる。普段は秘めていた思いだったが、宿舎での『ロミオとジュリエット』の芝居の後に振る舞われたお酒(パンチ)で前後不覚に陥り、いっぺんにその思いを吐露することとなる。校長からその事を叱責されたマヌエラは飛び降り自殺未遂騒動まで引き起こす。そして、この一件によりベルンブルグは責任を感じ寄宿舎を去って行くのだった。

う〜ん『でいだらぼっち』とは大違いだ。舞台衣装を考えるだけでもワクワクしてくる。

寄宿舎だからと校長役に決まった聡子は、修道女のような黒いロングドレスに大きめの十字架のついたペンダントを下げてみた。ベルンブルグ先生役の泰子はワインレッドの、やはりロングドレスにレースをあしらって優しいイメージを作り上げた。そして生徒達はグレーのロングドレスの胸に、大きなリボンを結んだ。出来るだけ安上がりにと裏地用の布を買い、皆、衣装は手作りだ。私も千鳥足のような縫い目ながら“主役”マヌエラ・マインハルディスの衣装を作った。そうよ私は女優よ、そして主役を張る美人女子高生よ。

さて稽古だが、読み合わせや打ち合わせは部室でできるけれども、立ち稽古からは体育館の舞台上で緞帳をさげて行う。緞帳の向こうでは、バレーボール部が熱心に練習を行っている。我が校のバレーボール部は、全日本を制覇した伝統と実力のあるクラブで、学食の上に合宿所を置き、部員は1年中泊り込んでいるほど熱心なのだ。だから、どんな時でも体育館の1番大きなスペースを使い、特訓、特訓の繰り返しである。演劇部が緞帳の奥で、多少の声を発しても普段は熱気あるバレー部の練習に差し障ることは無い。ところが、この度の出し物の内容はまずかった。マヌエラが自殺未遂をはかる場面での台詞は「先生、愛しています。愛しています。愛していますベルンブルグ先生!!」。この台詞を何度も稽古で叫ぶものだからバレー部の鬼監督と謳われた田辺先生も、スパイクを打つ手から力が抜けてしまうらしく、とうとう緞帳を上げて「バカ野郎、いい加減にしろ!!」と、怒鳴り込んで来た。校内では一目も二目も置かれている常勝バレー部の鬼監督が怒鳴り込んで来たのだ。部員は皆、縮みあがっていた。ところが、我が演劇部の部長先生は少しもひるまず仰った。「君のことじゃないんだからサ、気にしないでバレー続けて」。流石に坊主、肝が座っていらっしゃる。鬼の田辺もスゴスゴと引き下がらずを得なかった。

そんな稽古の甲斐あって、その年の文化祭で上演したワタクシ主役の(くどい?)『制服の処女』は大成功。なんか観客席がざわついているなと思ったら、なんと皆さん泣いて下さっているのよねぇ。いやぁ感激ですわ。調子に乗って我が部では翌春の3年生を送る会にも上演させてもらった。いやぁ紅涙をさそったなぁ。それが病みつきになって、今では女優を生業にして…というのは稀な方々のお話。でも、齧った女優魂は消えず毎年4月1日には脚本・主演を一人でこなしながら、罪の無い嘘を演じ続けている。今年も2年先輩の私を、平気で「ひめみや、ひめみや」と呼び捨てにするエイコちゃん(なんで私は、ちゃん付けなのか)に向かい「喜んでぇ。とうとう、スッゴイ玉の輿が決まったワ」と、演技して見せたところ「自分で演ってて虚しくない?!」と、簡単に見破られてしまった。よぉし腕を磨いて、来年の4月1日こそはアカデミー賞主演女優賞級の演技を見せてやるぞ。