『シャネル パール コレクション展示会のご案内』という、封筒も中のカードもパールカラーに光沢まである招待状が届いた。宛名も、PCで打ち出された文字ではなく誰の手になるものか、流麗な筆使いで墨痕鮮やかに大書されている。
やっぱり、来るべき所にはこういうものが届くのね。だって私、ココ・シャネルとは「ココ」「ケコ」と呼び合う仲だったのよ。シャネラーなんて言葉が生まれるずっと以前より、足の先から頭の天辺までシャネルづくしで暮らしていたし、家には佃煮にするくらいシャネルのバッグや服、アクセサリーが溢れているわ。おほほ。ナンテ、嘘うそ。全くのデタラメ。ココが逝去された時、私はまだこの世に居ませんし(ということにしておこう)、未だにCのブッチガイマークの入ったものは、たったの1つも持ったことがない。
もともと私は“ブランド品”というものに興味が無い。たまたま気に入って買ったら、Mの字がついているミラ・ショーンだったり、いただいたスカーフがH印のエルメスだったりという事はあるが、元来無印良品や百均大好きお姉さんなのだ。何においても質より量、格安という言葉も大好きだ。
ところが残念なことに、私の住まいし町内には無印良品の店も百円均一のダイソーも無い。数年前に見つけた渋谷のダイソーは、あっと言う間に衣替えしてしまったし、東京駅の地下にあった店も、私が見つけて(やれ嬉し)と思った途端に再開発とかで消え去ってしまった。比較的近くで残っているのは「丸井はみんな駅のそば」の丸井大井町店おとこの別館7・8階。マクドナルドでハンバーグを齧っている人たちの横を通り過ぎるとエレベーターが現れるという、なんとも不思議な空間を抜けて昇ると、私の大好きな百均が待っている。どれでも百円と思えば、どれでも欲しくなる。ただし、電車に乗って帰ることを考えると、店内備え付けの緑色の籠に放り込む手も躊躇してしまうのが悲しい。
さてさて、シャネルに話を戻しましょう。展示されるのは2006年パールコレクションの新作。ココはパールが大好きだったんだそうな。場所は銀座にそびえしシャネルのビル4階。但し「マロニエ通り沿い入り口のエレベーターにてお越し下さい」とある。銀座通りに面した正面入り口には“Theイケメン”っといった感じの青年が、白い手袋も恭しくドア・ボーイをやっている。つられて覗いてみたくなるが、私はマロニエ通りに行かなくてはいけない。美青年の前を後ろ髪引かれながら通り過ぎ、直角に曲がる。5mも歩かないうちにガラスの扉の向こうに、黒いスーツを着た女性がエレベーターを背にして立っているのが見えた。方向音痴の私にしては上出来。いっぺんでたどり着くことができたと内心ホッとしながら、黒服の女性にパール色の招待状を差し出した。すると、その女性答えて曰く「ここはレストランへの入り口です」。いたって丁寧な応対ではあるが、結局「出て行け」と言われ、教えられた別の入り口めがけてアタック。こちらには、正面から比べたらやや見劣りするズングリムックリのオノコがドア・マンとして立っていた。
4階でエレベーターが開くと、そこはもう厳かなCHANELの世界。胸の動悸を気付かれないように近くに居た女性の後についていくと、その人はスタッフだったようで「お客様はあちらです」と、正反対の入り口を案内されてしまった。だって、どっちもこっちも黒・黒・黒でさぁ、ニッチもサッチも行きゃしない。気をとりなおして、あくまでもセレブな雰囲気で参りましょう。
黒い壁の中で、ショーケースには眩い光が溢れている。ダイヤ、サファイヤ、ルビー、そしてパール。味のレポーター彦麻呂ではないけれど、これぞ紛れも無い「宝石箱やぁ」。月や星をモチーフにした装飾品が並ぶショーケースでは、思わず微笑んでしまうようなメルヘンの世界が広がっていた。でも、値札を見ればアッという間に現実に引き戻される。
2006パールコレクションの新作は、中央に設けられた台座に鎮座していた。27個のパールと、その倍数以上のダイヤモンドからなる放射線状のブローチだった。「開いた口が塞がらない」とは、こういう時にも使うのだろうか。とにかく美しい。ブローチを形成するパールとダイヤから放たれた光が眩し過ぎる。ぽわぁ〜んと見とれていると「いかがですか?」と流暢な日本語で近づいて来た生粋のパリジェンヌ(と思われる)が「広報を担当しています」と声をかけてきた。「このブローチに使われているのは日本の真珠ですか?」と尋ねると「残念ながら日本のは使ってないんですよ」と、優しく微笑まれてしまった。その碧眼も輝石のように美しかった。あっ、あの時に言えば良かったな「あなたの瞳は、このパールよりも美しいです」って。そしたらブローチもらえたかなぁ……無理だろな絶対に。なんせお値段18,900,000円也ですから。
美しいパリジャン(と思われる)も居た。こちらは、超ド級に高級な時計のブースで微笑んでいらした。黒のセラミック製ベルトの腕時計は、文字盤にダイヤモンドが配されているのはもちろん、側面も3.6mmのダイヤが並んでいる。ルビーもアクセントに使われている。こちらのお値段なんと49,350,000円。世界で限定5個の発売だそうだ。世界とは米・英・仏・ドバイ、そして日本。それぞれの国に1個の割り当てなのだが、日本で「欲しい」と手を挙げている人が既に3人いるんだそうだ。この3人の中からどうやって購入者を決めるのだろうか。ジャンケン? この1個に漏れても、ホワイト・セラミックがあります。こちらはアクセントにサファイヤを散りばめて、今なら17,220,000円、17,220,000円でご用意させていただきます。
美男、美女とダイヤやパールの輝きで目の保養をさせてもらい、私はシャネルのビルを後にJR有楽町駅へと向かった。駅前では、17回連続で大当たりが出たという宝くじ売り場から、盛んに呼び込みの声が聞こえる。「今日は大安ですよ」「買わなきゃ当たらぬ宝くじ!!」ダイヤモンドともパリジャンとも縁のない私は、庶民の味方を買うっきゃないかぁ。
健康おたくの蒲田さんに連れられて“十字式健康普及会”という所に行って来た。
脳生理学(何のことやら?)に基づいて開発した施術なんだそうだ。言わば念力のようなもので、背中の曲がりや歪み、骨盤のズレをチェックし「シュッ、シュッ、シュッ」と念を送ること約1分で、背骨を真っすぐに本来の状態に戻すんだとか。背筋が真っ直ぐになれば、抱えている持病も痛みも癒えるということらしい。
「凄い!!」というより「んなアホなぁ」という思いの方が私の頭をよぎった。しかし、誘いに来た蒲田さんは大真面目だ。たった1回で「鉄板を背負っていたような背中の重みから開放されたのよぉ」と、歌うように仰る。前から、生まれながらに股関節の悪い私を色々気遣ってくれていたが、先日、社員食堂で会った時、暮れより痛みが出てきたという話をしたものだから、これは是が非でもと思ったらしい。「んなアホなぁ」という思いは飲み込んで、ここは人様の好意を有り難く受け入れることに致しましょう。
場所は品川、二人にとっては帰り道にあたり好都合。「蒲田さん、場所大丈夫?覚えてる?」と聞いてみると「大丈夫、真っ直ぐだから間違いようがありません」。でもねぇ、貴女には前科があるのですよ。
1度遊びに来たことのある私のマンションに、先輩を伴って訪れた時のことだ。それこそ私のトコも「大丈夫、真っ直ぐだから間違いようがありません」のはずなのに、待てど暮らせどやって来ない。約束の時間は1時間も経過している。どうやら、初めて訪ねて来た先輩の「このマンションじゃない気がする」の一言に、来たことのある蒲田さんが従って、ぐるぐるとマンションの周りを回っていたらしい。
「今日は大丈夫、先週来たばかりだから」と蒲田さんは胸を張るのだが。暫く行くと、赤地に白の『十字式』という看板が目に飛び込んで来た。品川の第一京浜沿いの商店街の中にあって、郷愁を誘うような紅白の懐かしい看板だ。やれやれ無事到着と、ドアを開こうと思ったのだが、蒲田さんはまだまだズンズンと進んでいる。「蒲田さ〜ん、入り口は別なのぉ?」と叫ぶと、慌てて入り口まで戻って来た蒲田さん「ケイコさんに、全体像を見せてあげようと思って、ククク」って、ばれている嘘に腰を折って自分で笑っているのだった。
受付は、スチールの机を挟んだだけの質素なもの。向こう側には、ボランティア?という感じのオバサンが二人、エプロンをして座っている。初めての私は住所・氏名・電話番号を申告しなくてはいけないのだが、この用紙が10cm×7cmくらいの、これ以上小さくしたら記入用紙としては無理かなという大きさだった。十字という名前からお察しの人もおいででしょうが「この行事は、宗教法人に基くキリスト教伝統のいやしとして、行政承認がされたものです」と、手渡された“賛助会員証”に明記されている。なるほど、受付のしつらえも、記入用紙のつましさも、みんなキリスト教の教えね、と勝手に合点。「施術は、すべてのヒトへの無条件の救いを目的とし、従ってそれぞれの宗教的な自由を制限するものではありません」の項目にはホッと胸を撫で下ろす無宗教の私だった。
待合室もコの字型と、その中央に2列茶色のソファーが置かれているだけだ。座っている人は殆どが年配者で、杖をついている人や義手の人もいる。多分、押したり引いたり刺したり突いたりの経験をした人達がたどり着いた“エデンの園”といったところだろうか。それなら、私のアンヨも痛みが無くなり、園をスキップできるようになるかしら。
症状をそばに控えている、これまたボランティア風の小母さんに説明し宗癒師なる人の前に背中を向けて座る。すると背中に向かい宗癒師が「スッ、スッ」だか「シュッ、シュッ」だか言う掛け声を掛けてくる。様子はまったく分からないのだが、時々「ここが異常に出っ張っているね」なんて言って触れられた箇所はピピッと痛みが走る。しかし、暫く後にもう1度触れられると全く痛みは感じなくなっている。(おんや?)やっぱり不思議。それより何より「立ち上がって足踏みをしてみて下さい」と言われ、おそるおそる足踏みをしようとした途端、昨年の暮れより引きずっていた足がヒョイッと上がってしまった。自分の目が見開かれ、満面笑みになっているのが分かる。「藁をもすがる思い」そして「騙されたつもりで騙されに来た」ものだから、これには心底驚いた。
殆ど触れられもしないので痛くも痒くも無い。それまで、とっても熱心なマッサージに通い、これはこれで有り難かったのだが、痛みのある時は触れられることに恐怖を感じる場合もある。患部に触れられずに治ったら、こんなに嬉しいことは無い。
キツネにつままれたような気分のまま施術はアッという間に修了。料金は前払いだし、さてトットト帰りましょう。蒲田さんはと見ると「お手洗い」と書かれたドアに正に今、手を掛けようとした所。「蒲田さん、トイレ?」と聞くと「ううん、帰るのよ」と、何を言っているのという顔で振りかえる。「だって、それトイレのドアよ」。
「やだ、やだ」とか言いつつ、人の肩をボンボン叩きながら私に従って出口を後にした蒲田さん。体はもちろんだが、蒲田さんと通へば精神的にも癒されるのは保障付だ。
翌日、駅の階段を痛みを感じずに昇ることができ、またまたビックリ。施術から3日たち、階段の昇りはすでに痛みがぶり返してしまったけれども「信じる者は救われる」「鰯の頭も信心から」。兎に角、いつか和らぐことを信じ、癒し系の蒲田さんと暫く通ってみることにいたしましょう。何よりも待合室のパンフレットにあった「あなたは信じなくても、我々は誠心誠意施術します」という一文に感激してしまった私だったのだ。
そうそう、この話をマサちゃんにメールで送ったら「頭が良くなるなら私も行きます」という返事が来た。ウーム、それはどうだかなぁ蒲田さん、2度行ってるけど…(笑)
“人事考課”なるナンダカナァというシステムが、わが社でも7年ほど前から導入されている。半年毎に部署の長が、部員に「どんな仕事をしたか」「どんだけの成果を出せたか」「反省点は何か」「将来の展望」などを記入した用紙を提出させた上で面談をする。社員約4000人の弊社で、このシステムを確立するために専門会社に支払った費用が1億円と聞いて驚いた。こんな、しゃっちょこばったシステムが導入されるより前の方が、上司への要望も相談事もフランクに言えたし、上司も部下の仕事ぶりに日ごろより目を向けてくれていた気がする。ああ1億もの大金を払ってギスギスとした面談のシステムを導入するなら、みんなでマッタリしようよと思うのは私だけだろうか?
この春の面談でも部長から聞かれたが「仕事内容?」創造的な職場ではないのだから、半年やそこらで変わろうはずがない。「成果?」毎日業務を滞りなくこなしてますよ。「反省点?」この完璧なワタクシに反省する点などあろうはずがないではないの。「将来の展望?」可愛いお嫁さんになること…って、これを子供の頃に思わなかったのが敗因か。エッ、仕事の上でですか? 人事権のある輩の“鶴の一声”で、将棋の駒のように動かされる身としては何を言ったところでせんないことでねぇ。
でも、こんなことを言ってたら人事考課の結果が危ぶまれます。甲種合格ならずとも丙種不合格の烙印は押されたくない。一応は、お・と・なですから政治的配慮、「苦手なエクセルを勉強して、仕事に役立てたいでぇす」などと言って、お茶をにごす。これで解放されると思ったのだが、私の「口から出まかせ」に部長が過剰反応。「社でエクセルの講習会があったら、参加して勉強しますか? これから総務に聞いてみましょう」だって。いえいえ、そこまでご配慮いただかなくても…。
その時の、部長のフット・ワークの良さには驚いた。いつもは部の1番奥の席で、苦虫を100匹くらい噛み潰したような顔をして、筑波のガマよろしくジーっと座っている人なのだ。なのに、アッという間に総務へ向かい、アッという間に関連会社の主催している『これならわかるExcel』のInternet Campusという講習会を探し当て、アッという間に戻って来て「登録して来たから頑張ってね」と、私の肩を叩いた。
この講習会、どこかの教室に通うのではなくInternet Campusと言う通り、自分の席のパソコンに向かい画面の指示に従って一人で学ぶというものだ。
教えられた通りのユーザーIDとパスワードを入力すると『これならわかるExcel』のタイトルと共に、「この講座の学習目標」という文字が浮き出て来た。「この講座は,Microsoft Excelを仕事などで使うときに必要な操作を,短時間で学べるように開発されています。データ入力から表作成,グラフ作成,データベース機能まで,ひと通りの操作を段階を追って学べるようになっていますので,初心者でも安心して受講して頂けます」だって。「具体的にはセルへのデータ入力と編集方法・数式と関数の使い方・表の作成と編集の仕方・印刷の仕方・保存の仕方・グラフの作成と編集の仕方・データベース機能の利用方法が身につきます」って、本当かなぁ。
会社の帰りに教室に通うのは大変だが“乳母日傘”で育った私としては、なにごとも“手取り足取り”教えてもらわないことには、習った気がしない。四角い画面だけ見ていて、そんなに沢山のことが身につくのかと不安というか不満だった。自分の席で学ぶならイケメンのインストラクターが出張してくれるというシステムはないものだろうかってね。
しかし、登録されちゃった以上は始めなくてはならない。目安として、8月18日までに7章からなる学習を修了し、21日には修了試験を受けなくてはならない。各章毎に「この章で学ぶこと」というガイダンスと、終了時に練習問題がある。気の短い私は、トットコトットコ章を読み進み、練習問題にチャレンジし、3ヶ月で終わらせる学習を1週間でやってしまった。やっぱり私は偉い。才色兼備だ天才だ。
問題は最後に待ち構えている修了テストだ。これをチラと覗いてビックリ。この修了試験、各章でチャレンジして来た練習問題と傾向が全然違う。そんな馬鹿なって本気で思ってしまった。端的な例が練習問題の時、わざわざ「この練習問題では右クリックは使いません」と断っておきながら「右クリックを使うと…」なんて出題されているのだ。それでいて「10問中9問以上の正解で合格。合格するまで何度でもチャレンジできます」。要するに10問中9問以上正解するまで許さないよ、ということだ。この割合は高すぎる。
ここにきて、人事考課の時の「口から出まかせ」が悔やまれる。そうそう、前に居た部署でも人事考課の面談で同じようなことがあったっけ。「何かやりたいことはありませんか?」と、執拗に上司に迫られ、ランチの時に仲間と交わした「セクハラ」の話を思い出し、つい口にしてしまった。「社内のセクハラ事情に取り組んでみたらどうでしょうか」。上司は大きく身を乗り出して言った。「素晴らしい問題意識ですね。是非やりましょう。貴女は女性の立場で、先頭に立って取り組んで下さい」。う・うそぉ〜。
それから部署が異動になるまでの4年間、月に1度私は飛行機のファーストクラスの座席のような椅子の並ぶ役員会議室で、各局の局長を前に「セクハラ」に関する講義をするという、とんでもない役をやる羽目になってしまった。あの頭を痛め、胃を痛め続けた4年間。「女性だからセクハラの講師」とは、これこそ“セクハラ”ではないかと何度思ったことか。しかし、元を正せば呪うべきは私の「口から出まかせ」であるからして…。ああ、あの時に、散々懲りたはずなのに。
それにつけても修了試験。顔が見えないのがPCのイイトコ(?)なんだから、Excel得意のリカコか絵美ちゃんに替え玉受験をしてもらおうか。それとも“嵐を呼ぶP氏”にPCを壊してもらい受験不能にしてもらおうか。あるいは8月21日に急病になろうか…いずれにしても、自力で頑張って合格しようとは露ほども考えない「口から出まかせおんな」なのであった。
私が、まだ18歳という番茶も出花の夏、埼玉県は南埼玉郡の片田舎を青い目をした外国人青年が「ママさぁん、ママさぁん」と片言の日本語で叫びながら、近所中を走り回ったことがある。“ナマ外国人”を見たことのない住民は何事が起こったかと度肝を抜いた。
彼の名前こそ“ポール”、横須賀基地に駐屯するアメリカの海兵隊員だった。ポールが探していたママさんとは、近所で洋装店を営む大川さんの小母さんのことだった。大川さんの一人息子、修平さんは当時東京外語大に通う秀才さんだった。修平さんは夏休みや冬休みという長期の休みを利用して海外でホームステイをしては、語学の研鑽に励んでいた。そのホームステイ先の1軒にアメリカのポールの実家があったのだ。修平さんは、お世話になった家の息子さんが横須賀基地にいることを知り、日本に帰ってから息子さんを実家に招待することをご両親と約束して来た。そしてポールは修平さんの申し出を喜んで受け、はるばる神奈川の海の近くから、海の無い埼玉の片田舎へと1ケ月の休暇を取ってやって来たのだった。
大川さんの小母さんは、お騒がせした向こう3軒両隣にポールを連れてお詫びに回った。ポールは、若い頃のトム・ハンクスを彷彿とさせるような、アメリカ人青年だった。日本語は片言だったが、とても人懐こい性格らしく“引き回しの刑”にあった先の家々を訪問しては、ニッポンの家庭の雰囲気を楽しんでいた。そして、ポールが我が家に来た時に、日本の国旗が見たいと言い出した。アメリカ人は国旗に対する思い入れが強い。ニッポンでも同じと考えたのだろう。しかし、母が押入れや箪笥をひっくり返して、やっとこ見つけ出した“日の丸”は、気の毒なくらいにクシャクシャの皺だらけになっていた。「OH MY GOD!!」ポールは今にも泣き出しそうな顔で「ママさん、アイアン、アイアン」と、日本語交じりの流暢な母国語とジェスチャーで“日の丸”の、シワを延ばせと訴えていた。
その晩、母は国旗の件でガッカリさせた分を取り返すつもりだったのか「御陣山で花火でもしてあげたら」と言い出した。御陣山とは、すぐ近くにある公園で、昔どこぞの武士が陣を張ったところからその名がついたらしい。こんもりとした小山が2ツ在り、その一つの麓には今でも首塚が奉られている。
さて、その御陣山で花火をやろうと大川さんチにポールを誘いに行くと、それはそれは嬉しそうに小母さん、修平さんと一緒にやって来た。うちは両親、豚弟と全員参加。ニッポンの夏の夜らしく父は甚平、母はアッパッパ、豚弟はランニング、そしてこのワタクシは浴衣。おおポールの青い目が、楚々とした少女の浴衣姿に吸い寄せられているぅ。「ケイコ、キレイネ」。吐息と共に出た、覚えたての日本語が十代の大和撫子の耳にこそばゆい。
公園の片隅に水を入れたバケツを置いて、いざ着火。漆黒の闇の中で、手にした細い筒から、シューッと勢い良く青からピンクへとグラデーション良く火花が飛び出す。線香花火は今にもポトンと焼け落ちそうな火の玉が、チチチと小さな音を立てながら弾ける。その様を団扇で蚊を追い払いながら静かに眺める。これぞニッポンの夏ですね。短い夏の短い夜の静かな祭典だ。
ところが、そんな静寂を豚弟が火をつけて投げたねずみ花火が打ち破った。あっちでシュルシュル・パン!!こっちでシュルシュル・パン!! なんと、そのうちの1つが煙を吐き、グルグルと渦を巻きながら私を目指して飛んで来たではないか。びっくりした私は、線香花火を放して一目散に逃げた。その途端に、履きなれない浴衣の下駄が見事なほどに鼻緒の所から真っ二つに割れてしまった。転びこそしなかったけれど、これではまともに歩けやしない。全くもって豚弟はろくなことをしない。すると、私の体がフワリと宙に浮いた。ポールだ。ポールが片足でケンケンしている私を抱き上げてくれたのだった。しかもお姫さま抱っこよ。生まれて初めての、そして最後かもしれないお姫さま抱っこだった。海兵さんのしてくれるお姫さま抱っこだなんて、まるで『愛と青春の旅立ち』のラスト・シーンではないの。豚弟もたまには洒落た演出をしてくれるものだ。私は御陣山から自宅までの約100mを、リチャード・ギアに抱かれたデヴラ・ウィンガーになっていた。ああ、御陣山がもう少し遠かったらなぁ。
それから2日後、横須賀基地に行って来たと、ポールが牛肉の塊を持って我が家にやって来た。「ケイコにっ」って。しかし、その頃の私は肉が全く食べられなかった。母も「牛肉は牛乳臭くて嫌い」と言って食べなかったし、父も魚の方が好きだった。喜んだのは豚弟だけだ。「おまえにもらった訳じゃないんだからね」と、デヴラが言っても「食べられないのが悪いんだろ」と、豚弟は米国人並みに、独り占めした肉の塊に喰らいついていた。豚肉ではないから共食いにはならないか。
それから又2日後「ケイコと映画を見に行きたい」と、ポールが言いに来た。さぁ大変、その晩は大川さんチの小父さん、小母さん、そしてウチの両親が額を寄せて喧々諤々。私も豚弟も蚊帳の外ではあったが、もれ聞こえてくる会話の内容は「2人きりになって何かあったら」とか「断ってへんな事をされたら」という物騒なものだった。埼玉の片田舎で善良なる市井人は、真剣に国際問題に発展しかねない議題を厭きずに論じ合っていた。
結局その後、親達の結論として私はポールと映画を見に行くことはおろか、2人きりでお喋りする機会も与えられなかった。ポールは言っていたのよね「ニッポンジンノオヨメサンホシイデス」って。『世界バリバリバリュー』という、世界のセレブな方々の生活を垣間見る番組がある。そこで時々、海外に嫁ぎセレブな生活を送る日本人女性の特集をする。そんな時には、もしかしたら私もポールと番組に登場していたかも知れないと、密かに“たら・れば”の世界を、未だに思い描いてしまうのだった。今なら親も「映画でも何処でもサッサと連れて行って下さい」と逆に頼むだろうな。
ポール『WANTED』今からでも遅くない!!