大安吉日ノーテンキ

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2006-07-30 日

飛散姐さん

私は、この世に誕生した際、礼儀正しく足から地に降りたものだから、その影響で股関節に問題がある。要するに逆子での股関節脱臼というやつだ。

ちょっと前までは、数年に1度くらいの割合で股関節に痛みが来ることはあっても、数日すると嘘のように痛みは去っていた。ところが、忘れもしない昨年の11月4日金曜日、文化の日の翌日のこと、朝起きると今までに無い絶不調が私の“おみ足”を襲っていた。

立ち上がるにも、一歩踏み出すにも頭の天辺まで痛みが走る。イタタ・イタタ、痛いんだってばぁ。

文化の日の休日は大人しく文化していたし、どこかほっつき歩いていたわけでも、悪い遊びをしたわけでも、ましてや姫体質に不似合いな力仕事をしたわけでもない。直接の原因は分からないけど症状は歴然とあるわけで、これには困った。

社の診療所、そしてその紹介によりJR新宿病院の副院長にまで診てもらったが「手術をするにはもったいない骨だが、治療も薬も無い故に現状維持に心がけよ」という、ちっとも有り難くないご託宣を受けて帰って来た。

病院が頼れない今の私を救ってくれているのは、サメと蒲田さんだ。

TV神奈川の『健康の達人』で紹介されていた“日本サメ軟骨学会”から行き着いたのはヨシキリザメの軟骨100%の粉末、顆粒、そしてエキス入りのドリンク剤だ。2、3ケ月で痛みが薄れ、1年を過ぎる頃には磨り減った軟骨が形成されるという嘘のような話だが、ここはひたすら信じるっきゃない。今までなら、通販で物を買うには最少の量から購入したものだが、今回ばかりは軟骨が形成される1年分を思い切って注文した。その量たるや、軽く我が家の畳1枚分は占領している。「だんだん減りますから」と主任研究員という名のオペレーター嬢は電話口で言っていたけど、まだ飲み始めてやっと1月半、サメの大群が北の部屋で風の通り道を邪魔している。ヨシキリ鮫君、くれぐれも効いてよね。

そして精神面での大きな癒しは、こちらも天然100%の蒲田さんの存在だ。

年下の蒲田さんを、私は姐さんと呼んでいる。年齢は下だが前の職場での配属が、私より1年先輩だった。芸人さんの世界では、例え年下でも入門の早い人は兄さん、姐さんと呼ぶらしい。それに習って「姐さん、姐さん」と呼び始めたら、けっこうこれがピタッと来た。最初のうちこそ「年下なのに…」とためらっていたが、今は当然のように「姐さん」と呼べば、返事をしてくれる。

ファースト・ネームは“ひさえ”さん。ある日、メモが私のデスクに置かれ、そこには“ひさえ”と署名されていたはずなのだが、どうしても“え”が“ん”に見えてしまう。なので、それからは“ひさん姐さん”と呼んでみたりもする。すると、それが口癖の蒲田さんは「ひどいわ、ひどいわ」と、笑顔で叩く真似をするのだった。

このところ姐さんとは週に1度、品川にある“十字式健康普及会”なる所に通っている。初めて連れて行かれた時、入り口を通り越してしまったのは序の口で、途中で買い物などすると、ためらいなく今降りた駅への道を歩き出す。私は母親譲りの方向音痴なのだが、蜂や蟻の世界でも働きモノの数が減ると、怠けていた蜂や蟻が俄然働き出すのと一緒で、この私が迷わず目的地に姐さんを道案内しているのだから不思議だ。

ジダンの頭突き騒動で幕を閉じたワールド・カップドイツ大会だが、日本対ブラジル戦を見んがために、蒲田さんは友達との食事会をキャンセルしたという。「そんな時間に食事会?」と聞くと「6時半の約束だったんだけど、キック・オフの9時までには食事をしたら帰れないから」という答えが返って来て、ヤッパリと思った。姐さん、貴女はドイツで日本対ブラジル戦をご覧になるのですか? キック・オフの日本時間は早朝の4時ですよ。それを伝えると「おかしいなぁ、おかしいなぁ」と納得のいかない様子。「じゃぁ、賭けましょう缶コーヒー」ということで、当然自販機の缶コーヒーをご馳走していただいた。フランス料理のフルコースでも賭ければ良かった。でもね、結果の分かりきっている賭けで勝っても醍醐味がありません。

会話をすれば“形状記憶合金”が、いつの間にやら“形状記憶喪失”になって、意味を成さないし、子供の頃の話になったら「私は小鹿のようだったのよ」なんて、可愛いかったという自慢かと思いきや「小鹿のゾンビよ」なんて。冗談では言わないタイプだけに可笑しさがいや増すというものです。

ここのところ“十字式健康普及会”に出かけると、2人で必ず寄るのがインドカレーの店“Devi”。店員は全てインド人、お客もインド人をはじめとして外国人が殆どだ。目も覚めるようなスカイブルーのサリーを纏ったインド美人と遭遇したこともある。「ゴチソウサマ」と、店を後にする金髪の紳士にインド人の店員が「アリガトウゴザイマシタ」と深々と頭を下げる不思議な光景を見ることもできる。インドのBGMとスパイシーな香りが充満し、品川に居ながらにしてinインド気分を満喫だ。

先日も、自家製チーズとほうれん草のカレー、シェフ特性チキンカレー、ガーリックと蜂蜜入りのナンを2人でシェアして美味しく平らげた。レジに向かった姐さん「まとめて払っておきますから」と宣言して、差し出したお金はと見ると千円札が1枚きり。姐さん、それではまとめて払えませんから。決して五千円札や一万円札のつもりで千円札1枚を出している気配が無いところがまさに姐さん。おかげでナマで見ることができました“インド人もビックリ”の光景を。

姐さん、これからも吉本の芸人さんのように楽しませて下さいね。

2006-07-23 日

不幸自慢

不幸自慢の友達が居る。電話をしても、直接会っても手紙が届いても、いつでも何処でも「私は世界一不幸なおんな」と言い張ってきかない。

しかし、現状を知ると「どこが?!」というほどセレブな生活を送るチカコなのだった。

そもそもの出会いは10年以上も前に遡る。北海道は札幌の観光農園を、友達と二人で訪れた時のことだった。軽食を摂ろうと園内の小さなレストランに入ると、そこは団体客で溢れていた。その時、隅の4人がけの席に独りで座っていたのがチカコだったのだ。「相席してもイイですか?」と尋ねる私達に、チカコは焼きとうもろこしにかぶりつきながら、目だけで「どうぞ」と合図を送ってきた。年齢も近そうだし、一人旅の様子だったので話しかけてみると、よほど寂しかったのか訪れた場所のことを機関銃のようにまくし立てた。そんなチカコとレストランを出る頃には、すっかり打ち解けそれからはしばし3人で園内の花を見つけてはパチリ、ポプラ並木が美しいと言ってはパチリと写真を撮 りあった。そして、後日写真を渡そうと連絡先を交換して別れた。

それから1週間後、写真を手にチカコに指定された東京駅地下の喫茶店に出向くと「実は私、北海道には死のうと思って行ったんです」なんて、穏やかならざる話を切り出して来た。これがチカコから聞かされる不幸話の始まりだった。

彼女は失恋の痛手から、死場所を求めて北の地に旅に出たのだとセツセツと語るのだった。いかに彼とは運命的な出会いをし、燃え上がったか。その楽しかった帰らざる日々。そしてやがて来る悲しい別れ。本や映画になったら、そりゃぁ涙をそそる話だとは思うものの、焼きとうもろこしにかぶりついていた、あの姿を見てしまった私としてはちょっとねぇ。チカコも話すだけ話しサッパリしたようだ。さて会計をしようと伝票を手に立ち上がると、隣の席に居た紳士が「私に払わせて下さい」と、私たちの分の伝票もさっと手にして行ってしまった。紳士はグループで来ていたようだったが、仲間とテーブルを囲んでいてもどうやら耳はこちらに向いていたらしい。“とうもろこしかぶりつき”の現場を見ていない紳士には、チカコが儚い恋に身をやつした幸薄い乙女に見えたのだろう。

ところが、紳士の姿が消えた直後にチカコの口から出た言葉は「ケーキも頼めば良かったね」。どこが薄幸の乙女やねん。絶対にかの紳士には聞かせられないぞ。

この喫茶店を皮切りに、何かにつけチカコは連絡をしてくるようになった。しかも、私にばかり。一緒に札幌を旅した友達は明らかにホッとした様子で「気に入られたんだから仲良くしてあげなさいよ」と、とっとと我関せずを決め込んでしまった。

チカコからの連絡内容はと言うと、雪が降った日は坂で滑って足首を捻挫したとか、台風の日は飛んで来た屋根瓦の破片が額をかすって怪我をしたとか「こんな目に遭う人が居るのねぇ」と、他人事として見ている気象ニュースに登場する“被害者”に、必ず含まれているのだった。

ポンズという、クレンジングクリームがある。ちょっと前まではズッシリと重い、白い陶器のような容器に入っていた。そのポンズで化粧落しをしようとドレッサーの前に座った途端に、足の上に落したという話も聞いた。「小指の骨が折れて、爪が剥がれちゃったの。痛かったぁ」。

そんなチカコが、お見合いをしたと言って来た。お相手は千葉の資産家の長男。「舅、姑、小姑もいるのよ。家も百年以上も前に建ったという古い日本家屋で暗そうなの。そんなトコ嫁ぎたくないのだけど、断ることのできない筋からの話なの…」と、又もや憂い顔。そんなに嫌なら遠慮はいらない、こちらに回せ。

しかし、散々、我が身の不幸を嘆きながらも、半年もしないうちに鶴と亀の切手が貼られた招待状が送られて来た。その披露宴の華やかなこと、盛大なこと。私が列席した中でブッチギリ1位の煌びやかさだった。料理が運ばれる前には、とてつもなく広い会場の、雛壇を除く3辺に一体何人いるのだろうと思うくらいのコックさんが、お馴染みの背の高いコック帽を被り、ズラリと並んで最敬礼。始めての光景じゃ、圧巻じゃぁ。その後のシャンパンタワーもグラスが何段あったのだろう、注がれるシャンパンが琥珀色に輝いて、それはそれは美しかった。テレビでしか見たことなかったが“生”はやはり感動する。

そんな式からミツキもすると、チカコは「舅、姑、小姑が冷たい。飼い猫、飼い犬が懐いてくれない」と嘆きの電話をかけてきた。そして「離婚するぅ、私には幸せな結婚生活は送れないんだわ」と不幸なおんなをかこって電話口でさめざめと泣くのだった。ところが、数日後には「妊娠していたの。仕事も辞めちゃったし、独りでは育てていけない。私には離婚することもできないんだわ」と、又もや不幸ぶっての電話が入った。

あれからはや7年。その間も、樹が大好きなご主人が名刺、電卓の枠、電話、車の内張りだけでは飽き足らず、カナダからログハウスを直輸入して住みだしたが、日本の風土にあわず、湿気の梅雨や暑さの夏に難儀しているとか、夫が“趣味”で開いたフランス・レストランにお気に入りの調度品を持っていってしまうとか、猫が三越のアジなら食べるがスーパーのではそっぽを向くとか、しがない会社員にとっては、グーで殴りたいような愚痴を「私ってこんなに不幸」という声音で言ってくる。

そうそう、あの時離婚を思いとどまらせた胎児も既に小学生。チカコに言わせると「宇宙人よ。言葉が通じないの」となる。「朝、起こしても起きないし、夜は寝せても寝ないし。宿題はしないし、忘れ物はするし…あんな親不孝な子供をもって不幸だわぁ」。

そんなチカコから届く年賀状も、暑中見舞いも毎回決まって家族3人が満面の笑みで写った顔写真付きなのだ。ン、今年の暑中見舞いのハガキに写っていた玄関はログハウスじゃなかったぞ。ということは、又もや敷地内に新居を作ったということか。何しろ「空撮したら、敷地内に知らない家が3軒写ってたの」と平気で話すチカコなのだから。

彼女にとっては、きっとそれも不幸の種になるのだろう。「敷地内に家が何軒あるのか分かりゃしない。不幸だわぁ」なんて。

2006-07-16 日

クールビズ

今年も“寒い”夏が来た。

電車に乗れば冷房ガンガン、会社に着けばこちらもギンギン。会議なんてあった日にゃぁ広い会議室にひえびえ〜と寒風が吹き荒び、退屈な会議では雪山のごとく「寝たら死ぬぞ!!」という寒さに、眠ることさえできゃしない。

軽装

けれども今年の夏は、ちょっと変化がありそうだ。

ある朝、出社すると受付から始まって社内のあちらこちらの壁に『軽装で失礼します』と、白地に水色という涼しげな配色のポスターが貼られていた。

昨夏より環境省の音頭とりで始まったクールビズを、どうやら弊社も取り入れることにしたらしい。

ところでクール・ビズのビズってなぁに? クールはいいとして“ビズ”は? 涼しげなスワロフスキーのビーズからとった言葉? 今、だんとつの人気を誇るミュージシャンB’ z が、ステージから地球温暖化の杞憂を訴えて、聴衆が賛同したとか?

ものを知らない代表選手の私は、ネットで検索。なになに「クール・ビジネス」の略?! 知ってしまえば他愛も無いことだったなぁ。でも、本当にみんな知ってた?

環境省の推し進めるクールビズは、温室効果ガス削減のために、夏のエアコンの温度を28℃に設定するという。「28℃なんて暑くてたまらない」という声が多いが、私には暖かく快適な温度だろうな。

頭に超が3ツも4ツもつくくらい、極端な寒がりの私は、真夏でもアイスクリーム、シャーベットの類は自分から食べることはない。おすそ分けや、いただいた手前なんてことで食べたとしても、スプーン1杯を口にしただけで体全体が冷えわたり、途中でギブアップ。カキ氷をカキ込んで、カッキーンと来るこめかみの痛みというものを、かきこまないから経験したことも無い。

1年のうちに暑いと感じるのは3日程度と言われる猫と同じで、暑いという言葉を私の口は殆ど発しない。職場では「いつも涼しい顔をして座っているね」と、部長から汗を拭きながら毎日のように言われる。友達には「女優は顔に汗をかかないのよ」って言っているが、実態は汗のかきにくい体質のようだ。要するに新陳代謝が悪いということだ。かなりノンビリと時間をかけて入浴しても汗はなかなか出てこないし、お風呂からあがったらどころか、入浴中でも体温があまり上がらない。テレビCMで「夏でも足が冷えるの知らなかったのかな?」って高原のコテージのような場所で原田美枝子が夫役の人に言っているそのまんまに、夏場でも脂肪タップリの腿から足先にかけて冷たくなっている。暑がりの友達が夏休みの旅先で、私の立派な太腿を「冷たくて気持ちイイ」と水枕代わりにしていたこともあるほどだ。雪山で遭難した人を若い女性の柔肌で温める、なんていう美しい物語を読んだことがあるが、私は冷えている人をもっと冷やして止めをさしかねない。ああ、なんの因果でしょう、心はこんなにも暖かいのに。

さて、弊社のクール・ビズだが、ポスターと社内メールで浸透させたところで開始の日付が発表された。制服の無い弊社では、女性は今までと何ら変わることは無いが、男性の反応は様々だ。真夏でもダブルのオーダースーツに身を包み、これ又オーダーシャツで決め、自他共に認めるお洒落なP氏は「30万円くらい支度金をもらわなきゃあわないよ。ノーネクタイにしたら、それに合った背広も作らなきゃならない」とオカンムリ。それに引き換え、入社2年目の池田君は「助かったぁ、去年の夏は暑くてたまんなかったっすよぉ。どの程度の服装が許されるんでしょうかね。勝俣州和みたいな短パンは無理かなぁ」と、学生時代に戻ったように喜色満面だ。それを、我関せずと聞いていた部長が一言「ネクタイしなきゃイイんだろ?!」。

さて、いよいよ弊社での「COOL BIZ(クール ビズ)」初日。男性陣はどんなイデタチで現れるやら。

P氏は早めに出社し、シャツをクールビズ用の半袖ボタンダウンにお着替え。「折衝の結果、奥さんからスーツの新調は許可が下りませんでしたから」って。退社直前には着替え直してネクタイを結び、ダブルの背広をまとって帰途につくのだった。「よいじゃないよぉ」。

池田君は「最初は様子を見ます」と、薄いブルーのシャツにノーネクタイで登場。諸先輩の中には、ワイシャツにネクタイ姿がまだまだ見受けられる。「やっぱり、短パンは無理そうですね」と、期待外れにガッカリの様子だ。

部長は、初志貫徹(?)席に着くと、エイヤッとばかりにネクタイをはずし、クールビズ一丁上がり。これなら、めんどうなことは何も無し。ブレない姿勢はさすがである。

こんな男性陣に対しての女性達の反応はというと「今まで、お洒落だと思っていた人が意外とセンスが無かったりしてガッカリ」とか「しまりが無く見える」「貧相に見える」「日曜のくたびれたお父さんって感じ」と、かなり手厳しい。「今まで、キッチリしてるとか、スッキリしているとか思っていた人がネクタイを外すと、だらしなく見えちゃうのは何故かしら」の問いに、蒲田さんがピシャリと一言。「ネクタイに誤魔化されていたということよね」。納得。

とは言え、我が社のクール・ビズは始まったばかり。これから「○○部の○○さんて夏場になるとステキ!」なんて言われる人が現れることを期待しよう。周知徹底させよという思いの表れか、社内のいたる所にポスターを縮刷したステッカーが貼ってある。エレベーターの天井近くにまである「クールビズ」シール。あんな高い所に貼っちゃって、秋風が吹く頃には剥がすのがさぞ大変なことだろう。千社札じゃないんだから。

それにつけても実際に設定された社内温度28℃は暑いわぁ。この私でさえも夏が来たのを感じます。

あづい〜〜〜(x_x)。

2006-07-09 日

提灯祭り

山車

今年の7月18日も雨かなぁ…。

実家のある埼玉の片田舎では、毎年7月18日に「天王さま」と呼ばれる祭りがある。各町内ごとに自慢の山車へ、昼は等身大の素戔嗚尊、武内宿弥、神功皇后といった尋常高等小学校の教科書に出てくるような方々の人形が恭しく飾られて町内を練り歩く。そして、夜になると、やぐらに500もの提燈をつけ、そのろうそくに灯りをともして引き回すものだから、今では「提灯祭り」と言った方が通りが良さそうだ。その祭りの日が7月18日なのだ。第○日曜なんていう風に、人の集まり易い曜日に祭りが行われることが多くなっている昨今だが、この「提灯祭り」は断固として7月18日を守っている。そして、この日は雨の降る確立が非常に高い。もっとも夕立が多い時期なのだから、これは致し方ないことか。

子供の頃、白地に朱色の金魚が描かれた、まだ肩上げがされている浴衣を着せられ、桃色の三尺を結んでもらい♪紅い鼻緒のじょじょ履いてぇ さて、おんもに出ようとすると雷がゴロゴロと鳴り、雨がザッと降り出すのがお決まりだった。

でも、白状するとその頃の私は、この祭りが嫌いだった。自分の背丈より高い、分厚い木で出来た大きな車輪が迫ってくると、踏みつぶされるのを想像して怖かった。それに又の名を“喧嘩祭り”と言うように十字路で出会うと、引き手は山車を勢い良くぶつけあう。それでもお囃子を乱さないというのが各町内の誇りだとか。しかし、山車がぶつかりあえば火の灯った提灯がアッチ・こっちで燃え上がる。山車に乗っていた小父さんが焼け死んだなんていう物騒な話をまことしやかに聞かされると、それを鵜呑みにして恐怖におののいた。山車の天辺に乗り、トンボと呼ばれるT字型の木で、電線を持ち上げる役のお兄さんが山車から転がり落ちて亡くなったという話を聞いては泣きそうになった。雷も嫌いだったが、雨がザンザン降れば、お祭りも中止になる(雷さま、もっと雨をふらせて下さい)と子供心に祈ったものだ。

藍色の地に白いアジサイが浮かぶ図柄の浴衣を着、三尺から帯を結ぶようになった頃には、お祭りの夜のデートなんてことも…あっても良いはずだったのに、振り返ってもありゃしない。けれどもこの頃には、お祭り大好きお姉さんに成長していた。母や、祭り好きで毎年見物にやってくる祖母と、浮き浮きしながら出かけたものだ。四つ角で睨みあった山車が、今にもぶつかりそうになるのを見て「行け、行け!!」と、声を張り上げもした。警官が交差点の真ん中に分け入って「ピー、ピ、ピピピピー!!」と警笛を鳴らし、山車のぶつかり合いを止めると「つまんなぁい、ぶっつけろ!!」と、すっかり囃す側になっていた。

櫓

ある年の銀座パレードに、この“提灯祭り”が参加することになった。どういう経緯か、私は資生堂パーラーの、窓際2階席という願っても無い場所を確保して食事をしていた。一人で行ったはずはないのだが、一体どこのどなたさんと一緒だったのかすら、微塵も覚えていない。

しかし、我が故郷の“提灯祭り”ご一行様が、真下を通った時のことはしっかりと覚えている。列の先頭を、高張提灯をつけた太い竹を抱えて粋な旦那衆といった感じの、役員と思しき方々がゆるりゆるりと歩いて行く。その後ろを、町名が入った小田原提灯を手にした一行が、これまたゆるりと続く。ここまで見たところで、近くの席の女性が「なにこれ、これが提灯祭り?」と、鼻で笑いながら言ったその時、後ろから賑やかなお囃子と共に、500個の提灯をまとった山車が勢い良く登場してきた。それだけでも、初めて見る人は迫力に圧倒されるところだが、この山車なんと車輪の上から回るのよね。回る山車の上には何人もの青年が釣竿のような、細い竹の先に提灯をつけクルクル回しているし、紙吹雪も散らしているし、そりゃぁもお見事なのさ。先ほどの女性が、目をパチクリ、口から出る言葉は観に耐えたように「カッコイイ!!」って。溜飲が下がるとはこういう時に使う言葉なのね。見たか、我が故郷の日本一の提灯祭りを。

ところで、祭りの由来なるものを紐解いて驚いた。『天明3年(1783年)、浅間山大噴火によって桑をはじめとする作物が全滅し、これから立ち直ろうと本町の宮本家の祭礼用山車を借りて、これを町内に引き回し、豊作を祈願したのが始まりと伝えられています。浅間山の噴火が7月8日だったので、10日遅れの7月18日にこれを行なったものが、現在も受け継がれています』ここに出てくる“宮本家”とは、私が生後11カ月から目の中に入れたり出したりしながら可愛がって来た“モトちゃん”のママのご実家のことなのだ。ああ、そんなやんごとなき若様だったなんて。世が世なら…スケートの小田和正とイイ勝負かな。いえいえ、やっぱり我が郷里からすれば宮本家をご先祖様にもつ“モトちゃん”の勝ち。すると、この私はさしずめ春日の局ってとこかな。

誰か今、春日の局ならぬ会社のお局って言ったでしょ?!

2006-07-02 日

謝辞

『大安吉日ノーテンキ』を、お読みいただいている皆様。

お蔭様をもちまして2004年7月1日に掲載が始まりましたこの頁も、本日で丸3年目に突入です。

優しく見守っていただき、深く感謝致します。

思い起こせば2004年の春、梁塵社の編集長に、週一回のペースでエッセーを書くという約束をしてしまったのがあまりにも無謀でありました。

出不精の上にめんどくさがり。縦の物を横にもしないどころか「縦のものは縦のままでいいじゃない」という性格です。特技も趣味も無く、ミュージシャンやアイドルを追いかける友人を横目に見ながらも、心ときめかせる対象を持ったことすらありません。映画を見てもドラマを見ても涙一つ見せないものだから、周りからは「感動を知らない女」と、罵られております。それにも増して、食べ物にも飲み物にも興味をもたず、1ツキでも2ツキでも自己主張無しに、あてがわれた物を苦にもせずに飲み食いできる神経を「バカなのだ」と結論づけられたことすらあります。

そんな人間がエッセーのネタを探し出すなんて、砂糖に混ぜてしまった塩粒を拾い出すより困難なことです。

ああそれなのに、それなのに、書き上げたエッセーが105本。考えれば、考えるほど私は偉い!! 有森裕子ではありませんが「自分で自分を褒めたい」気分です。小松政夫が近くにいたら「表彰状、あんたは偉い!!」と言ってくれるでしょうか。

とは言え、こんな私が書き続けてこられたのはお読み下さる皆様があってのことでございます。思いもかけない所で、このエッセーに書いたことを聞かれたりする時は、本当に嬉しいものです。「実はね」と書かなかった裏話なども、ついつい披露してしまいます。

ここで、まる2年を期に今までお読みいただいた皆様に、感謝の気持ちを形で表したいと思います。姫宮惠子著『みんなテレビのおかげです』を、ご希望の方に抽選無しでお届けします。

ご住所・お名前・できましたら年齢をご記入の上、梁塵社のメールフォームまでお寄せ下さい。ご意見もお寄せいただければなお幸いです。個人情報は拙著発送以外には使いません(札束を積まれたら怪しいカモ。もっと積んでくれたら絶対に漏らしませんナンテネ)

今回は趣向を変えてお届けしました(実は1回分、怠けようという魂胆みえみえ)。

首にされない限り、我が身を削り(なのに痩せないのは何故?)、親・兄弟・友人達をコケにしつつ、無い知恵を絞って“嘘のような本当の話”を綴ってまいる所存でございます。これからも『大安吉日ノーテンキ』を、どうぞ宜しくお願いいたします。ペコリ。

2006年夏 姫宮 惠子