大安吉日ノーテンキ

Archives for 2006年 08月

2006-08-20 日

寅卯に携帯

大変遅ればせながら、御年79歳になる我侭我がママのトラうさぎが、初めて携帯電話を持った。

周りがいくら勧めても、何かの懸賞で当たっても「そんなもの要らない」と、歯牙にもかけないトラうさぎではあったが、ここに来て必要に迫られる事態になった。品川にある“十字式健康普及会”なる所に通い始めたのだ。埼玉の片田舎からは片道1時間半、どんなルートを使っても乗り換えのある道のり、さすがに1人で向かうのは心細いらしく、その都度私が、乗り換え駅まで迎えに行くのだった。そして、その度に義妹や姪が「バーちゃんは○時○分の電車に乗りました」なんて連絡をくれるのだ。しかし、やはり本人と直接話せた方が話が早い。そんなことから義妹が操作の簡単な、その名も“らくらくホンシンプル”なる、字も大きなシニア向け携帯電話を探してきてくれた。

ある晩テレビを見ているとテーブルに置いた私の携帯電話が鳴った。番号に心当たりは無い。いぶかりながら出てみると「はい、これはテストです」という、トラうさぎの学芸会のような声が聞こえて来た。「携帯、買ったの?」と聞く私に「聞こえますか?聞こえますか?」と、同じ調子の声。「ねぇ、聞こえてないの? 音量を調節した方がイイんじゃない?」。こちらはついつい大声になってしまう。ところが「ねぇキヨコさん、声が聞こえないんだけど、ここを押せばいいの、ちょっと見てよ」なんて、誰に電話してんのよぉ。そうこうしているうちに「ツー、ツー」と通話の切断された音。一体なんだったんだ?

小一時間待っても、何の連絡も入らないので実家の固定電話にかけてみると、普段の母の声が返って来た。「かけなおして来るのかと待ってたのにぃ」と抗議する私に「まだ、練習中だから。次に東京に行く時までには覚えておくよ」と、既にもてあましモードに入ってしまった気配だ。

さて、その“次に東京に来たとき”トラうさぎが持って来ましたよ“らくらくホンシンプル”を。手にしてみると「話せればイイんですよ、電話なんだから」と、別の会社のCMで松本人志が盛んに言っていた、話せるだけの携帯電話そのものだ。大きさは縦13cm弱、幅5cm、厚さ2cm弱。ちょうど、テレビやエアコンのリモコンと同じくらい。次回か、そのまた次回くらいに上京して来たトラうさぎのバッグから“らくらくホンシンプル”の代わりにリモコンが飛び出す図が、目に浮かぶ。

せっかく持ってきたのだから無事到着を義妹に連絡するようにと促すと、おもむろに「ゼロ・ヨン・ハチ・ゼロ…」と呟きながら電話のかなり大きめな文字盤を押す。「はい、無事着きました。連絡です」。物心ついてから、言いたい事をガンガン言いまくっている母しか見ていなかったのに、この言い方はナンなんだ?! 今更の携帯電話ではあるが“新しい物”を持つと、けっこう緊張する性質だったという、意外なトラうさぎの一面を発見することとなった。

それにしても、家に電話するなら登録機能があるのではないかと、アッチコッチいじってみると、電話機のお尻の辺りに5cm四方の板状のプラスチックがついている。なんじゃこりゃ、充電器に装着するものかいなと、引っ張ってみるとスルリと出て来て、そこに番号と名前が義妹の字で書き込まれている。おおこれは携帯電話帳だぁ。10件まで登録できるらしく、1番の家から始まって、家族の携帯や親戚の電話が記されている。私の番号は家の次、2番=恵子となっていた。その後に義妹の携帯、ご子息である豚弟の方が妻の後の4番だった。ウム、犬は飼われている家族に順位をつけると言うが、義妹も知らないうちにそういうことをしているらしい。人間では私が1番なのだから豚弟の順位は納得してやるとしよう。

「これからは、通話のボタンを押して相手先の番号を押して、又通話って押せば話ができるからね。私のトコには通話・2番・通話。分かった?」「分かった、分かった」って2ツ返事は怪しいなぁ。

トラうさぎの携帯には、買った時についていたピンクのベルトのようなストラップとドコモダケ、義妹がつけてくれたという瓢箪つきの鈴、姪がくれたというイルカのキーホルダー、私がお正月に渡したうさぎの形をした根付と、本体より賑やかに様々なものがついている。「邪魔なら、取っちゃえば」と私が言うと「皆がつけてくれた物だから」と、バッグから取り出す度にアッチコッチに引っ掛けながら、どうにかこうにか引っ張り出しては、携帯の画面にある時間を見ている。「時計が見易いのよ」だそうだ。何かしら役立てば、持っている甲斐があるということになろうか。

実家に母が居る時に、いっくら専用の携帯電話にかけても本人が出たためしがない。虚しく「ただ今、電話に出られません」という音声案内が聞こえてくるだけだ。仕方なく固定電話にかけると「今、千恵(姪)が気付いて持って来たトコ。出ようとしたら切れちゃった」とか「いつの間にか音がしないようになっていた」とか、果ては「いっくらモシモシって言っても聞こえてこないのよ。どこか押さなきゃ駄目なのかい?」って、どんな“らくらくホン”でも、通話ボタンくらい押さなきゃ無理でしょう。もう1度、根本的な部分から義妹に教え込んでもらわないとイカンらしい。

先週はトラうさぎ、携帯電話を持ってからの2度目の登場となった。私が出迎える駅まで行くと、義妹に無事着いたことを報告しなくちゃとおもむろにmy携帯を取り出した。やっと慣れたかと見ていると「時計が見えなくなっちゃったよぉ」と訴えてくる。どれどれ…見事に電池切れです。「電池、入れてよ」っていとも簡単に言ってくれるが、充電器がなくちゃ無理なのだ。

電池の切れた携帯電話を後生大事に持って来たトラうさぎ。仕方なく私と義妹は「バーちゃんの携帯は電池切れです。○時に着きました」「○時○分に乗って帰りました」と、以前のように報告し合わなくなくてはならないのだった。

結局、周りの人間はトラうさぎから携帯電話代わりに、使われているということだろうか。NTTさま、充電も要らない、ボタンも押さなくて良い究極の“らくらくホン”の開発を伏してお願い致します。

2006-08-13 日

ヤクザを弄ぶ女

ベビーフェイスながら、ヤのつく自由人さんの心を弄んだ友達が居る。名古屋の直子だ。もともとは私の知り合いの知り合いにヤクザさんが居たことから話は始まる。私の“知り合い”というのは鎌倉在住の小池さんという年輩の方だ。私が、この方と知り合いになったのも不思議な縁だった。当時(昔の話ばかりで恐縮です)私は、毎週月曜日に仕事の関係で鎌倉の某氏のお宅を訪ねていた。閑静な住宅街、立派なお屋敷の並ぶ一角に某氏の邸宅もあった。そのお隣に『小池』と表札のかかったモダンな作りのお宅があった。広い芝生の庭に面した出窓には、高さが80cmほどもあるアヒルのランプが置かれていた。そのお宅の前を通る度に(どんな人が住んでいるんだろう?)と、私は胸を躍らせていた。なぜなら、子供の頃から私は『小池』という苗字に憧れていたから。だって、私の名前は“けいこ”。小池に嫁げば、上から読んでも下から読んでも“こいけけいこ”、山本山の海苔みたいな回文の名前になれるでしょ。なので、その小池さんチの前を通る度に、芝生の庭を横切って、私を“こいけけいこ”にしてくれる男性が現れることを夢見ていたのだった。

ところが実際に目の前に現れたのは還暦凸凹くらいかと思われる白髪のオヤジ、いえ高齢の紳士だった。某氏を訪ねて一仕事終えた帰り際、白いセドリックを今まさに乗り出そうとするところに出くわした。鎌倉の奥まった細い路地故、端に寄って車が出るのをじっと見守っていると「お待たせしてすみません。駅までなら乗って行きませんか?」と、優しげな声がかかった。口は軽いが尻は重い私。そんな誘いには乗るものか…とは思うものの駅まではけっこうあるし、何しろ相手は小池さんだし即、宗旨替え。有り難く駅まで乗せていただくことにした。ここは度胸一番、息子さんの有無を確認しよう。「あのぉ、窓に可愛いアヒルのランプがありますねぇ」「ああ、息子一家がアメリカ旅行をした時に買って来たんですよ」って。“こいけけいこ”の夢はアッと言う間に儚く消えた。

けれども、相変わらず毎週月曜日には小池さんチのお隣を尋ねていたもので、小池さんとはいつしか顔見知りから仲良しになり、経営しているレストランでご自慢のフレンチを振舞っていただくようになっていった。そして小池さんの幼馴染で、長じてヤのつく自由人の道に進んだ石田さんにも、そのレストランで紹介される機会をもった。幼馴染と言っても小池さんの方が大分年長のようで、縦社会を重んじる職業に身を置く石田さんは、小池さんを“アニさん”と呼んで、ひれ伏している。そして、アニさんと仲良しの私に対しても映画などで見る“アネさん”に対してのような丁重な接し方をしてくれる。

ヤクザさんとは言ってもチンピラとは違う。仲代達也似の石田さんはシルクのスーツに身を包み、持ち物もダンヒル、ミラ・ショーンといったお高めのブランド物ばかりだ。

そんな石田さんに直子が初めて会ったのは、直子がお父さんを亡くした直後のことだ。直子の話を小池さんにすると「私が鎌倉のお父さんになってあげます。鎌倉にご招待しましょう」と言ってくれた。そして、小池さんの都合の悪い時間を埋めてくれたのが石田さんだったのだ。

“アニさん”から二人の美女を託された石田さんは、シルバーのジャガーで東京・横浜・鎌倉と案内してくれた。座席の足元には毛足が10㎝もあるようなフワフワの毛皮が敷かれている。土足厳禁ではないのかと尋ねてみたいようだった。そんな車内でふと見ると、直子の瞳はハートマークに輝いて完全に危ない状態になっているのだった。

食事の席でも、お茶の席でも必ず石田さんの正面に座り、上目遣いに見つめてはため息をついている。でも、直接口をきくことはできず私に通訳(?)をさせる。「石田さんは食べ物何が好きですか?」って、そんなの自分で聞けよ。そうこうしているうちに小池さんがやっとこ駆けつけて来て、石田さんはお役御免となった。「じゃ、私はこれで」と帰って行く石田さんの後姿に直子の目が張り付くこと。その後は、いくら自称鎌倉のお父さんが話しかけても上の空、おーい相手はヤクザさんだぞぉ。

我が家に泊まった直子に、母と私と義妹で代わる代わるに「ヤクザさんは止めようね」と説得しても「どこがヤクザよ、あんな素敵な人がそんなはずないでしょう」と聞く耳をもたない直子。とうとう母に「なんで、そんな人を紹介するの!」と、私が怒られる羽目になってしまった。

直子は石田さんとの2ショット写真を最高のお土産に、名古屋へと帰って行った。暫くして「名古屋の友達に写真を見せたら、ドコから見てもヤクザじゃんと言われ、その友達とは絶交しました」という手紙と共に「石田さんに届けて下さい」と、なぜかハムの貢物が届けられた。なんで私が? とは思うものの、母に言わせりゃ「そんな人を紹介したお前が悪い」と言われるに決まっているので、恐る恐る石田さんにその旨の電話を入れた。

「私、今動けませんので若いもんをやりますから」と言われ、指定された喫茶店に行くと「石田のトコのもんです」と、男性が目の前に現れた。ちっとも若くない。そうか、その世界では格下を指して若いもんというのか、と妙に納得したものだ。

それからというもの、直子はハムを手に足繁く新幹線でやってくるようになった。そして相変わらず、石田さんの前の席に座ってはため息をつくばかり。ヤクザも人の子、自分に思いを寄せている“女の子”に悪い気はしないとみえ直子が上京してくると知ると、小池さんと一緒に姿を見せるのだった。

ところが直子が突然「もう石田さんとは会いたくない」と言って来た。何ゆえ? と尋ねると、たった一言「だってヤクザじゃん!!」

どんだけ言っても「ヤクザじゃない」と言い張っていた直子、一体何をして気付いたのか…。そんな直子の心変わりがあってから程なく、あまりにも呆気無く石田さんは肺癌で他界してしまった。直子の心変わりなど知らぬままに。直子に惚れられていると信じたままに。

我が家では、直子の話題が出ると未だに頭につけるのだった「あの、ヤクザの心を弄んだ女性」と。

2006-08-06 日

免許

就職活動も終えて、最近自動車教習所に通い始めた山田くんから「半クラッチがとっても難しいです。オートマにすれば良かった。姫宮さんも取るならマニュアルは止めた方がイイですよ」という、ご親切なメールが届いた。

おおきにありがとうさん。こう見えても私、十代で運転免許は取得しているのです。でも、どうやら免許証をもっているとは思われないらしく、数年前にも社の先輩から「女性こそ運転免許は必要よ」と、持っていないことを前提にアドバイス(?)されたことがある。やはり、私ってどうしてもお抱え運転手の居る身分に見えてしまうのね。(運動神経に問題ありという意見は却下)

それは、それとしても自分自身ハンドルを握ったら事故を起こすという絶対の自信がある故に、ゴールドの運転免許証は桐の箱に入れ、紫の袱紗に包んで引き出しの奥深くに仕舞ってある。

けれども時々、無謀にも「折角免許があるのなら、隣で指導してあげるから練習したら」と言ってくる命知らずがいるので、そんな時は“命の大切さ”を教えるために、封印している免許証を取り出すこともある。

だいぶ前、埼玉の片田舎に工業団地なるものが計画され、まずは工業用水の為の人工池が掘られた。まだ貯水されて居ない時「この池の周りを回って、中央地点から池の中に下る。そこから坂道発進の練習!」と、吉本の漫才師タカアンドトシなら「お前は教官か?!」と間違いなく突っ込みたくなるようなことを言って、私を指導しようとした同級生がいた。休日のことで工事の人達も居ない、車も通らない広い敷地。運転はしていないが、曲がりなりにも自動車教習所の卒業検定は受かっただけの腕はある。池と言っても、かなりの大きさなのでカーブも緩やか。このくらいならマ、大丈夫でしょう。なので同級生は余裕のヨッちゃん、窓から片腕を出し斜に構えたデカイ態度で「そろそろ中央だから池の中へ下ってみようか」なんて指示を出して来た。

ところが、デカイ態度で悠々と池の底が見えている助手席に反し、運転席の私は座高が低い上に慣れない運転でハンドルにしがみついているものだから、下りに向きを変えた途端、視界から道が消えた。「み・み・道が無い!?」慌てふためいた私は思いっきりUターン。あやうく池の淵で踏みとどまったものの、助手席はパニック。目の前に広い広い池の底が見えているのに、ゆるやかに斜面を車が下りていく様を想像していたのに、大きく車のお尻を振ってスタントもかくやと思うほどのスピンをやられては、五臓六腑がもんどり打って飛び出さんばかりのショックを受けたことだろう。「ビックリしたぁ」を百万遍くらい聞かされてから、「代わろう」と静かに言われた。この言葉に「君には2度と運転席に座らせない」という思いがにじみ出ていたっけ。

別の友達とは私の運転で“有料道路”を走ったことがある。有料道路と言っても○○高速というのとは打って変わったのどかな田舎町を横切る、のまだほんの30kmほどしか開通していない路だ。全線が繋がっているわけではないのでとにかく空いている。ここなら安心。ところが料金所でお金を払おうと停車したものの、どうしても料金がブースに居る人に渡せない。窓から身を乗り出し、腕を伸ばしても駄目。後続車も明後日くらいまで来る気配も無さそうなトコだったので、料金所の中から蛭子能収のような係り員が、ヨッコラショと出て来て、車の正面に立ち、左右の幅を確認した。「これじゃぁ届かないよ」と降りるように手招きする。確かに!! 車は助手席側が、よく擦れなかったと思うくらいギリギリまで左側に寄り、料金所側には1m以上の空間ができているのだった。「良かった空いてるトコで」という私に「それは、こっちの台詞!!」と、助手席と蛭子能収に挟み撃ちにされてハモられてしまった。その時の友達も、その後どんな空いている道路を通っても決して「運転してみる?」とは聞いてこない。

湾岸の6車線だか8車線だかの大きな十字路で、見事にエンストしたこともある。千葉の友達を尋ねた帰り、ここからはずっと真っ直ぐだからという道で「やってごらん」と言われたからハンドルを握った。大きな交差点が迫って来たとき「あそこでエンストなんてしたら最悪だね」なんて言って、ケラケラ笑ったのがまずかった。“言霊”を甘く見てはいけないと、後続のダンプやトラックのクラクションに煽られながら、深く反省したのだった。「やってごらん」と言った友達は助手席で真っ青になってる。こちらも2度と言うまいと反省したことだろう。ところで、こんな状況の中でも焦らず騒がず、エンジンを駆けなおすことができる私って凄くない?!

四輪は無理でも、せっかく免許証があるのだから、せめてバイクくらい自由に乗れるようになりたいものと、グルリグルリと近所の一角を回って腕慣らしをしたこともある。こちらはなかなか快適。案外ライダーの素質があるのかも?! と思った矢先だった。T字路でいくらアクセルを吹かしても、バイクが前進してくれない。女は度胸とばかりにエンジンを全開、思いっきり吹かしたらバイクもろとも体が宙に浮いた。そのまま正面の島田さんチのブロック塀に接触。激突しなかったのは私の腕よ腕。接触の瞬間に思いっきりハンドルを切って左折、何事も無かったようにそのまま、ばく進したのだった。雨上がりの轍にタイヤが取られていたのに気付かなかったのが原因。もちろん、あとから島田さんチにはお詫びに行った。「いいのよぉ。何しろT字路の正面だからしょっちゅうよぉ」と、島田さんの小母さんは大らかに笑ってくれたが、今も、松が姿よく枝を伸ばした、その下辺りのブロック塀には私が描いた黒いタイヤ痕が薄っすらと残っている。

ああ、最後に私にハンドルを握らせてくれた勇気ある人は誰だっただろう。あまりに遠い昔のことで思い出すこともできやしない。

この夏、どなたか私にハンドルを握らせて助手席に座ってみませんか、世界中のどこのオバケ屋敷より、ヒヤッとすること請け合いですよ。