大安吉日ノーテンキ

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2006-12-31 日

電子レンジ

バカラ

バナナを刻んで入れたバカラのボウルに、手作りのカスピ海ヨーグルトをたっぷりとかける。軟骨を再生するというヨシキリ鮫のドリンク剤、そして牛乳にほんの少しインスタント・コーヒーを振り入れ電子レンジでチン。これが私の朝食だ。1年365日、真夏でも真冬でも全く変わることはない。

ところが先日の朝、いつものようにインスタント・コーヒーでほんのり褐色になった牛乳をチンしようとしたのだが、電子レンジの中に入れたマグ・カップが回り始めたと思った途端、バスッという音と共にレンジの明かりが消えた。もちろん、マグカップの牛乳はヌクとも温まらない。ン?と、ドアを開けたり閉めたり、スイッチON・OFFを繰り返すも、レンジは全く働いてはくれない。壊れた?! ウッソォ。

料理をしない私には、出来合いの品を暖めてくれる電子レンジが、食べるためには何物にも代えがたいほどの頼みだ。冷凍室の中は、チンすれば食べられるピラフ、ピザ、グラタンからほうれん草のバター炒め、餃子、白身魚のオーブン焼き、焼きお握り、そして大量に買い込んだ、お気に入りの胡桃とレーズンの入った食パン、実家から送られたとたんに冷凍したお餅と、一部の隙も無いくらいに満杯だ。それに引き換え冷蔵室の常連は、自慢のカスピ海ヨーグルトと牛乳のみ。調理せず食べられる納豆や、芽かぶ、漬物がゲストで居ることもあるが、ガランとなんと寂しいこと。

さて困った、牛乳を温めることすらできないなんて。

こういう時は「そうだマグマ大使を呼ぼう」。ピッピロッピッピーって、フォーリーブスになる前の江木俊夫が泣きつくマグマ大使のように、私も決まって泣きつく従姉妹に電話。「ねぇねぇ、電子レンジが動かなくなっちゃったんだけど…」。「壊れたの? それともヒューズが飛んだだけ?」。ヒューズ? そんなもの頭の隅にもよぎりはしなかった。ちょっと昔、実家ではよくヒューズが飛んだものだ。電化製品が庶民にも手がとどく代物となり、テレビ、掃除機、冷蔵庫、洗濯機、ステレオ、ホットプレート、電子レンジと、家にもどんどん新兵器がやって来た。そんな頃はアンペア数がその仕様に耐えられず、どこの家でもしょっちゅうヒューズが悲鳴を挙げていた。家族が揃ってのクリスマスパーティー当夜。ファンヒーターで温まった部屋にステレオの音楽が鳴り響き、ホットプレートの上では肉と野菜が良い色の焦げ目をつけ、ツリーのイルミネーションが灯り、レンジで鶏を暖め直そうとした瞬間にバスッ。真っ暗な部屋の中で皆が口々に「メリー・クリスマス」ではなく「ヒューズ、ヒューズ」。結局は父が、壁に張り付いている陶製の白いソケットの蓋を開け、スパナを小さく薄くしたような、銀色のヒューズを交換する。ヒューズの代わりにハリガネを使って家事になった家があるなんて話も聞いたことがあったっけ。忙しい朝も炊飯器、テレビ、ヒーター、電子レンジ、そこへ誰かがドライヤーでも使ったひにゃぁ即、バシッ。今はアンペア数も大きくなってヒューズが飛ぶなんて考えもしなかったが、電化製品それ自体にもヒューズってついていたのですね。

ヒューズでもミューズでも良いのだが、問題はこれから当面の食事だ。大好物の牛乳を暖めるのは、ミルクパンに入れてガスにかければこと足りるが、ピラフ、ピザ、グラタンからほうれん草のバター炒め、餃子、白身魚のオーブン焼き、焼きお握り、これらをレンジを使わずにどうやって食べたらよいのか、料理をしない私には皆目見当がつかないぞ。

ぎりぎりで出勤の支度をしている朝、いつものように牛乳を注いだマグカップをレンジに入れて(アッ、そうだ動かないんだった)とガックリ。ミルク・パンに入れなおし、ガスにかけてちょっと洗面所へ。ついでに花瓶の水を代えて、などとやっていたらジュワッジュワッという音とともに焦げ臭い空気が漂ってきた。おっとぉ、ガスレンジは電子レンジのように温まれば止まるわけではないのでした。レンジ台は吹き零れた牛乳で溢れ、中心の金具にはこげ色がついている。慌てて触れればアッチッチだし、金具を外さなければ中にまで牛乳が入ってしまう。今度はガスレンジが使用不能なんてことになったら目もあてられない。顔を作るために使いたい時間を、ひたすらガスレンジの掃除に当てる。あ〜あ、鍋にはミルクが殆ど残ってないし、温め直すための電子レンジは使えないし…。

従姉妹にSOSは出したものの、直ぐに確認に来てくれそうもない。「そのうち見に行ってやるワ。電子レンジなんて無くても炊事くらいできるでしょ」そのうち??? お願いする身としては強いことを言えないのよねぇ。

それからは、鍋一つでできる料理作りに挑戦。電子レンジが元気なら鍋を洗うことだってしなくて済んだのに。まずは、血をサラサラにする玉ねぎと緑黄色野菜の人参をスライサーで細く裂き、水を張った鍋に。沸いてきたところに冷凍のワンタンとそのスープをぶち込む。そこへ、これまた冷凍のうどんを入れて、芯が無くなったら卵を溶いて落す。味? これがなかなかどうして。翌日も玉ねぎと人参は同じ工程、今回はここへ冷凍室からお握りを取り出しまして沈めて崩す。そこに白菜キムチを入れて卵を流し込む。味? 完璧。そのまた翌日は鍋にお湯を沸かし、フリーズドライの卵スープの元を入れる。そこに冷凍しておいたお餅を入れる。味? そりゃあ抜群よぉ(お餅は芯が固かったけど)私って、いざとなれば、包丁も持たない天才シェフ?! なんでも臨機応変にやってみせ、それが又基準値を軽くクリアしちゃうんだから困っちゃう。とは言え、やっぱり電子レンジの無い生活はここまでが限界だ。だからお願い、電子レンジよ蘇れぇ。

こんな状態で果たして私は、無事新年を迎えることができるのだろうか…。

そうそう、お気づきとは思いますが出だしに書いた“バカラのボウル”、すみません見栄を張っていました。バカラなんて、家中どこを探してもございません。お詫びとして、恵比寿ガーデンプレイスのX‘maxに飾られた、正真正銘バカラのシャンデリアの写真をここに掲載致します。

今年も年末までドタバタの姫宮でございますが、1年間おつきあい、ありがとうございました。

皆様、良いお年を。それにつけても、ああ電子レンジ…。

2006-12-24 日

免許更新

東京都民になってから初めて、運転免許証の更新をした。

前回までは住民票が埼玉の実家にあったので、地元の警察で済ませていた。警察は高速道路を降りて直ぐの、市街地からは遥かに離れた場所にある。更新に行く日ばかりは豚弟にスリスリして車に乗せて行ってもらう。「免許もってるくせに…」と言いながらも、それ以上は責めずに毎度、豚弟は警察まで連れて行ってくれた。なぜなら「人身事故を起こす自信がある」と言い切る、この姉の恐ろしさを身をもって知っているからだ。ある年の夏、知り合いの山小屋に家族で行った時のこと。ここなら大丈夫と、車の殆ど通らない高原の道を運転し、なかなか調子がイイジャンと思った次の瞬間、バックで崖下に落ちそうになった。その場面で、助手席に座っていたのが豚弟だった。外で見ていた両親も真夏の暑さなど一瞬にして吹き飛んだ恐怖体験だっただろう。私は(もちょっとバックできたはずなのに)と、今でも密かに思っているのだが。

住民票を都内に移した時、免許証の住所変更は10分ほど歩いた大崎警察署に行って済ませた。麻原彰晃が最初に収監された場所だ。あの日は五反田の駅を降りると、まるで映画のワン・シーンのようにヘリコプターが低く飛び、パトロール・カーや護送車があちらこちらに止まり、報道陣でごった返し、それはそれはものものしい雰囲気だった。その大崎警察に私も足を踏み入れたわけだ。ちょっとした緊張感をもちながら訪れた理由を説明すると、提出した免許証の裏側の備考欄に「住所変更」という黒のゴム印と「東京公安」という朱のゴム印が押され、はいごくろうさん。拍子抜けするほど簡単に事は済んでしまった。でも、これからはこの徒歩圏内の警察に来れば、免許証の更新もできると安心した。豚弟にスリスリする必要も無くなって、姉の威厳も保てるというものだ。

ところが先日「運転免許証更新のお知らせ」というハガキが来てビックリ。都では最寄の警察ではなく、地区によって指定された警察か試験場まで行かなければならないらしい。大崎警察はどこを探しても載っていない。品川区民は警察なら田園調布まで出向かなければならない。そりゃぁワタクシに田園調布はあまりにもピッタリではあるけれど、何も警察に出頭したいとは思わないやねぇ。あとは府中か鮫洲か江東の運転試験場だ。府中は遠いし、鮫洲も駅から離れているようだ。仕方ない、ここは東陽町にある江東試験場に行くことにしよう。

私の方向音痴を熟知している絵美ちゃんからは「歩かないで江東試験場へ行く方法」というメールが届いた。「ウチの駅前から江東試験場行きのバスが出てます。それを利用しなさい」って。しかし、絵美ちゃん言うところの「ウチの駅」は錦糸町駅だ。そこまで行くのには電車で30分以上かかる。東陽町駅までなら23分で行けるというのに。それにしても、自動車運転免許の更新に電車ではるばる行くなんて、なんか納得できないなぁ。

絵美ちゃんが心配した通り半端じゃない方向音痴の私は、自宅と会社以外は殆ど出歩かない。(正確には出歩けない)。なので通勤経路に無い東陽町に向かうのさえ大冒険だ。何度もパソコンで路線図を確認。まず都営浅草線で日本橋に行く。日本橋から東西線に乗り換えて4駅目。ところが東西線は日本橋のホームで表示画面を見ると、次の電車は「快速・東洋勝田台行き」となっている。快速なんて想定外だ。通勤時間帯を過ぎ、のんびりと靴紐を直している青年に質問「あのぉ快速は東陽町に止まりますか?」。止まると聞いてまずはホッ。子供のように一駅一駅確認して4つ目、東陽町に到着。人の流れのままに改札階まで来たものの、どの方向の改札口を出たら良いのか分からない。1番近場の改札口に居る駅員さんに「江東試験場には、どっちに出ればイイですか?」

教えられた改札口を通り地上へは出たけれど、頼りにしていた「案内図」というものが無い。すぐ後から地上にひょっこり顔を出した地下鉄の制服を着た人に尋ねると「ここを真っ直ぐに行きますとトヨタのディーラーが見えます。その手前の信号を右折して直ぐです」と、親切に教えてくれる。ところが真っ直ぐ行きますと「ここ右折、近道」なんていう、道草している赤頭巾ちゃんを誘惑する狼のような看板が現れる。いえいえ、ここは制服さんの言うとおりに致しましょう。近道なんてトコに足を踏み入れて全うに行けたためしの無い方向音痴なのだから。真っ直ぐ行くとありました、ディーラーが。おっと危ない、トヨタではなくホンダです。通り越して行くとトヨタは外壁の改装中でネットで覆われていた。もう少しで見過ごして行ってしまうところだった。教えの通り右折するとありました、「警視庁江東運転免許試験場」が。平日だと言うのに、あっちにもコッチにも列ができている。こんなに免許を更新する人がいるのだから、交通事故が跡を絶たないわけだ。ハンドルを握らない私は、それだけでも交通安全に貢献していると言えるかも。

まずは受付にたどり着くまでの長い列に並ぶ。やっとこ順番が来て更新手数料2800円を払い、手続きの用紙をもらう。書き込んだら、またまた長い列に並ぶ。用紙を渡し、係りの人がチェック。続いて視力の検査だ。視力が左右で極端に違う私だが両目で見るのだからとタカをくくっていたら、なんと片目ずつの検査があった。幸いに良い方の目からだった。悪い方の目に回って来た時、全く見えなかったのだが、直前の記憶をたどって答えてパス。試験官、同じトコ指してアホやでぇ、と思ったものの逆だったらどうなっていたのか。視力検査が無事通過できたあとは写真撮影。そして最後に、これでもかこれでもかという、ガキンチョの飛び出しや、トラックに隠れた自転車との接触などという肝を潰す、交通事故フィルムを見せられてゴールドの優良ドライバーの免許証更新のための1日は終わった。

さてさて、更新された免許証を渡されたものの、肝心なのは先ほど撮影された写真の出来不出来だ。なにしろ前回の写真はそりゃぁもぉ、見せた人全員に「こりゃ酷い」と言われるくらいのもので、他に身分証明書になるものを持ち合わせていない私は、更新前の穴を開けられて使用できなくなっている免許証を持ち歩いていたものだ。さてさて、今回も酷かったら、この先5年間も10年前の免許証を持ち歩かなければならなくなってしまう。

結果は…あららマトモじゃん。普通のスナップ写真のような出来だ。あとで絵美ちゃんから「仲間内でのうわさで、江東が一番写真が可愛く撮れるというので、私もわざわざ江東試験場まで行ってます」という話を聞いた。

この際、ハンドルを握らない優良ドライバーには、浅草マルベル堂のプロマイド並の写真にしてくれるくらいの、サービスをしてくれても良いのではないだろうか。全くご迷惑をかけないままに5年に1度、交通安全協会に“手数料”をお支払いしているのだから。

2006-12-17 日

恐怖

人には、それぞれ怖いものがある。私の周りで多いのが“高所恐怖症”といわれる人達。豚弟もリカコも絵美ちゃんもP氏も、高い所が怖いと言う。豚弟は高い所を飛ぶ飛行機も苦手。入社早々に沖縄出張を命じられ、部長に「片道3日間下さい、船で行きます」と答えてドヤされたらしい。あの根性無しの豚弟に、上司に訴え出るだけの“度胸”を持たせた恐怖症って凄い。それなのに新婚旅行には義妹の「北海道にフェリーで行きましょう」という優しい申し出を蹴り、ハワイへ飛行機で飛んで行った。ゲに愛の力は恐ろしい。

それから数年後、2人の娘に恵まれ、その娘達と遊園地の観覧車に乗った時のファミリー・ビデオが残っているのだが、これがなかなかの傑作である。「わぁ、綺麗!!」「パパ見てみぃツリーが飾ってあるよ」と、窓に顔をつけてはしゃぐ子供達の映像が小刻みに揺れている。時々天井は映るが、綺麗なはずの景色も、姪が指差す観覧車の外のツリーも決して写ってはいない。そのうち姪の解説で謎が解けた。「パパ、なんで震えてるの?」「パパなんで、窓の柵にしがみついてるの?」「パパ、なんで冬なのに汗かいてるの?」。豚弟も娘達にせがまれ、意を決して観覧車に乗ってみたのだろう。乗ってはみたけれど、いくら可愛い子供達と一緒でも“高所恐怖症”は霧散してはくれない。窓の柵にしがみついても、構えたビデオの手は震え、冷や汗はドッとオデコから頬をつたったらしい。

初めてリカコが私のマンションにやって来たときのこと。(リカコはちゃんと分かるかなぁ、大丈夫かなぁ)と、ベランダに出て道路を見下ろすと、まさに目の前の横断歩道を渡ろうとしているリカコが見えた。15階のベランダから手を振ると、リカコも気付いて手を振ってくれる。わぁい、嬉しくなって、もっと大きく手を振ると今度は両手を振ってくれる。もっと嬉しくなって、ベランダの手すりから身を乗り出して両手を振ったら、リカコは猛スピードでマンションに向かって走り出した。あんなに喜んで走って来てくれるなんて、ああなんて可愛いリカコちゃん。私も、大急ぎで部屋を出てエレベーターに飛び乗り、リカコをマンションの玄関まで出迎えに行くことにした。

「いらっしゃい!!」。満面笑みで出迎えると、リカコは「何してるんですか!!」と、お怒りの様子。???。熱い抱擁もOKよと思っていた私には何のことやら分からない。リカコ曰く「あんな高い所から手を振ってぇ…」。危ないから部屋に入れと最初は手を挙げたらしい。その後は両手で下がれ、下がれと部屋に押し戻すジェスチャーだった。ところが手すりから身を乗り出すに至って、とても見てはおれないと猛ダッシュしたというのだ。15階から道路を見下ろしても、ちっとも恐怖を感じないノーテンキな私と、下から15階を見上げただけで身のすくむリカコの、まさに天と地ほどの心持の違いを思い知らされた出来事だった。でも、姿が見えると嬉しくて、未だにやって来るリカコについつい手を振りたくなってしまう私なのよねぇ。

絵美ちゃんとは、賢島から的矢まで新鮮な牡蠣を求めてはるばると行ったことがある。足の不便な所で、行きは宿からタクシーを呼んでもらったものの、帰りはプラプラと車が通るのを待ちながら歩いていた。するとやたらと絵美ちゃんは車道を歩く。そりゃぁ見渡す限り車は見えないけど、車は二人の足より遥かに早い。ちゃんと歩道があることだし「歩道を歩こうよぉ」と、叫んでみたのだが、その答えが「だって怖いんだもん」。どうも、私にとっては、眼下に海が広がる素晴らしい見晴らしが、これまた“高所恐怖症”の絵美ちゃんには耐え難かったらしい。折角の絶景も、きっと“高所恐怖症”の人達にとってはブラックホールのように引きずり込まれそうな恐怖の場所となってしまうのだろう。

でもねぇ、絵美ちゃんはサイパンで体験したパラセーリングのことを、楽しそうに話していたし、リカコは9cmや10cmという高いピンヒールをお気に入りで履いているし、とっても不思議。

P氏は“高所恐怖症”だけでなく幽霊が怖いと真顔で言う。昔から霊感が強い方で病院やらお墓などに行くと、帰りに必ずその手のお土産をもらって来てしまうらしい。「ドット疲れるんですよぉ」とか。1度は自分の首が胴体から離れているのを感じたことまであるんだそうで「女房も首が浮いてたって言ってました」と恐ろしいことを立証しようとする。交通事故があった場所は直ぐに察知するし、そんな所を遅い時間に独りで歩く時は「どこからでもかかって来い、怖くなんかないぞぉ」って叫びながら走るそうだ。たまたま、そんな場面を目撃した人はさぞ怖い思いをされることだろう。「私の家の中が幽霊さんの通り路になっているらしく、しょっちゅう往来するのが見えるんですよ」なんて話を、呑んでる席で何度聞かされたことか。「怖いですよぉ」などと言いながら、こちらが「もう、その話はけっこうです」と辞退しても、酔うほどに繰り返す。これって怖がっているというより、楽しんでいるのではなかろうかと思えてくる。

さてと、ここで考えた。私は一体何が怖いのだろう。なんとかと煙のように高い所も大好きだし、ゴキブリも素手でこそ無理だが、丸めた新聞紙やスリッパで叩いてティッシュに包んで捨てることは平気。雷も子供のころはいつ落ちて来て、家が丸焼けになるかと怖かったが、長じるに従い稲妻の閃光に見とれ、その瞬間の写真撮影に挑んだりもしている。幽霊さんも、きっとおいでになるとは思うものの独り暮らしが長いと、真っ暗な部屋が怖いなどとは言っていられない。そうだ、寝室とトイレの電球も切れかかっていたんだっけ。死ぬのも、他界している大好きな父に再会できるなら嬉しいし、夫も子供もペットも居ない身としては、後ろ髪引かれるものは無い。

高所も、ゴキブリも、雷も死ぬことさえも怖くないとなると…。

落語ではないけれど「饅頭怖い、ついでにお茶も」と、止めどない食欲とそれに伴ってまだまだ増える体重くらいしか怖い物も無くなってしまったかな。

ケーキも怖い、コーヒーも怖い、ステーキもお寿司も中華も怖い?!

2006-12-10 日

音痴家族

お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル「笑いを一切捨てて歌だけで真剣勝負!」と銘打った、お笑い芸人の“のど自慢”番組を見た。真剣勝負というだけあって、皆なかなかの熱唱だ。キモイとか不細工とか言われ放題のお笑い芸人達の、普段と打って変わったその素晴らしい歌声に、会場の女性達がどよめきピンクのため息や歓声が溢れる。審査員を仰せつかった女性タレントも「今日は男前に見えたわぁ」と、潤んだお目目でコメントをしていた。

“ハリセンボン”という女性の漫才コンビの片割れは、細い体型と前歯の神経が死んでいて、色も黒く変わってしまっていることから死神と囃されている。そして、普段の口調は、死神そのままにか細く弱弱しい。常に俯きカゲンの体勢は、目の前にしたら誰もが、一歩も二歩も引いてしまうだろう。ところが、歌い出しから驚かされた。曲名もプリンセス・プリンセスの♪ダイヤモンド。アップテンポの元気な曲を、顔を上げ、リズミカルに声量豊かに歌うではないの。そこには死神とはかけ離れた元気ハツラツの若いエネルギーがはちきれそうなギャル(古い?)がいる。

いいなぁ、歌がうまいって…。私は、というより我が家は父を筆頭に皆、自他共に認める筋金入りの音痴である。それでも母は普段から、民謡だ、社交ダンスだ、カラオケだと声を出したり、体を動かしたりしているので、知らず知らずに人前でも歌えるだけの技量が備わったようだ。公民館や市民ホールで行われる、高齢者のためのカラオケ大会などには勇んで参加して、それなりに拍手をもらっている。しかし、カセット・テープをまわしながらの練習段階では、幼かった姪達の方が早くしかも、正確に覚え「バーちゃん、そこは上がるんだよ。そこは下がるってこの前言ったでしょ」なんて、厳しくチェックされていた。そんな様子を見て賢明なる豚弟の妻は、姪たちに早くからピアノ教室に通わせ、姫宮家の呪われた“音痴”の連鎖を必死に断とうとした。2人の姪は母親の願いが叶い、ピアノを弾きこなし、リズム感も具え姫宮家有史以来の“音痴”の連鎖を見事断つことに成功したのだった。そして音楽の素養を身につけて姪たちに、彼女らの祖母であるバーちゃんから「2人で歌いながら家々を回っておいで」と“あほう鳥姉妹”の芸名まで授けられもした。残念ながら、デビューのきっかけが無いままに今にいたっているが。

豚弟などは、入社した会社の新人歓迎会の席で「歌え!!」と言われ、当時流行っていた♪与作をリクエストされたという。言われるままに新人は♪トントント〜ン と心を込めて歌ったのだが、途中で浴びせられた先輩諸氏からのお言葉は「▲●も逃げ出す姫宮の音痴」。▲●には、それまでの歴代の音痴の名前が入っていたのは言うまでもない。

 豚弟の部屋からは、小室等、みなみこうせつ、吉田拓郎のテープが流れ、かき鳴らすフォークギターの音色も聞こえて来ていた。ところが肉声の歌声が聞こえてくるのは、「姫宮はもてません」と、太鼓判を押しつつ自分の彼女の写真を「お姉さん、今度の彼女綺麗でしょ」と見せびらかす豚弟の親友、伊東君のものだけなのだ。どうやら、音痴の豚弟は伴奏のみに、これ勤めていたらしい。

父は、家を建て直した時、田舎のこととて親戚縁者を迎えて披露の宴を催した。その時、近所の人が、わざわざカラオケの機械を持ち込んで来た。これがあれば、盛り上がるだろうというご好意だ。しかし、主催者側の我が家では「余計な物を…」というのが両親・娘・息子の一致したお腹の中。

カラオケ大好きの来客の歌で大いに盛り上がったお披露目の席も、一巡すると飛んで来ました「姫宮家が誰も歌ってないぞぉ」と、お酒も回ってきた伯父の声が。父は「私は、オヤジの遺言で歌えません」と陳腐な言いわけをしながら頑としての拒否。私は「イヤいや」と乙女チックに辞退。母は、台所に篭城。そうなると「長男、歌え!!」の声に、豚弟も断りようがない。ここで、選曲したのが杉良太郎の♪すきま風。「新築の祝いの席で♪すきま風を選ぶ奴が居るか?!」と、伯父にチャチャを入れられながらも豚弟は、さんざん音痴をはやされて♪傷ついてすきま風知るだろうぉ〜 と、哀愁を帯びて歌っていた。しかし、初めて聞いた豚弟の歌は、想像していたよりはマトモで、当時は姫宮家一の“のど自慢”と言えたのかもしれない。甲乙付け難し、ではなく丙丁のつけにくい家族ではあった。

そんな姫宮家の長女もたまには友達とカラオケに繰り出すことがある。友達と言っても殆どが10歳前後も年下だもので、私が歌っても元の歌も知らない年代なので“音痴”のそしりは免れることができた。その上に、カルチャー・ショックを与えることもできる。言われて初めて気づいたのが「姫宮さんの歌う曲は3番まであるんですね」。そうか、最近の曲は1番、2番、3番とはっきりセンテンスになっているわけでなく、いつの間にか始まって終わっているのが多い。歌詞も“花鳥風月”や恋や愛、熱き青春を歌った歌謡曲とは大分違う。母に言わせると「朝起きて、歯を磨いて顔を洗ってって、何が歌詞かねぇ」という日常の生活が、これまた摩訶不思議なメロディーになって流れている雰囲気がある。ん〜、ついて行けない。何より、歌本が回って来て選曲しようにも、歌のタイトルなんだか歌っているグループの名前なんだかも判断がつかない。TMレボリューションなんて、どんなグループかと思ったら、西川なにがしという歌手が一人で歌っている。ならそのまま西川君の名前のままで良いではないか。

名前がどうでも歌詞がどうでも、歌が上手く声量も豊かでリズム感のある人たちは、真逆の私からしたら誠に羨ましい限りだ。スポット・ライトを浴び感情を込めて愛のメロディーをやんやの喝采の元、歌い上げることができたなら、音痴人生ン十年そのまま昇天してしまってもいいくらいだ。

ああ、サンタさん。今年のクリスマスに倖田来未のような音感とリズム感と、豊かな声量を私に下さい。ついでに、あの豊かな胸もいただけたらそりゃあもぉ大喜びさぁ。

2006-12-03 日

年賀状

大変だ、大変だ、今年は年賀状を自分で作らなきゃならなくなってしまった。

何を隠そうこの私、芋ばんや蜜柑のあぶり出しで「食べ物を無駄にするんじゃないの!!」と母に怒られながら年賀状を作っていた子供の頃をのぞくと、ずっと“下請け”に出して、毎年ノンビリと宛名だけを書けば事足りる年賀状人生を送っていたのだった。

“プリントゴッコ”という有り難い器具が世に出てからは、機械好きの豚弟に「この図柄で、この文章」と指示を出しさえすれば、アッという間に年賀状の裏面がプリントアウトされる。自分の悪筆や、センスのカケラも無い干支の絵に悩まされることもなくなった。もちろん、自分の住所も片隅に入れてもらう。これだって「字を書くくらいなら、恥をかいた方がマシ」と嘯く母の娘だもので、字を書かずに済むならどんだけ助かるか。お陰で、表の宛名だけを炬燵で蜜柑でも食べながらのたり、のたりと書けばいい。

数年前からは、私の数多いファンのうちの一人がPCで作ってくれるようになっていた。年末が近づくと、年賀状用のイラストや写真、文章までがワンサカ載った本を差し出し「どういうのが良いか、選んでおいて下さい」と恭しく言われる。「うむ分かった。選んでやろうぞ」。最初の頃は、はがきまで「普通のでは駄目なんです」と言われ、それは私には購入できない特別なはがきなのかと、全てをお任せしていた。さすがに、ここ数年は「PC用をお願いします」と言えば郵便局はもちろん、お祭りの屋台のように、局員が「年賀状いかがですか」と、道行く人を呼びこんでいる出店でも、ちゃんと用意して売っているということを知り、年賀はがきの用意だけはするようになった。なので、そこで初めて自分が毎年、何人の方々に年賀状を出しているかを知った次第。それまでは少なければ「足りないから作って」と頼み、余ればお年玉番号の抽選の時を楽しみにする。枚数なんて数えたことなど無かった。今年、購入した年賀状は、ご不幸があった方の分を除いて50枚。親戚縁者、会社関係は除いた本当に親しくお付き合い願っている人だけなのだから、少なくはないと自負している。そして、この除いたご不幸があった人の中に、年賀状請負人のファンが含まれているのだった。だもんで、今年は自力でやるっきゃないのだ、年賀状作り。

お茶を飲ませてしまったが、緊急入院させたVAIOちゃんは元気に帰って来た。プリンターも従姉妹が「放ったらかしにしてるのが在ったから」と、夏に持ってきてくれたCanonのBJ S500が在る。このプリンター、放ったらかしにされていただけあり埃まみれの見るも無残な姿だったが、私が愛情タップリに拭き拭きしてあげたら♪ピッカピカの一年生のように蘇った。そしてその時に一通り、デジカメで撮った写真の印刷のしかたを教えてもらった。“筆ぐるめ”という、はがきが簡単に作成できるソフトの使い方もやって見せてくれた。その場で、表面用にアドレスを入力しておくよう勧められ、素直な私はせっせと知人の住所を入力した。あらあら私ったら、蟻さんのように夏にキッチリと年賀状作りの基礎は築いてあるじゃないの。

「では、早速に取り掛かるといたしましょう」と、勢い込んではみたものの、50人分以上入れたはずのアドレスが、最初の新井俊子さんしか出てこない。何度試しても、新井俊子様、新井俊子様、新井俊子様…分かった分かった、新井俊子様はわかったから次の石井様に変わってちょうだい。

あっちをいじり、こっちをいじりしても駄目。これは“筆ぐるめ”を教えてくれた従姉妹に泣きつくほか無い。「SOS、“筆ぐるめ”が言う事をきいてくれないよぉ、手取り足取り教えに来てよぉ」。従姉妹は「画面の指示通りにやればイイ」と、冷たい。泣いてすかして「仕方ない、休日に行ってやるよ」の、お言葉を勝ち取った。

そして休日。止めておいたはずの携帯のアラームが煩く鳴っている。休みの日は切っているはずなのにぃと眠気眼のまま携帯を取り“PWRHLD”なる、何でもOFFになるボタンを押した。布団を被り直して「アッ!!」と思った。今のはアラームではなく、電話の呼び出し音だ。携帯を開いてみると従姉妹の携帯からの電話だった。「ごめん、ごめん。アラームと間違えて切っちゃったぁ」に、さすがに従姉妹はカンカン「何時まで寝てんのよ、人が休みを潰して来てやってるのに!!」「夜、眠れなくてサァ、朝早くに目が覚めちゃってさぁ…」必死に言い訳する私に「いいから、早く開けなさい」。そうでした。私は“オート・ロック”の高級マンションの住人だったのでした。

飛び起きて時計を見るとアララ、11時を回っている。大急ぎでパジャマを脱ぎ捨てオオワラワでお着替え、お着替え。昨夜部屋干しした洗濯物をベランダに移動する。

部屋のブザーを押す頃にも、従姉妹のお怒りは静まっていなかった。けれども、ベランダの洗濯物を見るなり「あら、洗濯はしたんだ」「そうそう、早くに目が覚めて洗濯して横になったら寝ちゃったのよ」。どの口が言うのでしょうぺらぺらと嘘八百を。まっとうな家庭生活を営んでいる従姉妹の頭には、洗濯は陽が昇った朝にするものという固定概念があるらしい。おかげで一旦起きて寝たというのが信憑性を帯びてきた。これで従姉妹より怖い我が母、トラうさぎに告げ口もされずに済みそうだ。

従姉妹の噛み締めた苦虫も、私が心を込めて入れたコーヒーでどうやら治まったらしい。「住所録が出ないのね」と従姉妹がPCの前に座ってクリック。アラ不思議、私が必死で探した住所録も、もちろん文章もキッチリと出てくるではないの。どうやらPCは人を見るらしい。

結局今年も、人様を煩わせることによってなんとか年賀状を出すことができる私だった。

従姉妹にお礼?「そのジャンパー、小さいんじゃない? 私なら丁度イイと思うよ」と、身ぐるみ剥いだのは、この私。「買ったばっかりなのにぃ」と言いつつも、新品のジャンパーを脱がされ、私のクローゼットで眠っていたウワッパリを羽織って帰ったのは、わざわざ埼玉の片田舎から出てきてくれた従姉妹だった。ありがたや、ありがたや。