大安吉日ノーテンキ

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2007-04-29 日

蒲田さんと一緒

職場の雰囲気が、たった一人の人間の入れ替わりで、こんなにも変わるとは。

蒲田さんが、暗くて重くて攻撃的だった隣人と、春の人事異動でチェンジになってからほぼ2ヶ月。毎日、半端じゃなく楽しませてもらっている。

6年程前に1年間、同じ職場で机を並べたことがあり、その人となりは充分承知していたはずなのだが、蒲田さんはこの6年間で長足の進歩(?)を遂げていたらしい。周りに与える、スリルと癒しという両極端のパワーに圧倒されて、まぁ時間が経つのが早いこと。

まずは、デスク周りが“蒲田さんここにあり”を主張している。ご本尊のデスクと、両脇に置かれたPC用の予備デスク、合わせてほぼ3台分が、アッと言う間に書類の山と化してしまった。蒲田さんの左側は、スタッフさんが使っていたはずだし、右側は私が利用していたはずなのだが、そんなことはお構いなし。国境無き医師団なら素晴らしいが、境界無き侵略者には困ったものだ。せめてもと「共用部分(いつの間に?)には、絶対に液体は置かないこと!」と、きつくお達しを出した。

入社早々に蒲田さんは、この部署に身を置いたことがあったらしい。なので、引き継ぎも余裕のヨッチャン(古ッ)。「やったことあります」「知ってます」「分かります」と、ポジティブな言葉ばかりが飛び出す。そして「私、エクセル得意ですから」と大見得も切ったものだ。

グアッ。いざ、蓋を開けたらさぁ大変。「おかしいなぁ」「へんだなぁ」「難しいなぁ」と、間逆な言葉ばかりが聞こえてくる。そして、それと同時に「姫宮せんせ〜」「姫宮さまぁ〜」「け・こ・ぉ・さぁぁぁん」と、私にSOSを発する声が悲鳴のように響き渡る。

「知ってるって言ってたでしょ?!」と言うと「聞いてる時は簡単に思ったし、覚えてると思ったんですけどねぇ…」って。どちらにしても、明るくゴロニャンされては拒むこともできない。出社したら退社するまで、耳に「姫宮さぁ〜ん」「ケッコさ〜ん」の声がこだまする。新人研修等でティーチングは上手と定評(オホホ)のある私故、どんなアホな、おっとぉ、どのような低次元の、ちゃうちゃう、どのようなお悩みにも優しくお答え致します。(占い師か)。

しかし、あまりにも頻繁に声はかかるし、すぐ横に来て至近距離で顔を覗かれると、思わず「シッシッ」と言いたくもなる。けれど「シッシッ」と言っても、いっこうに自分のデスクに戻らない。ある時、あんまりくどく「でね、姫宮先生ここはさぁ」とか「あそこはさぁ…」と、言ってくるので、思わず蒲田さんのデスクを指差して「ハウス!!」と言ってしまった。するとアラ不思議、スゴスゴとご自分のデスクに戻るではないの。これだぁ。それからは、「ハウス」を重宝に使わせてもらっている。そして、その言葉で席に戻る蒲田さん。きっと、この素直さが失敗しても周りから疎まれない理由の一つなのだろう。

ある日、蒲田さんの向かいの席に居るために、私が休むと質問攻めに遭っている青年Sが、泣きついてきた。「あのぉ、蒲田さんてエクセル得意だって仰ってましたよねぇ」「そうね、私もそう聞いたワ」。「あのぉ、蒲田さんエクセル、開けないんですけど…」「?!」。

この衝撃を何に例えましょう。蒲田さんのことも知っている友達の絵美ちゃんに、この事実を伝えると。「笑点なら座布団もらえるよぉ」と、大いに受けてくれた。

絵美ちゃんと私は大受けで笑ってられるのだが、青年Sは、それからというもの蒲田さんの「エクセル、最初の1歩から」のご指導にこれ勤めなくてはならなくなった。「アッ、そこは押しちゃ駄目」「ウインドゥは1つ開いたら1つは閉じる。なんで20個もいっぺんに画面が並ぶの?!」「ウィンドゥ1つを消すのに、なんだってPCを閉じちゃうの?それじゃ最初の立ち上げから始めなきゃならないでしょ?!」。ウム、ご苦労さま。それにしても、いつからここは“アビヴァ”になったのだろう。

“聞くと見るとは大違い”を地でいっている蒲田さんに聞いてみた。「エクセル得意だって言ってたよねぇ。その自信はどこから来るの?」「前向きに、自分に暗示をかけてるんです」。なるほどぉ、心がけはとっても立派だ。内容が伴ってくれたら、なおけっこうなんだけどねぇ。

いっつもニコニコ笑顔の蒲田さんなのだが、その笑顔に騙されてはいけない。ニコニコとこちらの話を聞いていると思っていると、ドリフターズやたけし軍団よりも、モロにズッコケて、ぎっくり腰にもなりかねない目に遭わされる。

人事考課なる作業のために、部長と部員がサシで話す時間を決めている時のこと。どこの部署でも同じ時期に同じ作業が始まるわけだから、場所を確保するのが大変だ。なので、我々の部署は、某日の午前中しか応接室が取れないという報告を私はしていた。「…ということで、○日の午前中で希望の時間があったら言って下さい」と。すると、蒲田さんが元気に手を挙げて答えた。「私は午後の2時でお願いします」。あのさぁ、人の話聞いてた?

わが部署は、世間様に逆らって(?)未だに土曜出社、日・祭日の出社が当たり前になっている。一人だけ出社という場合もかなりある。その一人だけの休みの当番が蒲田さんに回って来た時のこと、なんと部員全員が(こっそり、自分も出よう)と考えていたということが判明。やっぱり蒲田さん一人では心もとないというのが一致した思いだ。だけど、これって凄いことですよ。皆の心が一つになって、蒲田さんのために大切な自分の休みを使おうというのだから。結局は、蒲田さんのパソコン個人教授に就任した青年Sが一緒に出社するということで、落ち着いた。

週が明けて「どうだった?」と青年Sに聞くと、普段は6時前には終わる仕事が8時過ぎまでかかったという事だった。♪ほんとに、ホントニ、本当にほんとにご苦労さん。

この春までは、○ソ生意気な感じのする青年だったが、すっかり蒲田さんのペースに巻き込まれ毒気が抜けた気がする。

こうして周り中に、少なからず影響を与えながら、今日も我が道を突き進む蒲田さんなのだった。

2007-04-22 日

困った、困った

困った、困った、いよいよもって本当に困った。

『大安吉日ノーテンキ』4月22日付けの文章がまだ書けない。

そもそも、思い返してもみても無謀なのだ。特技=無し。趣味=無し。旅行もしなければ、食通でもファッションに興味をもつでもない。映画も観なければ、コンサートにも行かない。こんな、取り柄といったら美しさと気高さくらいのワタクシが(何か?)毎週、毎週コンスタントにエッセーを書くなんてこと、所詮、無理な話に決まっている。

そんな無理な話を、梁塵社という吹けば飛びそな、文字通り塵のように小さな出版社(ご免なさい)の編集長におだてられて引き受けてしまったのが2004年の7月。それからは、人参を目の前に吊るされ、お尻を蹴られながら必死にネタをみつけては書き続けて来た。

“奇跡”って言葉があるのだから、奇跡は起こり、スラスラとエッセーが書けるようになる日が来ると信じてみることにした。

けれども、4月15日掲載分までは、やっとこすっとこ青息吐息で来たものの、息が絶える時がどうやら訪れてしまったようだ。もうもう、逆さに吊るされてもエッセーのネタもエの字も出やしない。もはやこれまで。刀は折れて、矢は尽きてしまいましたよ。

ああ、何かネタがあればなぁ。

その昔、特技は確かにありました「寝だめ」。ところが年を重ねるごとに、寝るにもエネルギーが要るということを知らされました。床に入っても、なかなか寝付かれないし、眠りは浅いし、早朝に目が覚めてしまう。それが平日だけでなく、せっかくの日曜日まで続くのだ。これでは「寝だめ」も何もあったものではない。

趣味は敢えて言うなら“テレビ観賞”だ。25歳という年齢と計算が合わないけれど、テレビが誕生したのと同じ年にこの世にお目見えした私は、テレビをこよなく愛している。テレビ・ドラマをビデオに録画して休日にゆっくり見るのも好きだ。

でもねぇ、リカコが撮ってくれた『のだめカンタービレ』のビデオをワンクール分、朝から晩まで、1日で全て見倒したなんて程度では、とてもとてもおこがましくて、声を大にして「テレビが趣味です」とも言えまい。

旅行に最後に行ったのは何年前だっただろう。絵美ちゃんに連れられて会社の寮がある熱海に出かけた。冬の花火を見ようというものだった。品川で落ち合って、東海道線各駅停車の旅。熱海と言ったら、私は新幹線か踊り子号しか頭になかったが、さすが旅慣れた絵美ちゃんは「それほど時間かからないし、もったいないですよ」。なるほど。1時間半程度の乗車で料金が二分の一以下で済むなんて、これは一考の価値あり。しかも、けっこう車内は空いている。絵美ちゃんはしっかり持参した缶ビールを空けている。飲めない私にはちゃんとグレープフルーツ・サワーを用意してくれているのが、ツアコン絵美ちゃんらしいところだ。BOXシートの東北本線(現・宇都宮線)では、懐かしがって乗り込んで来た同じ部署のオヤジと、上野の構内で買ったかまぼこを食べたこともあるけれど、横一列のシートでアルコールを飲んだのは初めてだった。

熱海の寮では、のんびりと早めの夕食を摂り終わった頃に、館内放送で花火大会開始直前のアナウンスが入る。皆さんそそくさと伊豆山の上に建つ寮のベランダに出て、遥かな海を見下ろし「玉や〜」の始まりを待つ。

さて、絵美ちゃんと私は、この時とばかりに皆様には背を向けて、大浴場に突進。電気を消してヌクヌクと暖まりながら、厳冬の夜空に広がる大輪の花火を2人占めすることができた。もちろん大浴場も。アッタマいい!!(絵美ちゃんがね)

その絵美ちゃんに指摘されるのが、食事に対しての思い入れの無さだ。食べ物に興味が強ければ東海林さだおさんのように、シリーズ化するほどのエッセーが書けた…かも知れない。しかし私の場合は東海林さんのような“あれも食いたい、これも食いたい”のこだわりもなく、まぁあれでもいいし、これでもいいかという程度の食への関心度だ。お腹が空いたら、何かを食べればイイヤという人間は、同じ物を食べ続けるのも平気だ。

神田明神下の銭形の親分を長年演じた大川橋蔵丈は、京都は太秦の食堂で、最初に薦められたうどんだか、お蕎麦だかをずっと食べ続けたそうな。さすがに見かねたお付の人が別の物を薦めると、今度はそれをず〜っと。食へのこだわりを、あまりお持ちでなかったのと、薦めてくれた人への気遣いとからだったのだろう。

私が、浅草はマルベル堂で、生まれて初めて購入したプロマイドが、凛々しい“銭形平次”に扮した大川橋蔵丈だった。やっぱり惹き付けあうものがあったのね。

いけない、いけない、神田明神下をお静さんを気取って歩いてる場合ではなかったのだ。時間が迫っている、仏の編集長の顔が鬼の形相に変わっていくのが見える。でも、ネタは無い。

絵美ちゃんに泣きつくと、サラリと言ってのけられた。「だからぁ、姫宮さんの話が1番面白いんだから、それを書けばいいんですよぉ」。男運の悪い姫宮話が、泣けるし笑えると言うのだ。そうよねぇ、初恋は転校してきた同級生だった。あっという間にレモンの香りの胸キュンな初恋をして、あっという間に転校されてしまったんだっけ。あの時は悲しかったなぁ。その衝撃が大きくて、それからはまっとうな恋に縁が無い。ちょっとイイナと思った人には、これまた、あっという間にストーカーに変身された。会社の階段で待ち伏せされたり、友達と入った喫茶店の横の席に座られたり、挙句には電車の動いていない時間にチャリンコで尋ねてこられたこともあったっけ。その後、どうしても好きになれず「ごめんなさい」した人からは石川達三著『幼くて愛を知らず』なんていう本が送りつけられ益々嫌いになったっけ。でも今にして思うと当たっているかも。

おっと、こんな感慨に耽っている時ではなかった。ネタは無いか、ノーテンキなネタは落ちてないものか。

2007-04-15 日

下妻物語

フェミニン?

ここのところ、レースをあしらった服をよく見かける。しかも、スカートの裾からのぞいていたりするのが多いものだからチト困る。あれは“シミチョロ”ではないのだろうか? と悩む。今では死語となってしまった、シミーズがチョロっとスカートから顔を出しているという意味だが、もしそうなら「もしもし…」って、ご注進申し上げなければ可愛そうだ。しかし、それがファッションだったら「大きなお世話よ」と言われるのがオチだろう。

数年前、母がタグを出して歩いている“お嬢さん”に「もしもし、服が表裏ですよ。タグが出てますよ」と教えて差し上げたところ「こういうデザインなんです!」と、キッと睨まれてしまったらしい。未だにその光景を思い出しては「人が親切に教えてやったのに、なんなのあの態度は」と、怒り狂っている。それからは、どんな格好を見ても「ああいうデザイン」と肝に銘じてグッと堪えているらしい。

それにしても、母の年代の人々には堪えねばならない事例が、巷にあまた溢れていることよ。縫い代が表になったカットソー、わざと色落ちさせたり穴ぼこだらけにした新品のジーンズ、下着のままで街中をかっぽしているようなキャミソール姿…。

昨日は、裾にレースがついた黒のダスター・コート姿のOLを見かけた。明らかに“シミチョロ”ではないと分かったが、ダスターコートの裾にレースはいくら流行と言っても違和感があった。だってダスターコートって埃(Dust)除けという意味合いのものでしょう。埃除けとレースはどう考えたってそぐわないでしょ。と、常識を考えていては今時のファッションにはついて行けないということかな。

それにしてもよ、ダスターコートの裾になんだってレースのヒラヒラがつかなきゃならないのか、どうしても理解に苦しんじゃうのよねぇって、くどい?!。なにしろ私は幼い頃から“シンプル・イズ・ベスト”がモットーの人間で、母や、私を舐めるように可愛がってくれた近所の斉藤さんチのおばちゃんが、可愛いもの、ピンクのヒラヒラがついたような服を着せようとしても、断固拒否。子供ながらに選ぶものと言ったら白・黒・紺・グレーという美輪明宏さまがごらんになったら「そんなの着てるから運気が下がるのよ」と言われる色ばかりだ。アッ、今頃己の運の悪い原因を知った。自ら招いたものだったのね。

母は“テーラーなにがし”から「養女に欲しい」と言われたくらいに器用な人で、紳士物のコートまで難なく仕立てる腕を持っている。なので私は、赤ん坊のミギリより涎掛けから始まって、社会人になっての第一歩である入社式でのスーツまで、全て母の手作りだけを纏って成長した。中学校、高等学校の制服ももちろん母の手作りだった。高等学校時代の制服はヒダのジャンパースカートに背広式の上着だったのだが、野暮ったい片田舎の中・高校生の中で、私の上着だけはウエストが絞られ、なかなかに“カッコ”良く自慢だった。

成人式も私は振袖ではなく、母にせがんでワンピースとコートを作ってもらいそれで出席した。黒地に、流石にこの時ばかりはピンクの花が咲く、ウールのレースでできたワンピースに、大きな襟のついた茶色のコートだった。式後、友達数人と一緒にスナップ写真を撮ってもらったのだが、この時、不思議な感覚を覚えた。スカートではあったけれど、洋装で真ん中に立ち、振袖の乙女に囲まれていると、まるで宝塚の男役にでもなった気分だった。なるほど、美しく着飾った女性をはべらすって、やっぱり気分の良いものなのね。鼻の下を伸ばしたオヤジの気持ちもちょっと分かった気がしたものだ。

こんなにまで母の手作りの服にこだわった私だが、いくら母が勧めてもピンクや赤やオレンジの布地は選ばず、デザインもそのまま制服になるような物にしか首を縦にふらなかった。なので、折角オーダー・メイドの服を着ることができるという贅沢な人生も、変わり栄えのしない服ばかり作ってもらっていたのだった。こんなに美しく可愛い一人娘、母はさぞ飾り立てたかったろうに。さぞかし飾り甲斐もあったろうに。

そして歳月は流れ、今頃になって(親の意見とナスビの花は…)の言葉をかみしめている。やっぱり可愛い服は、着て似合う時期に着ておくべきだったと後悔しきりの日々なのだ。だって、今すっごぉくピンクのフリフリの服や、うさぎちゃんのように白いモコモコの服を着てみたいなぁなんていう思いに陥っている私なんですもの。ウフッ。って、可愛い子ちゃんキャラで言ってみました。

『下妻物語』に出てくる深田恭子のようにピンクのフリフリの服を着てみたい。歌手の浜崎あゆみのように、フランス人形のような格好をして、スカーレット・オハラが被ったような帽子をかぶり、その帽子から伸びた飾りのリボンを大きな蝶ちょ結びにして首もとを飾ってみたい。なんなら、秋葉原のメイド喫茶や、アンナミラーズの制服でもいい。

でも、今更そんな格好をして歩いたら、行き交う人の目が点になってしまうだろうな。ひきつけを起こす人が続出してしまうだろうな。

仕方ない、ここは“欲望”をグッと抑えて、リカコに髪を“亜麻色の髪の乙女”色に染めてもらい、ピンクのカーディガンでも着て、春の陽気の中をスキップすることでガマンしましょうか。

社内のバーコードおじさんが「毛のあるうちにオールバックを1度やっておけば良かったよぉ」としみじみと言っていたことがある。やっぱりねぇ。

2007-04-08 日

あ〜あ、又こんなに暗い色になっちゃったぁ。

休日の昼下がり、自分で髪を染めた。白髪染め? イエイエ、私の場合はあくまでも“おしゃれ染め”よ。

正直なところ、ちょっとは白髪もあるけれど友達に「嫌味だ」と言われる私の髪は、真っ黒くろすけなのだ。多い・固い・太いという乙女としては三重苦の上に、昔なら褒められたかも知れない烏の濡れ羽色である。それでも“市松人形”のようにストレートなら、いかにも日本女性らしく美しいと思うが、私の髪は、やたらめったら広がって、ちょっとでも伸ばそうものなら肩幅からはみ出してしまう。実家で泊まった翌朝は、姪達から「チャーちゃん(私のこと)、髪が爆発してるよ!」と、よく言われる。

身長が低い私は、この多くて、太くて、真っ黒な髪のせいで体のバランスが非常に悪い。ただでさえ“でかい顔”して生きている上に、大量の黒い髪が被さるわけだから、正面から歩いて来る人からしたら、その表面積の比重で水木しげる先生描くところの“倉ぼっこ”か“砂かけ婆”くらいのインパクトがありそうだ。できることなら、子供の“倉ぼっこ”の方でご勘弁願いたいところだが。

せめて、髪の色を明るくすることで頭の重い印象を消し去ろうと、昭和ではヴィレッジ・シンガースが、そして平成になって島谷ひとみが歌った♪亜麻色の髪の乙女、目指して髪のカラーリングに挑戦した。

最初は、やはりプロにお願いしようと美容院でカット&カラーリングを頼んだ。ところが、かなり短めにカットしてから染めたはずなのに「カラー液が、お客様の場合、普通の量では足りませんでしたので1.5倍のお値段を頂戴します」だって。やる前に言ってよね。それにしても、ロングの友達でも「そんなこと言われたこと無い」と、驚いているくらいなのに、どんだけ私の髪は多いと言うのか。そうそう、言われたことがありましたっけ「お客様の場合、普通の人の3倍の量がありますね」って美容院で。

なるほど、肩がこるはずだ?!

髪を染めてもらっていた美容院が、ある日忽然と夜逃げをして消えてしまった。それからは、その美容院の向いにある、その名も“セビリヤ”という理髪店に行って髪をカットしてもらっているのだが、理髪店故お客は私以外は皆オヤジである。そんなトコで時間のかかるカラーリングはしたくない。自力更生ということになったのだが、これがなかなか思うように染まってくれない。最初はおとなし目の栗色を選んでみた。箱に印刷された色の見本の通り、ほんのり栗色になってくれるものと信じて。ところが、染め上がったらものの見事に真っ黒!! ガックリ。

次には、ちょっと挑戦してかなり明るい色を選んでみた。しかし、やはり栗色にはならない。又もや殆ど真っ黒!!

ええい、ままよと3度目の挑戦では、店にあった商品で1番明るい色にしてみた。(金髪になってしまったらどうしよう。明日、会社は急病で欠勤かな)と、恐る恐る染めてみたのだが、結果は全く恐れることはなく、よぉく見れば多少色がついたかなといった程度だった。翌日はしっかり出社し、友達に経緯を話すと「照明に当ると明るくなっているよ」と慰めてくれた。確かに、標準の1.5倍の値段を取られた美容院でも「染まりにくい髪ですね」と言われた記憶はあるが、なんだってこんなに自己主張が激しい髪になってしまったのだろうか。

いつも私の理想のような“亜麻色の髪”に自分で染めているリカコに尋ねると、前日の洗髪ではリンスやコンディショナーを使わないようにと言われた。ついつい、シャンプーとリンスは対になっていてカラーリングを思い立った前の晩も計算せずに使っていたかもしれない。時間も、記入されているのより多少というより、かなり長めにせよとのこと。そして自分の使っているメーカーと色を教えてくれた。

ここまで確認しておけば大丈夫。これで私も明日から“亜麻色の髪の乙女”よと、勇んでカラーリングに挑戦したのだが、あっけなく何度目かのKOをされてしまった。結果は、やはり照明が当れば明るく見える程度。どれだけ頑張っても、決して他人の色には染まらないというのは「貴方の色に染まります」という白無垢を着ていない、私の髪ゆえの意思の現れなのだろうか。涙。

髪を染めて撃沈した翌日にリカコ、絵美ちゃんと私の3人で食事をしたのだが、絵美ちゃんも「同じものを使って、どうしてそれだけの差が出るの?」とあきれ果てていた。

つい先日は、セビリヤの理髪店で「お客さんの髪は、全然細くも少なくもなりませんねぇ」と感心されてしまった。こちらでも変わらない強さだ。

そう言えばまだ10代の頃、同級生の男子と大手門から入って皇居を散歩したことがある。その時、同級生が私の髪にさりげなく手を触れた。背の低い私と長身の彼。私の頭の中では、みつはしちかこさんの漫画『ちっちとサリー』の図が浮かんでいた。10代の淡い恋? すっごくイイ感じと思っていたのに、次の瞬間に言われた言葉は「針金みたいな毛だね」というものだった。ショック。いっぺんにムードが覚めてしまった。私もカチンときたけど、彼の方も乙女の柔らかな髪に触れたつもりが針金では、さぞかしガッカリしたことだろう。トラウマになってなければ良いけれど。

猫っ毛のクセ毛というウエダには「羨ましいわ。私なんて雨が降ると1番最初に分かるわよ」と、髪の多さや太さを羨ましがられるけど、無いものねだりだと言われるけれど、胸の無い分(?)せめて柔らかな亜麻色の髪になりたいという乙女心なんだけどなぁ。

2007-04-01 日

プロ野球

プロ野球が開幕した。さぁ今年も斎戒沐浴して我が愛する“北海道日本ハム・ファイターズ”を、応援せねば。

昨年は、私の応援のお蔭様をもちまして、日ハムはみんごと優勝。観客も、私が初めて東京ドームで観戦した時の閑古鳥の鳴く寂しさと打って変わって、札幌ドームでは中継のテレビ画面が揺れるほどの連日の超満員だった。涙ながらに北海道に送り出した甲斐があったというものだ。

けれども今年は、人気者の新庄も小笠原も居なくなってしまったし、新聞に載るヒルマン監督の髭はむさくるしいし(?!)果たして、日ハムの運命やいかに。

今期初のパ・リーグ公式戦は24日の土曜日だった。私は、土曜出社。しかし、一緒に出番だったのは同じ日ハムファンである、トイメンのP氏だった。そうなれば、当然のようにTV放映時間前からスタンバイ。一人ぽっちの、マンションでのテレビ観戦よりも、応援団(?)としてのTV観戦の方が熱が入る。あれ、職場でしたっけ?!

対戦相手は、密かに私が今年の強さを確信している千葉ロッテマリンズだ。だってズレータが移籍してますもの。里崎も捕手として成長しているし、バレンタイン監督は髭も生やさず、日本語もかなりマスターしておられるし。おっと、これは日ハムファンには内緒の見解ですよ。

6回表までは初めての開幕投手となったダルちゃん(ダルビッシュ有)が踏ん張って、4×0とイイ感じできていた。仕事でテレビを見ることのできない、日ハムファン仲間のともたかちゃんに、仕事をしながらだけどテレビを見ることのできる(TVを見ながら仕事をしている?)私は、勇んでメールを送った。「4×0で勝ってるよ。ダルちゃん頑張ってるよ」って。そして「夜のスポーツ・ニュースの楽しみを奪わないように、これ以上は報告を控えます」なんて余裕のある文章をつけて。

ところが「ウッソー?!」私がトイレに行っている間に4点も取られてるぅ。私、1時間も2時間もトイレにこもっていたわけではないですよぉ。先に記したように6回の表まで確かに4×0だったのに、私が目を離した6回裏で恐れていた事態が起きていたのだ。ズレータよ、やっぱりズレータ。昨年までソフトバンクで大活躍し、今年から日ハムの開幕対戦チームであるロッテに移った巨砲だ。何しろ身長が、もうちょっとで2mの197cmもあり、その迫力たるや敵ながら天晴れ、打法には見とれてしまう。昨年、日ハム投手が打たれたホームランであっても、白球が描く線のダイナミックさには、思わず口をあんぐりさせて見送ったものだ。「ドッヒャー!!」って。なので、今年のロッテは怖いと思っていたのよね。そのズレータが、ダルビッシュから満塁ホームランをかっ飛ばしていたのよね。

その話を、全く野球に興味の無い絵美ちゃんに話したところ「ズレータなんて面白い名前ですね。覚えておきます」と言っていた。果たしてきちんと覚えているだろうか? バレータとかダレータとか、あるいはハゲータなんて覚えている可能性が大のような気がする。

6回裏、ダルビッシュはフォアボールを出した上に満塁ホームランを打たれ流れは完全にロッテに変わっていたのだが、なんと突然の豪雨により7回表2アウト2塁という所で4対4のコールドゲームと相成った。これって天が味方してくれたのではないだろうか。おっと、日ハムファンとしては「高橋信二がホームランを打って追加点が入るはずだったのに」と悔しがらなくてはいけなかったかも。もっとも、本当に悔しがるのは(4×0、4×0)とルンルン気分で家に帰り、スポーツニュースをつけたともたかちゃんだったかも知れない。期待をさせてしまって勘弁です。

そして翌25日の対ロッテ戦2日目は、延長12回で0×0のドロー。やはり今年のロッテは強い。でも、日ハムも負けないもんね。何しろこの私が全身全霊をかけて応援しているのだから。そう、私がファンで居る限り、北海道日本ハム・ファイターズは不滅です。

そう言えば、同じ日ハムファンのP氏にも、とっても不思議な力が備わっているんだった。冬場はノブに指が触れただけで火花が散るほどの静電気を発するし、コピー機やFAXを触っただけでつまらせてしまうという、磁気を帯びているとしか思えない体質をもっている人なのだ。そして、その体質が不思議な現象も生み出している。

街の、とても流行っているとは言えないような飲食店にP氏が通い始めると、アッという間に人気店になる。最初はガラガラだから、気が向いたコーナーに座る。2度目、3度目くらいまでは、お気に入りの場所が空いているのだが、4度目、そして5度目ともなると店は超満員。お店の人が指差す、狭っくるしいテーブルに向かうしか無くなってしまう。けれども、そんな時のP氏は「当店をご贔屓にしていただきまして有難う御座います」と、客の一人ひとりに言って歩きたい心境になるらしい。何しろ自分が通いだしたから、この店は繁盛するようになったのだという、ご本人だけの確信と自負があるのだから。そして、P氏が暫く行かないでいると、その店は寂れだし、閉店の憂き目を見るようになるのだとか。

最初、自慢げに語るP氏の話は眉につばをつけて聞いていたが、一緒に食事をしているうちに、その話が証明される機会が1度ならず2度3度いや、同じ部署になって6年の間には10件を簡単に超えた例を見ている。そうなると、ちょっと信じざるを得ない心境になってくる。

ン、てことはP氏がそっぽを向いたら日ハムも危うくなってしまう可能性が大きいということかい?! それはまずいですぞ。

仕方ない、ここは私が犠牲的精神を発揮しよう。職場でP氏がヘソを曲げないように、例え「アホかぁ」と思うことがあっても、「バカやってんじゃないよ」と、言いたくなっても(日ハム・日ハム)と心でお題目を唱えながら優しく接して行くことに致しましょう。

ああ、可愛い北海道日本ハム・ファイターズのために、どこまでも苦労の絶えない勝利の女神なのだった。