大安吉日ノーテンキ

Archives for 2007年 05月

2007-05-27 日

チケット争奪戦

絵美ちゃんから「今度の日曜日にパソコンを貸して下さい。お礼に餃子を作ります」というメールが届いた。

大好きなミュージシャン、角松敏生のコンサートのチケットを、ネットで申し込むのでPCを貸して欲しいという事らしい。機械にヤタラメッタラ強いくせに、絵美ちゃんは携帯電話もPCも持たないという、今時珍しい女性だ。

ちょっと前のチケット申し込みは電話予約だった。私もサザン狂いのアッちゃんに頼まれて、電話をかけまくった事がある。公衆電話だと繋がり易い、地方からの方が取り易いなどと噂が盛んに流れていたっけ。都内で自宅の電話からかけていた私は、結局、繋がらずお役に立つことはできなかった。

ネットの場合は、どんな噂がまことしやかに囁かれていることやら。それにつけても、前回までは一体、どこでネットを繋いでいたのだろう。「チケットは、角松仲間の松田くんが、手配してくれていたのです。今回は仕事の一連で、早朝から潮干狩りなんですよ」。なるほど。誰にでも事情というものはあるものだ。そこで出不精のこの私に白羽の矢が立ったというわけか。出不精の私は、出不精だからして余程のことが無い限り休日は部屋でダラダラしている。ただし友達の訪問は大歓迎、いつでもwelcomeである。

それにしても、休日は午後4時まで起きたことがないという絵美ちゃんが、角松のチケット争奪のために正午の受付開始に向け、11時半には我が家にやってくるという。もちろん午前のだ。“恋する乙女”って凄いのねぇ。

当日、午前11時半ピッタンコにピンポンと呼び鈴が鳴って、絵美ちゃんのご登場。時間に正確なトコも好きさ。それにしてもよく起きられたものだと改めて感心していたのだが、なんとウチに来る前に地元のローソンで別の日のチケットもgetして来たのだという。角松敏生恐るべし。

肉やら野菜やらの餃子の材料と、コーン・スープの材料を袋にいっぱい詰め込んで、絵美ちゃんはやって来た。でも、頭はあくまでも“角松敏生”。あと30分もあるというのに、私のVAIOちゃんの正面に陣取り、ネットの申し込みの頁までたどり着き、マウスにしっかと手をおいての待機。「ああ、ドキドキしちゃう」と言いながら取り出だしたるは、とっても見易いデジタルウォッチ。まるでオリンピックのアスリートがスタートラインに立っているようだ。

いよいよ、5分前。「すみませんラジオかけてもらえますか?」時報の、ピッピッピ・ポーンの最初のピで送信すると、ピッタシ正午に申し込みのメールが相手に届くんだとか。フライングは無効、遅れを取ればチケットは手に入らない。手に汗にぎる絵美ちゃんの息が荒くなってくる。こんな真剣な絵美ちゃん、見たことないぞ。

さて“ピ”が鳴りました。絵美ちゃん号、ダッシュ!! ところが、画面が動かない。「ヒェ〜」絵美ちゃんの悲鳴がこだまする。私としては、ウチのVAIOちゃんの粗相かと冷や汗ものだ。ウチのVAIOちゃん、最低料金に価格指定しているので動きは早くは無いけれど、遠い異国のバングラディッシュやアメリカ西海岸のメル友とも、コンスタントに交信しているのであって、VAIOちゃんのせいではないからね。

絵美ちゃんも「分かってます。今、申し込みが集中してるだけですから」って言ってくれたのでホッ。それからは「ああ、固まっちゃったぁ」とか「ホワイト・アウトだぁ」とか「砂時計さえ出ない」と、嘆きの言葉が絵美ちゃんの口をついて出てくる出てくる。とうとう「姫宮さん、私に“落ち着け”って言い続けて下さい」と、普段の冷静沈着な絵美ちゃんからは信じられないようなご依頼まで受けてしまった。素直な私は、それからずっと「絵美ちゃん落ち着け」「落ち着け絵美ちゃん」と、喉を枯らしながら声援に努めた。

松田くん、のん気に潮干狩りなんぞしてる場合じゃないぞ。

その間、あまりに真剣な目でVAIOちゃんの画面を覗きこむ絵美ちゃんの姿に感動すら覚えた私は、買いたてのデジカメOLYMPUS・FE240で撮りまくり、なかなかの傑作ができたのだが、肖像権の関係でお見せできないのが残念。

とうとう絵美ちゃんは「今回は無理みたいですねぇ。角松がいけないんだ、100席なんていう所でコンサートをしようなんて思うから。ファンを分かってない」と、半ベソ状態。私も何も知らない角松ではあるが「そうだ、そうだ。素人だって100席くらい集められるぞ」って慰めているのだか煽っているのだか。

それからは絵美ちゃん、ショックを隠してしばし餃子作り。具を包むのは不肖“手がっけ”の私もお手伝い。「なんだ、やれば出来るんじゃないですかぁ」なんて、おだてられながら、これまた素直な私はお手伝いに努めたのだった。

チケット争奪戦から、しばし離れて絵美ちゃんの手作り餃子とコーンスープに舌鼓。まぁ美味しい。焼き方も片面にしたり両面焼いたり、まぁまめまめしく動いてくれること。動いて気を紛らしてるのかな?

山とできた餃子を食べて、コーンスープもお代わりをして、ビールとサワーもしこたま呑んで「帰る前にもう1度だけ」って、絵美ちゃんが画面をのぞいてドライアイになるくらいに目を見開いた。

なんと、全然行かないと送りつづけた申し込みメールが、全て相手方に届いており、4席分をまとめていた故、15回×4の60席分を申し込んでいたことになる。キャパ100席プラス立ち見なのに…。確認の電話が入り、了解して初めてチケットが発行されるということなので、6割占めの事態は免れるとのことで一安心。どうやらVAIOちゃんも絵美ちゃんのお役に立てたようでよかった、よかった。

ところが翌日、絵美ちゃんから追いかけるようにメールが届いた。「ごめん60席じゃなかった! 240席(4席×15回×4通)でした! これは誰が見ても、あせってクリックを繰り返した結果だよね。店側も、ちゃんとわかってると思います」。

こういうファンを相手の“店側”に、すっかりご同情申し上げる次第であります。

2007-05-20 日

善意の傘

傘

“善意の傘”なるものが、局の入り口の傘立てに現れた。

透明のビニール傘が数本、共用の傘立てに並び、その上に“善意の傘”と書かれたステッカーが貼られている。1週間ほど前のことだ。それからは、その前を通る度に「いいでしょ?!」と、局の管理部員が声をかけてくる。管理部長までが「素晴らしいでしょ?!」って。どうやら、管理部が突然の雨の時に局員に使ってもらおうと思いついた企画のようだ。それを実行するにつけ、自己PR、自画自賛、手前味噌、善意の押し付けの雨嵐。私のように、雨が降るたび差してきた傘が自席に3本も4本もたまっている人間には、まったくもって有り難くもない行為であり、“善意”なる言葉を使うなら、人知れずこっそりおやりなさいと言いたくもなる。

この“善意”という言葉で、もうとっくに忘れかけていた小学生の頃の出来事を思い出した。アラ、懐かしい。

それは小学5、6年生の時のことだ。当時の担任は、今泉和夫さんという大学を卒業したばかりの新任さんだった。“聖職の礎”への理想を胸に、スクールウォーズの泣き虫先生や、3年B組の金八先生、熱中時代の北野先生よりも「子供達のために!!」と、マグマのように“燃える男”だった。

朝は、登校すると全員校庭を12周させられた。なんで12周だったのかは分からないが、余程の豪雨や雪で無い限り、今泉先生も一緒になって来る日も来る日も校庭を走った。思い返せば、そのお陰でお利口さんなのに風邪を引き難い体質になったのかも知れない。心臓も強くなりましたし。

先生のお宅にもクラス全員でぞろぞろと出かけ、近くの利根川に飛び込んで泳ぎまくったものだ。初めてお邪魔した時、割烹着姿で現れた先生のおかあさんが「かずおちゃん、生徒さんたちがいらしたわよ」と、今泉先生を呼んだのにはビックリした。それから当分の間、生徒達は「かずおちゃん」と呼んでは先生から拳骨で殴る真似をされて逃げ回った。暫くして、さだまさし似の今泉先生には“カマキリ”というあだ名がつき、もう「かずおちゃん」と呼ぶ生徒は居なくなった。果たしてどちらが今泉先生のお気に召したやら。

そんなクラスにある朝、闖入者があった。白い1匹の子犬だ。どこからともなく現れた子犬は教室の中で大人しく授業を受けるはずはなく、シッポを振っては机の間を走り回っていた。その当時は、鎖に繋がれずに自由に街中を歩いている飼い犬も多かった。でも首輪もしていない。教室から追い出しても追い出しても、なぜか5年3組の教室に舞い戻って来てしまう。

放課後に学校の近所の家を回っても、心当たりの人は居なかった。それからは「クラスで飼おう」という気運がもちあがった。多分、カマキリ先生も動物を好きだったのだと思う。生徒達が、名前を決めたり当番を決めたりしているのをソレが癖の、腕を組んだ姿で黙ってニコニコ聞いていた。そして一言「最後まで責任を持って育てろよ」。

カマキリ先生が、校長や他の教師をどのように説得してくれたのかは知る由もないが、翌日には、男子生徒が材料を持ち寄って作った犬小屋が、校舎の渡り廊下の近くに設置された。もちろん、引き取り手があれば直ぐに渡すという約束もできていたのだが、引き取り手が現れるどころか、5年3組の面々はそれからというもの憑かれた様に、捨て犬や野良犬を見つけては教室に運び込むという状態になってしまった。

最初のうちは、1匹1匹のためにクラスメートによるオートクチュールの犬小屋が用意されたが、10匹を越えるころになるとグラウンドの隅に大きな柵を作り、その中での放し飼いとなった。

毎日の当番、休みの日の当番、そして里親探し…。カマキリ先生との最初の約束を守り、5年3組の生徒達は各々が責任をもって掃除から餌やり、散歩と不思議なくらい統制の取れた毎日だった。

あの頃、子供ながらに皆よくやったと思う。それに他の教師やPTA、学校のご近所からも1件の苦情も抗議も無かった。そして、クラス内に犬が苦手だという生徒も居なかった。あれこれ考えると、今の小学校で果たしてあんな事ができるだろうかと思う。まず無理だろうな。今の世相だと、どこかで誰かが何かの不満や不安を持ち出して、全てが立ち消えになっていた事柄だろう。情操教育だなんて大上段に構えなくても、あの頃の子供達は自然にそんな教育を受けていたのだと思う。

そのまま翌年は“持ち上がり”、担任も級友も犬達も変わることなく6年3組になった。そして春、修学旅行の時には5年生が「先輩、心配しないで」と犬達の面倒を見てくれた。6年3組は修学旅行取り止めまで、真剣にクラスで検討していたのだ。きっと、何事も真剣にぶつかればどこかに道は開けるものなのだ。(何か、いつもの『大安』と違うぞ)

約2年間の犬との生活の中には、もちろん“死”という現実もあった。いくら大切に世話をしても悲しい死は訪れる。死んだ犬をダンボール箱に千羽鶴と一緒に入れ、近くの川に流しに行く。普段のいじめっ子が大泣きをしながらクラスメートの列に加わる。泣き虫の女の子がグッと涙を堪えて、そのいじめっ子の肩を抱きながら歩く。そんな光景が何度も見られた。

6年3組は卒業前に全員で、残っていた犬の里親を探し回った。その頃には地方紙にも取り上げられていたため、どうにか犬も無事に小学校を卒業することが出来た。

卒業式の式次第で、6年3組全員に卒業証書と共に“おまけ”が校長先生から手渡された。橘の、白い5枚の花弁の中心に朱で“善行”と書かれたバッチだった。6年3組の仲間は“善行”の二文字を胸に、堂々と校門を後にしたのだった。

翻って今の私は? どうやら“善行”も愛情も小学校5、6年の2年間にお犬様に捧げつくしてしまった抜け殻がここに居るようだ。かなワンワン。

2007-05-13 日

豚弟

新丸ビル

今年もゴールデン・ウィークに2日も出社してしまった。しかも3日と5日という飛び石だったものだから、世間さまの9連休なんていう話とは、あまりにもかけ離れた悲しい現実の日々だった。

その上、例年のGWは人影のまばらな東京駅界隈が今年は新丸ビルのオープンで、家族連れがウヨウヨ。ディズニーのリュックを背負った子供達が嬉しそうにスキップしている横を仕事に向かう我が身が益々切なくなる。

GWも働いているということをアピールしようと、実家に電話を入れてみると、なんと豚弟も今年は出社していると母から聞いた。そうよね、お姉さまが働いているのだから、弟の分際で休んでいてはいけない。ほんの少しだけ、溜飲が下がった。

そっか、アヤツも出社してるのか…。

アヤツ、私より4歳年下の豚弟は既に2人の子供の父であり、会社では何を間違えたのか“部長”なんていう肩書きがついている。(アソコの会社も先が見えたな)と思うものの、豚弟も世間からみたらいっぱしの大人なのだと、ちと感慨にふける姉である。

ネタも無いことだし、今回は我が豚弟の話を。

豚弟は一途な男である。何しろ物心ついてこのかた、私は1度たりとも豚弟の痩せた姿を見たことがない。中学ではバレーボール部に所属していた。どんなに厳しい練習の明け暮れにあっても色白の豚弟は、そのままバレーボールのような顔をして、トスを上げ続けていた。高校では野球部に入ったが、入部したとたんにピッタリのポジション、キャッチャーを仰せつかった。足の遅い分、滑り込んでくる対戦相手には、もてあまし気味の肉そのものでホームを守り抜いたらしい。

そして、大学への受験戦争に突入しようが、どうにか入学して片道2時間もの電車通学を経験しようが、1gも痩せることなく通いとおした。現在もほぼ同じくらいの距離を通勤しているが、これまたまったく痩せる気配はない。まったくもって筋金入りの、それでいながらぷよぷよの、一途な“おデブさん”なのである。

豚弟はネズミに弱い。ゴキブリなら丸めた新聞紙で退治できるのに、どんな状況でもネズミと聞いただけで、外へと飛び出す。豚弟が大学生の時のこと。もういかげん大人だし、大丈夫だろうと、丸めた靴下を豚弟の部屋に向かって投げ入れ「ネズミだぁ!!」と叫んでみた。すると、その叫び声よりも大きな「ギャオ!!」というゴジラのような悲鳴を発して、まるまると太った豚弟が裸足のまま庭へ飛び出した。あれには家族一同、口をアングリ。豚弟の前世には一体何があったのだろう。

そんな豚弟に嫁いできた義妹は9月末生まれの、正真正銘ネズミ年だ。どうりで豚弟は、何から何まで義妹に、頭が上がらないのだなぁ。母や、姉であるところの私には大威張りのくせに、義妹の言う事だけは、どんなことでも素直に聞き、その命令には忠実に従っている。いつも私は義妹に言ってやる「姫宮家では息子も弟も冷たいけど、お宅の旦那様は優しいワネェ〜」って。

豚弟はアルコールがカラッキシ駄目である。これはどうやら遺伝らしい。父も祖父も、父方の伯父達も、全て下戸の家系である。大学に入ったばかり頃には未成年のくせに粋がって、ミニチュア・ボトルの様々なお酒を買い込んでは棚に飾っていた。そして、成人する日を指折り数えて待っていたものだ。

しかし、いざ二十歳になり乾杯の段になったら、今風に言うところのリバースして、ぶっ倒れるという情けなさ。トラ兎で気性が激しく、尚且つ「斗酒辞さず」の家で育った母からは「もったいない! 出すなら飲むな!!」と面罵されていた。

それからはスイーツでさえ、アルコールが入っていると体が受け付けなくなってしまったようだ。知らずに食べてしまった時なぞは、そっと自室に逃げ、ベッドに倒れこんでいる。以前、同じ部署にちょっとでもアルコール分の入った物を口にすると、リトマス試験紙ヨロシク真っ赤になっていたオジサンがいたが、正しく豚弟も同じ道を歩んでいるようだ。

豚弟は子供である。出来すぎの姉をもった弟は愚弟であるのは世の習いだとは思うが、なかなか大人になりきれずにいる豚弟である。2人の姪が幼い頃、雪なんぞ降った日にゃぁ、飼い犬のチョコよりも早く、大喜びで近所の公園に駆けて行き、汗をかきかき積雪でジャンプ台を作り、先頭に立ってソリ遊びをしていた。車のトランクにはダンボールの箱を平らにしたものが常に入れられており、それも又、川原の土手でのソリとなるのだった。

ノーテンキな義妹は「うちのパパは子供と遊んでくれる」と評価していたが、当の姪たちは「パパが遊びたいのよねぇ。私たちつきあってあげてるのよ、疲れるけど」などと覚めた目で豚弟を見ながら、コッソリ伯母様の私に教えてくれたことがある。もちろん口の堅い伯母様は、豚弟や義妹に今のところご注進はしていないが、いつかは言ってやりたいものだ。

豚弟は残念乍ら、私の弟である。

そうなのよねぇ、4歳年下の豚弟は近所の叔母さんに「風呂敷を被せておきな」と言われたくらい、生まれた時から豚弟だった。けれども優しい姉を慕う心はもっていたらしい。姉の通う幼稚園にとぼとぼと後をついて来て、水溜りで頭を洗うなんてこともやっていたと、母から聞いたことがある。優しい姉のランドセルを「出しっぱなしにしていると捨てますよ」という母の言葉そのままに、家の外に捨ててくれたこともある。幼いころから姉の苦手な肉を、セッセと横から平らげてくれていた。お陰で姫宮家のカレーライスは拾い出せない挽き肉と化した思い出もある。

そんな豚弟がいたからこそ、この姉の美しさ賢さ、優しさ清らかさetc・etcが一層、引き立ったということで、その存在を認めてやると致しましょうか。

2007-05-06 日

困った再び

珍しく4連休になった2日目の夜、パソコンを立ち上げて友達にメールをしようとしたら、パソコンは立ち上がるもののネットに繋がらなくなってしまっていた。

「サーバーが見つかりません」と、冷たいメッセージがでるばかり。んなアホな。

独りポッチの寂しい連休に、メールも出来ないなんて…。

使えないと思うと、余計に使いたくなるのが人情。こうしてネットを開けないでいる間に、素敵な王子様がこの姫に向かってハート・マークいっぱいのメールを送っているかも知れない。姪達が「どうしても、憧れの伯母様に会いたくて東京サ出てきました。迎えに来て下さい」なんて東京サのど真ん中で、心細くしているかもしれない。はたまた、応募した懸賞の「おめでとうございます。貴方さまが当選です。ついては1時間以内にご連絡下さい。さもないと賞品はあげないもんね」なんていうメールも届いているかもしれないではないか。

焦る。私は焦る。

そして、機械に関する知識の全くつまっていない頭で考える。一体どういうことなのだろうか、と。一体、何が原因なのだろうか、と。

原因は1ツだけ思い当たった。実は、有楽町はそごうパートから生まれ変わった(何年前の話しだ?)ビックカメラにプリンターのインクを買いに行った時、新しいデジカメを衝動的に購入したのだ。OLYMPUSのFE240。数年前に、窓から見える富士山(自慢です)が撮りたくて、Nikoncoolpix2500というのを買って持っている。確かに富士山は折りにふれ撮ったのだが、本体が重たいし、バッテリーが充電しても直に「残りわずか」の表示が出るようになってしまっていた。クリスマスに恵比寿ガーデンプレイスに行った時、リカコが持っていたデジカメは薄くて超軽量、そのくせ画面は大きいし画質も綺麗。いいなぁ〜と指を咥えて見ていたものだ。その、リカコが持っていたようなコンパクトなデジカメが売るほど並んでいる様を見て、思わず買ってしまったのよねぇ、オレンジ色のケースまでつけて。

係りの、ちょっと太目のお兄さんが、付属品を色々説明してくれる。その中で「撮った写真を簡単にPCに取り込むためのCDがついています。こちらをインストールして下さいね」と、おっしゃった。素直な私は、帰ると言われた通りに早速、インストール開始。「次へ、次へと出てくる通りに進んでいただければ大丈夫ですから」と、太目のお兄さんは言っていたし、実際に画面にはその通りに出てきたので、次へ次へと進んだら、なんだか色々な表示がフロント・ページにいっぱい出てきてしまった。そこで私は(なんか邪魔だなぁ)と、こちらも次へ、次へと削除してしまったのだ。

もしかして、あの中に捨ててはいけない大事な基幹が入っていたのかもしれない。とっても不安になって、パソコン・メンテナンスのプロ(?)であるところのリカコにSOSを出した。メールを送ろうにも繋がっていないので、苦手な携帯でのメールである。指をつらせながら「SOS、助けてぇ。PCがネットに繋がらなくなってしまいましたぁ」。この1行打つのに、どんだけ時間がかかったか。

心優しいリカコは、お友達と盛り上がっていた酒宴の中で「どうしましたか?」と電話をくれた。かくかくしかじかと話すと、テキパキと指示をくれる。けれども…駄目、繋がらない。「実は・・・」と、懸念材料を申し立てると「でも、削除したのはゴミ箱に入ってますよね」「ゴミ箱も空にしちゃいました。綺麗好きだもので」「・・・」

その後にも、様々な試みを教えてもらったけど全敗。使っているケーブルTVに連絡するようにというアドバイスを受けた。

そうそう、品川ケーブルTVには日ハム仲間の、桜塚やっくんに似たトモちゃんが居た。今度はトモちゃんに電話。「私は、パソコンのメンテナンスはよく分からないので明日にでも○○に電話してみて下さい。それにしても日ハム、勝てないねぇ」。そうなのだ、一昨年優勝したロッテが、昨年苦渋の年だったように日ハムも今年は楽天と最下位争いの真っ最中なのだ。んなことは兎も角このままでは、福岡のソフトバンク・ファンにも、お父様は日ハムファンなのに本人は巨人ファンというタカちゃんにも、もちろん札幌の皆々さまにもメールを打つことができない。ドにかせねばならないけど、今夜のところはドにもならないと、諦めて早々にお風呂に入って寝ようと思ったら、浴室の電球がパッシッと音を立てて切れた。もぉ、なんなのさぁ。そう言えば、聞いたことがある。夫婦が離婚する時って、次々に家電品が壊れていくという話を。独り者の私の回りで物が壊れて行ったら、一体何と別れりゃいいのさ。

土日・祝祭日でもネット接続のメンテナンスをしてくれるというのを幸いに、翌日のハッピー・マンデーには、早々にトモちゃんに教えてもらった品川ケーブルテレビのインターネットサポートサービスの○○さんへ電話をかけた。かくかくしかじかと話すと、関西弁で指示が来る。電源を落としたり、入れたりでけっこう時間があく。「あのぉ、関西の方なんですね」と話しかけると「分かりまっか?」って、メチャメチャ関西やん。ちょこっと世間話も交えながら、指示に従っていたらアラ繋がったぁ。バンザイ!!

で、結局のところは「金曜日の夜からお宅の辺りは工事をしてまして、その影響でっしゃろ、えらいすんまへんなぁ」と謝られておしまい。まぁ、やんわりと関西弁で謝られては仕方ない許したるぅ。

こうして、4連休の3日目は過ぎようとしている。

それにしても、リカコ、トモちゃん、そしてトモちゃんが紹介してくれた関西人さんと、友達の輪は、つくづくと有り難いものだ。これも全て、私の日ごろの行いのせい?!