大安吉日ノーテンキ

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Archives for 2007年 06月

2007-06-24 日

つう

“一目惚れ度チェック”なるものを試してみたら、なんと「あなたの一目惚れ度は90%です」と出た。さんざんウエダから「あなたの敗因は、惚れっぽくないことよ」と言われているこの私が?!

思い返しても、私が“惚れたおとこ”件数と言ったら2度しかない。それは男性での初恋の相手と……。

男性での初恋と書いたのには訳がある。実は、本当の初恋(?)と言って良いような胸キュン初体験は、中学1年生の時に1学年上のお姉さんへの思いだったのだ。その麗しのお名前は、忘れもしない石川清子さま。3年生の壮行会に向け、私は体育館の舞台裏で劇の稽古の順番を待っていた。私が演ずるのは『地蔵がくれた赤ん坊』というお芝居で、お地蔵様の化身の女の子役だった。その時、舞台上に居たのは2年生の『夕鶴』チームだった。鶴の恩返しロマンス・バージョンといったところだろうか。その主人公である鶴“つう”を演じていたのが私の正真正銘、初めて恋した相手だったのだ。

白い着物を着て、白い兵児帯を低く締め鶴を思わせる物腰で、舞台の上を滑るように歩く。「ス・テ・キ」。その優雅なお姿に自分の両の目がハート・マークになっているのが分かる。ドッキン・ドッキンと胸の鼓動が高鳴る。どこからどう見ても(つうさま、ス・テ・キ)。

まだ、名前すら知らない先輩の姿をひたすら追い求めて、何日間かが過ぎた。そんなある日、台本を片手に現れたつう様が、帯が解けそうだと慌てだした。「ちょっと持ってて」。その台本を私に渡すと、その場でアッサリ帯を解いて結び直し始めた。もちろん帯の下には腰紐がしっかりと結んであった。渡された台本の右端には黒のサインペンで「石川清子」と書かれていた。その流れるような文字も、私には光って見えたものだ。(石川さんというんだ、清子さんなんだぁ)。(ファーストネームは私と同じイニシャルだぁ)。ただその発見だけで、天にも昇るほどの喜びだった。

それからは、今で言うところのストーカーよろしく石川さんをつけまわした。兎に角、多才な方で、鶴を演ったかと思うとコーラスでは踊るようにタクトを振る。スポットライトを浴びて、ピアノ独奏もされる。ひたすら憧れ調べ上げ、運動神経など持ち合わせていないのに、石川さんの所属する運動部に入部までしてしまった。今なら新体操部だと思うが、当時は“音楽体育倶楽部”と言っていた、どう考えても自分とは縁の無い部だ。石川先輩が側に来てくれるだけで嬉しくて嬉しくてたまらなかった。でも、側に来てくれ、かけてくれる言葉は決まっていた。「あなた、体硬いわね」。

やがて3年生の壮行会も終わると、2年生もそろそろクラブ活動から隠退をする。石川先輩も当然のように引退をされた。そしてこの私も後を追って退部届けを提出した。もちろん誰も止める人は居なかった。

同じ部に所属しながら、あまりにも憧れが強すぎてまともに口を利くことすらできず、石川先輩の連絡先は知らずに終わってしまった。そして高校は石川先輩は優秀な進学校、私は地元の平凡な学校へと進み、ご尊顔すら見ることも無いままに今に至る。クラブ活動だけでなく勉強も先輩を真似て頑張ったら、人生変わっていたかも知れないなぁ。

2度目の初恋(?)の相手は、ありがちな転校生だった。石川さんが卒業した翌年の春、放課後の体育館で、学年もクラスも関係無しで卓球を楽しんでいた時に、順番が来て、たまたまダブルスを組んだ相手が、東京から転校してきたばかりの中野君だった。ジャージや、スェットなんていう時代ではなく裾がダブルの“白ズボン”の頃だ(計算はしないこと)。白いズボンに白い開襟シャツ。そして新庄ばりの白い歯。「東京から来ました」という、その“東京”という響きだけで、埼玉の片田舎の女子はドキドキなのに、ラケットを構えて「君はもう少し右に居てね」なんて優しく言われたらドキドキがドキンコ、ドキンコになってしまう。き、きみなんて言われたことない。眩しい瞳で「君」と呼ばれ、私がミスしても「大丈夫だよ、気にしないで」なんて優しく肩を叩かれた瞬間にfall in love.

私は又もや、エセ・ストーカーとなり、友達に頼み込んで中野君の住まいとおぼしき辺りを歩き回った。その時、近くのお寺の境内で捨て猫を見つけた。そして大胆にも、その猫を抱いて私は、中野君の家を目指した。「この猫、あまりにも弱々しくて、ウチまで連れていけそうもありません、預かって下さい」。心優しい中野君は、ビックリしながらも猫を預かってくれ、翌日には「母が、可愛いから飼うって」と、私のクラスまで報告に来てくれた。

これで、話すキッカケができたとほくそ笑んでいたのだが、その直後にお父さんのお仕事の都合で、中野君は甲州へと引っ越してしまった。引越しの朝、友達につきそってもらい、去り行く中野君の乗ったトラックを見送った。私は、そのまま学校のプールに行き、流れる涙を誤魔化したものだ。中学三年生夏休み最終週のことだ。ああ、なんて切なく美しい私の青春の一ページよ。(美しいは、思い出と私にかかります。念のため)

それから、倍近い人生を送った後に、当時11ヶ月、二回りも年下のモトヒコ君という宝物との出会いがあった。惚れたねぇ。全身全霊で惚れ抜いて、目から入れたり出したりして(ゾゾゾッ)可愛いがった。モトヒコくんも懐いてくれた。私を“コーママ” (チーママに非ず)と呼んで慕ってくれた。天地がひっくり返ろうが、この命を取られようが、この子だけは絶対に守り抜こうとさえ思った。そして保育園の年齢になった時に訊いてみた「モトちゃん、大きくなったらコーママを、お嫁さんにしてくれる?」当然「うん!!」という力強い返事を期待しつつ。ところが賢い子やねぇ、返って来たのは「僕が大きくなったら、コーママはおばぁちゃんになっちゃうでしょ?!」。

あの失恋の痛手より、私は人に惚れてないし恋もしていない。そしてあの衝撃を思い出す度、コーママは小梅太夫のように叫んでしまうのだ「チックショー!!」

2007-06-17 日

気力

「体力と気力の限界を感じ……」かの大横綱千代の富士が、引退を発表した時、ここでグッと詰まり、斉藤祐樹くんが生まれるよりずっと前に、タオルのハンカチを握り締め涙を堪えていた表情を思い出す。

辛かったのよねぇ。一人横綱で頑張って、若貴が出てきたら途端に敵役のようになってさ…本当に、日本人の移り気を感じた一コマだった。

中国人は「井戸を掘った人の恩は忘れない」と言うけれど、日本人は水が出たら恩は忘れて、枯れたら掘った人に文句を言いそうだ。

ここのところ、遅れて来た五月病なのか、やる気が起きない、覇気が無い。何事もお笑いタレントの“はなわ”が真似する武蔵丸のように「めんどくさい」そして「やりたくない」っていう困った状態だ。

気付くと、口から出るのは「ファイト!!」なんて自分や周りを鼓舞する言葉ではなく「フー」と、ため息ばかり。この「フー」が風船玉のように形になったとしたら、今頃は首まで埋もれているのではないだろうか。それでも「かき分けて出るのも億劫」って“フー玉”に潰され圧死しかねない。困ったもんだ。

そんな私の気分が久しぶりに明るくなった一夕があった。

昨年まで隣の部署でアルバイトをしていた青年から「就職が決まりましたぁ」という弾んだメールをもらい、ささやかながら、お祝いの席を設けたのだ。

その元バイト君、松本零士が描く少年のような、髪がカールしてちょっと下膨れの可愛いキャラ、名前は公平クンという。私の実家の隣町に住んでいると聞き、隣の部署のバイト君だった頃から、ローカルな話題で盛り上がっていた。就職活動のためにバイトを辞めると言い出した時、半ば強制的にメールアドレスを聞き出し、それからは勝手にメル友に加え、毎日のようにメール攻撃をしていた。

祝宴の席はカレーが大好物という公平君のために、品川駅から徒歩7分、本格的インド料理の店デヴィ・コーナーを選んだ。店員が全員インド人、そしてお客もインドを筆頭に外国の方々が多い。食事中に(ここは何処?)と思う瞬間が必ずある。

ガーリックと蜂蜜が練りこまれた特性のナンに、海老の中辛カレーを乗せて口に運んだ公平君。どうかなと、その口から発せられるお言葉を待つ。「美味しい!!」やったー。「親を連れて来たいです」なんて最上級の褒め言葉が出てきた。子供の頃から連れて行かれて、お気に入りの東京タワーの足元のカレー屋さんがあるんだそうな。「そこより美味しいです!!」よかったぁ。

私も25歳(文句ある?!)とは言え、大学生の青年とサシでは場も白けるかな、話題につまるかなと、微かな不安を抱いていたが、このカレーの美味しさでスッカリ公平君は舌も滑らかに、お喋りにも興じてくれた。

まずは、本日の命題就職の話。社に居た時から「車が好きなんですぅ」と言っていたが、初志貫徹、希望の自動車メーカーから内定をもらうことができたとはにかむ。ン、公平君を命名するなら何王子が合うだろう。色白で髪が巻き毛で…カレー(華麗)王子?

法学部の公平君、メーカーと言ってももちろん製造に携わるわけでなく、営業、企画、経理、「何でもやるつもりです」と、嬉しそうに所信を述べた。その上、「海外勤務を希望すれば、今はインドという線がけっこう強いんですよね。毎日こんな美味しいカレーが食べられるならインドに行くのも悪くないなぁ」だって。

それにつけても、これから実際に入社するまでの約10ヶ月をどう過ごすのだろうと思って聞いてみたのだが、若人は逞しいなぁ。既に、来春までのアルバイトを見つけてあるのだそうだ。「来月から通います。で、その前に同じく就職が内定した仲間と海外旅行に行って来ます。この時期はツアーがとっても安いんですよ」。確か、内定報告のメールには「これから福岡に行って来ます」ってあったはず。福岡から帰って来たばかりじゃないの? フット・ワークの良さに、出不精の私はただただ畏敬の念をいだくのみ。その上、それでも体がなまってしまっているから、今話題の“ブート・キャンプ”なるエクササイズに取り組むつもりでいるとのこと。そのハニーフェイスと華奢な体とは想像もつかない「ずっと、ラグビーやってたんですよ」の言葉にまたまたビックリ。「せいぜい、ブート・キャンプ頑張ってね」。

文武の文の方も、意欲満々。まずは法学部で学んだのだから司法試験は無理としても、司法書士の資格は取りたいんだそうだ。それから漢字検定にも合格したいと言う。「実は昨年受けて落ちちゃったんですよ。あと1問ってとこで」。では試しにと「ばらって書ける?」「しょうゆって書ける?」って心優しいお姉さんは聞いてみた。「ん…」。頑張らないと次回も落ちちゃうよ。ついでに「わかさぎは?」

海外旅行に出かけるに当たっても「英語を話せるようになりたいです。これからは、やはり必要ですよね」と、こちらにもかなり意欲的だ。「短期留学でもしたら」と水を向けると「そうですよね、その方が早いですよね」と、目を輝かせる。

すっごいなぁ、海外旅行、海外留学、アルバイト、資格試験、漢字検定試験そして、体力増強のためのブート・キャンプ。トライしたいことが次から次から出て来て、その全てに前向きに頑張る。そんな若さ溢れる爽やかな姿を見ていたら「遅れて来た五月病は重い」なんて言ってはいられない。ヨ〜シ、私も……やっぱりめんどくさい。

2007-06-10 日

障子の張替え

障子の張替え

従姉妹に手伝ってもらって、障子の張替えをした。いえいえ私が手伝って障子の張替えをしたが正解だった。

破ったり穴を開けるわけではないが、和室が南に向いているせいで障子が陽にやけ裂けてしまうのだ。裂けている障子に気付いたのは大分前だが、暫くは見なかったことにしていた。見てない障子の裂け目は無いのだ。けれども、見ないふりができないくらいに、いつの間にか裂け目が大きく口を開けだした。それからは、紙テープで補強に努めたが、風が吹くとテープが負け、裂け目が開いてバサバサと音まで立てる事態に。

さすがにここまできては張り替えを考えざるを得ない。でも、どうやって?こんな時に泣きつくのは2歳年上の、しっかり者の従姉妹ということになる。なかなか時間が取れないという従姉妹だが、どうせ長らく放ったらかしにしていたのだから、ここは機嫌を損ねないよう、お声のかかるのを待つことにする。

やっとこ「今度の土曜の午後なら行ける」という連絡が入り、ちょうど私も休める土曜だったので、待機。障子紙も用意して来てくれるという有り難いお言葉に「出来れば、もう破れることのない金属繊維か何か入ったのを」と調子に乗って頼んで「どんなんだって、張り替えられればいいでしょ?!」と叱られてしまった。はい、どんなでも結構でございます。

さて当日、あんまり煩く言ってもと思いつつも時計を見ると2時を30分も過ぎている。確かに「土曜の午後」としか約束してないのではあるけれど、ちょっと心配になって逆鱗に触れないことを祈りつつ電話をしてみる。なにしろ、全てをお任せの身と致しましては神経使います。「ごめんごめん、ちょっと子供の用事が入っちゃった。もう直ぐ出るから」って。そちら埼玉の片田舎ですよ、そしてこちらは都内も山手線の内側よ(おほほ)。いったい何時に着くんじゃい。でも、陽も伸びたことですし、ぐっと堪えて「暗くならないうちに着く?」と聞くと「大丈夫、着く着く。それより古い障子紙くらい剥がしておいてね。水で濡らせば綺麗に剥がれるから」と、宿題を出されてしまった。やはり、おとなしく待っているべきだったかも知れない。

仕方ない、ここは宿題をしながら従姉妹殿のご到着をお待ち申すしかない。水で濡らすとなると敷居から外して、ベランダで事を成すことに致そう。ン、なんだってこんな言葉使いになってしまったのであろう。障子から和風、江戸時代と単純な脳細胞が働いてしまった結果でござろう。

肝心の障子が、押しても引いても頑として敷居から外れてくれない。仕方が無いので、とりあえずそのままの状態で、障子を破る。昔、実家の大掃除で豚弟と競って破っていた頃は楽しかったが、宿題となると何事もつまらないものに変わってしまうのは何故だろう。

さて、桟にこびりついている紙を剥がすにはどうしても、敷居から障子を外さなくてはならない。非力の姫体質に渾身の力を込めて、ググッと障子を引くと、畳がズズッと嫌な音はしたものの、どうやら擦りむけ状態は免れたようだ。

やっとこ障子をベランダに出し、桟に残っている部分の剥がし作業開始。従姉妹は「濡らせば綺麗に剥がれる」と言っていた。バケツに水を汲み、雑巾を濡らして桟を拭く。落ちない。力を込めて、ワッセワッセ。ん〜。きっついなぁ。やっとこ剥がれた水に濡れて縮こまった小さな紙がベランダ中に散らばる。とっても見苦しい光景だけど、今は無視。後で、みんなまとめて片付けることにする。それにしても従姉妹はまだかいな?!

「噂をすれば陰」というのは、どうやら独り言でも当たるようで、心で噂をしていたら途端にチャイムが鳴って、女剣士のように丸めた障子紙を抱えた従姉妹が登場した。

私が、宿題を褒めて欲しい生徒のように「ほら、障子剥がしたよ。すっごい大変だったんだからぁ」と、桟だけになったベランダの障子を指差すと「もう1枚はまだやってないのぉ?!」と不平タラタラなニュアンスのお言葉が返って来た。「破けてるのは、綺麗に剥がしたよ」の言葉を発した途端に「バカじゃない?!」と、冷たい言葉が飛んできた。「障子は対になってんでしょ。片方だけ新しくしたら、もう1枚の汚れが目立ってしょうがないじゃない。バカじゃない?!」。ニ、2度も言わなくても…。

それからの女剣士、動きの素早いこと力強いこと。1枚、残されていた障子をいとも簡単に、桟からはずしベランダへ出す。濡れ雑巾も濡れ雑巾、ビショビショの雑巾で障子の桟を端から何度も撫でる。私が剥がしておいた方の障子を綺麗に拭きなおして座敷に上げ、「液状のりを買って来ようかと思ったけど、これだけの桟があったら、やっぱり刷毛で塗った方が早いわね。昔の人はよく考えてるわ」なんて、盛んに感心しながら『舌切り雀』の雀が舐めたような糊を刷毛につけ、サッサと桟に塗って行く。そして、剣ならぬ障子紙をその上に滑らせて、カッターで丁寧に切ったら「はい、1丁上がり」。

そして、ベランダで水びたしにしたもう1方の障子紙の端を摘んで、ヒョイと剥がすとアラ不思議?! 全く抵抗なく、障子紙が剥がれる剥がれる。桟にへばりついた汚い紙の屑も出やしない。私のあの苦労は一体なんだったのだろう。

「濡らせば、綺麗に剥がれるって言ったでしょ」。ごもっともでございます。

「その障子の桟が乾くまで、マンゴーを持って来たから食べよう」。あらら、お土産まで恐縮でございます。ここぞと、知ったかぶって賽の目に包丁を入れた途端に「包丁は斜めに入れるのよ」って従姉妹の声が飛んできた。またもやアララ。「ま、食べられないわけではなし」と言いつつ、明らかに呆れている従姉妹の目がそこにあった。

働いた後の(?)マンゴーは、丁度食べごろで美味しかった。従姉妹の「マンゴーって、柿と味が似ていない?」という問いかけには大いに同意。東国原知事がやたら紹介している、何千円もするマンゴーは口にできないが、柿なら実家の庭に毎年生る。さすが私の従姉妹、イイトコに目をつける(洒落よ、シャレ)。

2007-06-03 日

MMK

インターネットで「あなたのモテタイプチェック」なるものをやってみた。出てきた結果に、笑わずにはいられなかった。

「色っぽいと言われるセクシーアマゾネスタイプ」と来た。色気の“い”の字も無いと常々言われているこの私が?! 内容を読んで又もや苦笑。

「自分では意識していないかもしれませんが、あなたは色気を感じさせるタイプです」。そうだったのだぁ。自分だけでなく周りまでもが、今までは思い違いをしていたらしい。私には意識していない色気があったのね。

「女性的なしぐさ、言葉遣い、雰囲気に満ちており、自然とフェロモンを発散していそう」。いえいえ、言葉遣いの悪さは天下一品。何しろ「茨城県と埼玉県人は敬語を知らない」と言われる埼玉県の産でして、入社早々に先輩から「姫宮さん、局長に向かって口の利き方が慣れなれし過ぎるわよ」と注意されたことがある。「だってぇ、普通でいいって局長が言ったんだもん」って、これがいけないのか。(私以外の茨城、埼玉の皆様ごめんなさい)。それにしても自然に発散している私のフェロモンって一体どんなものなのだろう。

「気に入った男性の前では、胸元を強調した服で、色っぽいポーズが効果的です」って。ここに至ってやはりこれは大外れが確定だ。だって強調したくても胸元自体が無いのだから。何しろ正直者のガキンチョと一緒にお風呂に入った時「女なのになんでおっぱいが“無い”の?」と言われたこの私である。“小さい”ならまだしも“無い”と看破した「アンタは偉い!」

世の中には”MMK”と称される人がいるのだそうだ。MMKとは「MOてて、MOてて、KOまる」の略だとか。一人旅でもしようものなら、新幹線の近くの席に座った男性共が、お茶だ、お弁当だ、缶コーヒーだとMMKに捧げもつ。下車駅が近づけば、我先にと荷物を運んでくれたり、目的地でもないのに降りて見送ってくれる人まで現れるとか。それが、いつでもどこでも当たり前の光景らしい。大分前のテレビ番組に自他共に認めるというMMKさんが登場していたことがある。見た目も体型も、ダントツの美女でもシコメでもないごく普通の、しかも中年を過ぎた、よくみかける近所のオバサンといった感じだった。

なのに、なぜか彼女が登場したとたん、スタジオの雰囲気が和み、いつも毒舌の男性司会者が始終柔和な笑顔を絶やさずに質問していく。なるほど、これがMMKさんのMMKたる所以なのかと、圧倒されたものだった。

でね、自慢じゃないけどこの私にも、その辺の威力はあるのではないかと思うわけ(ここ、桃井かおる風に)。

だって、女子校だった私が社会に出てからは、いっつもファンに囲まれて来たものよ。通勤電車では、毎朝同じ時間に乗ってくる青年達と22分会(8: 22発)なるものを結成して、今でいうところのブログのように大学ノートを回しては書き込みをしていたわけ。もちろんそのノートは最初の頁から最後まで、この私への質問や、この私を称える言葉で満ち溢れていたわン。真鍋かおるやショコタンではなく、初代ブログの女王はこの私だったというわけよ。

ところが半年後には当然のごとく、この姫を巡っての決闘勃発。結局は解散。♪喧嘩はやめてぇ〜 私のために争わないでぇ〜。果たして彼らは、今頃どこでこの私を思い続けていることやら。

そのしばらく後には“姫宮と愉快なオヤジ達”という時代もあったっけ。オヤジ達とは隣の部署に居た、どこから見ても狸そのまんまの大川氏、その大川氏の舎弟分にあたる、こちらはおサルさん風の森氏、そしてギョロッとして離れたおめめが特徴の、ケロちゃんこと田中氏だ。

3人とも私より遥かに年長、倍くらいの年のくせになぜか狸さんは私を「お姉さん」と呼んでまとわりついてきていた。おサルさんは、ちょっとニヒルぶって「おけい」と呼び捨て、そして一番紳士然としていたケロちゃんは、「お恵さん」と消え入りそうな声で呼びかけて来たものだ。

一人と三匹は、随分といろいろなところに出かけた。雪の日光に行った時は、ガキ大将のような狸氏が「雪合戦をしよう」と言い出し、子供のように4人はハシャギまくった。そこで、狸氏が雪の精のようなこの私に、まともに雪の玉をぶつけて来た。それを見て、ケロちゃんの詠んだ一首。『我が友の 投げし雪玉 君の頬に 弾けし時の 胸の痛みよ』。

お泊りで出かけた福井県は芦原温泉には、豚弟もついて来た。そして、豚君も加わっての4匹は、大浴場でも大騒ぎ。引率者の私は、老舗旅館の番頭さんに平身低頭。まったく年齢を考えたら逆だろが。

その晩は私と豚弟が同じ部屋、そして3匹は壁を隔てた隣の部屋で寝た。ところが、なんとなく違和感に襲われて眼を開くと、目の前に狸、サル、蛙の3匹の顔があるじゃないの。まるで、毒林檎を食べた白雪姫の顔を覗きこむ7人のコビトのようだ。私は毒林檎を食べたわけではないので、誰にもキスされずに眼をさましたけど、一体なんなのさぁ。3匹は隣の部屋だったはずでしょ?!

3匹が、横で大鼾をかいている豚弟の顔を見ながら言ったのは、「この2部屋、ベランダが続いてるんだよ。それにしても窓の鍵は開いてるし、役に立たないボディガードだなぁ」だった。豚弟も豚弟だが、なんなのこの3匹のオヤジ達!!

でも、それもこれもMMKの私のせい? 私って罪つくり?

だけどマサちゃんに言われちゃうのよね「姫宮さんはモテますね。羨ましくないけど」って。多分、私も外野から見たら同じ思いだと思う。狸でしょ、サルでしょ、蛙でしょ、カッパもゲジゲジもいたなぁ。

ああ、世間様から羨ましがられるところの♂に、1匹でいいからもててみたい。

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