2006-06-04 日
♪夏が来ぅれば思いだすぅ〜
私が、まだ18歳という番茶も出花の夏、埼玉県は南埼玉郡の片田舎を青い目をした外国人青年が「ママさぁん、ママさぁん」と片言の日本語で叫びながら、近所中を走り回ったことがある。“ナマ外国人”を見たことのない住民は何事が起こったかと度肝を抜いた。
彼の名前こそ“ポール”、横須賀基地に駐屯するアメリカの海兵隊員だった。ポールが探していたママさんとは、近所で洋装店を営む大川さんの小母さんのことだった。大川さんの一人息子、修平さんは当時東京外語大に通う秀才さんだった。修平さんは夏休みや冬休みという長期の休みを利用して海外でホームステイをしては、語学の研鑽に励んでいた。そのホームステイ先の1軒にアメリカのポールの実家があったのだ。修平さんは、お世話になった家の息子さんが横須賀基地にいることを知り、日本に帰ってから息子さんを実家に招待することをご両親と約束して来た。そしてポールは修平さんの申し出を喜んで受け、はるばる神奈川の海の近くから、海の無い埼玉の片田舎へと1ケ月の休暇を取ってやって来たのだった。
大川さんの小母さんは、お騒がせした向こう3軒両隣にポールを連れてお詫びに回った。ポールは、若い頃のトム・ハンクスを彷彿とさせるような、アメリカ人青年だった。日本語は片言だったが、とても人懐こい性格らしく“引き回しの刑”にあった先の家々を訪問しては、ニッポンの家庭の雰囲気を楽しんでいた。そして、ポールが我が家に来た時に、日本の国旗が見たいと言い出した。アメリカ人は国旗に対する思い入れが強い。ニッポンでも同じと考えたのだろう。しかし、母が押入れや箪笥をひっくり返して、やっとこ見つけ出した“日の丸”は、気の毒なくらいにクシャクシャの皺だらけになっていた。「OH MY GOD!!」ポールは今にも泣き出しそうな顔で「ママさん、アイアン、アイアン」と、日本語交じりの流暢な母国語とジェスチャーで“日の丸”の、シワを延ばせと訴えていた。
その晩、母は国旗の件でガッカリさせた分を取り返すつもりだったのか「御陣山で花火でもしてあげたら」と言い出した。御陣山とは、すぐ近くにある公園で、昔どこぞの武士が陣を張ったところからその名がついたらしい。こんもりとした小山が2ツ在り、その一つの麓には今でも首塚が奉られている。
さて、その御陣山で花火をやろうと大川さんチにポールを誘いに行くと、それはそれは嬉しそうに小母さん、修平さんと一緒にやって来た。うちは両親、豚弟と全員参加。ニッポンの夏の夜らしく父は甚平、母はアッパッパ、豚弟はランニング、そしてこのワタクシは浴衣。おおポールの青い目が、楚々とした少女の浴衣姿に吸い寄せられているぅ。「ケイコ、キレイネ」。吐息と共に出た、覚えたての日本語が十代の大和撫子の耳にこそばゆい。
公園の片隅に水を入れたバケツを置いて、いざ着火。漆黒の闇の中で、手にした細い筒から、シューッと勢い良く青からピンクへとグラデーション良く火花が飛び出す。線香花火は今にもポトンと焼け落ちそうな火の玉が、チチチと小さな音を立てながら弾ける。その様を団扇で蚊を追い払いながら静かに眺める。これぞニッポンの夏ですね。短い夏の短い夜の静かな祭典だ。
ところが、そんな静寂を豚弟が火をつけて投げたねずみ花火が打ち破った。あっちでシュルシュル・パン!!こっちでシュルシュル・パン!! なんと、そのうちの1つが煙を吐き、グルグルと渦を巻きながら私を目指して飛んで来たではないか。びっくりした私は、線香花火を放して一目散に逃げた。その途端に、履きなれない浴衣の下駄が見事なほどに鼻緒の所から真っ二つに割れてしまった。転びこそしなかったけれど、これではまともに歩けやしない。全くもって豚弟はろくなことをしない。すると、私の体がフワリと宙に浮いた。ポールだ。ポールが片足でケンケンしている私を抱き上げてくれたのだった。しかもお姫さま抱っこよ。生まれて初めての、そして最後かもしれないお姫さま抱っこだった。海兵さんのしてくれるお姫さま抱っこだなんて、まるで『愛と青春の旅立ち』のラスト・シーンではないの。豚弟もたまには洒落た演出をしてくれるものだ。私は御陣山から自宅までの約100mを、リチャード・ギアに抱かれたデヴラ・ウィンガーになっていた。ああ、御陣山がもう少し遠かったらなぁ。
それから2日後、横須賀基地に行って来たと、ポールが牛肉の塊を持って我が家にやって来た。「ケイコにっ」って。しかし、その頃の私は肉が全く食べられなかった。母も「牛肉は牛乳臭くて嫌い」と言って食べなかったし、父も魚の方が好きだった。喜んだのは豚弟だけだ。「おまえにもらった訳じゃないんだからね」と、デヴラが言っても「食べられないのが悪いんだろ」と、豚弟は米国人並みに、独り占めした肉の塊に喰らいついていた。豚肉ではないから共食いにはならないか。
それから又2日後「ケイコと映画を見に行きたい」と、ポールが言いに来た。さぁ大変、その晩は大川さんチの小父さん、小母さん、そしてウチの両親が額を寄せて喧々諤々。私も豚弟も蚊帳の外ではあったが、もれ聞こえてくる会話の内容は「2人きりになって何かあったら」とか「断ってへんな事をされたら」という物騒なものだった。埼玉の片田舎で善良なる市井人は、真剣に国際問題に発展しかねない議題を厭きずに論じ合っていた。
結局その後、親達の結論として私はポールと映画を見に行くことはおろか、2人きりでお喋りする機会も与えられなかった。ポールは言っていたのよね「ニッポンジンノオヨメサンホシイデス」って。『世界バリバリバリュー』という、世界のセレブな方々の生活を垣間見る番組がある。そこで時々、海外に嫁ぎセレブな生活を送る日本人女性の特集をする。そんな時には、もしかしたら私もポールと番組に登場していたかも知れないと、密かに“たら・れば”の世界を、未だに思い描いてしまうのだった。今なら親も「映画でも何処でもサッサと連れて行って下さい」と逆に頼むだろうな。
ポール『WANTED』今からでも遅くない!!