2006-08-13 日
ヤクザを弄ぶ女
ベビーフェイスながら、ヤのつく自由人さんの心を弄んだ友達が居る。名古屋の直子だ。もともとは私の知り合いの知り合いにヤクザさんが居たことから話は始まる。私の“知り合い”というのは鎌倉在住の小池さんという年輩の方だ。私が、この方と知り合いになったのも不思議な縁だった。当時(昔の話ばかりで恐縮です)私は、毎週月曜日に仕事の関係で鎌倉の某氏のお宅を訪ねていた。閑静な住宅街、立派なお屋敷の並ぶ一角に某氏の邸宅もあった。そのお隣に『小池』と表札のかかったモダンな作りのお宅があった。広い芝生の庭に面した出窓には、高さが80cmほどもあるアヒルのランプが置かれていた。そのお宅の前を通る度に(どんな人が住んでいるんだろう?)と、私は胸を躍らせていた。なぜなら、子供の頃から私は『小池』という苗字に憧れていたから。だって、私の名前は“けいこ”。小池に嫁げば、上から読んでも下から読んでも“こいけけいこ”、山本山の海苔みたいな回文の名前になれるでしょ。なので、その小池さんチの前を通る度に、芝生の庭を横切って、私を“こいけけいこ”にしてくれる男性が現れることを夢見ていたのだった。
ところが実際に目の前に現れたのは還暦凸凹くらいかと思われる白髪のオヤジ、いえ高齢の紳士だった。某氏を訪ねて一仕事終えた帰り際、白いセドリックを今まさに乗り出そうとするところに出くわした。鎌倉の奥まった細い路地故、端に寄って車が出るのをじっと見守っていると「お待たせしてすみません。駅までなら乗って行きませんか?」と、優しげな声がかかった。口は軽いが尻は重い私。そんな誘いには乗るものか…とは思うものの駅まではけっこうあるし、何しろ相手は小池さんだし即、宗旨替え。有り難く駅まで乗せていただくことにした。ここは度胸一番、息子さんの有無を確認しよう。「あのぉ、窓に可愛いアヒルのランプがありますねぇ」「ああ、息子一家がアメリカ旅行をした時に買って来たんですよ」って。“こいけけいこ”の夢はアッと言う間に儚く消えた。
けれども、相変わらず毎週月曜日には小池さんチのお隣を尋ねていたもので、小池さんとはいつしか顔見知りから仲良しになり、経営しているレストランでご自慢のフレンチを振舞っていただくようになっていった。そして小池さんの幼馴染で、長じてヤのつく自由人の道に進んだ石田さんにも、そのレストランで紹介される機会をもった。幼馴染と言っても小池さんの方が大分年長のようで、縦社会を重んじる職業に身を置く石田さんは、小池さんを“アニさん”と呼んで、ひれ伏している。そして、アニさんと仲良しの私に対しても映画などで見る“アネさん”に対してのような丁重な接し方をしてくれる。
ヤクザさんとは言ってもチンピラとは違う。仲代達也似の石田さんはシルクのスーツに身を包み、持ち物もダンヒル、ミラ・ショーンといったお高めのブランド物ばかりだ。
そんな石田さんに直子が初めて会ったのは、直子がお父さんを亡くした直後のことだ。直子の話を小池さんにすると「私が鎌倉のお父さんになってあげます。鎌倉にご招待しましょう」と言ってくれた。そして、小池さんの都合の悪い時間を埋めてくれたのが石田さんだったのだ。
“アニさん”から二人の美女を託された石田さんは、シルバーのジャガーで東京・横浜・鎌倉と案内してくれた。座席の足元には毛足が10㎝もあるようなフワフワの毛皮が敷かれている。土足厳禁ではないのかと尋ねてみたいようだった。そんな車内でふと見ると、直子の瞳はハートマークに輝いて完全に危ない状態になっているのだった。
食事の席でも、お茶の席でも必ず石田さんの正面に座り、上目遣いに見つめてはため息をついている。でも、直接口をきくことはできず私に通訳(?)をさせる。「石田さんは食べ物何が好きですか?」って、そんなの自分で聞けよ。そうこうしているうちに小池さんがやっとこ駆けつけて来て、石田さんはお役御免となった。「じゃ、私はこれで」と帰って行く石田さんの後姿に直子の目が張り付くこと。その後は、いくら自称鎌倉のお父さんが話しかけても上の空、おーい相手はヤクザさんだぞぉ。
我が家に泊まった直子に、母と私と義妹で代わる代わるに「ヤクザさんは止めようね」と説得しても「どこがヤクザよ、あんな素敵な人がそんなはずないでしょう」と聞く耳をもたない直子。とうとう母に「なんで、そんな人を紹介するの!」と、私が怒られる羽目になってしまった。
直子は石田さんとの2ショット写真を最高のお土産に、名古屋へと帰って行った。暫くして「名古屋の友達に写真を見せたら、ドコから見てもヤクザじゃんと言われ、その友達とは絶交しました」という手紙と共に「石田さんに届けて下さい」と、なぜかハムの貢物が届けられた。なんで私が? とは思うものの、母に言わせりゃ「そんな人を紹介したお前が悪い」と言われるに決まっているので、恐る恐る石田さんにその旨の電話を入れた。
「私、今動けませんので若いもんをやりますから」と言われ、指定された喫茶店に行くと「石田のトコのもんです」と、男性が目の前に現れた。ちっとも若くない。そうか、その世界では格下を指して若いもんというのか、と妙に納得したものだ。
それからというもの、直子はハムを手に足繁く新幹線でやってくるようになった。そして相変わらず、石田さんの前の席に座ってはため息をつくばかり。ヤクザも人の子、自分に思いを寄せている“女の子”に悪い気はしないとみえ直子が上京してくると知ると、小池さんと一緒に姿を見せるのだった。
ところが直子が突然「もう石田さんとは会いたくない」と言って来た。何ゆえ? と尋ねると、たった一言「だってヤクザじゃん!!」
どんだけ言っても「ヤクザじゃない」と言い張っていた直子、一体何をして気付いたのか…。そんな直子の心変わりがあってから程なく、あまりにも呆気無く石田さんは肺癌で他界してしまった。直子の心変わりなど知らぬままに。直子に惚れられていると信じたままに。
我が家では、直子の話題が出ると未だに頭につけるのだった「あの、ヤクザの心を弄んだ女性」と。