2006-11-05 日
“靴の修理屋さん”
秋である。乙女がお洒落をする季節である。
しかし、気になることがある。それはハイヒールの踵だ。磨り減るのを通り越して、革がめくれている靴を履いている人を見かけることが最近多くなった。最初は、ピンヒールの回りにヒラヒラと飾りでもついているのかと思った。新しいファッションかと。けれどもよく見ると、グレーのくたびれきった踵の、ゴムの屑がまとわりついているのだった。いくらお洒落をしても足元を見られますよ。
その点、私は大丈夫。踵のゴムが磨り減る前に、ちゃんと馴染みの靴屋さんに張り替えてもらっているから。この靴屋さん、10年以上前に大手町のビル街に現れ、決まった1本の街路樹の前に陣取って靴磨きと靴の修理、踵の張替えをしだした。街路樹の銀杏を背に、ベニヤ板で囲いをする。これがおじさんの畳半畳のテリトリーだ。
その靴屋さん、プロレスラーのような大きな体を折り曲げて、もくもくと手を動かす。殆ど会話は無し。丁寧に修理をした上に、ザッと磨いてもくれる。しかし、難点がある。出社前に「お願いします」と、靴の入った袋を置いて「何時にできますか?」「昼だね」。で、昼休みに取りに行くと、袋を開いた様子さえない。仕方なく退社時に寄る約束をしても、結局「靴磨きが多くてできなかったよ。明日の昼に来て」と、悪びれた様子もない。それだけ言うと、黙って後片付けが始まってしまう。ガックリ。けれども、十数年前には「はい、50円」と、当時でも信じられない低料金だったので、マ、いっかぁとなってしまう。現れるのもお天気次第らしく、程よく晴れた日以外は姿を見せない。悪天候だけでなく、あまりの晴天も仕事はしたくないようで、いくら待っても現れないのだった。
料金は、いつしか1足百円になり、二百円になり、最後は五百円になった。最後はというのは、五百円になってしばらくして、程よく晴れた日も姿を見ることが無くなってしまったからだ。暫くは用具箱もベニヤ板も定位置の銀杏の樹にくくられたままだったので、靴の入った袋を提げて何度か足を運んだりしたのだが、とうとう、その箱もベニヤ板も姿を消してしまった。ビルの谷間にあった、ちょっと暖かな空間が無くなってしまい寂しい気がする。いやそれよりも、これから私の靴の踵は一体誰が修理してくれるのだ?
そのおじさんにばかり頼んでいたものだから、他にどんな所があるのかすら分からない。では、殆どの駅に入っている“ミスター・ミニット”を覗いてみようか。五百円也で直してもらっていた私とすれば、やはり値段は気にかかる。ネットで調べてみると、婦人靴には1250円から3150円のバリエーションがあるらしい。最低料金でも、おじさんなら2足直しおつりが来たところだ。これが常識的な料金設定とは分かっていても、やはり慣れた数字からすると、最低でも2倍強というのは何だかなぁ。
ところが、ある日見つけちゃったのです。私の好きな百円ショップダイソーで、靴の踵の修理キットを。その名も“靴の修理屋さん”。「自宅で簡単に靴の修理ができます!」って、びっくりマークまでついている。中身は踵につけるゴム(各種ありますよ)、紙やすり、打ち付ける小さな釘。使用方法も、古くなった踵を取り外し、紙やすりで靴底の凸凹を無くし、踵のゴムをボンドで貼り、釘をうちつけ、余分な所はカッターで切り落とす。図まで載せて丁寧に教えてくれている。これは試すっきゃないでしょう。ヘーベル・ハウスの住宅展示場でもらった、ハンマーとペンチとドライバーがセットになった工具セットを持ち出し、踵のゴムの張替えに、いざ取り掛からん。
まず、古いゴムを引っ剥がす。これがなかなか大変。踵とゴムの間にドライバーをねじ込んで、やっとこ浮いたゴムをペンチでねじり上げる。ムンギュ。ゴムには、打ち付けられた釘だけでなく、踵にうまく嵌め込まれた棒状の出っ張りがある物もある。だから、踵にはその分の穴が空いているわけだ。こんなの“靴の修理屋さん”の使用方法には書かれていないよ。踵の凸凹を紙やすりで平らにしたものの、さてこの穴はどうしたものか。
閃きました。割り箸をちょいと突っ込んでみたらドンピシャリ。割り箸を穴に差し込んではカッターでちょん切る。この作業を踵によっては片足で4回、1足で8回もしなくてはならない。中には、もっと細い穴が空いている踵もある。それには好物の、ゴマだんごの串がピタリと一致した。みたらし団子でも、あんこでも団子の串なら大丈夫なのでご安心を。
さて、いよいよ釘を打つのだが、先ほどの割り箸やら団子の串を突っ込んだ辺りにうまく命中させなくてはならない。何しろ外からは見えないから、ここぞと見当をつけてトンテンカンと打ち付ける。ウーム、なかなかどうして大したものだ。1足百円よ。踵の大きさによっては百円で2足できてしまう。
「やっぱり私って何をやらせても天才!」と、意気揚々と自分で踵を直した靴で出社し、社内を闊歩していたのだが、思いもかけない悲劇が待っていた。姫体質の非力な私が打ちつけた釘は歩いているうちに浮き上がってしまったらしい。釘の頭が、普段は全く気にも留めない、薄い薄いカーペットの毛足に引っかかってしまったのだ。幸い席に近かったので事務用のハサミをペンチ代わりにして、半端になっている釘を引き抜いた。さすがに事務所には、その後に打ち付ける釘もハンマーも無い。途方にくれた目の前に、ありました天下の“アロンアルファ”が。これだ! 剥がれて口を開けている箇所に急いで流し込み、踵に全体重を乗せて接着に努めた。約1分後、瞬間接着剤なのだから、もう大丈夫だろうと、足を踏み出そうとして焦った。足が上がらない。どうやら慌てて流し込んだアロンアルファがこぼれ、床と靴の踵を見事に貼り付けてしまったらしい。聞きしに勝るその威力、恐るべしアロンアルファ。その時初めて知った。アロンアルファには“アロンアルファ用専用リムーバー・はがし隊”という救済隊が用意されているということを。こちらは、剥がしたい箇所に塗って3分間待つ。3分して私も晴れて自由の身になれた次第。
ねぇねぇ、3分と言わず3時間でも3日間でもじっと待つから、誰か私に貧乏神からの“はがし隊”を送ってくれませんか。