2006-12-17 日
恐怖
人には、それぞれ怖いものがある。私の周りで多いのが“高所恐怖症”といわれる人達。豚弟もリカコも絵美ちゃんもP氏も、高い所が怖いと言う。豚弟は高い所を飛ぶ飛行機も苦手。入社早々に沖縄出張を命じられ、部長に「片道3日間下さい、船で行きます」と答えてドヤされたらしい。あの根性無しの豚弟に、上司に訴え出るだけの“度胸”を持たせた恐怖症って凄い。それなのに新婚旅行には義妹の「北海道にフェリーで行きましょう」という優しい申し出を蹴り、ハワイへ飛行機で飛んで行った。ゲに愛の力は恐ろしい。
それから数年後、2人の娘に恵まれ、その娘達と遊園地の観覧車に乗った時のファミリー・ビデオが残っているのだが、これがなかなかの傑作である。「わぁ、綺麗!!」「パパ見てみぃツリーが飾ってあるよ」と、窓に顔をつけてはしゃぐ子供達の映像が小刻みに揺れている。時々天井は映るが、綺麗なはずの景色も、姪が指差す観覧車の外のツリーも決して写ってはいない。そのうち姪の解説で謎が解けた。「パパ、なんで震えてるの?」「パパなんで、窓の柵にしがみついてるの?」「パパ、なんで冬なのに汗かいてるの?」。豚弟も娘達にせがまれ、意を決して観覧車に乗ってみたのだろう。乗ってはみたけれど、いくら可愛い子供達と一緒でも“高所恐怖症”は霧散してはくれない。窓の柵にしがみついても、構えたビデオの手は震え、冷や汗はドッとオデコから頬をつたったらしい。
初めてリカコが私のマンションにやって来たときのこと。(リカコはちゃんと分かるかなぁ、大丈夫かなぁ)と、ベランダに出て道路を見下ろすと、まさに目の前の横断歩道を渡ろうとしているリカコが見えた。15階のベランダから手を振ると、リカコも気付いて手を振ってくれる。わぁい、嬉しくなって、もっと大きく手を振ると今度は両手を振ってくれる。もっと嬉しくなって、ベランダの手すりから身を乗り出して両手を振ったら、リカコは猛スピードでマンションに向かって走り出した。あんなに喜んで走って来てくれるなんて、ああなんて可愛いリカコちゃん。私も、大急ぎで部屋を出てエレベーターに飛び乗り、リカコをマンションの玄関まで出迎えに行くことにした。
「いらっしゃい!!」。満面笑みで出迎えると、リカコは「何してるんですか!!」と、お怒りの様子。???。熱い抱擁もOKよと思っていた私には何のことやら分からない。リカコ曰く「あんな高い所から手を振ってぇ…」。危ないから部屋に入れと最初は手を挙げたらしい。その後は両手で下がれ、下がれと部屋に押し戻すジェスチャーだった。ところが手すりから身を乗り出すに至って、とても見てはおれないと猛ダッシュしたというのだ。15階から道路を見下ろしても、ちっとも恐怖を感じないノーテンキな私と、下から15階を見上げただけで身のすくむリカコの、まさに天と地ほどの心持の違いを思い知らされた出来事だった。でも、姿が見えると嬉しくて、未だにやって来るリカコについつい手を振りたくなってしまう私なのよねぇ。
絵美ちゃんとは、賢島から的矢まで新鮮な牡蠣を求めてはるばると行ったことがある。足の不便な所で、行きは宿からタクシーを呼んでもらったものの、帰りはプラプラと車が通るのを待ちながら歩いていた。するとやたらと絵美ちゃんは車道を歩く。そりゃぁ見渡す限り車は見えないけど、車は二人の足より遥かに早い。ちゃんと歩道があることだし「歩道を歩こうよぉ」と、叫んでみたのだが、その答えが「だって怖いんだもん」。どうも、私にとっては、眼下に海が広がる素晴らしい見晴らしが、これまた“高所恐怖症”の絵美ちゃんには耐え難かったらしい。折角の絶景も、きっと“高所恐怖症”の人達にとってはブラックホールのように引きずり込まれそうな恐怖の場所となってしまうのだろう。
でもねぇ、絵美ちゃんはサイパンで体験したパラセーリングのことを、楽しそうに話していたし、リカコは9cmや10cmという高いピンヒールをお気に入りで履いているし、とっても不思議。
P氏は“高所恐怖症”だけでなく幽霊が怖いと真顔で言う。昔から霊感が強い方で病院やらお墓などに行くと、帰りに必ずその手のお土産をもらって来てしまうらしい。「ドット疲れるんですよぉ」とか。1度は自分の首が胴体から離れているのを感じたことまであるんだそうで「女房も首が浮いてたって言ってました」と恐ろしいことを立証しようとする。交通事故があった場所は直ぐに察知するし、そんな所を遅い時間に独りで歩く時は「どこからでもかかって来い、怖くなんかないぞぉ」って叫びながら走るそうだ。たまたま、そんな場面を目撃した人はさぞ怖い思いをされることだろう。「私の家の中が幽霊さんの通り路になっているらしく、しょっちゅう往来するのが見えるんですよ」なんて話を、呑んでる席で何度聞かされたことか。「怖いですよぉ」などと言いながら、こちらが「もう、その話はけっこうです」と辞退しても、酔うほどに繰り返す。これって怖がっているというより、楽しんでいるのではなかろうかと思えてくる。
さてと、ここで考えた。私は一体何が怖いのだろう。なんとかと煙のように高い所も大好きだし、ゴキブリも素手でこそ無理だが、丸めた新聞紙やスリッパで叩いてティッシュに包んで捨てることは平気。雷も子供のころはいつ落ちて来て、家が丸焼けになるかと怖かったが、長じるに従い稲妻の閃光に見とれ、その瞬間の写真撮影に挑んだりもしている。幽霊さんも、きっとおいでになるとは思うものの独り暮らしが長いと、真っ暗な部屋が怖いなどとは言っていられない。そうだ、寝室とトイレの電球も切れかかっていたんだっけ。死ぬのも、他界している大好きな父に再会できるなら嬉しいし、夫も子供もペットも居ない身としては、後ろ髪引かれるものは無い。
高所も、ゴキブリも、雷も死ぬことさえも怖くないとなると…。
落語ではないけれど「饅頭怖い、ついでにお茶も」と、止めどない食欲とそれに伴ってまだまだ増える体重くらいしか怖い物も無くなってしまったかな。
ケーキも怖い、コーヒーも怖い、ステーキもお寿司も中華も怖い?!