2005-03-27 日
お客様、劇場では
春である。人事異動の季節である。私が、歓送会、歓迎会、懇親会で飲みたくもない職場のメンバーとお酒を飲み、浮世の義理を果たしている頃、私の周りの友たちは、お目当てのミュージシャンのコンサートの為、日程調整に余念が無い。リカコは坂本某を中心としてV6のコンサートと舞台。逸子はサザンオールスターズの大ファンで、春の選抜高校野球の開会式にも行こうかという勢いだった。絵美ちゃんも、4月末の角松敏生in沖縄の為に安い航空券とホテル探しに奔走している。皆、桜前線のように今年もそれぞれお目当てのアーティストを追って、日本を縦断するのだろうな。本当に、本当にご苦労様です。けれどもある意味、羨ましいことではあります。
私には残念ながら、心ときめかすミュージシャンも俳優も居ない。以前、リカコに連れられて坂本某の舞台を見に行ったのだが、彼女の目の前で居眠りをこきまして、それっきり舞台へのお誘いはかからなくなってしまった。リカコさま、あの節は大変失礼いたしました。あれ以降も絶交せずにいてくれる貴女様に感謝です。
とは言うものの、これでけっこう舞台を観た経験は豊富なのだ。しかもなぜか、チケットが自然に手に入るという幸運に恵まれて。
もったいなかったなぁと思うのは少年隊のミュージカルだ。青山劇場のチケットだった。青山劇場も初めてなら「少年隊」という名前に出会ったのも初めてだった。なんか陳腐な名前だなぁなどと思いながら、劇場に足を踏み入れて驚いた。劇場全体がハンパじゃない熱気に包まれている。今では見慣れた、大きな顔写真つき団扇の大群も初めて見た。若い女性の集団の声が、青でも赤でもなく黄色いことも実感した。でも、舞台に居る3人の個々の名前も顔も全く分からない私だったのだ。今ならプラチナペーパーで、ファンにとっては垂涎のチケットなのだと分かるけど、知らないとは悲しいことよね。覚えているのはミュージカルの内容よりもファンの声援に圧倒されていた自分自身のことばかりなのだから。
青山劇場と言えば他にも思い出すことがある。現在は人間国宝であらせられる中村鴈治郎さんが中村扇雀だった頃、近松座と銘打って『心中天網島』を上演したのを観たのもここだった。私は仕事を必死で終え、開幕直前の座席にすべり込んだ。その時の私は、一日中時間に追われ鬼の様に仕事をしていたので、この上ないほどの空腹だった。なので座るが早いか、会社の自販機で買い求めたおにぎりをむさぼり食った、あっと失礼、口に運んだ。その途端に「館内での、ご飲食はご遠慮下さい」のアナウンスが、私めがけて飛んできた。ウグッ。危うくお握りを喉に詰まらせるところだったよ。思わず手にした缶コーヒーを流し込み、どうにか救急車騒動になることは免れた。結局、禁止されている「館内での飲食」を、すっかり済ませてしまったのは、この私です。
飲食と言えば、歌舞伎座かな。こちらのチケットは、なんとかの河竹黙阿弥の子孫でらっしゃる、早稲田大学名誉教授河竹登志男氏からいただいた。そんなチケットでついた席は花道の脇だった。ス・ス・スゴッと嬉しくなりつつしたことは、お弁当を花道に置いて食べることだった。ひと口ふた口と美味しくいただいていたと思って下さい。もちろんそこは常識人ですから、幕間のことですよ。ところが、係りの女性がつつつと音も無く現れ、慇懃におっしゃいました「お客様、花道に物を置かれては困ります」。
大人しく“物”は膝に置いて事なきを得たが、自分自身が「お客様、ここにおられては困ります」と、どかされたことがある。かなり以前のゴールデン・ウィーク、帝国劇場へ『ミス・サイゴン』を観に行った時だ。その日は森光子、佐藤直子、藤田朋子、生前の杉本春子といったお歴々が観劇に訪れており、客席にも視線がガンガン注がれていた。ところが、客席には後からもっと大変な御仁が現れたのだった。それは、この度目出度く黒田氏と納采の儀を済まされた紀宮だった。
どうやら手違いで、私の元に紀宮の席のチケットが回ってきてしまっていたらしい。この時は一人ではなく数人の、しかも女性ではなく背広姿もビシッと決まった紳士達が麗々しく私の席を囲み「大変、恐縮ですがこちらの席にお移り下さいますよう、お願いします」と別の指定席のチケットを差し出した。思い返すとその時、紀宮の名前も、間違えたという言葉も一切聞かなかったなぁ。けれども不快感は全く無く、丁寧に扱われたという思いだけが残っているから不思議だ。そして私が席を移った後で、大きな拍手と全員起立の厳かな空気の中、紀宮が御付を従えて姿を現したのだった。ねぇねぇ、凄いじゃない、宮様とダブル・ブッキングした女性よ。
ダブル・ブッキングは、それより前にもあった。「そうだ京都へ行こう」と、JRのゆったりした音楽に誘われて友達と二人、東京駅で東海道新幹線の座席についた時だった。ハネムーンに出発しようとしている新婚さんとダブル・ブッキングしてしまったのだ。おろおろ顔の新婚さん。ホームには見送りの仲間がワンサカ。その人たちの視線の冷たかったこと。中にはビデオを回している人もいた。しっかり映ってしまっているんだろうなぁあの中に。でも、私達のせいではありませんからね。お二人の結婚生活はスムーズに推移しているのか今でも、ちらと気にかかる。
こうして振り返ると、行く先々でけっこうドラマが展開されている。やっぱり私ったら生まれながらの女優ってことかしらん。