爽やかな5月となった。新入社員もめでたく(?)五月病を発症する頃だろう。

弊社にも70人ほどの新人が入社し、我が局には女性1人を含む7人が配属になった。直の部署には1人も入らないのだが、研修には7人打ち揃ってやって来た。この研修、4年前から不肖このワタクシが実地の部分を受け持たされている。ちょっと特殊なパソコンの入力方法、電話での受け答え、伝票の書き方等々。実地なら新人も真剣勝負、居眠りをこく暇も無いし、初めての体験に興味津々自ずと身を入れてくれる。

講義となるとそりゃ退屈だぁね。講師じゃなくて良かったと思っていたのだが、今年はなんと一時その講師役まで引き受ける羽目になってしまった。前日、講義担当の上司から冗談で言われていたのだ「もし、私が出社できなくなったら代わりに講義もやって下さいね」。ところが当日、早朝の地震のせいで、その上司の乗る路線がすっかり乱れてしまい「時間に着けそうにありません。講義も併せてお願いします」と車中からメールが届いた。冗談から駒? げに、言霊とは恐ろしい。「資料はどこにあるのですか?」「昨日、持って帰って作りました。出社してからコピーするつもりでバッグに入って、ここにあります」って。ちょっとぉ、そりゃないんじゃないのぉ。レジュメも心構えもないままに講義ですかぁ。

二十四ならぬ、十四の瞳がじっと俄か講師の私の顔を見て“お言葉”を待っている。本当は私、講師じゃないんですぅ、思いもかけずにここに立ってますぅって言い訳しながら講義に入るが、へんな汗がじとっと出てくる。あわわ・あわわと新人を前に泡を食っているところへ、やっとこ本来の講師役が、こちらも汗を拭き拭き現れた。「どうせですから、続けて下さい」って、冗談ではありません。どうにか「はい、ここを押してぇ」とか「他所からかかった電話に応える時、自分の部署の人の名前に敬称はつけない」などという具体的かつ超初歩的指導のお役目に戻ることができた。

どんだけ“本番”を教える方が楽か。絵に描いた餅を見せても上手に説明しても反応はいまいちだが「さぁ、食べてみましょう」と言ったら、みんな笑顔で喰らいつく。日頃講師をなさっている皆さん、本当にご苦労さまでございます。餅を食べさせたり、鞭をちらつかせたりしながらどうにか無事に、お役目は終了。新人達が口々に「ありがとうございました」と言いながら最敬礼をして去って行く。ふだんとは違った疲れ方はするものの、この時ばかりは映画『愛と青春の旅立ち』での教官ゴセットにでもなったような気分だ。

途中、ちらりと世間話になった時「ご出身は?」の質問と一緒に「お子さんは、お幾つですか?」なんて聞かれてちょっとムッとはしたものの「独身よ文句ある?」「いえ、ございません」で一件落着(?)。きっと、口は災いの元という諺も身をもって覚えたことだろう。ほらね、なにごとも実地が大事よ。

数日後、社員食堂でランチをしていると「ご一緒してもいいですか?」と、『愛と青春の旅立ち』の教え子が一人、トレーを手にやって来た。ウイやつじゃ近う寄れ。ついでに社員食堂に置かれた自販機のコーヒーなんぞを、ご馳走しちゃうぞ。そして、これもついでに、聞かれるままに配属された部署の労働のきつさをあくまでも優しく教えてあげる。「私が知っている範囲では、ここ5年間で過労死は2人だけよ」と。「大丈夫、あなたの配属になる部署でだけの話で、他の部署では例が無いから」って。事実を事実として、オブラートに包み隠すことも無く、ちゃんと教えてあげる、どこまでも心優しい先輩なのだ。

新人君、知っていることはなんでも教えてあげるから、いつまでも今のひたむきさ素直さを失わないでいておくれと言いたいのだが、果たしていつまでその姿勢でいてくれるやら。4年前の教え子も、少しずつ変わっているよなぁ。たった4年で、お腹は出るわ、髪はうすくなるわのすっかりオヤジ体系になってしまう人もいる。精神が変わらずにいてくれて、教官を立ててくれさえすれば私としてはオッケーだけど。

毎年、社会経済生産性本部がその年の新入社員を分析するが、今年は「発光ダイオード型」とか。「ちゃんと指導するといい仕事をするが、冷めている」んだそうな。

そう言えば、こんな話を聞いた。某部長が地下2階にあるメールセンターに行って部長宛の郵便物が届いているかどうか見てきてほしいと、新人君に言いつけた。新人君はメールセンターへ行き、手ぶらで帰った来た。その様子を見て部長が「まだ、届いていなかったかぁ」と口にすると、新人君は言ったそうな「届いていましたよ部長がおっしゃっていた郵便物、ちゃんと見て来ましたから」。その全く悪びれない新人君を見て部長、何も言えなかったという。「確かに、見て来いって俺は言ったんだよな。見て、あったら持って来いと言ったわけじゃないんだよな」。その時部長は深く反省したと言う。

一を聞いて十を知るという行為は、今は余計なお節介なのかもしれない。一を聞いたら確りと一を知ればよいのかも。私などこの所、一を聞いても聞いたことすら忘れてしまいますからね。