2005-09-11 日
人民食堂の3×8年
弊社には、社員食堂がある。朝も晩もまっとうな食事をしていない私にとって、健康的な食事をするための、唯一救いの場と言えるだろう。昼食までも、社の中で知った顔を見るのは嫌だと言って、ランチは社外に出て行く人も多いが、私はやっぱり社員食堂だな。外だと、どうしても1種類のものしか摂れない場合が多い。社員食堂なら小鉢も選ぶことができる。お漬物も梅干も好きなだけ食べられるし、野菜が不足しがちな私には百円也のサラダ・バーも有難い。
入社当初は、とっても寂しいメニューだった。惣菜はAとB、魚と肉類だけ。うどんも蕎麦もラーメンも週に1度顔を出せば良い方だった。もちろんサラダ・バーなんていうお洒落な発想も無かった。無味乾燥なチーク材のテーブルが、学校の講堂のように並び、パイプ椅子では落ち着いて食べるという雰囲気ではない。社員は「人民食堂」と揶揄して、いつもガラガラだった。
そんな社員食堂に毎日通っていたのは、トイレに行くにも金魚の糞のようにくっついて歩いていた同期のマミちゃんが、お弁当持参だったからだ。マミちゃんは毎朝自分でお弁当をセッセと作って来るというので、皆が感心していた。しかし、その恐るべき中身を知る人はそう多くはないだろう。もちろん、毎日一緒の私は当然その中身を知っている。アンコ、それがおかずなのだ。そりゃぁ牡丹餅や、お萩だと思えば納得できないこともないが、これが殆ど毎日で、たまにおかずと称してタッパに羊羹が入っているとなると、ちょっと納得もしがたくなってくる。目の前で美味しそうに、あんこや羊羹を平らげるマミちゃん。見ているこちらが胸焼けをおこしそうだった。
マミちゃんは入社丸1年で、とっとと寿退社してしまった。あの時は寂しかったなぁ。だって、金魚だか糞だかがいなくなってしまったあと、周りから言われたのは「あら、一人だったから分からなかった」という言葉ばかりだったのだ。二人で一組の私のアイデンティティーはどこにあったのでしょうか。
マミちゃんが去った後に、同じようにつるんで歩く社員は入社して来なかったが、スタッフさんと呼ばれる派遣社員が近くの部署に配属になった。年齢もさほど違わなかったので、いつの間にか一緒に社員食堂でランチをとるようになっていた。スタッフさんは契約が半年毎の最長3年。だから親しくなると辞めていってしまう。でも有難いことに、スタッフさんは「ランチを姫宮と一緒に摂る」という最重要課題を引き継いでいってくれる。なので、今も一昨年の暮れから引き継がれたスタッフさんによって、その項目は守られている。何しろ、一人では外食はおろか、社員食堂にさへ行くことができないという情け無い姫体質、スタッフさんの代が変わり、年齢もどんどん開いていっているのに「先輩の声は神の声」、最初の笹原さんから数えて8代も姫宮のお守役を引き受けてくれているのだから有難くって涙がでる。(3×8の計算はしないように)。
職場は離れても未だに付き合いのある、6代目絵美ちゃんに先日聞いてみた「私は年齢の差を感じたこと無いんだけど、絵美ちゃんは気を使って合わせてくれてるの?」その答えがこうだ「全然年齢差は感じません。というより危なっかしくってめんどうみずにいられないから、年上だなんて思ったこと無いです」。アッソ。多分、その前のリカコに聞いても、あとのミサちゃんに聞いても同じ答えが返ってくるのだろう。
社員食堂も支配人が変わったとたんに、まるで別の会社かと思えるくらいに大変身を遂げた。テーブルにはピンクやブルーのクロスがかけられ、椅子も高級レストランを思わせるようなゴブラン織りの背もたれ付きになった。配膳カウンターの側には大きな壷が置かれ、季節の花が枝ごと生けられる。3月にはお雛様が5月にはこいのぼりまで飾られる。12月はドアに白いスプレーでトナカイやサンタさんが描かれ、1月にはホテルのロビーかと見まごう程の立派なお供え餅が鎮座する。
メニューも、うどんも蕎麦もラーメンも毎日出るようになったし、定食もA,B、ヘルシー・ランチに特ランチ、スペシャル・ランチと豊富になった。ん、スペシャルと特ってどう違うのだろう。週に1度は石焼ビビンバまで出るし、年に何回かは○○フェアと銘打って、稲庭うどん食べ放題や、各種のカレーが並んだかと思えば、マグロの解体まで目の前で行われたりする。ここは何処?という感じで、ガラガラで「人民食堂」と言われていた社員食堂が今では満員。チケットの自販機から列をなしている。世の中、やる気とアイディアで様変わりするものなのねぇ。
そんな社員食堂の中で、やる気もアイディアも無い私は、相も変わらず今日も、スタッフさんにおんぶに抱っこでランチを摂っているのだった。外に出るのは暑いしねぇ。