2006-03-05 日
じょうずなコケ方
トリノ冬季オリンピックが終わった。女子フィギュア荒川静香選手の輝く金メダル以外は、ちょっと残念な結果だったが、皆さんご苦労さまでした。眠りの浅い私は、夜中だか明け方だかに目が覚めては、枕元に置いてあるリモコンでテレビのスイッチON。開会式の日から始まり、各競技をついつい見てしまうものだから期間中は普段にも増して、眠くて眠くてたまらなかった。
でも、私にとって冬季五輪とは、なんと言っても札幌よ。ある日突然、黙ったはずのトワエモアが歌ったテーマ・ソング♪虹と雪のバラード それはそれは美しいメロディーと詩だった。ああ、頭の中を曲が巡りだして止まらない。♪君の名を呼ぶオリンピックと〜
そうそう、フィギュアスケートでは、氷の妖精ジャネット・リンなんていうアイドルも生まれたっけ。18歳の少女は、私に負けない(?)愛くるしい笑顔で、転倒しても屈せず銅メダルに輝いたのだった。1972年のことだ。
2006年、今ではアッチが痛いコッチが痛いの満身創痍。スポーツなんて見るだけとなってしまったが、あの頃は私だってスポーツ・ウーマンしてたのよね。「私をスキーに連れてって」と言えば、ほい来たと連れて行ってくれる人もいたのよね。
初めて連れて行ってもらったスキー場は栃木県は日光湯元。同級生と2台の車に分乗し、修学旅行のようなノリでいろは坂も中禅寺湖も戦場ヶ原も通り過ぎ、一面の銀世界へとたどり着いた。私はスキーの板も、靴も、ウェアは帽子に至るまで従姉に借りての参加だった。考えてみると、ゴルフの時は友達に一式借りてだったし、スケートもボウリングもマイシューズやマイボールなんて持ったことがない。飽きっぽい上に、努力や根性という言葉が「食わず嫌い」である私は、自分で用具を揃える前に「や〜めた」となってしまうのが目に見えている。まずは何事も道具から入るという人が多いが、そこまでの意気込みさえ持ち合わせていないというのが本音。そう言えば、入社早々に入った料理教室も、先輩から「一緒に入らない?」と、ほぼ強制的に誘われて入り、「料理教室、辞めたわよ。貴女の分も手続きしといたから」とのお言葉で、1月もたたずに辞めてしまったのだった。結局は洗い物担当で、1度も包丁を握らずに終わった気がする。それでも「先輩、私は続けたかったのに」などと言う気もないし、残念という思いも湧かない私なのだった。先輩はやっぱり人を見る目がある(?)
初めて立ったスキー場は聞きしに勝る風の強さだった。何しろ遥か山の上から、スキーヤーが飛んでくる。いや、これは私の思い違い。バランスを失ったスキーヤーが転がり落ちて来て、私の背中に当たったのだった。何も知らない私は強烈な洗礼を受け、度肝を抜いた。「スキー場の風は半端じゃない!!」と。
さて従姉に借りたイデタチだが、上から、ウサギさんを思わせるような白いボワの帽子。競泳用と同じような形状で、雪焼けすると顔に眼鏡型の跡がついてしまうゴーグル。上着は雪の結晶の模様を編みこんだセーターの上にモコモコのジャケット。ズボン(パンツという感覚でもない)は厚手のジャージのような素材でできた細身のもので、裾には足を通して土踏まずに渡る部分があった。靴は、現在のようにカラフルな物は無く、可愛い乙女も黒の重い皮製の物を履いていた。スキー板もモチロン重い。しかし宅配便で現地に送るなどという事は想像の外。車以外でスキー場を目指す時には、着替えや重たいスキー靴を入れたリュックを背負い、自分の背丈より遥かに長いスキー板を持って、電車に乗らなければならなかった。今は靴もスキー板も軽いし、ワックスも塗らないでOKと聞いた。隔世の感って、こういうことを言うのよね。
スキー場では、ちゃんとした教室に入ったわけでもコーチについたわけでもなく、一緒に行った連中とワイワイやりながら見よう見まねで、文字通りで体で覚えた。リフトでお山の天辺まで行く勇気はさすがに無かったので、丘の中腹に1m20cmくらいの高さで張られた、モーターで動く直径10cm程のロープにすがり付き200mくらいの所を昇っては滑り降り、登っては滑り降りを繰り返していた。ところがこのロープ、しっかり掴むにはなかなかコツがいる。最初のうちは、去って行こうとする‘おとこ’にすがり付き、蹴落とされる‘おんな’のように手ひどく振り落とされる。♪道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますかぁと、中島みゆきの“わかれうた”の心境になる。それでも、何度も何度もすがりつき、どうにか丘の中腹まで振り落とされずに行くことができるようになった。これ、ロープを放すタイミングも難しかったですけどね。
中腹から滑り降りる時は、何度尻餅をついたことか。スキー上級者の同級生からは「上手なコケ方」を、いの一番に教えられた。「転ぶまいと無理すると思わぬ怪我に結びつくから」と。同級生からの貴重な教えを実感したのは何度か日光詣でをし、そろそろ違う場所も経験したいなと思い始めた頃だった。スキーの持ち主とは違う従姉が「片品に連れて行ってやる」と声をかけてくれた。声をかけてもらえば素直に従う性格ゆえ、従姉とその愉快な仲間達に加えてもらい群馬県片品村へと向かった。ボーゲンはOK、直滑降だってなかなかのものと自信を持ち始めていた時期だ。何事も、そういう時って危ないのよねぇ。初めての片品のゲレンデに出ると直ぐに、いかにも“初心者”とマークをつけたような女性が私に向かって、真正面から突っ込んで来た。危ないと思ったが、私は自分の腕を過信し「上手なコケ方」をすっかり忘れ「上手なヨケ方」をしようとした。結果は無惨。「とんでもないコケ方」をして、膝を捻挫するという憂き目にあってしまったのだ。その上、私をおぶって下山してくれた従姉の仲間にまで、途中でコケて放り投げられるというオマケまでついた。
片品の後、私はスキー道具一式を従姉に返し、以来一度もスキー場に足を運んでいない。けれども、寒さ厳しき折には膝の古傷がうずくのよね。これからの人生も下手な怪我はせぬように「上手なコケ方」を肝に銘じて生きて行くとしよう。ねぇ誰かぁ、私と一緒に上手にコケてみません?!