目に青葉の季節である。毎年、この時期になると新入社員の研修が始まり、なぜか教育担当のお鉢が回ってくる。今年は人数が少なかったので、個人的に色々お喋りする時間を持つことができた。その時、私の年齢を勝手に推測するので(もちろん実年齢よりは遥かに下に見てくれたが)「私は永遠の25歳よ」と答えておいた。すると、新人Kから「ハタチと言ったら殴るトコでしたけど、25歳ならまぁ許しましょう」とお許しを得ることができた。ン、「許しましょう?!」私が可愛いもんだから最初から舐めてるな。

実際の作業を通じての研修では、端末を使っての指導もする。部署によっては特殊な入力作業も必要で、私のような機械音痴は現在の部署での端末操作に慣れるまで、けっこうな時間を要したものだ。ところが今時の新入社員ときたら、子供の頃からテレビゲームが有った世代。キーボードの扱いなんてお手の物、ちょっとコツを掴むと私など思いもつかない技を繰り出し、こちらが「ねぇねぇ、今どうやったの?」と、教えを乞うてしまう始末。我ながら情けなかぁ。

パソコンが無い世界なんて考えられないという新人に、「“先輩達”の時代はワープロも無かったと聞くよ“先輩達”の時代はね」と、ウケを狙って話したら「そりゃぁ、凄い時代ですね。姫宮さん、そんな時代に入社してなくて良かったですね」と、真顔で答えられてしまった。本当のことを話したら、彼らには生きた化石でも見るような目で見られてしまうのだろうか。因みにこの話を、ほぼ一回り年下のリカコにしたら「私の入社したての頃だって、まだ仮名タイプが幅を効かせてましたよ」との返事をもらい、ひとまずホッ。そうよね、オフィスのコンピュータ化はここに来ての急激な進歩よね。

そんな新人達と、昼休みはさすがに別。同僚とランチをしていると、定年退職の後に請われて嘱託勤務をされている大先輩が同じテーブルにやって来た。ああ、口にされる話題の懐かしさよ。「この社屋は昭和39年の東京オリンピックが開催された年に、大蔵省の跡地に建てられたものなんだよ。まだ回りは草ぼうぼうだったねぇ」。「屋上から見た首都高なんてガラガラで、ビルの前から自家用車で首都高に乗り、新宿まで走るというのがその頃の憧れのデート・コースさ」。ほんわかとしてくるなぁ。新宿に着いて、ジャズが好きな人は“アシベ”という名のジャズ喫茶へ、童謡・唱歌・ロシア民謡・労働歌を歌いたかったら“歌声喫茶ともしび”へと分かれるのだそうな。アシベはACBと書いてアシベと読ませた。発祥は銀座だったんじゃなかろうか。戦後すぐのジャズブームの際に生まれ、そのままロカビリー・ブーム、GSブームと、洋楽指向の日本のバンドの最前線の現場として受け継がれていったらしい。残念ながらACBには足を踏み入れたことは無かったが、銀座の“銀巴里”という、シャンソンを聞かせる喫茶店では、小海智子さんの歌声に聞きほれながらコーヒーを飲んだ記憶がある。テレビ番組『オーラの泉』に黄色い髪でご登場の美輪明宏さんも、丸山明宏と名乗り黒髪で出演されていた頃だ。

デザートをご馳走してくれるという大先輩に従って、近くの喫茶店へ。そこでもイニシエの話はまだまだ続く。「初めて不二家のショート・ケーキを食べた時はビックリしたなぁ。こんなに美味いケーキがあるのかと思ったもんだよ。有名パテシエが作ったとか、手の込んだ新しいのが出てきても、ケーキと言ったら俺の頭の中には、今でも不二家のショート・ケーキしか無いんだよね」。

クリスマスには、パーティー券というのを買ってクラブに行く。「三角帽子と鼻のついた玩具の眼鏡とクラッカーを渡されるんだ」。シャンパンを飲んでクラッカーを鳴らし、良い心持になり銀座の不二家でケーキを買って家路に着く。「4丁目の通りを三角帽子をかぶり、鼻眼鏡をかけ、ケーキを手にしたオジサン達が知らない同士で口々に、メリー・クリスマスと言いながら、ひしめき合っていたものだよ。今より、ずっと貧しくて物も無い時代だったけど楽しかったなぁ」。まるで、映画『3丁目の夕日』の一場面を見るような話だ。“あの頃”は、皆が同じ流行歌を歌い、同じスターに憧れ、同じ方向を向き夢を見ていた。そして同じ思い出を作っていったということですよね、大先輩殿。たった1時間で、21世紀から昭和の高度成長期に、そして自分が新入社員だった頃へと、タイムスリップした思いだった。

昼休みも終わり席に戻れば、先ほどの“大先輩”の孫と言ってもいいような新人君達がお行儀良く待っている。彼らにランチ時の話を聞かせたらどんな顔をするだろうか。歌声喫茶なんてピンとこないだろうなぁ。カラオケとは違うんだヨ。あの、東京オリンピックだって彼らには歴史上の出来事でしかないのだろう。以前、リカコとの会話で「東京オリンピックのことは分かりません。母に、女子バレーの決勝戦が分娩室で見られなかったって未だに言われます。だって、その翌朝に私産まれたんですから」と言われショックを受けたものだが、今年の新人君の中には「昭和39年? 母が生まれた年です」なんて言い出す青年だって居るかもしれない。ああ、昭和も遠くなったのねぇ。

午後の講義は‘お腹の皮が突っ張ると瞼が弛む’の道理どおり、教える方も教わる方も睡魔との闘いから始まる。これではイカンと知恵をしぼりクイズやゲーム感覚で、PCを使った実地の指導をしていくと、若人は俄かに活気づいただけでなく質問が飛んできた「姫宮さんて、昔からゲーム好きだったんですか?高校生の頃、ゲーセンに入り浸ってたタイプですか?」

あのね、私が高校生の頃に埼玉県は南埼玉郡の町にゲーセンは無いから。iPODどころかSONYのウォークマンも、DVDどころかVHSも、デジカメだって無い時代だからね。この青年達もいつの日か「平成も遠くなったなぁ」って感慨に浸る時が来るのだろうか。その時には懐かしく思い出してくれるだろうか、優しかった25歳の美人講師のことを。