第二夜「知念里沙の場合」(四)
草をかき分けて土手の上に飛び出した小町とおたかが七、八メートル先に見たものは、五、六人の人間の集団の足元で、ニャアニャア騒いでいる亜尾の姿だった。人間を警戒しておたかは足を止めたが、小町は駆け寄って亜尾を引き戻した。
「ダメじゃない。やたら人間に近づいちゃ。何をされるかわからないよ」
「大丈夫だよ。ほら、あそこに球が、まぶいがあるんだよ。でも一杯あって、どれが僕んだかわかんないんだ」
土手の先には、中年の男が水を張った四角いたらいを前に座っており、親子連れの客が小さなカギのようなものを手に、水面から何かを釣りあげようとキャーキャー騒いでいる。子供がゴムの先にぶら下がった球をつり上げるのだが、途中でカギのついた短い紐が濡れて切れるらしく、球は再び水面に落ちてしまう。
近づいてきたおたかが、ひゃっひゃっひゃっと笑って、「亜尾よ、お前が見つけたのは、あれかい?」と聞いた。
「そうだよ。あんなにたくさんあるんだもん、どれだかわかりゃしないよ」
「ありゃ違う。まぶいじゃないさ」。おたかは「わきで遊んでいる子供を見てご覧」と教えた。
水面の球釣りに大騒ぎしている親子のわきで、一人の子供が球を手からぶら下げて、叩いては上下させている。
「ありゃ、なんといったか、小さなゴム風船だよ。それをゴムひもでぶら下げて遊ぶ、人間のおもちゃさ。魂なんかじゃありゃしない、なかに入っているのは水だよ」
おたかの説明にも納得しかねる亜尾が、近づいて確かめようとするのを、小町が懸命にやめさせているところへ、下流組の三匹が疲れ切って土手を這い上がってきた。
「ダメだ、ダメだ。どこにもありゃしない。もう腹が減ってどうしようもないぜ。帰ろう、帰ろう」
うんざり顔のニャン五郎のあとを、言葉もなくついてきた玉三郎に、亜尾と小町が口々に事情を説明した。力なく笑った二夜王が、
「すると、おばばが遠見したのも、これだったということか。えっ?」とにらみつける。おたか婆は「いや、透明で丸いものというからさ……」と言葉を濁した。「なんだよ」「結局、わかんなかったんじゃないか」。土手脇に寝っ転がったり、腹這いになった猫たちが、ニャオニャオ力無い声で鳴いているのを、自転車に乗った人間が不思議そうに眺めて通り過ぎていった。
まぶい探索のあてを失ってガックリした猫たちが戻った公園に、その晩、里紗がやってきた。二夜王たちの様子で結果はすぐにわかったようで、
「ご免ね、疲れさせちゃって。もう、いいよ、あたしが探すからさ」
玉三郎が首をあげて答えた。「すみませんね。みんなで川の上流から下流まで探したんです。亜尾が球を見つけたことは見つけたんですけどね、あなたのまぶいじゃありませんでした」
「いいのよ、ホントに。今日は一日ご苦労様だったみたいだから、お礼にいいもの持ってきたよ」
紙袋から五、六個のパックを取りだすと、里紗は蓋を開けて猫たちの目の前に並べた。小さな魚やポーク、ソーセージ、細かく切った昆布など、さまざまな食べ物がどっさりと詰めてあった。最初にむくっと起きあがり、小魚をくわえようとしたニャン五郎の目の前に、シャッと伸びたのはおたか婆の前脚だった。パックごと引き寄せると、毛を逆立ててウーッとニャン五郎をにらみつけた。「何するんだ、はばあ」と体ごと体当たりする五郎、飛ばされながらパックに手をかけたままのおたか。散らかった小魚を踏みつけて、ウーッ、ウギャァと、にわかな大喧嘩である。
「ハハハ、やめなよ、あんたたち。食べきれないほどあるじゃないか。それはね、アイゴの小魚でスクっていうんさ。塩に漬け込んで発酵させたのをスクガラスっていってね、島豆腐にのせて食べるとおいしいんだけど、ひれに棘があるからね、頭から食べないと痛いよ」
里紗の注意を聞く暇もなく、スクをくわえ込んだおたかが、フギャーと悲鳴を上げて吐き出した。「棘のある魚なんか持ってくるなよ、まったく」とニャン五郎は、小町と亜尾が取り囲んでいるポークのパックに頭を突っ込んでいく。
「ハハ、悪い悪い、店の残りもんなんでね。酒飲みのおかずばっかりなんだ」と、里紗は足元の猫たちの晩餐を楽しそうに眺めていた。
薄暗い公園の片隅では、しばし食事に夢中な猫の舌が発するピチャピチャという小さな音しか聞こえなかった。ベンチで頬杖をついてじいっと眺めていた里紗は、猫たちに語りかけるというより、自分自身に話すように、静かに独り言を口にするのだった。
「叔母さんにもいわれたんだよね。歌手になりたくって東京に出てきたけど、なかなか認めてもらえないしさー。みんな楽しそうに遊んでるし、なんだか珍しいものばかりだから、あたしもつい遊びたくなっちゃって。ここんとこ、お店の手伝いもちょっといい加減だったしねー。お前みたいのを、心ここにあらずっていうんだ、まぶいを落とすのも当然さってね。そうかもしれないよ。
でもね、せっかく東京に来たんだし、はやくお婆ちゃんも安心させてやりたいし、あたしはやるよ。もいちど心を入れ替えて勉強するさ、まだ若いんだしね」
薄暗やみを見つめながら、ぶつぶつしゃべっている里紗を、食べ飽きた亜尾が不思議そうに見上げていた。
一丁目生まれ。前作『猫っ句 二夜王たちの物語』(梁塵社)は猫たちの句会報告という毛色の変わった内容だったが、今回は再び二夜王、ニャン五郎、玉三郎、小町、たか子らの猫たちが登場、迷える人間を導く。








