「学」

学

強いて勉めると書いて勉強というくらいだから、遊びたい盛りの子供たちが勉強嫌いなのは当たり前だろう。思い起こせば小中学校のころ、初めから勉強が嫌いだったわけではないが、スケジュールに従ってどんどん先へ進む授業についていけなくなると、途端に興味を失って勉強嫌いになった。そこを強いて勉めるから勉強というのだろうが、興味を失っては努力する元気も出ない。

ところが大人になって、何かの折にふと疑問を持って調べ始めると、次から次へ時間も忘れて本を読んでいる自分に気づく。初めから興味を持って取り組んでいるからであり、強いて勉めるという意識もなく、何をどこでしらべたらいいか学び方も心得ているからだろう。子供たちの興味を引き出し、納得させるような教え方をしてくれれば、勉強をせずとも知識は身につくのだが、未だにそうはいかないようである。

教えるに対して、学ぶの「学」の字は本来は「學」と書いた。字統によれば「學」は爻 (こう) 臼の下の横線も真ん中で切れた字 (きょく) 、冖 (べき) 、子の四つを合わせた文字。元は爻と冖だけを組み合わせ、屋上に千木のある建物、メンズハウスを意味したという。両手を示す臼の下の横線も真ん中で切れた字、メンズハウスに入る子弟を意味する子は、のちに加えられたとする。

要するに古代の学校を表した文字で、そこに両手と子を加えたのが「學」、さらに教師の権限を示す攴〈ぼく〉を足して「教」となったというわけだ。教えると学ぶは同源の言葉であり、古くは学ぶを「學」、教えるを「學+攴」と書き分けたらしい。

最近はあまり目にしないが教学という言葉もあり、教えることは学ぶことの半ばなりともいう。教と学とはワンセットの言葉であり、教えることは学ぶこと。要するに、教え方が下手な先生は充分学んでいないということですかね。


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山田秋治(やまだ・あきはる): コラムニスト

東京生まれ。元新聞記者。漢字と社会風俗を結びつけた「温語知新」を隔月刊誌「グラッパ」(旧日経事業出版=現日経人材情報・発行)に連載するも、同誌が4号で休刊になり中断。ここでは4回の連載を上下に分けて8回掲載、その後は新たに書き下ろして連載する予定。

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