[バックナンバー]2002.11.09〜2003.12.01

同姓同名

世の中、長生きはしてみるものだ。と、まあ、それほどのことでもないのだが、そんな気がした。

他人様には、どうということではない。同姓同名の人を見つけただけなのだから。漢字4、5文字で表記する日本人の名前など、いくらも同姓同名があってもおかしくはないのだが、どうしたわけか私の場合は、60年生きてきて自分と同姓同名の人に会ったことがない。

石田という姓は珍しくもないが、修大という名前がありそうでいて、ない。父親の俳句の師の本名、修(おさむ)と、父親の本名、哲大(てつお)の大を合わせて命名したというのだが、これで「のぶお」と読ませるのだから、本人だって教えられなければわかりっこない。

やむを得ず、シュウダイと音読みで通しているが、これにしても電話で相手に伝えようとすると「修身の修に、大小の大」と説明しなければわからない。最近の若い世代には「修身」が通じないから「修学旅行の修」と、いささか説明も長くなっている。それだけ説明しても、送られてくる手紙の宛名は「修夫」「修太」はいい方で、「収大」と何やら羨ましそうな名前になっていたりする。

そんな面倒な名前を持つ人が、突然もう一人、ホームページに登場したのだから、長生きはしてみるものなのだ。

今年度の大阪市中小企業技能功労者表彰で青年優秀技能者として表象された石田修大さん。13年の経験を持つ32歳の瓦葺き職人だそうで、表彰理由は「常に進取の気性をもって、早くから技能士の資格を取得し各種の屋根施工に取り組むなど、その優れた技能に業界の次代を担う後継者として期待が寄せられている」とか。名前は同じでも、しっかりした技術を持ち、若くして進取の気性に富むあたり、こちらとはだいぶ違うし、名前の読みも「ながひろ」だという。

「ながひろ」の修大さんにとっては、還暦の怠け者など迷惑な同名異人かもしれないが、なんとも懐かしい気分にさせられたのである。というのも、母方の祖父が東京・砂町で瓦職人をやっていた。昭和27年に屋根から落ちて亡くなったが、なんだか祖父が私の名を名乗ってひょっこり現れたような気がして。いや、長生きはしてみるものだ。

2003年12月01日 ▲ index

ビュルビュル

日本経済新聞と性的興奮といったら、およそ縁のないものと思っていた。日経を読んでいやらしい気持ちになるなど、よっぽど変わった変質者でも、まずあり得ないことだろう。その日経が先週日曜の文化面で、若い男性が見たら大喜びするようなスポーツ紙並みの見出しを掲げた。

記事は作家小池昌代氏の原稿で、テレビの仕事でトルコを訪れ、鳴き声の美しい鳥を探すという内容である。その鳥は山奥にしか生息しておらず、トルコでは幽閉された皇子に例えられている。小鳥屋の店員によると、自由を求める渡り鳥だから鳥籠に入れると2、3日で死んでしまうのだという。結局、鳥は見つからず、その鳥の鳴き声を真似するカナリアを飼っている老人に頼み、せめて声だけでも聞こうとしたのだが、カナリアは鳴かずじまいだったとか。

この鳥はビュルビュルと呼ばれており、原稿の見出しもそのものズバリ「ビュルビュルを探して」。

記事を読んで思い出したのがキューバの国鳥トコロロである。空飛ぶ鳥に自由への憧れを託すのは世界共通らしく、キューバでは国旗と同じ赤、白、黄三色に彩られたトコロロという鳥を国鳥としている。トコロロは森林の中でしか見られないキューバキヌバネドリという鳥で、やはり籠に入れられ自由を失うと死んでしまうといわれている。

同じような伝承があることに興味を持って、ビュルビュルがどんな鳥なのかホームページを検索してみた。ところがトルコの鳥に関する情報は皆無で、代わりに出てくるのは「己の一物から白濁したおびだたしい量の精液を吐き出す。ドピュピュ!!ビュルビュル!ブビュビュゥウ!!!」とか、「堪らず肉棒から口を離した。受け皿を無くした精液はビュルビュルと放物線を描いて彼女の顔面に降りかかる」という擬音ばかり。

ご丁寧な解説によると、今やエロ漫画では発射の擬音は「ドピュ」ではなく「ビュル」の時代なのだとか。へえーっと思わず感心して、もう一度「ビュルビュルを探して」の見出しを眺めても、トルコの鳥の美しい鳴き声はもはや想像もできず、アヘアヘと妙なあえぎ声しか聞こえてこなかった。トルコ風呂といい、ビュルビュルといい、トルコにとってはとんだ迷惑というものだ。

2003年11月23日 ▲ index

カフーウォーカー

梅雨が長引き、ようやく空けたかと思えば立秋、大型台風襲来と、今年は夏抜きか。とはいっても、やはり暑い。

その暑さの中、長袖シャツにジャケットを羽織って外を歩く。鞄などを持つのが嫌いで、すべてをジャケットのポケットに入れて持ち歩くため、夏でも欠かせないのだ。胸の内側右のポケットには預金通帳やカード、パスポートなどを入れた財布、左にはいろいろ挟み込んで分厚くなった手帳と扇子、外側右は煙草とライター、小銭、左は名刺入れに携帯電話、わずかな紙幣、胸のポケットにパスネットカード、ズボンの右に鍵、お尻のポケットにはハンカチ。これだけあれば、そのままぶらりと旅に出ることもできる。

当然、暑いし重い。なるべく汗を掻かぬよう、ゆるゆると歩く。冷房のきいた電車に乗り込んでほっと一息、中吊り広告でジョニーウォーカーを見つけた。ご承知のスコッチウイスキーである。昔、海外旅行の土産といえば、ほとんどジョニ赤かときに黒だったように思う。「おっ、黒じゃないか」と、ありがたがって頂戴した記憶がある。あの瓶のラベルに山高帽にコート? だったか、杖を手に大股に歩くジョニーウォーカー氏の姿が描かれていた。堂々と闊歩する英国紳士である。

運転もできないから歩くのは得意で、ジョニーウォーカー氏にも親しみを感じるが、湿気の多い日本であんな歩き方をしたら、汗でびしょぬれになってしまう。それに最近はウイスキーもほとんど飲まない、もっぱら焼酎党だしと考えながら、ふと焼酎の新銘柄を思いついてニヤリとした。

その名も「カフーウォーカー」。こちらのラベルにも歩く人物を登場させる。ウォーカー氏と同じく帽子に杖といきたいが、杖の代わりに傘をぶら下げる。もう一方の手には全財産を入れた鞄を提げ、眼鏡をかけ背中を曲げて飄然と歩く。といえば、おわかりの断腸亭、永井荷風先生がモデルである。

どこかのメーカーで造ってくれないだろうか。多少癖のある、それでいて洒落た味で、歩きながら飲みやすいようにワンカップにしてもらうといいのだが。カフーウォーカーをやりながら、隅田川の川っぷちをぶらぶら歩いたら、やっぱり汗だくになるだろうなあ。

2003年08月09日 ▲ index

空をつかむ

小人閑居して不善をなす、という。器量の小さい人が閑(ひま)でいると、ついよくないことをすると、まあ字義通りの意味だが、よくないことをするほどの元気があればまだいいが、老小人が閑居を続けていると、まったく何もする気が起こらない。

で、値上がりした煙草を吹かしながら、窓の外を見る。見飽きた俗な光景のなかで唯一毎日変化するのが空だから、しばらく空を見ている。と、つまらないことが気になり出す。空というのは、どこからが空なのだろうか。隣の家の屋根の上はもう空なのではないか。いや、その脇の電信柱の上あたりからが空か。そんなことをいえば、都心などでは超高層ビルの上に空が遠ざかってしまう。雀が飛んでいるのだから窓の外がもう空といってもいいのではないか。

知恵のない小人は辞書に頼る。「地上に広がる空間。地上から見上げる所」。国語辞典では、こんな説明しかない。百科事典に期待すると、そちらも「気象学的には人の目に見える範囲を空とよぶ」と素っ気ない。ならば、より詳しくと大気圏を見れば「大気の存在する範囲。下から対流圏・成層圏・中間圏・熱圏に分類」、対流圏は「地表から圏界面までの大気圏。成層圏の下方に位する。ここでは日射によって対流が生じ、高低気圧、雲の消長など、天気現象が見られる」。なるほど。圏界面「対流圏とその上の成層圏との境界面。高さは赤道付近では17〜18キロメートル、極地方では6〜8キロメートル」。

辞書というものは勉学に励むまじめな読者をもっぱら相手にしており、閑人の下らぬ疑問には答えてくれないことがよくわかる。それにしても、どうやら「地上から見上げる所」が実感にもっとも近そうだ。となれば、やはり隣の屋根の辺りも空だし、室内では無理だが、外へ出れば頭の上はもう空と見ることもできる。

それがどうしたと聞かれても別にどうもしない。閑居中の老小人の戯言である。ちょいと手近な空に親しもうかと家を出て、歩きながら頭の上の空をつかんでみた。それこそ空(くう)をつかむ感じしかしなかった。顔見知りのコンビニの店長が怪訝な顔でこちらを見ていた。

2003年07月21日 ▲ index

天使の都

見るともなくテレビを眺めていると、何やら雑学をテーマにしたバラエティ番組のようで、バンコクの正式名称はやたらに長いと紹介していた。

バンコクというのは外国人がそう呼ぶだけで、現地の人はクルンテープというのだそうだが、それも略称で正式には、現地の発音をカナに置き換えると「クルンテーッ、マハナコーン、アモンラッタナーコーシン、マヒンタラユッタナー、マハデイロッポッ、ノッポシン、ラチャータニブリロム、ウドムラタニーウェッマハサー、アモンフィマーン、アワタンサティッ、サッカータチヤ、ウイッサヌカーンプラシッ」となるのだそうだ。

べらぼうに長い。なんで、こんなに長いのかは音だけ聞いてもわからないが、意味を説明されれば納得する。日本語に訳すと、こうなるそうだ。「天使の都、偉大な都、エメラルドの仏陀の住む都、インドラ神の住む信仰篤きアユタヤの都、9つの宝石を授けられた世界の大いなる都、神の化身が住まわれる天国のような固き王宮の幸多き都、インドラ神によって与えられヴィシュヌ神によって造られた都」。

天使からはじまって神や仏を総動員し、あらゆる宝石を散りばめて讃え挙げた都、言葉で飾り立てた王宮とでもいうべきか。言霊という言葉があるが、タイの人々は今でも言葉の霊力を信じているのだろう。

わが国もかつて「そらみつやまとの国は言霊の幸ふ(さきはう)国」といわれ、言霊が豊かに栄える国だった。バンコク、いやクルンテーッ……とは比べものにならないが、古ぼけたアパートに「幸荘」などと看板が出ているのを見つけると、年取った大家さんのささやかな願いを感じて、苦笑しながらも心に沁みるものがある。

うってかわって大企業が建てたマンションなどはパークサイド、パレスサイドにシーサイド、グランビューだかカッチャリーナだか、意味もよくわからない横文字の羅列。こちらも言霊を信じているのだろうが、売らんかなの商魂ばかりがにおって、怪しげな魔術の気配が漂う。

庶民向けマンションには何度も住んだが、それでも名前が恥ずかしくて、住所を書くときにはマンション名を外して部屋番号だけ書いたものだ。高級感を煽る宣伝のような横文字名前はやめて、幸荘のように中に住む人の幸せや健康、繁栄を願う思いを込めた名前にしたらどうか。

2003年06月29日 ▲ index

タコ社長

年に一度か二度のことだけれど、元いた会社の仲間と飲むことがある。気を配ってくれる同僚がいて、退屈しているだろうと時折電話やFAXで「久しぶりに一杯やりませんか」と連絡してくれる。大喜びで飛びつくと、周辺の気の置けない仲間に声をかけてくれ、指定された店に行くと、懐かしい顔が4、5人揃っている。

「最近はどうですか」「いや、相変わらずで」などと月並みな挨拶を交わして盃を重ねていくうちに、気がつくといつも会社の話になっている。誰それが癌にかかった、どこの部の何とかは仕事ができる、あいつは鍛えなくてはいけない、今度の企画はああだ、こうだ。話し上手な連中だから会話は面白いし、知らぬ話ばかりだから興味がないわけではないのだが、ふっと「俺はもう辞めているんだな」と、その場から隔絶されたような違和感を覚えることがある。

長い間一緒に働いていた仲間だから、在職中と同じ気分で話してくれるわけで、実に有難いことなのだが、いつの間にか寅屋の茶の間にお邪魔したタコ社長の気分になってくるのである。元の仲間は寅さんであり、おいちゃん、おばちゃん、さくらやヒロシさん。端っこに腰かけて横向きで話を聞きながら、ときどき茶々を入れる私はタコ社長というわけである。

いつ行っても邪魔にされるわけではないし、もっとも親しい隣人ではあるが、寅屋の人間ではない。いつも金繰りに追われ、銀行に頭を下げている中小企業、朝日印刷の社長。現に梁塵社などという零細出版社を立ち上げ、銀行にも相手にされない当方にはピタリのはまり役だ。ときには「中小企業の悲哀がわかってたまるか」と啖呵のひとつも切ってみたいが、昔の仲間はみんな寅屋の人たちみたいにいい人ばかりだから、そうはいかない。

寅さん映画が好きで、現役時代は寅さんのようにふらっと旅に出てみたいと思ったものだが、会社を辞めて時間はできても、映画じゃあるまいし、財布の中には500円札1枚で旅に出るわけにも行かない。今になって、あの映画に配されたタコ社長の立場が身に染みて実感できる。

元同僚と飲むときは、間違っても昔の肩書きのつもりで中央に陣取ってはいけない。端っこに座って、みんなの話を聞きながらアハハと楽しく笑っていなければならないのだ。

2003年06月24日 ▲ index

昔々

昔々あるところに、と話を始めようとすると、「昔っていつ? 平安時代? それとも戦国時代?」「あるところってどこ? 何県何町?」と聞き返す生意気な子供と父親の落語があった。「昔は昔だ」と父親はむかっ腹を立てていたが、子供が疑問を持つのも無理はない。

日本語の昔には24時間前から何十億年前まで、べらぼうに長い幅がある。地球誕生、人類出現の昔も昔だし、ごみや(538年)とともに仏教伝来も昔、先の大戦も昔の話になったし、高度成長すら今は昔の物語である。それこそ昔の1000年前の拾遺和歌集を持ち出せば、「あひみての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり」の歌がある。あの人に巡り会わなかった昨日すら、恋する心には昔なのである。一日千秋の思いなどという言葉すらあるから、気持ち次第で昔はいかようにも伸び縮みする。

昔話をするようになると年を取ったといわれるが、どうして子供にだって昔はある。バルセロナ・オリンピックはもう10年一昔になったろうか。200メートル平泳ぎで金メダルを手にした、当時14歳の岩崎恭子が言った「今まで生きてきたなかで一番幸せです」のセリフは、まだ記憶にあるだろう。14歳の少女にも14年の歴史があり、ということは、いくつもの昔があるということである。

彼女を引き合いに出すまでもなく、近ごろの若者は「昔のことだけど」「あのころは良かったね」などと平気で口にする。しわだらけの爺さん婆さんではない。お肌ツヤツヤのギャルやあめ玉をくわえている子供が、したり顔にいうのだから、聞いているこちらは何百年も生きているような奇妙な気分になってくる。いくら昔には幅があるとはいっても、懐古趣味の若者や子供なんてぞっとしない。50年早いよ、お前たち、というものだ。

そういえば赤坂・一ツ木通りに最近中華そば屋が店開きし、壁に「昭和二十九年創業」と大書してある。一瞬、明治の見間違いかと思った。ほぼ半世紀といえば立派な歴史なのだろうが、それにしても創業とうたうほどの昔か。レトロだ、回顧ブームだと、ついこないだの70年代まで「懐かしの」と定冠詞がつく時代だから、昭和29年など若者にとっては大昔なのかも知れないが、10年、20年の昔を振り返っていると早く老けちまうぞ。もっと先を見ろよ、せめて50年、100年先を。

2003年06月19日 ▲ index

脊椎動物

人間は哺乳類の仲間である。その哺乳類は鳥類、魚類、両生類、爬虫類などとともに脊椎動物と呼ばれる。脊椎、すなわち骨格、つまり鳥も魚も人間も骨があってこそ鳥であり、魚であり、人間なのである。人間社会では「あいつは骨のない奴だ」といえば、気概、気骨のない駄目な奴だということであり、骨抜きにするといえば肝心な部分を削って内容のないものにするということ。ご存じの通りである。

だから同じ脊椎動物の魚を食べるとなれば、「いただきます」と犠牲になってくれたことに感謝して手を合わせ、頭と尻尾は残しても身はしっかりと骨についた部分までしゃぶり、最後はお湯をかけてエキスをいただく。ものによってはじっくり焼いたり、揚げたりして頭から尻尾まで丸ごと食べる。それが脊椎動物仲間への礼儀であり、上手な食べ方とされてきた。

こちらもそれほど上手に食べられるわけではないから偉そうなことはいえないが、驚いたことに最近の子供たちは下手どころか「骨があるから魚はいや」と敬遠し、骨のない魚を食べているのだそうな。だいぶ以前からのようで、骨抜き魚を給食に出す学校も増えているという。魚を三枚におろして人手で小骨まで丁寧に抜き取り、そのまま切り身で売るのはまだわかるとして、酵素の結着剤で元通りの魚の形にして売っているとか。人手の安い中国やマレーシアなどで骨抜き作業をしている会社もあるというが、あちらの人はあきれているでしょうな。

魚だって無脊椎動物として食われるのは不本意だろう。「骨のない魚だ」「骨抜き魚だ」と死んでからも言われる無念を考えてやらなければ、可哀想というものだ。一匹きれいに平らげたあとに、残った骨をしみじみと眺め、「ごちそうさま」と再び手を合わせるからこそ、食べ物への感謝も湧いてくるのではないか。

第一、「骨は嫌」などとほざいている子供が、焼き肉屋で骨付きカルビなんぞを食べているのじゃないか。子供のうちから寿司屋のカウンターで「トロ握って」などと命じるグルメ小僧ばかり増やしてどうなるのか。とはいいながら、骨がなければ食べやすいことは間違いない。骨のない魚なら、「きれいに食べなさい」と毎度母親に怒られることもなかったものなあ。骨までしゃぶっても未だに骨のある男にはなれないし。

2003年06月18日 ▲ index

風船唐綿

先月だったか、都内の沖縄料理屋に入った。カウンターの端に座って泡盛を頼み、メニューを見ながらふと気づくと目の前に異なものがぶら下がっているではないか。何本か花瓶に差しこまれた枝から下がっているから植物には違いないのだが。

心持ち縦長の6、7センチほどの球体、白に近い薄緑色で縦に筋が入り、表面にはやはり緑の棘のような毛が生えている。それが十いくつも、ものによっては二つ並んでぶら下がっている形は、大きな声ではいえないが、どうみても巨大なふぐり、平たくいえば金玉である。枝から見てさほど大きな木とは思えないが、ふぐりを下げた木を想像して思わず「何じゃ、こりゃあ」とつぶやいた。

酒を持ってきた女店員に聞くと、「フウセンです。今朝沖縄から届いたんですよ」という。愛想のいい彼女、ふぐりを軽く触ってみせ「痛くないんですよ、この棘」と爽やかに笑った。こちらもニコニコ笑って頷くしかない。「よせよ、くすぐったい」などといったら、助平おやじと間違われるもの。

家に帰ってから調べてみたら、正式にはフウセントウワタ(風船唐綿)といい、アフリカ南部原産のガガイモ科の植物。近年、切り花として暖地で栽培されており、8〜9月に花を咲かせ、晩秋に1〜2個の実をつけるという。ふぐりの正体はこいつの実だったわけだ。形の面白さ、色の良さで切り花にされるのだろうが、瀟洒なお宅の居間かどこかで乙にすました奥様が、ふぐり、いえフウセンを活けてほほえんでいらっしゃる姿を考えて、また笑ってしまった。

それにしても、どうみても緑のふぐりなのである。オオイヌノフグリなどという名前もあるのだから、トウワタフグリでもよさそうなものだが、女性は本当に風船と思っているのだろうか。ふたぁっつ、ふたぁつ、なんでしょね、という童謡があったが、女性の胸にある二つと男性の股間にある二つ。これを持つ感覚は、お互いについに理解できないに違いない。

沖縄料理の店で、泡盛に酔いながら目の前のふぐりの木を眺めていたら、気のせいか時間が経つにつれ少ししぼんできて、ますます似てきた。で、ふと我に返って女店員に聞いた。「手洗いはどこ?」

2003年06月13日 ▲ index

時の記念日

「光陰矢の如し、時間の過ぎるのはあっという間だぞ」。遊びほうけていた子供のころ、親や先生にそんなことを言われて憮然とした思い出がある。50代半ばを過ぎたころ、それが大人になって初めてわかる実感と気がついた。人生を1単位と考えれば、15歳の子供の1年は人生のまだ15分の1だが、60歳の1年はたった60分の1、15歳にくらべ4分の1の短さなのである。年をとるほど1年を短く感じる道理である。残りの短い年齢になったからこそ焦りを感じ、子供に向かって光陰矢の如しなどと教訓を垂れるのだろう。

ところが私の場合は、年をとってかえって時間がゆったりと流れるように感じるのである。出勤から退勤までの一日勝負の会社員生活を抜け出したせいかもしれないし、癌手術を経て低次元ながらある種の諦観をもったからかもしれない。今さら慌てたって仕方がねえや、という居直りでもあろう。分秒を争って何かをしようという気には、とんとならない。ただの怠け者なのかもしれないが。

6月10日の時の記念日にあわせたのだろう、産業技術総合研究所というところが、2000万年で1秒以下の誤差という世界最高級の精度を持つ原子時計を開発したと発表した。国際的な標準時の監視に役立つということだが、なにやら現実離れのした高精度の時間管理だなあと、新聞のページをめくったら、腕時計の全面広告が目に入った。「世界初。究極の電波時計。」。

原子時計の方は原子の周波数で時を計るそうだが、こちらは「超高感度アンテナを含む高性能受信システム」による「東西2つの局から発信される日本標準時電波の受信」で、10万年に±1秒の高精度なのだという。原子時計と比べれば200分の1の精度だが、実用品としてはこれまた気の遠くなるような高精度である。10気圧防水で5万円、20気圧防水だと7万円というが、どんな人が買うのだろうか。

ちょっと前に「大きな古時計」という歌がリバイバルではやった。もし新しもの好きのおじいさんが究極の電波時計を買ったとしたら、いずれこんな歌ができるかもしれない。「小さな防水腕時計 おじいさんの時計 百年たっても狂わない ご自慢の時計さ」。

2003年06月10日 ▲ index

続6.15

六月の異称を水無月という。梅雨のさなかなのに水の無い月とはこれいかにと早とちりをしそうだが、「みなづき」は、みなも(水の面)、みなと(水の門)と同じく「水の月」のことで、田に水を注ぎ入れる陰暦六月の異称である。ところで、太陽暦の水無月には水とは別に無いものがある。一年のうちで、これのないのは六月と八月といえば、学生やサラリーマンならピンと来るだろうか。国民の祝日である。

六月に祝日が、というより休日がないのに気がついた人たちの間で、六月に新しい祝日を制定せよ、という声が高まっているのだという。いろいろ候補があがっているらしいが、六月と聞けば安保6.15と反射的に浮かぶのは、団塊の世代前後の人たちだろうか。安保闘争記念日では反対もあろうし、まあ国民の祝日になることは、まずあるまい。

むしろ8.15、すなわち終戦記念日をと思わないではないが、これにも賛成の声と同じくらい反対の声も高いだろう。第一、夏休みのさなかに祝日を置いてもという消極的反対論が強そうだ。要するに日本人として祝うべき日、忘れてはならない日を祝日にというより、もっと休みを増やそうよという発想が先行しているようだ。

既存の国民の祝日にしてから、何を祝うのかも知らずに休んでいる人たちが少なくないはずだ。試みに祝日の中に天皇誕生日が何日あるかご存じか。十二月の現天皇陛下の誕生日は当然。四月のみどりの日が昭和天皇の誕生日だったことも多くの人が知っているだろう。もう一日ある。若い世代はほとんど気づかないと思うが、文化の日がそうだ。戦前までは明治節といって明治天皇の誕生日だった。

ついでにいえば、建国記念の日はご承知のとおり、かつては紀元節といい、神武天皇が即位したとされる日。また平成になって新設された海の日は、明治天皇が東北巡幸の帰途、明治丸で横浜に帰った日なのだという。天皇に関する祝日は結構多いのだが、名前を変えてわからなくなっている。

祝日は旗日といって旗を掲げて祝意を表したものだが、最近ではあまり見かけなくなってしまった。お前はどうか? 会社を辞めてからは毎日が日曜日だったり、月月火水木金金だったりで、今日が日曜やら祝日やらも気がつかない。休みはやはり会社や学校にかよう人たちのものだ。

2003年06月09日 ▲ index

億劫

多摩川の土手で川の流れる音を聴きながら、「おっくうだな」とつぶやいた。風に乗って随分と離れたところに座っていた青年の耳にまで届いたらしく、不審気にこちらに顔を向けた。なんとなくきまりが悪くなって煙草を取りだしたが、頭の中ではもいちど「おっくうだ」とつぶやいていた。

大したことではない。さっさとやればいいのだし、やれば、うまくいこうといくまいと、それですんでしまうのだが、どうにもやる気が起きないのである。だからこそ気分転換に川をながめに来たのだが、痩せた小さな雀がコンクリートで固めた土手の斜面をちょんちょんと、餌を探して跳び回っているのを見て、けなげなことよと思いながら、人間さまの当方はつい「おっくうだな」と口に出してしまったのである。

おっくうは億劫と書く。億は億万長者や三億円の億、サラリーマンの生涯賃金で何とか手が届く最大の単位である。劫(こう)は未来永劫の劫であり、長い時間の単位である。どのくらい長いかというと、ヒンズー教では1劫は43億2000万年という。これもすごいが、1辺が1由旬(約7キロ)の立方体である硬い岩を、柔らかい綿布で100年に1度払って、岩が摩滅してもまだ1劫に満たないという説明の方が、何とも壮大で気が遠くなる。

その億と劫をあわせたほど長い時間がかかって、とてもやりきれないというのが億劫である。億と劫を足して44億2000万年もかかるのである。だいぶ離れた青年が思わず振り向き、雀が慌てて飛び立っていったのも無理はあるまい。いやはや我ながら宇宙的つぶやきを口にしたものだ。

こんなことを口にできるのも会社員を辞め、自由の身になったおかげだろう。今どき会社の仕事で「億劫だ」などといったら、それこそ未来永劫出世の見込みはあるまい。もっとも小生意気な若僧社員なら、そのくらいのことは言いかねないが、言ってもせいぜい「面倒くさい」を面倒がって「めんどい」などとほざく程度にちがいない。

そんなことを考えているうちに、次第に気分爽快になり、「行く川の流れは絶えずして、下手な考え休むに似たり。億劫だ、億劫だ」と訳のわからぬまま考えることをやめ、土手を後にした。こんな調子では、そのうち世間が相手にしてくれなくなるかもしれない。

2003年06月08日 ▲ index

納得理容

正月も間近だから、そろそろ床屋に行かないとと思いながら、もう何週間過ぎたか。前回は確か九月の初めころだったろうか。坊主に近く刈り込んだのだが、さすがに三か月以上たてば見苦しい。

医者と床屋が昔から苦手なのである。他人に体を触られるのが嫌いなのだ。若い女性ならと茶々を入れられそうだが、男よりはましだが、それでも特別な仲でもない人に触られるのはぞっとしない。床屋が苦手な理由は、それ以外にもある。どう刈ってもらうか、うまく表現できないのである。

椅子に座ると、まず「どういう風にしますか」と聞かれる。思い切って坊主頭にとか、モヒカン刈りにというなら頼みようもあるが、要するに伸びる前の状態にしてもらえばいいのだから、見ればわかるだろうと言いたくなる。「うーん」と唸っていると、「裾は襟に被らないようにしますか」「脇は耳を出しますか」「前はどのくらいに」と聞いてくる。「はいはい、耳はねえ、ちょいと被るくらいでもいいかな」などと答えて、ほっと一息。人から見れば、どうということもないやりとりだろうが、どう受け答えしても自分の頭がどうなるのか、さっぱりイメージがわかない。多少の不安とともに鋏の音を聞いているうちに、うとうとと寝入ってしまう。

若いころは知らず、この年になればヘアスタイルなど大して気にもならない。適当にやってくれればいいのだが、億劫だから、つい二カ月、三カ月おきにしか行かない。しかも町を歩いていて、ふと目に付いた客の少ない床屋を見つけては飛び込むから、なじみ客にはならず、毎回同じ質問を浴びせられることになる。悪循環である。

新聞によると国立国語研究所がカタカナ語の言い換え例の中間発表をしたという。それによると、例のソケットの差し込み口みたいな「インフォームド・コンセント」は「納得診療」というのだそうな。原語の概念を過不足なく言い換えられる語はないが、患者の視点に立てば納得診療がわかりやすい、のだという。ごもっともではあるが、医者の視点に立てば「説得診療」なんじゃないですかと、からかってみたくなる。

納得診療は結構だが、当方がお願いしたいのは納得理容。黙って座ればピタリと当てるじゃないが、「へい、お待ち」「適当に頼むよ」「わかりました」という具合にはいかないものだろうか。

2002年12月26日 ▲ index

アポロ11号

先週の新聞に「月着陸疑惑 NASA本気で反論」という特派員電が載っていた。テレビ番組の影響で、アポロ11号の月面着陸に疑問を呈する声が上がっているのに対し、米航空宇宙局が反論する本を出版すべく準備しているというのである。

反射的に思い出したのが、ベッドの上の波郷だ。アポロ11号の月面着陸が衛星中継で日本にも放映されたのは1969(昭和44)年7月21日。波郷の年譜によれば「七月十五日、病状また悪化、これより酸素吸入の離せぬ日がつづく」とある日から6日目、死の4か月前である。

入院中の波郷の病床には、売り出したばかりの小型テレビが置いてあり、酸素を吸いながら人類初の月面着陸を見たのだろう。数日後、見舞いに行くと、「おい、あれは本当かね。どこかの砂漠で撮ったんじゃないか」という。もちろんNASAが反論しなければならないような根拠があっての話ではないが、テレビに映し出された宇宙ショーに口を開けて見入った駆け出しの記者だった私は、思いもかけぬ疑問に虚を突かれた記憶がある。

以来、新聞記者としてすべてを疑ってかかるようになった、などということではない。ただ、それだけ。「なるほど、おもしろい見方をするものだなあ」と感心しただけのことである。酸素を吸いながら寝たきり、死も遠くないことを感じていただろうから、ふと、そんな疑問が浮かんだのだろう。

アメリカからの衛星中継には、何度か驚かされている。初の衛星中継は月面着陸の6年前、ケネディの暗殺シーンだったし、昨年9月にはニューヨーク世界貿易センタービルへの旅客機体当たりを見せられた。貿易センター事件をきっかけに、アメリカはテロ撲滅で再び世界の警察官ぶりを発揮し、日本の識者といわれる人たちも、あの日を境に何かが変わったと騒いでいる。

ところが東京の片隅でぼけーっとテレビを見ているこちらは、すごいなあと思いながらも、どこか他人事なのである。音と映像だけによる疑似体験はショックだけを伝えて、痛さも熱さも怖さも、悲しささえも伝えない。日本でのテレビ放送も来年で半世紀になるというが、何やら五十年も影絵芝居を見続けていたような気分である。

2002年11月11日 ▲ index

竹頭・梁塵

夏、秋と4か月ほどのご無沙汰。お変わりありませんか。にわかに出版を始めようと思い立ち、バタバタしていましたので、失礼しました。

梁塵社という有限会社をつくり、「梁塵文庫」と題する文庫本を出すことになった。梁塵はご承知の通り、梁塵秘抄から思いついた名前だが、「(「梁塵を動かす」の故事から)すぐれた歌謡・音楽の意」の意味ではなく、文字通り天井の上の梁に積もる何の役にも立たない塵。発想の元は波郷が昭和27年につくりあげた竹頭社にある。

個人出版社だった竹頭社は4年ほどの間に何冊かの句集を出版して三協美術印刷に引き継がれたが、竹頭の由来は晋書陶侃伝にある竹頭木屑(ちくとうぼくせつ)。船を造るときに出た竹の切れ端や木っ端をも後日別の役に立てたという故事から、「一見無用の物、また瑣末な事もおろそかにしないたとえ」という。ならば、当方は一見も再見も無用そのものの梁塵でいこうと思いついた次第。

とりあえずの見本版にと10月下旬に1冊出すことにしたが、原稿を書いている暇もなく、梁塵の名にふさわしいだろうとまとめたのが、新聞記者時代のコラム。足かけ6年に350本以上は書いた計算だが、中から60本を選び出し『生きている間に 世紀末コラム』と題して創刊した。

続いて11月下旬に2冊。知人のテレビ狂いのOLが書きためた随筆をまとめた『みんなテレビのおかげです』と、「亭主のつぶやき」でもかつて紹介した俳句を作る猫・二夜王(二夜翁では爺臭いので王にした)たちの物語句集『猫っ句 二夜王たちの物語』。12月か1月には、波郷の自註句を集めた句集も出してみようと思っている。

遊びとはいえ金がかかるので、出版資金も稼がねばと定価を付け市販することにした。今のところ直販しか方法がないが、そのうち本屋でも手に入れられるようにしたいとは思っている。なにしろ吹けば飛ぶ梁の塵だから、どこまでやれるかわからないが、なんとか100冊は出してやろうと、不遜なことを考えている。

ご関心をお持ちの方は、梁塵社のホームページ
http://www.riojin.com/)にアクセスしてご覧いただきたい。

2002年11月09日 ▲ index
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