茜雲
台風が東から西へ進むという奇妙な動きを見せた週末の夕刻、にわか雨を避けて東京郊外の駅ビル七階にあるビアホールで一休みした。ガラス戸越しに、いくつもの大きな入道雲がけっこうな速さで移動している。これだけ大きな本格的な? 入道雲を、東京で見ることは珍しい。底が平で、むくむく、もくもくと立ち上がった雲に見惚れて、沖縄に行くたびに見る真っ白な雲を思い出していた。
それにしても、雲のわき上がる様子を、なぜもくもくというのだろうか。まさか、くもくもがひっくり返ったわけでもないだろうが、これはやはり、もくもくとしかいいようがないな。煙草を吹かしながら、そんなことを考えていると、まもなく太陽が沈み始め、入道雲が赤く染まった。元が真っ白な雲だけに、きれいな赤である。
入道雲の上の方に、あれは絹雲(巻雲)というのだろう、よく刷毛ではいたようなといわれる薄い雲が、ほとんど動かずにいくつか浮かんでいる。上空がきれいなブルーのため、雲の白さが強調される。赤い入道雲の上に白い絹雲、背景の青空。何も考えずにじーっと見つめているしかない。
やがて入道雲は赤から灰色に、だんだん黒っぽくなって小さく遠ざかっていく。すると、西日がより上空に達したためだろうか、今度は絹雲がピンクに染まってくる。バックの空の青が夕暮れて濃さを増してきたため、ピンクがよく映える。あぁあ。意味もなくため息が洩れる。ふと茜雲という言葉を思い出した。赤とピンク、紅くらいしか思いつかなかったが、これが茜色なのか。
視界の右手に先ほど現れた飛行機雲が、ぼわぼわと広がり、それでもまだ上空に灰色の線を引いている。飛行機雲の下に見える駅前のビルは、ずらっと並んだ窓ガラスに西日を映して、真っ赤に燃えている。そういえば、夕陽評論家だったか、おかしな肩書きで文章を書いている人がいたな。あちこちで夕陽を見て歩く気持ちもわからないではない。そんな仕事も悪くないな。
俗な思いにとらわれているうちに、絹雲の茜色も薄れ、暗くなった空にかすかに白っぽい痕跡を残していたが、それも闇に溶け込んでしまった。飛行機雲も見えず、駅ビルの窓からは中の灯りが洩れていた。急にビアホールの喧噪が耳を圧した。ほんの三十分足らずだったが、なんだか彼岸を見ていたような。
生きている証拠
いつの頃からか痛風を患っている。足の親指辺りや膝が、ある日腫れ上がって痛む。発作性激痛とかで、風が吹いても痛いから痛風などといわれるが、体験的にはちょっと違う。重苦しい痛みといったらいいか。横になって少しでも足を動かすとジーンと痺れるような、うずくような、いやな感じの痛みが続き、足を持ちあげることもできない。動物性蛋白ことに核酸摂取の過剰が原因とされ、昔は「ぜいたく病」などと呼ばれたが、ぜいたくした記憶などない。たぶん夜打ち朝駆けの警視庁記者時代の食べ過ぎ飲み過ぎが原因では、と推測している。
痛みなどないにこしたことはないが、人生は痛みの連続である。頭痛、偏頭痛から耳痛、歯痛、胸痛、腹痛、腰痛、そして足痛。頭のてっぺんから足の爪先まで、体のすべてが痛みの場であり、それどころか顔に三叉神経痛(顔面神経痛)、肋骨、脊椎に肋間神経痛、腰から足にかけて座骨神経痛と、体内を走る神経がまた痛みの元になる。これだけ「痛」の字を並べると、大の男でも勘弁してくれと悲鳴を上げそうになる。ところが女性には、さらに生理痛、陣痛、出産後の児枕痛(後腹)が加わる。子供を産むための苦痛であり、女性はそれだけ生きることの痛みを知っているというべきか。
人は往々にして自分の痛みは感じても、他人の痛みには鈍感なものだ。鈍痛は無視され、虫歯などのずきずきした疼痛、うずく酸痛も、同情されながらもなぜか笑われてしまう。時代劇で「持病の癪が」とやる内臓基因の発作的な疝痛あたりで、ようやく少し心配してもらえるか。まして惨痛、哀痛など心の痛みは、なかなか他人にはわからない。しかも肉体の痛みと違って、心の痛みは百人百種の原因で起こるから、生きている限り際限がない。
しかし、痛みも無意味に起こるわけではあるまい。体や心になんらかの異常があり、それが少しずつ大きくなって、ある段階で、ここから先は危険だぞという信号を発する。それが痛みなのではないか。とすれば、痛みは命を保障する欠かせないシグナルということになる。痛みは生きている証拠。そう考えれば、少しは痛みも和らぐ? 無理ですか。はやく病院に行った方がいいですよ。
はにかむ
「はにかむ」という懐かしい言葉がある。生まれてこの方、そんな体験はしたことがないという鉄面皮な向きには、どう説明したらいいか。
島崎藤村の詩「初恋」をご存じだろうか。「まだあげ初めし前髪の」で始まるといえばおわかりか。このあと「林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」と続く。髪を上げたばかりの十代半ば、あるいはもう少し下か。花で飾った櫛をさした少女を林檎畑に見つける。その娘が「やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへ」たのが、恋の始まりだったという。
初恋のいきさつはどうでもいいが、やさしく白き手で、そっとリンゴを差し出したとき、彼女がして見せたに違いない恥じらった表情、それが「はにかむ」である。恥じらいなら、あたしにだってあるわよ、というおばさん。あんたがヨン様の笑顔にキャーッと悲鳴を上げたときの表情は、はにかむとはいわない。辞書にもちゃんと「〔若い女の人・子供などが〕他人を意識しすぎて、うつむき恥ずかしそうにする」と書いてある。
男たち、おそらく日本の男たちはとりわけ、はにかみが大好きである。子供がはにかむそぶりは何ともかわいらしいし、女の子なら守ってやらねばと余計な心配までしかねない。たぶんロリータ・コンプレックスを刺激するのだろう。藤村の詩にも、どこかロリコンの気配が漂っていないではない。
残念なことに昨今の日本では、はにかむ表情には滅多にお目にかかれなくなった。よその人に馴れない地方の子供が、はにかみを見せることはあるが、「若い女の人」となると、百人に一人もはにかんではくれない。そこで欲求不満気味の男たちのために、旅行社が「はにかむ乙女があなたを迎えます」と、アジアはにかみツアーを企画している。
というのは冗談だが、日本でも「はにかむ」が絶滅したわけではない。はにかむ、には別に二つの意味があるのだ。一つは「歯が不ぞろいに生える」こと。これなら、あちこちで見かける。咀嚼不十分で顎の細くなった最近の若者には乱杭歯が多い。も一つはハニカム、honeycombと書くミツバチの巣。こちらも健康食ブームで結構な人気だ。
ハニカムはいいが、恥じらう代わりに乱杭歯むき出しでニッと笑われてもねえ。
他人の家
もうだいぶ前に、町全体を一つの家として考えるべきだという建築家の発想に触れて、感心したことがある。日本の団地やマンションが「ウサギ小屋」と揶揄されて、うまいことをいうと思いながらも、いかにもバカにされたようで、ちょっと不愉快になっていたころだった。
具体的には記憶していないが、狭い日本の住宅、とりわけマンションの一部屋に全てを入れ込むことは無理だから、例えば図書館を書斎、喫茶店を応接間、公園を庭として利用してはどうか、といったアイデアだった。家は自室にすぎず、それ以外の部屋は町に広がっている。スーパーやコンビニは台所、レストランが食堂、銭湯が浴室、クリーニング店は洗濯機兼物干場か。
そう考えれば狭い家でも何十人もの客を呼ぶこともできる。玄関は駅、廊下(道路)を歩きながら立派な庭(公園)を自慢し、応接間(喫茶店)に招き入れる。食堂(そば屋、トンカツ屋など)で昼をご馳走し、退屈せぬようプレイルーム(映画館その他)で時間を過ごしてもらい、夜は大応接間(レストランでも飲み屋でも)で宴会を繰り広げ、疲れたら寝室(ホテル)に引き取ってもらう。
みごとな発想の転換と感心しながら、現実にはそうもいくまいと思っていたが、建築家のアイデアはいつの間にか若者たちが実践していた。カラオケやゲームセンター、自販機、牛丼屋、クアハウスにリラクゼーションなんとかまで、町には庶民の家にない施設までが続々と出現し、一方、自室の家は寝るだけのワンルーム。そんな町で、彼らは自在に遊び回っている。
ただ、一つ問題が残った。町全体が家という発想には当然、自分の家はきれいに保とうとするし、そこに住む人たちは家族の一員という意識が伴わなければならない。ところが人々は無視しあい、ゴミは捨て放題、あちこちに落書きの跡。これでは自分の家とはいえないではないかと思っていたら、最近は親子でも挨拶はなし、自分の部屋もゴミだらけで、家事の手伝いなど全然しないのが当たり前なのだという。
閉じこもりがちな当方など、そんな今風の家になってしまった町に久しぶりに出てみると、廊下も応接間も食堂も、何やら他人の家のようで落ち着かないのだ。
並ばない
並ぶのが嫌いだ。駅の券売機、銀行のCD、スーパーや書店のレジ、エスカレーターの左側(東京の場合)……。嫌いでも並ばなくては目的が果たせないから渋々並ぶが、人気のラーメン屋、話題のメロンパンを売るパン屋、あんなところには絶対並ばない。どんなにうまかろうが、たかが食い物じゃないか。戦中、戦後じゃあるまいし、そこに並ばなければ飢え死にするわけでもあるまい。何がグルメだ。
戦時中、配給切符を手に行列したのを思い出す、というほどの年齢ではないのだが、子供のころから並ばされるのがいやだった。校長のお定まりの訓示を聞かされる小学校の朝礼、眠い目をこすって音楽に合わせて手足を振るラジオ体操、女の子と手を組んでダンスを踊らされる運動会。並ぶというより、皆と同じことをやらされるのが苦手だったのかもしれない。今でも北朝鮮のマスゲームや「ニッポン、チャチャチャ」の応援風景を見ていると気恥ずかしくなる。
並ぶということは、そこにいる全員が同じ目的のために待機しているということだ。かつてのドイツ国民の行列の前にはヒトラーがおり、僕ら子供の目の先にはハゲの校長がいた。無理矢理並ばされた僕たちと違い、今どきの女の子、男の子、おばさんたちは好きで並んでいるのだけれども、行列の先に同じ目的があることは変わらない。ヒトラーの前に並ぶよりは、メロンパンの方が平和ではあるが。
強制だろうと非強制だろうと、ヒトラー総統でもメロンパンでも、やはり並ぶのは嫌いだ。大勢の人間が同じ目的のために同じ場所にいるということが、なぜか落ち着かないのだ。十人十色というではないか。戦争反対といっても一人一人ニュアンスは違うし、阪神ファンだって戦後何十年の筋金入りから、勝っているときだけの便乗組までいる。別に一人だけ目立ちたいわけではないのだが、みんなと全く同じと思われると、ちょっと違うのだ。
だから味自慢のカレー屋、ラーメン屋よりは、何でも揃っている定食屋の方が好きだし、こだわりのワインパブよりも酒あり焼酎あり、ワインだって安物なら置いてあるニュートーキョーの方が落ち着くのだ。「偉そうに言ってるけど、味音痴なんじゃない?」「ケチなのよ、きっと」。そりゃ、そうかもしれないが……。
挨拶
たとえば工事現場で歩行者を誘導している人に「どうも」と一声かけて通り過ぎる。あるいは電車を降りる際、出口の前に立っている人に「失礼」と言ってどいてもらう。またデパートの地下食品売り場、いわゆるデパ地下などで人をすり抜けて進む際に、「ごめんなさい」と声を出す。相手は無言のことも多いが、それでも悪い気はしまい、素直に道を開けてくれる。ほんの一声かけるだけで、人間関係のきしみが薄れる。潤滑油の役をするのが、日常の挨拶というものである。
ところが狭い歩道を、後ろからベルも鳴らさずにすり抜けていく自転車がある。電車の中で追いかけっこをして、人の脇を騒ぎながら走っていく子供がいる。今どきの躾のできていない子供にはいい加減慣らされているから、仕方がないかとあきらめる。そう思って今度はホームを歩いていると、前から来た三、四人連れのおばさんたちが横に広がったまま、どんどん迫ってくる。迫力に押されて脇へ避けると、大声で笑いながら行きすぎていく。いい年をして挨拶もできないのか。
挨拶とは、禅で問答をかわすこと。こちらが避けたら「ありがとう」というのが常識だろうと、腹を立てていたら、とんだ大間違いだった。家に戻って『字統』を調べたところ、「挨」は背を撃つことであり、強く撲って後ろから押しのける意味だという。思いもかけぬ乱暴な言葉だが、「拶」はもっとすごい。指を挟んで締めつける拷問の方法でもあり、これまた他を押しのけて争うこと、とあるではないか。
要するに、挨拶という言葉は元々、衆人が互いに前に出ようと争って押し合う意味なのだそうだ。禅の挨拶も相手を試みることであり、本来、呵責する意味だったのが、現在の社交的な儀礼の意味に変わってきたそうだ。
ということは、あの子供たちも、おばさんたちも、きちんと古典的な挨拶を励行していたわけだ。ひょっとすると家でも、「挨拶もできないようじゃ、世知辛い世の中を生きちゃいけないよ」と、子供たちを走り回らせているのかもしれない。いや言葉を知らないということは怖ろしいことだ。それにしても、こんなに意味の変わってしまう言葉があるなんて。
世界の石田さん
インターネットのホームページに「石田WORLD」(http://www11.ocn.ne.jp/~is-drug/ishida-net.htm)というサイトを発見した。開くと「Welcome、石田さん! 石田さん!!シンプルで覚えやすく、親しみが湧いてくる名前ですね!! そんな石田さんのホームページです!! 世界の石田さんのホームページです」とあって、あとは石田姓の人が運営するホームページのURLが15ほど載っている石田オンパレードのリンク集である。
なかに、このページを立ち上げた北九州市の石田薬局のコメントがあり、「石田という名前も何かのご縁と思い企画しました」と書いてある。薬局のご主人が始めたからでもないだろうが、リンク先に病院が目立つ。広島市の大腸肛門科主体の石田外科、各務原市の石田眼科クリニック、秋田県大館市の石田脳神経外科クリニック。頭の中からお尻まで、同姓のよしみで安心して診てもらえるような気もするが、東京から通うにはちょっと遠すぎる。
ミュージシャンも多い。トレスアミーゴスというバンドを率いる唄とギターの石田長生さん。胡弓、三味線、ホーミー演奏家・石田音人さんのファンクラブ。アメリカン・カントリー、ブルーグラス、アイリッシュを歌っている歌手の石田美也さん。そして手話を取り入れた独創的なダンスや一人芝居・二人芝居をこなすという石田くみ子さん。石田さんは音感に恵まれているのかと思われそうだが、私も父もまぎれもない音痴だから、この四人が特別なのである。
他にもシンガポールの国際放送局の日本支局長、体操クラブの経営者、手作りの釣具店主、印刷会社社長など、皆さん、それぞれの世界で活躍している人ばかりである。家に籠もって誰も読まない怪しげな文章を書いている私などは、とてもじゃないが、石田さんの風上におけないと、糾弾されそうだ。
佐藤、斎藤ほどではないが、石田という姓もありふれている。どうせ痩せた土地を与えられた開拓民あたりが、掘っても掘っても石ばかりなのに嘆いてつけた姓だろう、くらいに考えていた。確かに「シンプルで覚えやすい」けれど、「親しみが湧いてくる」などとは思ったこともなかった。だが、こうして「石田WORLD」の石田さんたちの活動ぶりを拝見していると、石田であることをもう一度、考え直さなくてはいけないかな、と思わないでもない。
喪失感
途中駅から乗り込んできた二人連れの会社員が、座っている私の目の前で話し始めた。「君は大丈夫か。結構、毛は太そうだけど」「まだ大丈夫ですよ。だけど親父がハゲてるんですよね」「そりゃ、危ないな。気をつけた方がいいぞ」……。おい、おい、お前ら、目の前に座っているオヤジの頭が見えないのか。無神経な奴らだ、場所柄も弁えず、とは思うものの、顔を上げて二人をにらみつける勇気はない。
たぶん、まだふさふさしているのであろう、目の前の会社員にはわかるまいが、髪の毛が薄くなっていく心許なさは、なんとも寂しいものだ。視力が落ちたり、だらんとしているものが立ちにくくなるのは、年齢による能力の低下ですむが、髪の毛は確実になくなっていくのである。この喪失感。処女や童貞は喪失しても、快感や大人になった満足感という代償があるが、ハゲには何の代償もない。両親や友人を亡くした喪失感ほどではないとしても、確実にあったものがなくなる侘びしさは、なくした者でなければわかるまい。
不幸中の幸いというか、頭部森林の砂漠化は未だ全面には至らず、密林が疎林に変わりつつある段階。さりとて、今さら植林によって元の緑豊かな大地に戻るとも思われず、少しでも木々が多く見えるように、ごまかすしか方法がない。いっそ完全な砂漠になってしまえば、それなりに見事な眺めになるのだが、疎林状態の進行中だけに、よけい厄介なのである。
で、床屋の椅子にかけて、主人に声をかける。「薄くなったのが、なるべく目立たない髪型って、ないかね」。薄い頭頂部に比べ、まだ十二分にふさふさしている脇の髪をいじりながら、主人が答える。「脇を思い切り短く刈って、上を多少長めにすれば目立ちませんよ」。よし、じゃあ、そうしてくれ。できあがった頭は、確かに以前よりはハゲは強調されてはいないが、期待したほどの効果はない。まあ、すっきりしただけでもいいか。
ところが、この髪型が新たな不安を呼び起こした。ある日の新聞に、こんな記事を見つけたのである。専門家の研究の結果、日本人で顔が長く、顎が細い人は骨格の関係で睡眠時無呼吸症候群になりやすいことがわかった、と。髪を伸ばしていたときには忘れていたのだが、両脇を刈り上げて、久しぶりに私の顔がひどく長いことを再発見したばかりだった。新聞に出ているモデルの顔型に、そっくりではないか。髪の毛だけでなく、呼吸まで無になってしまうのか。心配で、また毛が薄くなったような気がする。
青年失業家
この春だったか、那覇の豆腐料理屋で食事をした折、何気なく店内を見まわしていたら、壁に貼った一枚の色紙が目に入った。よくある有名人がサインをしたような色紙である。遠目で、高い壁の上の方に貼ってあったので、誰が書いたものかはよくわからなかったが、すぐに読みとれたのは「青年失業家」の文字だった。
色紙を書いた人が肩書きとして書いたのかどうか定かではないが、青年実業家をもじって青年失業家とはうまいことを言ったものだと、しっかりした島豆腐を食べながら、何度も感心して色紙を眺め直した。無名の観光客の色紙を飾るとも思えないから、ひょっとすると色紙の主は売れなくなったスターか、文字通り事業に失敗した青年実業家でもあろうか。
反対に、どうにも気に入らない横文字の一つに、「フリーター」がある。不定期に仕事をするフリーアルバイターの略だというが、昼間から遊び回っているような青年が職業を聞かれると、「フリーターです」と、まるで立派な仕事でもあるかのように平然と答える。そのたびに「冗談じゃない、潜在的な失業者じゃないか」とむかっ腹を立てるのだが、いっそ堂々と「青年失業家です」とでも言ってみたらどうだ。慌て者のお嬢さんが、聞き間違えてプロポーズしてくれるかもしれない。
フリーアルバイターを、あえて訳せば「自由労働者」。要するに日雇いのことである。日本語で言えば、なに恥じることもない、このところ、とんと仕事が入ってこない“フリーライター”(これも略せばフリーターになる奇妙な言葉だが)の小生など、文句なしの日雇い稼業である。ところが、ドイツ語のアルバイトに英語のフリーをくっつけて、さらに省略したフリーターとなると、なにやら実態を二重三重に糊塗して、労働意欲もないのに働いているように見せる誤魔化しとしか思えないのだ。
その点、青年失業家を名乗る色紙の主には、ただいまは運悪く失業中だが、時至れば会社の一つも興して大いに働こうという意欲と、苦境をしゃれのめす余裕が感じられる。青年よ、大志を抱けというほど時代錯誤ではないが、自分をごまかさず、現状を客観的に見つめて、失望しないことが肝腎だ。仕事のない青年よ、明日から青年失業家を名乗れ。年をとってから老年失業家を自称しても、誰も同情もしてくれないよ。
半夏一つ咲き
末摘花といえば、源氏物語の一巻、赤鼻の女性主人公を連想する人が多いかも知れないが、元々は紅花の異称である。古くから紅の原料や染料として栽培されてきた紅花は、現在では主に切り花やサフラワー油として利用される。ちょうど、これからが花の咲く時期で、間もなく紅黄色に染まった紅花畑で早朝の摘み取り作業が見られるはずだ。
主産地、山形県の北東部にあたる最上地方に、紅花の半夏一つ咲きという言葉があるという。半夏は半夏生(はんげしょう)のことで、夏至から十一日目をいい、今年なら七月一日になる。最上地方では半夏生のころから紅花が咲き始めるのだが、まず一つだけ花が咲き、翌日から次々と一斉に花を開くという。畑の作付け面積の大小にかかわらず、一つの集団に一つずつ、先駆けて咲く紅花があるのだという。開花期の遅い地域では、土用一つ咲きというところもあるというから、時期に関係なく、一つだけ先に咲く性質があるらしい。
理由はよくわからないが、おそらくは開花期を探る様子見のためだろうか。もっとわからないのは、先に咲く花はどのように決まるのかである。早咲きの紅花は一つの集団に一つだけとすれば、どこに植えられるかわからない種の内から早咲きの運命が与えられているとは考えられない。たまたま、もっとも成長の早いものが、先んじて一つ花をつけるのだろうか。そうだとしても、それ以外の花は、先に一つ咲いたことをどうして知るのか。紅花同士でなんらかの情報交換が行われているとしか思えない。
おそらく植物学者に聞けば、論理的な仕組みがわかるのだろうが、敢えて答を知らずに想像を楽しみたい。梅雨末期の紅花畑で、花同士が「そろそろ一つ咲きの時期だぞ」「今年は誰が咲くの」などという会話のようなものを交わし、「おい、真ん中のあいつが咲いたぞ」「どうやら、もう咲いてもいいみたいね」「それじゃあ、明日からみんなで花を咲かせよう」と衆議一決する。
東京生まれの東京育ち、おまけにとんと無風流ときているから、花のことはよくわからない。ひまわりやコスモスなどにも、一つ咲きがあるのだろうか。それとも紅花はエジプトあたりの原産というから、厳しい風土条件で身につけた性質なのだろうか。一度、紅花畑に立って、花の声に耳を傾けてみたい気がする。
HP管理人。梁塵社編集長。「亭主のつぶやき」はHP「風鶴山房」の「孤腎書屋」で不定期に掲載していたコラム。今回、新規開店の「梁塵社annex『コジンクン』」に移動して、引き続き不定期に随時更新していく予定。









