1978年の巻

アニメやテレビゲームは、今や日本発の代表的な若者文化。三十代、四十代まで漫画やゲームに熱中する風潮に眉をひそめる向きもあるが、四半世紀前の一九七八(昭和五三)年、テレビゲームの源流ともいうべきインベーダーゲームに夢中になったのは、ネクタイを締めたいい大人たちだった。

世界初のコンピュータゲームは一九五八年、米ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムが開発した「Tennis for two」といわれる。アナログ演算機とオシロスコープをつかった簡単なテニスゲームだったが、一般に広がったのは一九七〇年代になってからだった。

米アタリ社がピンポンをゲーム化した「PONG(ポン)」を開発したのが一九七二年。酒場にテスト機を置いたところ行列ができ、ゲーム代のコインがあふれて投入口が詰まるほどの人気。七〇年代を通じてポンは全米からヨーロッパにまで広がり、ゲーム機市場の基盤を形作った。

ポン人気に目を付けたのが、戦後輸入雑貨の販売、ジュークボックスや自販機の開発・販売を手がけ、七二年に社名を太東貿易から変えたばかりのタイトーだ。七三年に業務用コンピュータゲーム「エレポン」を発表、引き続き七八年に開発したのが「スペースインベーダー」だった。

開発に当たったのは同社の西角友宏氏(現ドリームス代表)。ブロック崩しを上回るゲームをつくろうと試行錯誤していた西角氏にヒントを与えたのが、前年アメリカで大ヒットし日本でも公開されたG・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」だった。宇宙人が攻めてくるゲームをと、一年がかりで開発ツールまで自作して完成させた。

七八年といえばキャンディーズが解散、入れ替わりにピンクレディーが「UFO」「モンスター」など立て続けにヒットを飛ばしていた時期だ。新しいゲームは当初、彼女らの曲名をもじってスペースモンスターと名づけたが、発売直前に侵略者を意味するインベーダーに変えられた。

日本で初めてマイクロプロセッサを搭載したインベーダーゲームは、当時急増してきたゲームセンターの主役になり、名古屋撃ちなどという〝秘技〟まで編み出されて大流行。熱中した小中学生がゲームセンターに入り浸ったため、立ち入りを禁止する学校もあったほどだった。人気に目を付け、各地の喫茶店が客寄せにと導入したところ、サラリーマンまでテーブルに百円玉を積みあげ、仕事を放ったらかしてインベーダー退治に夢中になった。

「スター・ウォーズ」「UFO」「モンスター」、そしてインベーダーゲームと、この年の日本人は子供から大人まで、仮想のSF的世界に浮かれていた。だが海の外では、宇宙人ならぬ地球の人間によるインベーダー事件が各地で相次いだ。

日本にまで侵略、いや押し寄せてきたのは七五年のベトナム戦争終結後、ベトナム、ラオス、カンボジアの政変で小舟に乗って国を逃れたインドシナ難民だった。ボート・ピープルと呼ばれた難民は七五年以降、日本にも相次いで上陸。七八年九月だけでベトナム南部から七千人以上が小舟で脱出し、十一月にはマレー半島沖で難民船が沈没、約二千人が行方不明になった。こうした事態に日本政府も同年、一時滞在中のベトナム難民の定住を認めている。

文字通り日本の領土に侵入してきたのが中国漁船百八隻。尖閣諸島で示威行動をし、領有権を巡って緊張したが、園田外相・鄧小平副首相会談で合意に達し、八月には日中平和友好条約が調印された。

大勢の難民が国を脱出していったベトナムは、カンボジアに大攻勢をかけ、暮れには同国の救国民族統一戦線と組んでポル・ポト政府軍と激戦を展開している。一方、アフリカ・ザイールにはコンゴ民族解放戦線が侵攻、米仏などが人質になった白人救出作戦に乗り出した。また南米ニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線が国会議事堂を占拠、各地で攻撃を仕掛け、イランでも反政府暴動が起きている。

国内でも三月、開港直前の成田空港でマンホールから侵入した過激派が管理棟に乱入、端末機器を破壊したため、開港が二カ月遅れている。七月には京都で山口組の田岡一雄組長が狙撃されて重傷、暴力団の抗争が激化し、十二人が死んだ。そんな騒ぎをよそに表参道には原色の衣装をまとった竹の子族が進出、奇妙な踊りで注目を浴びたのも、この年だった。

ピコピコとゲーム機内で際限なく攻め寄せるインベーダーは、実は日本人の脳内に侵入して現実を忘れさせ、無抵抗にさせるのが目的だったのかも知れない。髭を生やした青年が、子供めいた仮想現実の世界に没頭するオタクに変身し始めたのは、思えばこの時期あたりからのように思う。

日本で大流行したインベーダーゲームは、アメリカやヨーロッパにも進出し、多くの模倣ゲームを生み出した。その後、八〇年代から九〇年代にかけてファミコン、ゲームボーイ、プレイステーションなど個人用ゲーム機が発売され、スーパーマリオブラザーズ、ファイナルファンタジーなどの人気ソフトが開発されて、テレビゲームが現代っ子の遊びの中心になったのはご承知の通りだ。

今やテレビゲームは子供の遊びではすまされない。水戸芸術館現代美術ギャラリーなどが「テレビゲーム展」を開催、昨年は国立科学博物館までが「テレビゲームとデジタル科学展」を開催するほどなのだから。

一九八〇年にナムコが開発した「パックマン」は海外でもてはやされ、アメリカでは「パックマン・ディフェンス」なる経済用語まで誕生した。買収を仕掛けられた会社が、防御のために相手企業に買収を仕掛けることで、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長によるニッポン放送株買収で、フジテレビ側のパックマン・ディフェンスが噂され、パックマンは久々に日本に凱旋帰国した形だ。

ライブドアの突然の攻撃に対するニッポン放送、フジテレビ側のあわてぶりを見ていると、ホリエモン氏の買収劇は、まるでゲーム機から飛び出したパックマンが現実社会に攻撃を仕掛けたように映ったのではないか。今回はどうやら一件落着したようだが、これからも仮想現実のようなキャラクターが次々に現れて、既存社会を揺さぶる怖れは捨てきれない。

(月刊「ビジネス・インテリジェンス」誌2005年6月号から転載)

石田修大(いしだ・しゅうだい): エッセイスト

東京生まれ。「梁塵社」編集長、「言葉の工房」主宰。元日経文化部長、論説委員。「よこっとび20世紀」は現在、月刊誌「ビジネス・インテリジェンス」で連載中。連載から2ヶ月遅れで、このHPに転載していく。

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