1980年の巻

電車が止まるといえば、二十年ほど前まではストと相場が決まっていた。不幸なことに最近は人身事故で止まることがほとんど。そういえば大規模なデモも国内ではすっかりご無沙汰だ。かつては学生や市民が道路を埋め尽くすデモを繰り広げ、一九八〇(昭和五五)年ころまでは、国鉄が朝から晩まで全面ストップする交通ストが行われていたものだが。

デモを辞書でひけば「デモンストレーションの略。特に示威行進をいう」とある。デモンストレーションを見ると「(1)示威運動 (2)宣伝・紹介のための実演 (3)運動競技会で、正式種目以外の公開演技」。だが、今やデモといえば(2)に説明されている、新曲や新しいソフトを宣伝するデモ盤を連想する人が少なくない。

一方、ストはstrikeの略だが、日本では同じ文字をストライキと読めば同盟罷業、ストライクなら野球用語になる。野球用語の方は、イチローや松井らのメジャーでの活躍もあって、ますます耳にする機会が増えたが、ストと略すストライキは、外電以外ではあまり見かけない言葉になってしまった。

国内でストが華やかだったのは一九六〇〜七〇年代。特に印象の強いのは一般の人にも大きな影響を与えた国鉄、私鉄の交通ストだろう。七〇年代には毎年春になると、新聞の朝刊最終版に「今朝スト突入へ」の速報が載り、翌日には「首都圏の足、終日マヒ」などと影響の大きさを伝えた。

当時は春闘シーズンになると、国労、動労や私鉄総連の闘争の成り行きが注目された。ストが避けられそうもない雲行きならば、会社は要員を泊まり込ませるため近場のホテルを押さえ、それでも足りずに貸し布団を会議室に運び込ませる。

泊まり組は前日から出張スタイルで出勤し、夜ともなれば丸の内近辺の赤提灯は、家に帰らないサラリーマンで遅くまで賑わった。それ以外の社員も休みというわけにはいかない。スト当日、いつもよりずっと早く家を出て、車や自転車、徒歩で会社を目指した。電車の止まった線路を通勤客が歩いて出勤する図も珍しくはなく、ストが長引いたり、解除後の不手際で乗客が暴動騒ぎを起こすこともあったが、スト慣れしたサラリーマンには、ちょっとしたお祭り騒ぎでもあった。

第一次石油ショック翌年の七四年四月には、公労協、官公労などがスト権奪還、賃上げを掲げて空前のゼネストを繰り広げ、国鉄は全面運休、まる二日間、日本列島がマヒ状態に陥っている。この年は交通ストを含め半日以上のストが三千六百五十件、約二百五十四万人が争議に参加した。

その後も例年交通ストは行われ、八〇年にはストなし春闘が噂されながら、国鉄が始発から午後八時まで全面ストップのストを打ち、私鉄も一部がストに突入した。しかし、国鉄、大手私鉄が歩調を合わせての、大規模な交通ストはこの年までだった。翌八一年、国労・動労は十七年ぶりにストを中止、八二年には私鉄大手組合も十四年ぶりにストに入らず、交通ストなしの春闘になった。

国内で最後? の大規模交通ストが行われた八〇年五月、お隣の韓国では光州事件が起きている。朴正煕大統領暗殺事件後、全斗煥が軍の実権を掌握、韓国全土で起こった民主化要求のデモに対し、戒厳令を発令した。光州市では学生、市民によるデモが激化、暴動状態になり、戒厳軍が鎮圧、多数の死者を出して制圧した。

ポーランドでもこの年八月、グダニスクでの造船労働者ストを中心に政府の独裁体制に抗議するデモやストが広がり、政府も労組活動の自由を認めざるを得なくなった。このため九月にはワレサ委員長率いる自主独立労組「連帯」が誕生、たちまち九百五十万人もの組合員を獲得している。

韓国では光州事件後、全斗煥が大統領に就任、軍事独裁政権を維持し、ポーランドでも翌年、ヤルゼルスキ首相が戒厳令を発令、労組の非合法化など弾圧を強めていった。その後、両国では何度もデモやストが繰り返され、民主化へのねばり強い闘いの結果、現在の体制に至っている。

一方、日本では八七年に国鉄が分割・民営化され、八九年には総評が解散、新たに連合が結成され、労使協調路線の下、労働運動は低調になっていった。このため八〇年代以降、大規模なストは少なくなり、厚生労働省の労働争議統計調査によると、半日以上のストは九八年に年間百件を割り、二〇〇一年には参加人数も一万人を切っている。

〝政治の季節〟だった五、六〇年代には、ことあるごとに労組員、学生らがデモを繰り返し、「デモはデモでもあの娘のデモは……デモデモデモと言うばかり」と流行歌にまで歌われた。そんなデモも政治的緊張が薄れた八〇年代以降はとんと見かけなくなった。最近は、ときおり大使館の周辺で目にするブルーの出動服に楯を構えた機動隊員の表情も、穏やかなものである。

今年四月、歴史教科書や竹島の帰属問題をきっかけに、中国や韓国で反日デモが行われた。特に中国では上海、北京はじめ各地で数千人から一万人規模のデモが繰り返され、一部では日本大使館や領事館、スーパーや料理店の窓や看板を割るなどの被害も出た。

また五月にはアフガニスタンで、米軍のコーラン冒涜に抗議するデモが行われ、ウズベキスタンでは政府に抗議して広場に集まった民衆に軍が発砲し、暴動に発展、多数の死者が出、避難民が国境に殺到したと伝えられる。

未だに世界各地でデモやストの情報は絶えないが、一方日本はと振り返ると、大勢の人が集まるのはサッカーなどの国際試合や、六本木、丸の内など都心の新たなスポット、人気の飲食店。派手な喚声がと思えば、韓流スターを追いかける女性ファンの集団だ。

戦後六十年、デモもストもない平和な国になったのは結構なことだが、政治や経済に何の不満もないとは、とても考えられない。時折、ちょっとしたきっかけで電車内で喧嘩をしたり、駅員につかみかかる人が目立つのも、一人一人が渦巻く不満を小さく爆発させているのではないだろうか。

大事故を起こした鉄道会社の幹部は儀礼的に頭を下げ、外交で失点続きの政府首脳は他人事のように素っ気ない答弁を繰り返すだけ。ストやデモは昔のことと思っているようだが、長いものには巻かれる大人しい国民にも、我慢の限界があることを忘れてはいけない。

(月刊「ビジネス・インテリジェンス」誌2005年7月号から転載)

石田修大(いしだ・しゅうだい): エッセイスト

東京生まれ。「梁塵社」編集長、「言葉の工房」主宰。元日経文化部長、論説委員。「よこっとび20世紀」は現在、月刊誌「ビジネス・インテリジェンス」で連載中。連載から2ヶ月遅れで、このHPに転載していく。

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